第二十八話:箱庭の華
翠鎌は顎に手を当てて何やら考え込んでいるようだった。そして不意に顔を上げたかと思うと、
「やはり殺風景なのがよろしくありませんよね。初めは壁にいくつか絵画を飾っていたのですが、同じ絵師の作品を集められず、統一感がないという話になり、結局撤去してしまったのです。どういたしましょう。絵画を飾り直しますか。それとも壁掛けの花瓶を設置して花を生けるのもよさそうです」
「待って、何の話?」
「真宵様にこの部屋を気に入っていただくためのお話です」
「そんなのどうでもいいよ。それより教えて。翠鎌と緑女王は僕をどうしたいの? 人界に帰してくれるって言ったじゃないか」
「もちろん、お帰しいたしますよ。ですが今すぐというわけには参りません。お話ししたとおり、緑女王・彩胡様は医師として七神への定期見参が許されていますが、次の定期見参は約一年後なのです」
「一年!?」
「ですのでそれまでの間は、緑国でごゆるりとお過ごしいただけたらと」
「そんなに待てないよ!」
真宵は思わず声を荒げた。寿命が三百年もある華間と、それを主とする蟲間からすれば、一年くらい人間の二、三か月程度の体感なのかもしれないが、人界に生まれ人間として育った十六歳の真宵にとって、一年は途方もなく長い。
「ですが、お待ちいただくほかに手立てはないのです。それゆえ、せめてお部屋だけでもお好みのようにいたしたく」
「どんなに綺麗に飾ってもらったって、こんな地下牢に一年もいたくない」
「申し訳ございません。安全な森羅宮の敷地内にあって、かつ日光の当たらない、ほかの華間や蟲間が寄りつかない場所は、王族や貴族などの高位犯罪者を収容するこの地下牢しかなかったのです。それにここでなら、地下という立地と私の結界により、真宵様の芳香が外部に漏れるのを防ぐことができます」
理にかなっていると言われれば、そうとも思える。けれど真宵は納得できなかった。一年もこんな場所で無駄に時間を過ごしては、人界に帰れたとしても勉強は追いつかないし、留年しているだろう。留年どころか除籍されているかもしれない。失踪したか、死んだと思われていてもおかしくない。
「ご気分が優れませんか。洗面所と閑所(御手洗)は次の間にございますが……」
「いらない」
「では、お着替えを。赤国の旅装束を着られたままでは窮屈でしょう」
翠鎌は衣桁からゆったりとした前合わせの長衣を手に取ると、真宵に近づいてくる。
「このままでいい」
真宵は首を振って後ずさった。しかし翠鎌はサッと距離を詰めてきて、真宵の二の腕を掴む。
「なりません。赤地ですので目立ちませんが、そのお衣装には蟲の体液が飛び散っています。蝸牛を殺したでしょう」
ぎくりとした。それも見られていたなんて。
「お召し替えはご自身でできますか。それとも私がお手伝いいたしましょうか」
二択を迫られて、真宵はしぶしぶ緑色の長衣を受け取った。立羽にされたときには拒否する間もなかったが、十六にもなって他人に着せ替えられるのは恥ずかしい。
着替え終わったら呼ぶようにと言い置いて、翠鎌は牢屋のある通路のほうへ出ていった。
赤い旅装束を脱ぎ落しながら、ふと立羽の顔が思い浮かぶ。
彼女はいなくなった僕を探しているだろうか。網玲と蜻迅衛の不調は、僕が遠ざかったことで良くなったのだろうか。
長衣に着替えた真宵は、鏡台の前に立って自身の姿を眺めた。緑色の衣服に東洋人の目と肌と髪。額には赤い変石のついたサークレット。なんだかちぐはぐな感じがする。
今の自分はどこの国の華間に見えるのだろう。
「真宵様、もう入ってもよろしいですか」
扉を叩かれて、真宵は了承の返事をした。間もなく顔を見せた翠鎌は、真宵の姿を見るなり表情を緩ませた。
「とてもよくお似合いです。真宵様は暖色よりも寒色のほうが映えるかもしれませんね。ですが、これが少し……」
翠鎌のしなやかな手が伸びてきて、変石ごと真宵の額を覆う。
「何? 何するの?」
「変石への指令を変えます。ここは緑国なのですから、擬態する対象は緑国の民でなければ。少々眩しくなりますので、目を瞑っていてください」
真宵は言われたとおりに目を閉じる。
「森の座、葉脈の路、露の印ここに在り。常磐の蔭に面を上げよ」
瞬間、まぶた越しに眩しい光を感じ、額がジンと熱くなる。けれどそれもすぐに止んで、翠鎌の手が離れていく。
「もうよろしいですよ。これで真宵様は誰の目にも、緑国の民にしか見えなくなりました」
真宵は額の変石に手を当てる。つるりと冷たい手触りは以前と変わらないけれど、鏡台の前に行き、鏡に映してみると、それは澄み切った翡翠色に変わっていた。
「もうじき夜が明けます。私は仕事がありますので行きますが、何かあればこちらを吹いてお呼びください」
翠鎌が手渡したのは、楕円型の平たい石のようなものだった。大きさは卵くらいで、色は黒混じりの濃い緑だ。あちこちに穴が開いていて、その穴のひとつに紐が通してあり、首から下げられるようになっていた。
「これは?」
「幽笛です。この笛の音ならば、私は三里(約十二キロメートル)離れていても聞きつけられます」
「……それは頼もしい」
なんて地獄耳なんだ、と真宵は胸中で悪態をついた。
「それと真宵様、扉には鍵をかけていきますが、お気を悪くされないでくださいね。閉じ込めたいのではなく、お守りしたいのです。今日は晴天の予報ですので、陽光も強く差しますし」
「太陽の光が平気になる蜜、みたいなのがあるでしょう?」
華界へ転移してきて橙国で目覚めたときに口の中に感じた甘い味を、真宵は覚えていた。立羽はそれの名を何と言っていたっけ。
「暁霞の蜜のことですね。確かにあれがあればお身体の不調は和らぐでしょうが、残念ながらあの蜜は、並の蝶や蜂では採取できないものなのです。私はあの蜜を採れる蟲間を、立羽殿のほかに知りません」
「そっか……」
「では私は行きます。もし誰か来たとしても、決して応対なさらないように」
母親のようなひと言を残して翠鎌は出ていった。扉が閉まった直後、カチャンと鍵の掛かる音がする。
真宵は手持無沙汰に寝台へと歩いていき、無造作に身を横たえた。緑色をした布団からは、新しい畳のような干し草の香りがした。




