歌って、笑って、店番して
その日、工房の奥には、ユーカの声がやけに響いていた。
「〜♪ ちょっと試してみるだけ〜♪ きっとなんとか〜なるはず〜〜〜♪」
……どうやら、歌っていた。
けれど、それはただの歌声ではない。
彼女の首元には、淡い紫の魔石をはめ込んだチョーカーが光っている。
試作名は――《うたうまちゃん》。
音の震えと魔力の共鳴を利用して、発声を補助する魔法細工。
音痴でも音程が安定し、心地よい響きになるようにする、という“夢のような”アクセサリーだ。
「これで私も、音痴卒業……!」
そんな期待を込めてユーカはこっそり開発していた。試作回数はまだ一度きり。
今日は、その“初試用”の日だった。
細工内容としては、声に含まれる揺らぎを魔力で補正し、耳障りの良いトーンに自動変換するというもの。
ただし、魔石の魔力量を抑えるため、発動トリガーは“音声認識”によって制御される。
「……試すなら、朝のうち……誰もいない今なら……」
そんな思惑で試したはずだったのだが――
「おぉぉ〜♪ なんか綺麗に聞こえる〜〜♪」
実際に試してみると、自分の声が音程もリズムも整って、まるで吟遊詩人のように聞こえてきた。
(これは……いけるかも……?)
そう思ったのが、運の尽き。
試しにメモを書こうと呟いたその瞬間――
「〜♪ メモをと〜る〜よ〜♪ あれ、今のも歌〜〜!?♪」
自分の発した言葉が、すべてメロディになっていた。
音程、語尾の伸び、声の跳ね。どこをどう切り取っても、完全に“歌”になってしまっている。
「う、うそ〜〜〜!?♪ これじゃ会話ができないよ〜〜〜〜!?♪」
慌てて外そうとしたが、チョーカーは首元にぴったりとくっついていて、びくともしない。
設定していた“解除ワード”を思い出して、叫ぶ――が。
「〜♪ ソング・オフ・コマンド・ワン・ツー・スリ〜〜♪(解除ワード)」
何も起きない。
――完全に、歌声として認識されているため、音声認識が反応していないのだった。
「やっちゃったぁぁ〜〜〜〜♪」
ユーカは頭を抱え、床に突っ伏す。
しかし突っ伏しても、うめいても、すべてが歌になる。悲鳴すらメロディ。
その様子はもはや、喜劇だった。
* * *
しばらくして――
扉が開く音がして、外出していたはずのリネアが戻ってきた。
「ユーカ、ちょっと戻ったわよ。魔石の在庫を――」
「おかえりなさ〜〜い〜♪ 母上さま〜〜〜〜〜♪」
凍りつく空気。
リネアは、一拍置いてから、じぃっとユーカを見た。
「……何、その喉元のチョーカー。聞こえるんだけど、なんか……ずっと歌ってない?」
「その説明を今からするよ〜〜〜♪ 聞いてね〜〜〜〜〜♪」
「やめて」
ピシャリと言われたが、やめられない。歌になる。
「説明したいけどやめられな〜〜〜い〜〜〜〜♪」
「……まさかと思うけど、音声認識で解除設定したわけじゃないでしょうね?」
「……し、しちゃったぁ〜〜〜〜〜〜♪」
「……バカッッ!」
リネアは額を押さえ、ため息をついた。
「よりにもよって歌声を補助する装置に“音声認識解除”をつけるとか……もう……!」
「うう、ごめんなさ〜〜い〜〜♪ でも一応音程きれいにはなったんだよ〜〜〜〜♪」
「知らない! そのままの状態でしばらく反省してなさい!」
そして。
リネアは冷酷な一言を告げる。
「……今日はそのままの姿で店番ね」
「えええええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!?♪」
悲鳴が店中に響きわたるが、それすら美しい三拍子に乗っていた。
* * *
――その日の《シルヴァリス細工店》の扉には、特に変わった張り紙もなかった。
けれど、何かが違った。
「〜いらっしゃ〜いませ〜〜♪ 本日は開店中〜♪ ふつうのお店です〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
店内に入った客が最初に耳にするのは、**完璧な音程で、響き渡る店員の“歌声”**である。
視線を向ければ、そこに立っているのは、困り顔の少女――ユーカ・シルヴァリス。
首元には、淡く光る紫の魔石チョーカーがしっかりとついており、本人の意志とは関係なく、発する言葉のすべてが華麗なメロディとなって飛び出している。
「……あの、ユーカちゃん……今日って、なんかの記念日?」
最初の来店客は、近所の常連である中年の男性。
手に持った魔除けのお守りを掲げながら、怪訝そうに尋ねる。
「ふつう〜に、ふつう〜に〜〜〜〜っ!♪ 今日はただの、平日〜〜〜〜〜♪」
「ほう……?」
男性は一瞬黙り、そして頷いた。
「……うん。まあ、元気なら、いいよね!」
そしてそのまま、お守りの修理依頼だけを済ませて去っていった。
気にしないタイプで助かった。……だが、次はそうはいかなかった。
* * *
二人目の来客は、ユーカと同い年の悪友・クロエだった。
鍛冶屋の娘である彼女は、作業の合間に“素材の受け取り”でちょくちょく顔を出す。
この日も、何の気なしに扉を開け――
「ユーカ、例のやつ取れた? って、うっわ……どうしたその顔!?」
「い、いらっしゃいませ〜〜♪ きょっ今日はと〜っても良い天気〜〜〜〜♪♪」
「何そのノリ!? なに!? 新手の変な細工でも?」
ユーカは涙目になりながら、事情を説明……するも、すべてが歌。
「うたうま〜ちゃ〜〜ん〜〜〜♪ 試作品なんですぅ〜〜〜〜♪」
「音声認識の解〜〜〜除トリガ〜〜が、ぜんぶ無効化されてるの〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
「母に怒られてそのまま店番ですぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
クロエは顔を真っ赤にして震えた。
「……ッ、ぶはっ……っぷぷっ……あっははははは!! な、なにそれ!? 笑いすぎて腹いてぇ!!」
「やめてぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
ユーカは半泣きで頭を抱える。けれど、声はきれいなファルセット。
やればやるほどクロエは笑う。
「だめ……それ最高……ちょっ……ちょっと待って……ラウルにも知らせ――」
「や〜め〜てぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
絶望のハイC音が響いた。
* * *
……夕方。
来店客は幸い(?)少なく、なんとか恥をかきすぎずに済んだものの、ユーカの心は体力ではなく精神力が尽きていた。
声を出すたびに歌になり、頼んでもないのに語尾がビブラート。
小さな会話も歌。咳払いすらメロディ。笑いも、ため息も、全部「演出付き」。
(……はぁ……はぁ……もう……しゃべりたくない……しゃべったら歌になる……)
椅子に突っ伏していたそのとき――
扉が開き、またもあの冷酷なる救援者が現れた。
「……ご苦労さま。ちゃんと店番してた?」
母・リネアである。
彼女は無言で歩み寄り、ユーカの首元にそっと指を添えた。
そして、合図のように――
「《コマンド解除・マスターキー》」
低く、明瞭な声でそう唱えると、紫の魔石が一瞬きらりと光り――カチ、と音を立てて外れた。
「…………あ」
ユーカは、思わず口を開いてしまった。
「……しゃべれる……! しゃべったのに歌にならない……!!」
涙がぶわっとこみ上げる。
「……うわあああぁぁぁぁ……もう、恥ずかしいぃぃぃ……っ!」
「全力でやってたわね。完璧な歌声だったわよ?」
「ひ、褒めてるの? 怒ってるの!? どっち!?」
「両方よ。声の補正機能自体はすばらしかった。でも使い方と解除設定が大馬鹿」
「うぐ……」
リネアはため息をつきながら、外れたチョーカーを手に取って言った。
「この失敗、次に活かすこと。細工ってのはね、自分が楽するために作るものじゃない。人の気持ちに立って作るもの」
「……うん」
「でないと、こうして“歌う地獄”になるのよ?」
「……うん……ぅぅぅ……」
* * *
夜、ユーカは作業机に向かって、そっとメモを取っていた。
「《うたうまちゃん》 第二試作計画――解除方法を“手動解錠式”に変更。魔力過剰補正は調整。あと、恥はなるべくかかないように……」
書きながら、こっそり笑う。
どんなにドジでも、こうしてまた手を動かす。
それがきっと、自分なりの“進み方”。
「……ま、なんとか、なるよね」
ぼそりと呟いたその声は、もう歌ではなかった。