序章 いきおくれている姫、年の差アリの宰相とフラグが立った
春の光を浴びて金色の見事な巻き毛が美しく光る。憂いを帯びた儚げなアイスブルーの瞳にこれまた繊細な睫毛が影を作る。
深い紅のベロア布のソファに気怠げに座る高貴なる姫、ソフィーア。
この国の王であり父であるオルフェウス王、見目麗しい兄、王太子レイモンドに囲まれて――ソフィーアは家族会議真っ只中であった。因みにあんまり和やかではない感じで。
「ソフィーア。そなた、今年で二十二になるな」
「はい、お父様」
「――にもかかわらず、未だに嫁がぬ」
「お父様やお兄様とまだ一緒にいたいの…」
「それ、3年前から言ってるよね?ソフィーアが嫁いでくれないと俺も結婚出来ないんだよ?」
兄が家族だけに見せる砕けた様子で畳み掛ける。父は眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。
(あーあーこの言い訳はもうだめよねー
…しかし、ぜんっぜん関係ないけれどお兄様ったらずっと私が筋トレさせてるのにやっぱり渋くならないわぁ。乙女ゲーム補正つよすぎ…)
私は困ったように微笑んだ。
(いやぁ、まさかこの世界でも行き遅れを家族から責められることになるとはねえ…)
ここは乙女ゲームの世界、しかし知らないゲームだったので中身33歳元看護師のソフィーアは普通に生きてきた。
「妹よ、父上は心配しているのだからね!しっかりしているとはいえいくらなんでも俺も女性の独り身は心配だよ?
それにソフィーアは功績が多いから基本的に国内の有名な貴族に嫁がないといけないのに、もう適齢期の相手が――」
「王太子殿下の仰るとおりでございます…」
しおらしく俯く。
(前の世界でもおばあちゃんによく言われたわねえ…一人は大変よ〜って)
「姫様はっ……!」
と、ソフィーアの斜め後ろから、侍女のカトレアが割って入った。乳母の娘で姉のように育ち、頼もしい彼女はいつものように姫の履歴書を早口で言い募る。
「学園在学中より数々の功績を残されておりますわ!
病弱の伯爵令嬢に適切な処置を施され――※主治医より的確でありその後令嬢は社交界復帰
隣国の王太子毒殺事件を未然に防止――※首謀者も確保し外交問題を回避
更に!卒業後は領地に救護所を設置、衛生指針と手洗い法を定め、治療の優先度分類手法を施行実施、死傷率を――」
「――カトレア、カトレア!ね、ね、少し息継ぎして」
ソフィーアが慌てて制した。大きく息をつくカトレアはソフィーアを溺愛しているのでたまに暴走するのだ。
(学園在学中、頻繁に起こる乙女ゲーム的なこの国の危機は流石になんとかしなきゃいけなかったし…誰かに頼りたくなかったし…。
そもそも、元看護師の知見を活用したらこっちの世界で“奇跡”扱いになっただけなのよ!!)
「……ふむ。功績は認める。だがな、婚姻も王族の重要な…」
父王が手すりを叩く。
「こら、聞いておるのか、ソフィーア!」
「もちろんですわ、お父様。耳は飾りではございませんもの」
(祖母にもよく言われたなぁ。
“耳は付いてるだけじゃ駄目よ、話を聞きなさい!”って。
――そんな祖母が亡くなって数か月に私も事故に遭って気づけばこの世界。
結局どこでも『結婚はまだか』って言われる運命なのね。うーん、これがデジャヴ)
ソフィーアはまたしてもぼんやり言い合うカトレアと父と兄を見上げた。皆、心から案じていることは知っているのはわかっているのだ。
――その上で、私は。
「お父様、お兄様。私のお相手はもうあんまりいないんじゃなくって?」
(はぁ、あんなキラキラキラキラした目が痛すぎる若い!イケメン!みたいな少年たちとは流石に結婚出来なかったわ…乙女ゲームのフラグって流石に分かってはいたけどねえ…)
実際のところ、学園の時に交流があった乙女ゲームでいうところのイケメン攻略相手も、その他同世代の男の子たちはもちろんもうあらかた婚約者がいる。
結婚していたり子供がいたりしてもおかしくないくらいの年らしい、この国の22歳は。
だがソフィーアは元々年上好き、同世代は親戚の子供にしか見えなかった…。
父と兄が一瞬、気まずそうに顔を見合わせた。
そして兄がやや申し訳なさそうに釣書書を開きながら口を開いた。
「……えー我が国の宰相、レオネル=ヴァルクレイン閣下、38歳。国務において比類なき才能があり、性格も穏やかで聡明。えーと、多少の仕事中毒により未婚独身。
――政略上の合理性もあり、何より父上の信頼が篤い」
読み上げられた名にソフィーアは――瞬時に脳裏に彼を思い浮かべた。
よく鍛えられた筋肉、少しのった脂肪、撫で付けられた黒髪、渋めのお顔と低めで落ち着いたお声。くたびれ気味だがおばさま方にとってもモテそうな端正なお顔。
ソフィーアは完璧な微笑みを保ったまま、心の中で大きくガッツポーズをした。
(来た!来たわぁ!!
学園での甘ったるい王子様ルートもなんか真面目すぎて心配になる騎士くんルートも!
丁重にエスケープした私にようやく“大人の男”との縁談がッッッ!!)
「年が……年がその、離れすぎているのではないか、と懸念する声もある」
父王が重苦しく慎重に告げる。
「ソフィーア、まあ、無理はするな。そなたの幸せを思えば――」
「お父様、いえ、オルフェウス国王陛下」
ソフィーアは立ち上がった。
「――そのご縁ッッッ!!ありがたく頂戴いたしますわ!!」
沈黙。
鳩が豆鉄砲を食らった顔、という慣用句がこの国にあるかは知らないが、父と兄の表情はだいたいそれだった。
「い、今なんと……?」
「…カトレア、妹は熱でもあるのか?」
「はっきりと“ありがたく頂戴”します、と…ひ、姫様、も、もう一度復唱を……!」
「よろこんで」
ソフィーアは可憐に礼をし、極上の王女スマイルを添えた。
「不詳第一王女ソフィーア、有り難く!お受けします!その縁談!」
(やったー!38歳と33歳、5歳年上の夫なんてまさに理想の歳の差じゃない!?)
「し、しかし、相手は宰相だぞ。政務に忙殺され、私生活は――」
「最高です」
思わず声が明るくなってしまい、ソフィーアは咳払いで誤魔化した。
「……失礼。申し上げたいのは、陛下のご判断が、国にも私個人にも最良だということ。
私は宰相閣下のご多忙を理解し、必要なら政務の補佐も可能です。
お父様もご存知の通り――現実的かと」
(徹夜や修羅場の耐性ありの元看護師よ!夜勤経験、急患対応、書類の山も可愛いものよ!それに何より…仕事に一途な大人の男性って素晴らしいじゃなーい!)
「……う、うむ」
父王は思わず咳払いを返し、何やら気圧された様子で顎鬚を撫でた。
兄レイモンドが俯いて肩を震わせる。笑っている気がする。いや、これは確実に笑っている。
「妹よ、なにがそんなに嬉しいのか」
「お兄様!王国の未来のために!ですわ」
(あと私の未来のためにも、ですわ!)
「では、正式な書状をもって――」
と、そこまで言って、父王ははたとソフィーアを見つめ直した。王の瞳は鋭く、けれども親としての不安を帯びている。
「……ソフィーア。そなた、本当に良いのだな?」
「はい。私が望みます」
言葉に出した瞬間、胸の奥で何かがふっと軽くなった。祖母の声が遠くで聞こえるような気がした。
(ああ、やっと“物語ごっこ”の外へ出るのね)
「では、日取りを――」
「カトレア」
「はい、姫様!」
「お父様とお兄様に取り敢えずお茶をお願い。婚約披露の舞踏会の準備をしなくっちゃ。ドレスは――そうね、控えめに見えて勝ち筋のやつ」
「“勝ち筋”……あの手の方の好み…胸元は上品、背中に色気のあるあのドレスが良いかと…」
「さ、さすがカトレアだわ、私のお姉様だわ…」
「恐れ多くも、姫様の右腕として仕えさせて頂いておりますので」
ふふ、と二人で笑い合う様子に父王と兄が同時にため息をついた。
呆れ半分、安堵半分――たぶん、そういうため息だ。
「……頼もしいやら、恐ろしいやら、これで嫁げるのか…?」
「父上、我が妹ながら、こうなったときのソルィーアは最恐です」
「最強にして最高ですわ!」
三者三様のズレた感想を聞かなかったふりをしてソフィーアは天井の装飾を見上げる。
(宰相レオネル=ヴァルクレイン閣下…
――年の差?むしろご褒美だわ!
“乙女ゲームのハーレム救国ルート”は本当にもう終わったのねー!!)
文官が足早に出て行った。きっと、宰相室に第一報が飛ぶ。
どうか驚きすぎて椅子から転げ落ちませんように――いや、それはそれで可愛いかもしれない。
「姫様?」
カトレアが覗き込む。
「なんでもないわ。楽しみだなぁって思って」
「婚姻が、でございますか?」
「ええ。なんだか胸が高鳴るの」
ソフィーアは胸に手を当て小さく深呼吸した。
中身はともかく、身体はどうしようもなく22歳のようだった。