第二十四話:敗北
弾いては受け、切り込んでは避ける。刃風と金属音を鳴らして赤と緑が空で火花を散らす。
斜めに切り上げた立羽の剣が、翠鎌の右肩を薄く裂いた。緑の血珠が弧を描き、断崖の白霧へ消える。すかさず返る鎌の一撃。立羽は身を捩って主軸をずらすも、上腕をかすめられ、赤い線がぱっと咲いた。双方の血の色が、空に散っては混じらず落ちていく。
刃は再びかち合い、きりり、きりり、と悲鳴を上げる。互いの呼気が頬を撫でるほどの至近距離。何かを感じた立羽が低く問う。
「貴様、夜華君に会ったな」
「何のことでしょう」
「とぼけるな。匂いがする」
風が吹き、立羽と翠鎌、それぞれの長髪がふわりと泳ぐ。互いが互いの目の奥に真意を探ろうと睨み合う。
立羽の言った匂いとは、夜華の芳香ではない。彼の着ていた旅装束の、赤い染料の残り香だ。ごく薄い自然由来の香りのため、その香りをもとから知る蟲間が嗅いでようやくそれと気づける程度の。
翠鎌が刃を滑らせて巻き落とし、その勢いで立羽の左肩から袈裟切りを見舞う。立羽は後ろに飛んでそれを避ける。
翠鎌の口元に笑みが浮かぶ。
「お会いしてなどいませんよ。お会いできていたら、こんなところであなたと戦ってはいません。あなたがしたように気を失わせて、今ごろ緑国へ連れ帰っている最中です」
立羽は険しく眉根を寄せる。あなたがしたように、と翠鎌は言った。それはつまり、見ていたということ。
「貴様、あの溶岩洞にいたのか?」
「ええ、まあ」
「……この度だけではない。貴様は、夜華間を探す私の前に幾度となく現れた。なぜいつも私に付きまとう」
「それが緑女王のご命令だからです」
「緑女王は何をお考えなのか。どうして私の邪魔をするよう貴様にお命じになる!? 緑女王は珠沙様と決して不仲ではなかったはずだ」
「主の考えを他国の色つき蟲間に明かすわけにはまいりません」
翠鎌が鎌を振るう。その刃から同じ刃の形をした緑色の風が生まれ出る。それは先ほど立羽の六面禁粉を打ち破った蟲術、鎌鼬だ。
緑色の風の刃は次々と生まれては立羽に襲い来る。両断するにも限度があり、息の上がった立羽は後方へ退いて両手を前にかざす。
「蓋粉」
赤い鱗粉が半球状のドームとなって立羽を守る。
ザシュッ、ザンッ、ジュシャッ
放たれた鎌鼬の刃がドームに突き刺さって止まった。立羽に分があるのは蟲術を手元で展開しているためだ。翠鎌の手元を離れて飛んでくる刃は、どうあっても距離の分だけ空気抵抗を受ける。
とはいえ十一間(約二十メートル)近く離れていてなおこの威力。至近距離で撃たれればドームは容易く破られるだろう。それを翠鎌もわかっているから、飛んで距離を詰めてくる。
接近戦で鎌鼬を防ぐには、鎌を振り切らせないことだ。
鍔迫り合いから押し込み、翠鎌の額に頭突きを見舞う。怯んだ隙に縛粉を展開し、翠鎌の身体のあちこちを絡め取っていく。
糸はすぐさま断ち切られていくが、そんなことはわかっていた。だから数の暴力で攻める。細い糸をうっとうしいほど幾重にも巻きつけ、鎌鼬のために鎌を振らせない。
「ッ……姑息な戦い方はあなたらしくありませんね」
「貴様を少し見習おうと思ってな」
糸が絡む、断たれる、また絡む。
突きの体勢に剣を構えた立羽が、翠鎌の心臓目掛けて突進する。それを緑色の鎌の腹が、すんでのところで受け止める。翠鎌の息も上がっていた。
おかしい、という違和感が立羽の中に生まれた。翠鎌の危機に、彼の使蟲間が姿どころか気配も見せない。
「椿毅はどうした。いつも連れているだろう」
「緑国に置いてきました」
「なぜだ? 赤国は緑国からすれば紫国に次いで遠い国。そんな場所に遠征するのに遠距離飛行を得意とする椿象を置いてくるのか?」
「ええ。国内で別件を任せておりまして」
涼しげに目を細める。だが立羽は、その胡散臭い微笑みに騙されはしない。
「夜華君を運ばせたな」
「あらぬ疑いですよ」
「とぼけるな。ではなぜ貴様はここにいる。草地を踏む足跡が、この高台で途切れているんだ。そしてここには貴様だけがいた」
「それが何です?」
「問うているのはこちらだ! 何なんだ貴様は!? 人界にまで付けてきたかと思えば、その後もしつこく私を付け回し、挙句、夜華を横取りしていく。色つき蟲間としての矜持はないのか!? その主、緑女王も底が知れているな」
翠鎌の顔から笑みが消えた。まるで人格がすげ替わったかのように気だるげに息を吐き、鼻で笑う。
「もう、十分ですかね。あなたの糸も届かない距離まで行ったでしょうし」
空気が変わった。翠鎌は強靭な力で剣ごと立羽を薙ぎ払う。次の瞬間、翠鎌の姿が立羽の視界から消えた。
ザシュッッッ!
立羽の背部で、その右翅が根元から切断された。
「ッ……ぁあああッ」
体勢を維持できなくなった立羽は、片翅でよろめきながら地面へ落下する。形を保てなくなった剣は、霧散して赤い鱗粉に戻る。
翠鎌は踵を返して飛び去ろうとする。が、ふと空中で止まり、半身振り向いた。翡翠色の瞳が地上に這いつくばった蝶を見下ろす。
「言っておきますが、あなたのように脅したわけでも、さらったわけでもありません。行きたいと、連れていってと言われたのですよ、真宵様が」
立羽は返答しようとするが、背中の痛みで声にならない。砂の上に爪を立て、歯を食いしばって顔を上げる。
霞がかった空を背景に、一匹の蟷螂が飛んでいくのが見えた。片翅を失った蝶は、その後姿をただ見ていることしかできなかった。




