第十九話:緑の理解者
居場所がないことには慣れている。
思春期以降、真宵はいつも誰かの目を気にしていた。大人の前でも子どもの前でも、波風を立てない"普通"であろうとした。それは耳の裏の痣を気にしていたせいだった。
一方で真宵は何者かになることを望んでいた。でもそれは、周囲からよく言われた"天然"だったり"変わっている"人になりたかったわけではない。
真宵は何者かになって、誰かに認められて、居てもいい場所を得たかったのだ。
けれどそれは叶わなかった。真宵は学校で孤立した。共働きの両親との間には距離ができた。
だから真宵は諦めてしまった。人間に居場所を得ることを。
諦めてしまえば、平穏な静寂が残った。
どうして人と上手く交われなかったのだろう。
真宵は本能で気づいていたのかもしれない。自分が"普通"の人間ではないことに。
本当は華界に生まれた夜華間という生き物であることに。
そして夜華間もまた、華界の中では"普通"の華間と異なる存在だということに。
"普通"ではない真宵が、"普通"に暮らせる居場所はどこにもない。
平地を離れた真宵は、林間を歩き続けていた。頂上を目指す、と立羽が言っていたから、とりあえず緩やかな傾斜を上に向かってはいる。けれど道なき道を歩いているせいで、正しく進めているのかはわからない。あたりをうっすらと覆う白い霧も、方向感覚を鈍くさせる。
幸運なことに、野生の蟲には出くわしていなかった。サークレットをきちんとつけているおかげだろうか。とはいえ平地で寄ってきた金蚉のように、白華山の蟲は嗅覚が鋭いらしいので油断できない。
しかしそれでも、一時間ほど歩いて一匹も襲ってこないということは、今真宵の芳香は完全に抑えられているということか。もしかすると修行の成果かもしれない。
などと真宵は少し自信をつけていたのだが、実際にはそうではなかった。あたりに蟲がいないのは、網玲と蜻迅衛の功績だ。真宵が立羽の作った鱗粉の赤蟻と修行をしている間、二人は進行の邪魔になりそうな白華山一合目、二合目付近の蟲たちを次々駆逐していった。そしてその蟲たちの中から、真宵の修行に使えそうな何匹かを網玲の糸で巻いて保存していたのだ。
真宵がその事実を知ることはない。
どれくらい歩いたろうか。前方を見ると、木々の向こうが明るかった。
林を出られる。そう思って真宵の心は湧いた。ずっと木ばかりの景色だったので、もしかして同じ場所をぐるぐる回っているのではないかと不安だったのだ。
上り坂になった木々の間を真宵は足早に進んでいく。その場所に近づくにつれて、少しずつ霧も晴れてきていた。息を切らして真宵は上る。
ようやく光のもとに出た真宵の目に映ったのは、思わず息を呑むような断崖絶壁だった。林の途中から急に崩れたかのように足場が垂直に削られている。
向かい側にも同じように切り立った崖がある。遥か下方からは水の流れる音が聞こえていた。
真宵は恐る恐る崖の縁に近づき、下を覗いた。どれほどというべきか、例えようもない高さ。下に流れる川はまるでミニチュア細工のようだ。
ビュウウウと強風が吹き、真宵は慌てて崖の縁を離れた。煽られて落ちたら、命はない。
頭上から眩しい陽光が差していた。霧も枝葉も介さず直接肌に降り注ぐ。
真宵は途端に身体が重くなるのを感じた。それは人界で昼間に感じていただるさだった。頭もどこかぼんやりとしてくる。
立っているのがつらくなって、真宵は崖から離れた木陰に腰を下ろした。大きく深呼吸をすると、弛緩した身体がどっと疲労感に飲み込まれていく。
日光の眩しさが神経に触るような気がして、真宵は膝を抱えて顔をうずめた。こんな状態で蟲が来たらひとたまりもないけれど、今はこれが一番楽な体勢だ。
「お可哀想に」
男の声がして、真宵はハッと頭を上げた。重い身体を引きずるように立ち上がりながら、周囲を見回す。けれど、誰もいない。
「そう警戒なさいますな。私は敵ではございません」
声は下方から聞こえていた。真宵は足元を見る。
そこには、人界にいるのと変わらないサイズの蟷螂がいた。




