母
いつからだろうか、優聡と会話をしなくなったのは。
優聡は小さい頃は感情が豊かで、笑顔の多いかわいい子供だった。
優聡には幼稚園の時から仲良くしていた親友がいた。小学校の時はいつも一緒で、仲が良かった。
小学生低学年の頃はゲームをすることは無く、毎日のようにサッカーや鬼ごっこをして遊んでいた。
この時は親友以外にも友達が何人かいたようだった。
優聡はご飯を食べる時「そうまがさぁ~」「かいとがね~」と言いながらその日起こったことを楽しそうに話していた。
私は自分の手料理を食べながら嬉しそうに話す優聡を見るのが好きだった。
しかし、そんな日々は長く続かなかった。
優聡が小学4年生に上がった時、優聡の父が行方不明になった。
その日、あの人はいつも通り出勤した。
夕方4時頃、会社が爆発した。
大きな火災が発生し、町は大パニックに陥っていた。
私は家の中であの人の無事をただただ祈った。
この事故で48人が亡くなり、1人だけが行方不明になった。
あの人以外は死亡し、あの人の死体だけが出てこなかった。
はっきりと死亡した、と言われていたら吹っ切れていたかもしれない。
しかし、行方不明という曖昧な事実が変わることは無かった。
私はまだ、どこかで生きている――そう信じて今日まで生きてきた。
少なくとも私はそう考えてきた。
しかし、小学4年生には辛いものだったかもしれない。
外で遊ぶことが少なくなった。
小学6年生の後半にもなると優聡は外で遊ぶことが一切無くなった。
聞けば、親友と喧嘩をしたらしい。
喧嘩したのは嘘ではないようで、親友と連絡を取ることもなかった。
それから優聡は家に引きこもることが多くなった。
辛うじて学校には行ってくれていたが、家では常に手にコントローラーを持ち、テレビ画面と向き合っていた。
優聡は優聡なりに、立ち直ろうとしていたのかもしれない。
けれども、最後まで仲直りする日が来ることは無かった。
中学に入る時、その親友は引っ越してしまった。
それからは優聡の笑顔見ることは無かった。
漫画やゲームの仮想世界にいるほうが気持ちが楽なのだろう。優聡は現実の世界を酷く嫌っていた。
私が話しかけても反応は無く、無視された。
学校でも大差ないことは容易に想像できた。
私が作ったご飯を食べることは無く、自分で買ったものばかり食べていた。
それでも、学校に行ってくれてるからそれでいいと思ってしまった。
学校なんて絶対じゃないのに。
私の全てを拒むことを理由に、学校がなんとかしてくれると、投げやりになっていた。
せめて、朝ごはんぐらいは作ってあげるべきだった。
食べてもらえなくても、居場所があることを伝えてあげれば良かった。
あの人がいなくなった時に、存在しないかもしれない希望にすがりつくことでいっぱいになっていた自分をひっぱたきたい。
まだ、自分には守ってあげなきゃいけない息子がいたのに。
あの朝、全てを失ったあの朝、「学校行かなくてもいいよ。」と一言、言えていたらこんなことにはならなかったのかな。
8月27日、午前8時、新柊高等学校三階、一年二組の教室が爆発した。
原因は不明。
特殊な爆発で爆発範囲は二組の教室より少し大きいぐらいで収まったが、そのエネルギー量は10pJ(阪神淡路大震災で放出されたエネルギーの約二倍)。
跡形もなく範囲内のものを消し飛ばした。
ニュースを見たときには涙すら流れなかった。
心のどこかで、分かっていた。
あの子がいつかは私の元を離れること。
このままじゃダメなこと。
これはそれを無視し続けた私への罰だ。
あの人と同じように爆発でいなくなるなんて、遺体もないから、生死も分からないなんて。
手に残ったのは無、私はまた叶わない願いにすがりつくことしかできない。
優聡は自分の中の世界に閉じこもって、外の世界を知らない。
人間関係を恐れ、拒み、嫌い、孤立している。
外の世界で生きる方法を、前を向いて歩く方法を知らない。
自分の外で、異世界の歩き方を教えてあげたい。
――もう一度会いたい。