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千羽鶴  作者: 茅野うつぎ
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本文

 学校の屋上。そこは通常、立ち入り禁止の場所だ。

 うちの学校も例外じゃない。僕らの通う中高一貫校では、屋上は立入禁止の場所とされていた。

 そのはずの屋上で、僕はいつも、本を読んでいた。もちろん、公認じゃない。屋上の扉が劣化しているのを良いことに、僕はいつも屋上に入り浸っていたのだ。


 その日もいつも通り、屋上で静かに本を読んで――不意に、扉が開いた。教師が入ってきたのかと僕は身構えるが、入ってきたのは中学の名札をつけた少女。僕は、肩の力を抜いた。


「……ここは立ち入り禁止の場所だよ」


 僕が親切にもそう教えてあげると、少女は僕を向いて、不思議そうに首をかしげる。


「でも、君も入ってる」

「僕は常連だからね」

「常連だったら入っていいの?」

「そういうわけじゃないけど」


 僕がそう言うと、少女は「なら、よかった」と言って扉を閉めた。なにがよかったのか。


「……なにしてるの?」

「本を読んでる。見てわからない? それから、僕は君より先輩だよ」

「じゃあ、名前は『先輩』だね」

「敬語を使えって話だよ」


 少女は名前を千鶴ちづるといった。名札にも、そう書いてある。どうやら偽名ではないようだ。

 千鶴は不思議なやつだった。僕が何かを言うと、それとは斜め上にある返答を持ってくる。


「カエルって美味しいらしいよ」

「じゃあ、きっとトカゲも美味しい」


 これは、そんな僕と千鶴の物語。




「先輩って友だちいる?」


 ひっそりと、誰かから隠すように屋上の扉を開けた千鶴は、開口一番にそう言った。僕は眉をひそめる。


「喧嘩売ってる? もしそうなら喜んで買うけど」

「何円で買ってくれる?」

「さあ? ……で、急にどうしたの」

「あ、鳥の骨落ちてる」

「怖いこと言うね」


 そんなわけあるかと思ったけれど、千鶴の指差した方を見ると、鳥の骨と思われるものが本当に落ちていた。怖。

 それから、元からわかっていたことだけど、千鶴は会話のキャッチボールができない。千鶴の場合、キャッチボールどころかバッティングマシンだ。


「そうだ先輩、学校探検しない?」


 突然、思いついたように千鶴が言った。実際、思いつきなのだろうけど。


「やだよ。そんな子どもじみたこと」

「子どもじゃないの?」

「中学生と高校生の間には、子どもと大人の境目があるんだよ」

「あれ、先輩って高校生だっけ」

「高1」

「へぇ」

「自分で聞いておいて興味をなくすの、やめてくれない?」

「あ、ドーナツ雲」


 僕は諦めることにした。立ち上がって屋上の扉を開ける千鶴に、静かについていく。


「まずは、生物室かなー」

「何そのチョイス」

「失礼しまーす」


 生物部が一生懸命に活動している横を、千鶴が通り過ぎていく。生物部員が驚いた顔で僕らを見るので、僕はとりあえず会釈をする。


「千鶴……迷惑じゃない?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


 何が大丈夫なのか。

 一通り生物室を見て回って、準備室でねずみと戯れてから、千鶴はようやく生物室をあとにした。僕はほっとする。


「次は音楽室」

「遠いよ。それに、部活動の迷惑になる」

「だいじょうぶだよ。私、帰宅部のエースだから」

「何が大丈夫なんだよ」

「じゃあ、先輩の教室に行く?」

「えー……まぁ、いいけど」


 僕が教室に案内すると、千鶴は隠れるようにしてドアを開けた。何してんだ。


「あ、波々伯部(ほうかべ)、ちょうどいいところに。この作業、手伝ってくれないか?」

「ごめん。今、学校探検してるんだよね」

「なんで?」


 怪訝そうな顔のクラスメイトに見えるよう、千鶴を配置する。千鶴は「うにゃっ」と猫のような声をあげて、体を縮めて僕とクラスメイトを見た。


「波々伯部……ついに誘拐業に手を出したか?」

「ついにの意味がわからないけど、誘拐じゃない」

「じゃあ、その子は?」

「後輩」

「後輩です」

「なんでクラスメイトには敬語なのさ」


 僕から距離をとって威嚇する千鶴に紙飛行機を投げて、僕らは教室を出ていく。クラスメイトの「何だったんだ……」という声を聞かなかったふりをして、僕は千鶴に次の行き場所を問うた。


「次は、やっぱり音楽室かなー」

「だめって言ったろ」


 しばらく考えて言った千鶴の頬を、僕は容赦なくつねる。つねって、つねって、パッと離すと、千鶴はぽやっとした表情で言った。


「……いたい」

「顔と言葉が合ってないのはなんで?」


 千鶴はいつもぽやっとしている。きっと、普段表情筋を使っていないのだろう。


「で、どこ行く?」

「おんがくし」

「この流れでいくと、次は千鶴の教室だと思うんだけど」

「えー」


 千鶴が少し不満気味な顔をする。


「私、疲れた。コモンスペース行こ」

「さっきまで音楽室に行くとか言ってなかった?」

「こもぉん、すぺぇすぅ」

「何その歌」


 千鶴は変な歌を歌うくらいには疲れているらしい。終いにはおんぶを要求してきたので、僕らは仕方なくコモンスペースに行くことにした。


「先輩、ジュースおごって」

「なんでだよ」

「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」

「聞いてる?」

「あ、お茶だ」

「ジュースじゃないじゃん」


 話を聞かない千鶴に、仕方なくお茶をおごって、僕らは屋上に帰ることにした。

 屋上の扉を静かに開いて、定位置にそれぞれ座る。


「今度は、どうする?」

「……まだするの?」

「下校時間までするよ」

「えー」


 時計を見ると、午後3時。今日は土曜日なので、下校時刻まではあと2時間だ。


「僕、もう家に帰りたいんだけど」

「……先輩の家に行くか」

「なんでそうなるんだよ」


 やることないから。らしい。


「まあ、いいけど。母さんいないから、茶菓子とかは出せないよ」

「買って帰ろ」

「どんだけ食べたいのさ」

「こんだけ」


 千鶴が大きな円を宙に描いてみせた。欲求が大きいということなのだと思う。たぶん。


「……仕方ないなあ、ところで千鶴」

「なに?」

「大丈夫なの、男の家に上がり込むって」

「だいじょうぶじゃないの?」

「いや、その……」


 僕は世間体は気にしない方だけれど、僕のせいで千鶴が除け者なんかにされるのは、困る。そう言うと、千鶴は珍しく驚いた顔をして、言った。


「先輩が私の心配してる!」

「そんなに驚くこと?」

「大ニュースだよ。号外作ってバラまかなくちゃ」

「一応聞くけど、僕のこと馬鹿にしてる?」

「え?」


 素っ頓狂な声で千鶴が言った。本人は無自覚でも、絶対、僕のこと馬鹿にしてる。


「今のナシで」

「やっぱり学校新聞にしようかな」

「同じじゃん」

「ちがう、ちがう。号外はバラまくけど、学校新聞は掲示だから」

「本質的には同じじゃん」


 千鶴的には違うものらしい。

 通学鞄からルーズリーフを出して、大ニュース! と書き始める千鶴に紙飛行機を投げて、僕は屋上のフェンスにもたれ掛かった。ギシ、と嫌な音が鳴って、フェンスが少し揺れる。自殺防止のフェンスが嫌な音を鳴らして大丈夫なのだろうか。


「で、僕の家来るの?」

「行くよ。お菓子買ってから」

「どこで買うのさ」

「スーパー」

「僕の家の近く、スーパーないよ」


 そう言うと、千鶴は「なんだってー」と言ったあと、


「まぁ、なくてもいいか」


 ぽやっとした顔で言った。

 どっちなんだよ、と突っ込みたくなるのを堪えて、チョコレートくらいならあると思うけど、と言う。

 千鶴は不満そうに僕を見たあと、キャンディーがいい、とわがままを言った。


「のど飴ならある、はず」


 そう言うと、千鶴はぽやっとした顔で拍手をしてみせた。心底むかつく顔だな、と僕は思う。千鶴のぽやっ顔ほどむかつく顔は、この世にはないと思う。


「じゃー、行こー」


 千鶴が静かに扉を開けた。ずんずんと僕の前を歩いて、校門まで行く。

 僕はあとを追いかけることにした。




 校門までたどり着いたところで、千鶴は静かに回れ右をした。


「先輩の家、どっち?」

「東」

「……、方位磁針もってくる」

「待って悪戯。右方向」


 走って方位磁針を取りに行こうとする千鶴の襟をつかんで、僕は校門から右に進んだ。


「先輩の家って遠い?」

「割と近くだよ」

「どのくらい?」

「僕の体力で息切れしない程度」

「……どのくらい?」

「僕の体力で息切れしない程度」


 疲れてきたので千鶴をおろして、僕は千鶴と話しながら家に帰った。千鶴はちっこいから軽いけれど、僕に筋力がないので、僕が千鶴を抱えて家に帰ることはほとんど不可能だと思う。なんて思いながら千鶴を見ると、彼女はすでに息をはぁはぁさせていた。

 僕の家に着くと、千鶴は「近く、ないじゃん……」と言いながら、玄関前に腰をおろす。

 千鶴の息が整うのを待ってから、僕は玄関の扉を開けた。


「ただいまー」

「おかえりー」

「千鶴は『お邪魔します』でしょ」

「おじゃましまーす」


 珍しく僕の言うことを聞いていたらしい千鶴は、そのまま靴を揃えて、玄関を見渡した。どうでもいいけど、千鶴は靴を揃えないタイプだと思ってた。


「広いね」

「一応、うちの母さん、社長令嬢だから」

「……まじ?」

「まじ」


 驚いた顔の千鶴を一瞥して、僕も靴を揃える。


「なんか小綺麗だ」と千鶴が言った。


「もっと和風チックな家かと思ってたよ」

「……僕ってどういう認識なんだ?」

「先輩。変なやつ」

「おい」


 リビングへ入って、のど飴をいくつか出す。


「どれがいい? フルーツか蜂蜜」

「はちみつー」

「千鶴はフルーツ選ぶと思ってたよ」

「……なんで?」

「そういう顔してる」

「じゃあ先輩はよもぎだね」


 蜂蜜のど飴を千鶴に渡して、すでに座っている千鶴に続いて僕も座ることにした。


「来たけど、でもすることないね。なんかすることない?」

「髪の毛食べる」

「いやだよ」


 千鶴がぶんぶんと頭を振ってみせる。

 千鶴にしては珍しく真面目な顔だ。ほら、いつもぽやっ顔だから。


「……あ、そうだ、連絡先おしえてよ」

「千鶴っていつも唐突だよね」


 すぐにぽやっ顔に戻った千鶴。


「携帯持ってるの? 校則違反だけど」

「護身用に」

「学校ってそんな危険な場所じゃないと思うんだけど」


 自室に行って携帯を手に取る。充電が、少ない。

 リビングに戻って千鶴に差し出す。


「えーっとね。チャットでいい?」

「いいけど」


 返された携帯を見て、眉をひそめる。

 相手の名前は、『千羽鶴』。千鶴の名前にかけてあるのだと遅れて気づく。


「先輩って変なとこまじめだよね」


 相対して、僕のネームは『波々伯部』。


「『よもぎ』だと思ってたよ」

「なんでよもぎ」

「よもぎっぽいしー。……あ、そうだ先輩、膝カックンしない?」

「なに急に。言ってやるものじゃないし」


 携帯を放って千鶴の頬をつねった。

 伸びる。人間の頬ってこんなに伸びるんだ。


「ねー、先輩」

「……よく普通にしゃべれるよね」


 頬をつねったまま。普通はしゃべりにくいと思うけど。離す。


「先輩は、なんで屋上行ってるの?」


 頬をさすりながら千鶴が言った。


「んー、特に理由はないけど。……授業サボりたいから?」

「やっぱり、まじめなのは変なとこだけだね」

「千鶴は?」

「私? 私はねぇ……」


 しばらく熟考して千鶴が言った。


「ひみつー」

「……秘密なんだ」

「うん」


 まぁ千鶴は放課後しか来ないし。単に暇つぶしってだけなのかな。


「屋上っていいよね。……誰も来ないし」

「僕いるけど」

「先輩はだいじょうぶ」

「そーいうもんかね」

「そーいうもんだよ」


 手でピースを作ってみせる千鶴を一瞥して、僕は立ち上がった。


「どこ行くの?」

「どこにも行かないけど」

「……なんで立った?」

「……なんでだろ」


 座り直す。ほんと、なんで立ったんだろう、僕。


「ねー、先輩。アイスとかない?」

「あるけど。……食べる?」

「たべる!」


 立ち直して、冷凍庫を漁る。

 アイスバーが6本ほど。当たり前だけど、種類が被っているものもある。


「何味がいい? ぶどう、みかん、りんご」

「よもぎは? ないの?」

「よもぎアイスってなに。聞いたことないよ」

「じゃー、チョコレート味」

「話聞いてた?」

「聞いてますん」


 絶妙な返事をして、立ち上がって、僕のとなりまで来る。

 冷凍庫を見つめる千鶴の頭が、だいぶ下。千鶴は背が低い。


「んー、みかんにしよっかな。先輩はアイス、たべる? 何味?」

「ぶどう」

「……ひとくちちょうだい」

「やだよ」


 物欲しそうな顔でぶどうアイスを見つめる千鶴。


「……ふたつ食べてもいいよ」


 根負けして僕が言うと、千鶴が驚いた顔で僕を見た。


「先輩が優しい!」

「……おなか壊してもしらないけど」

「前言撤回」

「さっさと食べな」




 千鶴は結局、ふたつ食べることにしたらしい。

 今はご満悦な顔でみかんアイスを頬張っている。


 ちなみに、千鶴はみかんアイスを先に食べている。食べるのが遅い、と僕は思う。

 僕はすでに食べ終わっているので、千鶴を見ながら待つことにした。


 ……変態ではない。決して。


 とはいいつつ、千鶴はぽやっ顔じゃなければかなりモテるだろうな、と思う。ぽやっ顔と、変な雰囲気がなければ。――鼻筋も通っているし、猫みたいな二重目だし。

 ただ、友だちは少なそうだな、と思う。雰囲気が。僕は嫌いじゃないけど、嫌いな人は嫌いだろうから。


 なんて所で、どうやら千鶴はみかんアイスを食べ終わったみたいだった。


「……ねー、先輩」


 ぶどうアイスにそのまま直行、かと思えば、唐突に――いつも通りだけれど、千鶴が言った。

 声が暗いし、横髪で隠れていてしっかりとは見えないけど、珍しく真剣な顔をしている、気がする。


「……なに?」

「嫌いなひといる?」

「いつも通り急だね」


 うぅん、と唸る。

 嫌いな人。


「……いるよ」


 簡潔にそれだけ言うと、千鶴は驚いたような顔で僕を見た。


「よもぎなのに?」

「よくわからないけど、それって悪口?」

「ちがうよー」


 さっきまでの顔はどこへ行ったのやら、千鶴は横髪を耳にかけて、ぽやっ顔でぶどうアイスの封を開ける。


「いつも通りだけど、どうかしたの?」

「んー、……気になっただけ?」


 感情の読み取れない表情だ。

 千鶴がカウンセリングでも受けることになったら、きっとカウンセラーは苦労するんだろう。知らんけど。


「そういえば、先輩」


 ぶどうアイスが半分なくなった所で千鶴が言った。


「下の名前は?」

「いつも通りで慣れてるけどいちおう訊くね、なんで?」

「なんとなく!」

「ちょっとは考えて行動しなさい」


 千鶴が頬を膨らませた。ハムスターを彷彿とさせる。思えば千鶴は小動物に似てるな、と僕は思った。


「人に訊く前に、千鶴は? 苗字」

「え? 千鶴」


 いつもどおりのぽやっ顔で千鶴が言った。


「……千鶴千鶴なの? 随分とおかしな名前だ」

「ちがう、ちがう。苗字が千鶴」

「え、そうなの?」

「名札に書いてるの、苗字でしょ」

「……それもそうか」


 たしかに僕らの通う中学高等学校では、中学の生徒は苗字、高校の生徒はフルネームの書かれた名札を配られる。そして千鶴は前者だった。

 考えて行動すべきなのは僕だったかもしれない。


「で、名前だっけ。真広まひろだよ」


 名札に書いてあるのに、と一瞬考えたが、そもそも僕は名札をつけていなかった。

 邪魔だし面倒くさいから。


「波々伯部真広? 名前書くの大変そうだね、文字数多い」

「まぁそうだね」

「よもぎだと簡潔なのにね。……改名する?」

「しない」


 苗字がよもぎなのか、名前がよもぎなのかは知らないけれど、千鶴千鶴よりもおかしな名前になる気がする。

 よもぎ真広。波々伯部よもぎ。

 ……波々伯部よもぎ、はアリかもしれない。文字数増えるけど、画数は減るし。


「で、千鶴は」

「あ、みて。アイス溶けてる」

「じゃあ早く食べて」


 千鶴の、相変わらずなマイペースに流されながら、僕は小さく息を吐く。千鶴とのバッティング練習は、どうやら僕の敗退で終わったらしい。

 予選敗退。泣いて逃げ出したいところだ。


「ん、おいしかったー」

「なによりだよ。袋こっち捨てて」

「はぁい」


 ゴミをまとめて、ゴミ袋を縛る。


「先輩って、そーいうとこキッチリしてるよね」

「まぁ母さん厳しいし」

「んふふ」

「……なんで笑ってんの」

「べつにぃ」


 千鶴が笑うのは珍しいな、と思う。

 笑った顔もけっこうぽやっとしている。よくわからないけど。


 千鶴が椅子の上で正座した。厳格な雰囲気を醸し出そうとしているらしい。


「じゃー本題だけど」

「本題あったんだ」


 どうにも千鶴は、僕を逃がしてくれそうにない。




「本題とは……ずばり、たけのこ派かきのこ派についてなんだけど」

「身構えた僕が馬鹿だった」


 ちっちっち、と千鶴がムカつく顔で人差し指を振った。通学鞄をごそごそ漁って、箱をひとつ取り出す。


「箱です」

「うん」

「投票をお願いします」

「投票ってふたりだけでやるものじゃないと思うんだ。ほかに投票人はいるの?」

「いない!」

「そうだと思った」


 まーいいか、と言って、千鶴に渡された紙に、これまた千鶴に渡されたボールペンを使って書き込む。たけのこ。

 千鶴が筆箱で隠しながら、僕と同じように紙に書き込む。


「さぁ、運命の時間がやってまいりました」


 シャカシャカと箱を振りながら千鶴が言う。

 ふたつしか入ってないのに振る意味あるのか、それ。


「1票目は、たけのこ! そして2票目……きのこ! これは分かれましたねぇ。私的にはきのこのほうがね、ええ、素晴らしいと思うのですが」

「……なにそのフリ」

「え? 知らない? 『肺炎球菌の葛藤』っていう映画の……」

「聞いたことない映画だし、タイトルから内容がまったく想像できないね」

「おもしろかったよ」

「千鶴の面白いは信用できないからな」


 前に千鶴に「この漫画おもしろいから見てみて」と言われたことを思い出す。面白くないし、なんなら意味もわからなかった。


 ポップコーンを喉につまらせて死んだ主人公が、異世界でポップコーンを虐げる話。どうやらその世界では、ポップコーンが生きて動いているらしい。そして主人公は、前世の恨みを晴らすために、王さまになってポップコーンを奴隷にする。いずれポップコーンは数で勢力を持つようになってきて、最後に主人公である王を殺す。

 なんだコレ、と僕は思った。


「まぁとにかく、先輩は敵だね。これから『たけのこ先輩』って呼ぶ」

「じゃあ僕は『きのこ後輩』って呼ぶね」

「……なんかいや」

「僕も嫌」


 なんだこの会話。


「で、君はその話をするために、わざわざうちへ?」

「一世一代の大乱闘だよこれ。大事なことだよ」

「そういうのは学校でやりなさい」


 千鶴が少し膨れる。


「…………悪役よもぎ」

「世界一優しい貶し言葉だね」

「あ、そろそろ帰らなきゃ」


 千鶴がケロッと、さっきまでのことを忘れたように言った。

 実際、忘れたのか? 千鶴ならありえそうだ。


「帰るの? 送ってくよ。どのへん?」

「学校近く」

「それで運動不足なのか」

「私うさぎになるね」

「なに突然」


 たぶん走って帰るって意味なのだと思う。

 僕はさいきん、千鶴語がわかるようになってきた。


「よっし帰ろう! 先輩は、かめね」

「それ送ってく意味なくない?」

「じゃ、なまけもの」

「変わんないよ」


 なっまけっものぉー、なんて歌い出す千鶴。あと千鶴はなにげに歌がうまい。

 通学鞄に、さっきの投票箱とスマホを入れる。ちらと見た鞄の中は真っ黒だった。なにが入っているのやら。


「しゅっぱつしよ」

「僕もふつうに、千鶴のスピードでついてくからね」

「え、醤油にならないの?」

「さっきと違うし、醤油は無生物だし、ツッコミどころが多すぎるんだけど」

「じゃ、ごま油?」

「同じだよ」


 醤油になるとか、ごま油とか。千鶴のマイペースに反抗しようと思っていたら、いつの間にか千鶴が、玄関で靴を履き始めていた。早い。

 僕も並んで靴を履く。そのまま外に出る。千鶴は小走り。庭から門を通って、ようやく敷地の外。


「そういや先輩って、友だちいないの?」

「前にも同じこと訊かれた気がするけど。いるにはいるよ」

「いいひと?」

「まぁ、そうなんじゃない?」

「ふぅん」


 足元の小石を蹴りながら。


「紹介しようか」

「……ほんとに、いいひと?」

「そうだと思うよ。千鶴と同性だし気が合うと思う」

「ちょっと気になる」

「じゃあ会いに行くか」


 怪訝そうな千鶴。「今から?」とでも言いたげな顔だ。

 今からだよ。すぐ近くだし。


 ピーンポーン、なんて軽快な音を立ててインターフォンが鳴る。もちろん僕が押した。


「いや待ってとなりの家」

「そうだけど」

「となりなの? 幼なじみとか?」

「そうだね」


 はぁい、と短く返答があって、玄関ドアが開いた。


「真広が今日うち来る気ぃしとった」

「直感?」

「ちょっかん」


 ん、と彼女が唸る。


「だれ? ……あ、千鶴ちゃん? よう真広が話しとう」

「そだね」

「わぁああ、かわええー!」


 猫のように僕の後ろに隠れた千鶴に、見ようと近づく。

 僕の周りをしばらくふたりで回っていたが、やがて諦めたのか、千鶴が幼なじみの前に立った。


「はじめまして、千鶴です」

「かわええの……私は結莉けつり!」

「結莉ちゃん。関西弁ですね」

「地元が関西やけ」


 ん? と唸る。


「てことは先輩も?」

「そやで。真広も関西出身やで」

「じゃ、先輩も、せっかち……?」

「千鶴の関西人のイメージがよくわかるね」


 たしかに関西人の性質だけれども。

 ていうか、なんで僕以外には敬語なんだ……。


「関西出身で、いっしょに引っ越してきた……んですか?」

「うちは親がめちゃめちゃ仲ええさけ。引っ越すならいっしょに行こ、みたいな」

「へぇええー……、じゃあ、結莉ちゃんと先輩は婚約者?」

「千鶴、突飛しすぎ」


 親が仲いいからといって必ず婚約者になるわけじゃないんだよ。小説とかではよくあるけど。

 連絡先交換しようか、と言って結莉が携帯をポケットから出した。千鶴も鞄から出す。千羽鶴、けつり。


「千鶴ちゃん、また会おね」


 千鶴の親が心配するから、と結莉の家を離れた。




「結莉ちゃん、いいひとだったね」

「いい人っていうか、あほっていうか」


 ちなみに関西では、あほはほとんど褒め言葉だ。唐突に僕が結莉を罵倒し始めたわけではない。


「ねー、先輩、なんか関西弁しゃべってみてよ」


 むむ、と僕は考える。

 関西弁? 僕は標準語派なのだ。関西弁が嫌いなわけじゃないけど。


「しゃべらなかったら……、……んー…………」

「思いついてないのに条件出そうとするのやめて」

「あ! 関西弁しゃべりの刑ね」

「どっちにしろ喋らなきゃじゃん」


 はぁああ、と息を吐く。

 とはしても、なにかを喋れと言われてやすやすと言葉を思いつくような人間では、僕はない。


「…………、……なんか話題ない?」

「ん? んー……、あ、恐竜みたいな雲がある」

「喋らなくていいって解釈でいい?」


 ぽやっと僕を見て、首をかしげる。


「なにが?」

「忘れたならいいよ」


 は、と小さく息を吐く。

 喋らなくていいのはよかったけど。千鶴の記憶力、大丈夫なのか。


 先輩は、と千鶴が言った。


「嫌いなひといるって言ったよね」

「あー……そういえばさっきね」


 変なことだけ覚えてるな。


「もしかして……」

「うん」

「洋菓子?」

「うん、えっとね、僕は和菓子の葉っぱ、よもぎじゃないんだよ」

「好きなひとは刺身……?」

「醤油でもないから。話聞いて」


 ぽや。相変わらず、なにを考えているのかわからない顔。

 ていうか、なんでよもぎと醤油が混在してるんだよ。……ん? いや待って、おかしい。混在する前に僕は人間だ。


「あ」


 千鶴が立ち止まった。


「ここまででいいよ」


 送り迎えのことだろう。

 じゃあ、と僕は言う。


「明後日、学校でね」

「はぁい、またねー」


 千鶴が向こう側へ走る。僕はゆっくり回れ右。

 途中、足元の小石につまずきそうになった。


「あー、真広!」


 家の前まで帰ったところで、結莉に呼び止められた。

 さっきと同じ位置に立っている。……動いてないのか? いや、まさか。


「真広来るまで待っとったのよ」

「予感が的中したよ。なんのために?」

「そりゃあ、真広と話するために決まっと!」

「メッセージでよくない?」

「冷たいの、メッセージじゃ伝わらんことある! それに直で話したほうが楽しい」


 む、と思う。結莉には悪いが、僕は眠い。

 門戸に手を掛ける。


「ちょーちょー、無視して帰るつもりやろ!」

「眠いんだよね、……明日にしない?」

「ええー? せっかく待っとったとに」


 むぅ、と結莉が唸る。

 はぁ、と僕は息を吐く。


「外で話すのもなんだし、うち上がってよ」

「……話してくれるん?」

「ほら、僕、紳士だからさ。女の子には優しくするんだよね」

「いま言ったんで信憑性なくなったわ」


 わぁい、と。

 玄関ドアを開ける。


「真広んち相っ変わらず広いなぁ」

「ほぼふたりで暮らしてんのに、こんなに広さいるか? って感じだけどね」

「まーだお父さんと喧嘩しとるん? 仲直りしぃよ」

「喧嘩じゃないよ。向こうが勝手に僕らを避けてるだけ」

「……真広」

「うん?」


 リビングに入ったあたりで、結莉が名案を思いついたかのような手振りをした。


「明日どっか行かん? 千鶴ちゃん誘って」

「君も千鶴も急すぎる」



▷『千鶴。明日空いてる?』




「どーうぶつえん」

「どどど」

「……もうちょっと静かにできないかな」


 女子ふたりがハイテンションではしゃぐのを、遠い目で見つめていた。

 恥ずかしいし、歌うまいし。


「でもなんで動物園なんですか?」

「ほんまは遊園地に行きたかってんけどなぁー。真広が嫌だって言うから」

「……もしや、先輩、ジェットコースターが怖」

「それ以上言ったら絶交だからね」


 怖いわけではない。決して。……決して。

 僕は遊園地という存在自体が嫌いなのだ。あんな陽キャの籠もる遊び場。だから、怖いわけではない。決して。


「さぁー、どこ回る?」

「いや順番でしょ。入口から順に」

「私、ラッコ見たい」

「いいね、それ」

「ここ動物園なんだよね」


 ラッコは水族館だろ。


「カメレオンも見たい」

「あー、アゲハチョウとかね」

「話が噛み合ってないし、動物園の意味知ってる?」


 ていうか、カメレオンは知らないけど、アゲハチョウなんかは家の周りとかで見れるでしょ。知らんけど。

 はぁ、と息を吐く。


 ……む?


「カメレオンいるじゃん」


 パンフレットを見て。


「……まじ?」

「なんで驚く?」


 冗談で言ってたのか。


「無色透明の?」

「それはさすがにいないと思う」


 カメレオンのことはよく知らないけど。実際に透明になることはないと思う。

 結莉がいつの間にかどこか行ってるし。


「けつりー?」


 しばらく捜して合流。


「なぁ真広、千鶴ちゃん」

「ん?」

「おみやげ買おうや」

「気が早い」


 せっかち。さすが。

 まさかさっきのは、おみやげ屋を探しに……。


「おみやげ屋、見つからんかったのよね」

「やっぱりか。出口のほうじゃない?」

「そうなんかなぁ」

「私、キリギリスのぬいぐるみほしい」

「なにそのピンポイント。あとここ動物園」


 キリギリスのぬいぐるみ。……バッタのぬいぐるみはワンチャンありそうだけど。カエルのかばんとかね。カメレオンのぬいぐるみとか。

 キリギリスはないだろ、たぶん。

 動物園では、ことさら。


「とりあえず回らない?」

「名案だね」

「ふつうそうなんだよ」

「やっほほーい」


 諦めよう。


「ねぇ見て先輩、両足フラミンゴ」

「それはもはやフラミンゴじゃない」


「なあなあっ、やっぱり寄生虫とかおるんかな?」

「口を慎んで、結莉」


「私決めた。寄生虫を研究する」

「キツネはエキノコックスやんね?」

「いっかい君たち、寄生虫から離れようか」


「おなか空いた」

「牧草食べる?」

「名案ですねっ」

「こら」


「ねー先輩」

「なぁ真広」


 ――――、


「疲れた…………」

「どしたん? 話聞こか?」

「ホットケーキたべる?」


 はぁああ、と息を吐く。

 いちばん悔しいのが、それなりに楽しいってことだ。

 こんなに楽しいのは久々かもしれない。


 というか、ホットケーキってベンチで食べるものじゃないと思う。


「つぎはねぇ、爬虫類館だよ、先輩」

「カメレオンと、あとヘビもおるよね、たぶん。私ヘビ飼ってみたいんやぁ」

「枕代わり?」

「そうそう」

「枕にはしないであげて」


 首に巻くのはわかるけど。


「ヘビといえば、なんの臓器が好き?」

「繋がりがわからないんだけど。……肝臓?」

「私は脳やね。いちばん働いてるから」

「ふっふっふ。私は脾臓だよ!」

「マイナーなとこいったな」


 脾臓が好きっていう人はあまりいないと思う。たぶんだけど。

 立ち上がってパンフレットを見る。


「爬虫類館を抜けたら、ふれあいコーナーで終わり?」

「……ふれあいってことは、サメを触れる?」

「それは水族館」

「うさぎやね、モルモットとか」

「踏みそうで怖い」


 下を見て歩け。


「はちゅっうるーい。かめかめれおんー、へびびびびー」

「るるるー。うっさぎぃ、もるもるもっとぉ」

「かめーれれおーん」


 なにこれ。歌がうまいのがさらにムカつく。

 ……結莉の視線が。


「……なに?」

「真広は歌わんのかなぁって」

「るるるるるー、ぴーこっけ」

「いや、歌うまくないし……」

「ぱっぱーぴーよ」

「ちょっと千鶴黙って」


 ぱっぱーぴーよ、てなに。鳥の鳴き声?


「じゃんけんね、先輩。先輩が勝負したら歌う」

「それもうじゃんけんした時点で歌わなきゃだよね」

「いい考えや! 千鶴ちゃん」

「結莉ちゃんもします? あっかんべー」

「それはちょっと、ちゃうんちゃうかな?」


 じゃんけん、ぽい。あっかんべー。千鶴が見せてみせる。

 あっかんべーできてないし。ぽやっ顔のままだし。


「え、先輩、しないの?」

「しない」

「なんでよぉ、楽しぃよ?」

「先輩は心が鬼のよう……、……ん、ソフトクリーム食べたい」

「さっき屋台通り越したんだよね」


 おみやげ屋まで我慢して。


「そろそろ進まない?」

「名案っ」

「るぴーかっこ、るるる、らんらーん、りり」

「ちょっと千鶴黙って」


 むむ、と千鶴が唸る。ぴーよぴーよ、と千鶴でない鳥が鳴いた。


「……ソフトクリーム奢るから」

「ふたりぶんな、真広」

「うん、……うん?」


 割って入る結莉。


「あ、それとも千鶴ちゃん、はんぶんこする?」

「よもぎ味はんぶん?」

「……よもぎ味はないんちゃうかな」

「じゃあはんぺん味」

「なにそれ」


 なにそれ。

 と会話しつつ、爬虫類館。


「おどろおどろしい」


 中に踏み出す。




「――ヘビ、首んとこに巻きたかったなぁ」

「カメレオン、思ったよりちっちゃかったね」


 ヘビ巻ける動物園って限られてるんじゃないかな。

 爬虫類館出たあと。


「カメレちゃん、こんくらいだと思ってた」

「大きすぎる」


 ん? カメレちゃん? と思うが、千鶴が勝手に名づけたらしい。切るところおかしくないか。


「さぁああ、ふれあいコーナーだねっ」

「踏まないでよ」

「ジアルジアおるかな?」

「……なにそれ」

「寄生虫」

「一旦黙ろうか結莉」


 なんでそんなに寄生虫にこだわるんだ。

 ふれあいコーナーの、ボロい一軒家みたいな施設。言いかた悪い。そこに入る。


 うさぎ。モルモット。


「わっしゃわしゃわしゃ」

「その擬音語、口で出すやつ始めて見たよ」

「うさぎってなんて鳴く?」

「ぶぅ、とかじゃない?」

「モルモットかわええ」


 一通り楽しんだあと、ボロい一軒家を出る。

 結莉が目を輝かせた。


「おみやげ!」

「先輩、ソフト奢るって約束したからね」

「……そういえばね」

「はんぺん味」

「それはないと思う」


 はんぺん味ってなんだよ、はんぺん。

 3人でお土産屋に入る。


「寄生虫のぬいぐるみとかないかな?」

「結莉、粛清」

「いちごだって、先輩、ソフト」

「私のも買ってな」

「何味?」

「抹茶」


 カバンから財布を取り出して中身を見る。うん。おみやげ合わせて、ギリ買える。

 うっきうきでソフトクリームの列に並ぶ千鶴に、僕と結莉も続く。


「真広って、けっこう金欠よなぁ」


 僕の財布を覗き込んだ結莉が言った。


「そうなの? 先輩」

「まぁ、いろいろ買うし」

「エロいやつ?」

「えっ、そうなん真広」

「ちがうけど」


 僕は至って健全だけど。

 順番がくる。


「いちご味ひとつとー、抹茶味ひとつでお願いします」


 活気のあるオジサンが笑顔でソフトをくれる。それをふたりに渡す。

 おみやげ屋も見て回る。


「私、コアラになるね」

「I am a コアラ」

「なに言っとんの……?」

「引かないで結莉」

「がおー」

「それ百獣の王」


 結局、千鶴はキリンのぬいぐるみ(なぜ)、結莉はうさぎのキーホルダー、僕はパンダのブックマーカーを買った。

 おみやげ屋から出て出口のゲートに向く。


 はー、楽しかった、と言って結莉が腕を広げた。千鶴がオウムのように同じ動き。


「動物園とか久々に来たわ」

「私も」


 楽しそうでよかった、と僕は言う。

 結莉が首を傾けた。千鶴も同じ動き。なにしてんだ千鶴。


「いま何時?」

「12:38」

「おなかすいた」

「どっか食べ行くか」

「真広のおごりで?」

「お金ない」


 なんでもない会話をしながら、道の駅へ。


「この駅、なんがある?」

「ハンバーガーとか。喫茶店か」

「私、喫茶店たべたい」

「その言いかただと、コンクリートを食べることになる」

「異食症」

「コンクリートを食べる女」


 なんの会話だよ。

 そのまま流れで喫茶店へ。いらっしゃいませー、と若い女の店員が言う。


「いらっしゃわれました」

「…………、こちらの席へどうぞー」

「千鶴、店員さん困ってる」


 案内されたのは奥の席。ちょっと隔離されているような。そんな場所。

 メニュー表を見て、千鶴が目を輝かせる。


「ソフトクリームある!」

「さっき食べたんだよね」

「はんぺんないかな」

「それは味? 商品?」

「どっちにしろ、ないと思うわ……」


 はんぺん。はんぺん味って聞いたことないし、喫茶店ではんぺん売っとん見たことないわ……。と結莉。


「んん、じゃあかき氷たべる」

「おなか壊すよ」

「だいじょうぶ、私、健康」

「そういう問題じゃないんだよね」


 健康でもおなか壊すでしょ、と諭すように言う。

 ほら、下痢ピーピー状態の前になるよ。と言うと、千鶴が眉をひそめて言う。


「私おなか壊したことない」

「まじ?」

「まじ」


 すぅううう。息を吸い込む。


「……まじか」

「先輩、語彙力」

「真広が言葉失うなんてよっぽどやで、千鶴ちゃん」




「それはそうとして」


 ん? と首をかしげる女子ふたり。

 僕はメニュー表を立てた。机の端っこに。ほら、見にくいから。


「そろそろ注文決めないと」

「そうやった……!」

「じゃあ私、つるつるパンケーキ」

「効果音おかしいよ」


 つるつる。いや、ふわふわ、ならわかるけど。

 僕も昼食を決める。メニュー表。……BLTサンドかな。


「私なんにしよっかなぁ」

「あ、私やっぱり、フレンチトーストにしようかな」

「千鶴、よく見て。モーニングセット」

「な、なんだってー」


 ぽやっ顔のまま。言葉と表情が合ってない。いつも通りだけど。

 BLTサンドがモーニングセットでないことを確認して、結莉を見る。


「なんにする?」

「ポテトだけとかないかな……」

「ないと思う」


 続いて千鶴。


「決まった?」

「ふわふわワッフル」

「それも効果音おかしい気がする」


 ――――うん。


「先に頼んでていい?」

「ちょー待ちぃや真広!」

「協調性のない先輩」

「唐突な罵倒」


 ほんとに唐突な罵倒。

 …………。


「……泣いてしもた! 泣いてしもたよ千鶴ちゃん!」

「泣いてはないけど」

「ハンカチたべる?」

「殺そうとしないで」


 ハンカチを口前に持ってくる千鶴の手を押しのける。

 千鶴がカバンをごそごそ漁った。


「じゃあティッシュにする?」

「しない」

「私ミックスサンドにするわ」


 すみません、と店員さんを呼んで、これとこれと、あとこれください、と結莉が言う。千鶴はふつうのいちごワッフルにしていた。ふわふわではないけど。


「ひまぁ……」


 注文してからわずか1分後。結莉がひとりごちる。

 そのつぶやきは、そのまま店の会話に吸い込まれた。と思ったら、千鶴が手を挙げる。


「結莉ちゃん。そういえば、結莉ちゃんは、屋上来ないんですか?」

「え、だって暑いやん? たまに行っとるけど」

「私、見たことない……」

「さいきん行っとらんからねぇ。今度ひさびさ行こかな」


 しゅばっともう片方の手を挙げる。


「ぜひ!」

「いちおう言っておくけど、あそこ立入禁止だからね」

「真広に言われてもなぁ」


 信憑性ないわ、といつかの二度目を言って、結莉が机に突っ伏した。


「なんか暇つぶしない?」

「もうちょっと我慢できないかな」

「むり!」


 あ、そうだ、と言って、千鶴がまたごそごそ。


「結莉ちゃん、これなんだと思います?」


 取り出したのは、紙。

 黒い丸が描いてある、紙。


「ん? んー……ゴキブリ」

「……、……」

「いや、えーと、結莉、これはたぶんウニだと思う」

「……、……」

「コウモリの顔?」

「呪霊玉」


 むむむ、と千鶴がわかりやすく眉を寄せた。

 いやほんとに、わからんのだけど。


「正解は?」

「スイカ」


 むむむ、と今度は僕と結莉が唸る。

 黒い丸。スイカ?


「……わからんでしょ」

「え、わかるでしょ」


 スマホで調べると、なるほど、そういう種類があるらしい。

 絵に描くもんじゃないと思うけど。


「ある意味……画伯やなぁ」

「そうでしょう」

「千鶴、たぶんそれ、違う意味での画伯」


 で。


「これをねぇ、この前たべたんだけど」

「うん」

「おいしかったから絵に描いた図だよ」

「うん、絵に描くもんじゃないと思うわ……」


 僕と同じことを口にした結莉が、そのままの口の形で「お」と言った。

 注文がきていたらしい。


「ご注文おまたせしましたー、こちらミックスサンドです」

「ありがとござます」


「こちらBLTサンドです」

「ありがとう」


「……お店で『ありがとう』って言うひと初めて見た」

「なんでも、関西人の特徴らしいよ」

「ふぅん」


「こちらいちごワッフルでございます」

「おおきに!」


「……なんで『おおきに』」

「いやだって『おおきに』」

「私らん地域ではあんま言わんよ『おおきに』」


『おおきに』。

 あんま使わないけどね、たぶん。


「ややこしい」

「ほら、食べるよ」


 すでに頬張っている結莉と、ポテトから食べ始める僕。ほら、好きなものは最後に食べたいから。

 あと口をへの字に曲げた千鶴。


「もったいない……」

「そんなこと言ってたら生きていけないよ」

「せめて絵に描いてから」

「時間かかるでしょ。せめて写真」

「はぁい」


 撮影タイム。なぜか食べ途中の僕と結莉を撮る。


「……いや、ワッフルは?」

「忘れてた」

「千鶴ちゃん、家まで送ってくよ」

「早いよ結莉」


 結莉を見ると、いつのまにか、すでに食べ終わっていた。

 せめて僕らが食べ終わるまで待って。


 ……協調性がひとつもないグループだな。と思う。

 それはそれでいいのだが。


「ん、美味」

「……いや、写真は?」

「忘れてた!」

「記憶力よ」

「忘れるメーカー千鶴」

「忘却機千羽鶴」


 ごちそうさま。

 千鶴が最後のいちごを頬張った。




 いつのまにか、雨が降っていたらしい。

 ただそれは止んでいて、水たまりだけが雨の証明をしていた。


 喫茶店を出た僕らは、そのまま帰路につく。

 僕と結莉は、千鶴を送り迎えることにしていた。千鶴ひとりだと危なっかしいから。


 ごきげんな千鶴が水たまりを飛び越える。


「ねー、動物園、楽しかったね」

「そやねぇ」

「また遊ぼーね」

「次はもっと落ち着いて行動してね、ふたりとも」


 ――――、


「え?」

「え?」

「なにその素っ頓狂。落ち着いてね」


 はぁい、とふたり仲よく返事をして、僕はひと安心。

 あのテンションで毎回こられたら困る。


「ふたりとも変人だからね」

「あっははぁ、また変なこと言う」

「ほんとうだよ」

「えー、でもさ、いうて真広も変やけどね」


 …………。


「え?」

「気づいてなかったん?」

「先輩はへんだよ」

「千鶴からの追い打ち」


 まぁ人間そんなもんか。諦め。

 諦めというより悟りに近いかも。悟り。


「じゃー、こっからは自分で帰れます」

「はぁい、またねー」

「屋上でね」


 恥ずかしいので小さく手を振って、結莉と回れ右。

 真広さぁ、と結莉が僕の顔を覗き込んだ。僕はちょっとビビる。結莉がこうするときは、ぜったいなんかある。昔からのクセだ。


「千鶴ちゃん好きなん?」

「……ん?」

「そうやないん?」

「違うけど」


 ははぁ、と侍みたいな声を出して、結莉が上を向いた。


「ぜったい好きなんやと思った」

「嫌いではないけど」

「じゃ好き?」

「どーだろね。恋愛ではないけど」

「ふぅん」


 なんで突然、と僕は言う。

 結莉は少し考えたあと、僕を見ずに言った。


「真広にそんな人ができたら嬉しいなぁ、て思て」


 はぁ、と今度は僕が侍。


「だってさぁ、真広が女の子と話すん珍しいやん。あんま人と関わらんし」

「……そう?」

「そやよ。昔っから」


 やからさ、と結莉は言う。


「千鶴ちゃんと仲ええの見て、こっちが嬉しいわ」


 結莉にはいつも負ける、と思う。

 僕と結莉は、ある意味、逆の人間で。人を好かないように生きてきた。好かないように、好かれないように。好かれる結莉とは違う。


「ま、そんなとこかな」

「…………」


 あ、そや。と言って結莉が僕を見る。


「今日、真広んち上がっていい?」

「……いいけど…………」

「真広ママおる?」

「いるんじゃない?」

「わぁい」


 なんて話をしているうちに、帰宅。

 いちおうインターフォンを鳴らしておくと、母さんが勢いよくドアを開けた。母さんは僕より結莉を可愛がっている気がする。気がするだけ。


「結莉やん! ひさびさ、ごはん食べてく? こっちから連絡しとくよ」

「いいん? やったぁ」

「ほら、結莉、真広、手ェ洗って」

「はーい」

「ごはんなに?」

「ハンバーグ!」


 わっしゃわっしゃと手を洗う結莉に続いて。

 リビングへ戻ると、ハンバーグがみっつ、皿に並べられていた。


「……真広パパのぶんは?」

「今日は休日だからいらない」

「なにその理屈」


 休日で働いているワケでもないのに、と言うと、結莉は絶妙な顔をして頷いた。

 席に座って。


「いただきまーす」

「大根おろしない?」

「あるで。冷蔵庫」

「真広ー、ポン酢も取って」

「自分で取りなよ」

「けーちけちけち」

「ケチケチゼミやん」


 騒がしい。まあいいけど。

 ポン酢を取って結莉に渡す。

 ケチケチゼミは笑顔でお礼を言った。だから頬が緩む。


「そーいやさぁ、まひろー」

「……、……」


 嫌な予感。


「彼女できた?」

「できとらん」


 二度めの尋問が始まった。




「またその子連れて来ぃよ」

「だから彼女じゃないって」

「んー……結莉でもええよ。彼女作ったら?」

「なにその譲歩」


 そんなこんなで家を出て。

 いまは授業中。さすがにそろそろ授業でないと、欠課時数が。


「あー……じゃあ波々伯部、問2の答え」

「log₃29 です」

「正解。じゃあ次。――……」


 対数の授業……というか、数学の授業は好きじゃない。退屈だから。

 抜けたいなぁと思いつつ、我慢。


 昼休み。弁当を完食。


 放課後。屋上へ行く。

 前に、


「結莉いる?」

夕月ゆうづきさん? ちょっと待ってねー」


 夕月さーん、と教室の奥まで走っていく2組女子を見つめつつ。


「どしたん真広」

「屋上どうかなって」

「おー。行くわ」


 波々伯部くんと付き合ってんの?

 ちゃうちゃう。ただん幼なじみや。


 なんて会話が聞こえるので、しばらく待つ。

 どうして女子って、こうも恋バナが好きなんだろう。


「千鶴ちゃんは? 誘った?」

「誘ってないけど来るでしょ」


 リュックが重いので早く屋上に行きたい旨を伝えると、快く了承してくれた。さすが幼なじみ。


「風、心地えぇー」

「あんまり大声出さないでよ。先生来るから」

「そういや立ち入り禁止やったっけ」

「うん」


 荷物を端に置いて、伸びをする。

 ガチャ、と扉が開いたので、そちらを見ると、千鶴――……ではなく。


「あれ? 波々伯部じゃん。夕月も」


 いつか僕を誘拐犯だと言ったクラスメイト。

 ……名前、なんだっけ。


「……真広が名前忘れた顔しとう」

「え、ひどっ」

「ちょっと待って、思い出せそう……、……、……吉梅くん?」

「惜しい」

吉海よしうみやろ?」

「せーかい」


 クラス違うのになんで知ってんだよ、と結莉に言う。

 結莉はけらけらと笑う。


「中2んときクラス一緒やったんよ」

「ふーん……」

「波々伯部と同じクラスになったの、今年で初だよな」

「だね」


 じゃあな、と言って帰っていく吉海くん。

 なにしに来たんだ? 不思議な人だ。


「せんぱーい……、……あ、結莉ちゃん」

「おそーい、千鶴ちゃん」

「さっき警察に見つかったけど、先輩と結莉ちゃん、なにもされてない?」

「……警察って吉海?」

「たぶん。先輩のこと誘拐犯って言ってたので」

「風評被害が」


 失礼じゃない? と言うと、結莉に「名前忘れとった真広よりマシやろ」と言われた。仕様もない。

 そのまま3人で他愛もない話をして。


「だから先輩はよもぎなんだよ」


 謎の結論に至った。らしい。千鶴が。


「まー、たしかに、真広ってよもぎっぽい?」

「なんで?」

「……顔が」


 褒め言葉として受け取っておこう。


「結莉ちゃんは、キツネっぽいです」

「……エキノコックス…………」

「寄生虫から離れて結莉」


 さすが元生物部員だな。幽霊だったけど。

 ……生物部員だったらキツネのほうに反応するか……? まぁいいや。


「あ、そうそう」


 千鶴が制鞄をごそごそ漁る。


「せっかくなのでスピードしましょう。トランプゲームの」

「なんの『せっかく』なのかわからないけど。あれってふたり用じゃない?」

「トランプふたつ持ってるよ」

「誰か余るやん、……あ」


 ちょっと待っとって、と言って、結莉がドアの向こうへ消えた。

 数十秒後、


「連れてきたー」

「さっきぶりだな、波々伯部! あと――……千鶴ちとせちゃん」


 む、と小さく唸るのが聞こえた。


「おー、知り合い?」

「……、……顔がにてる」

「よく言われる」


 千鶴が警戒していたのは知り合い(?)だったからなのか。

 あと千鶴のフルネームが発覚。


「中2の3組、千鶴ちゃんだろ? 弟が同じクラスなんだわ」

「……へんなこと、言わないでね。……吉海先輩」

「善処するよ」


 ばちばちしているのを感じ取ったのか、結莉が仲裁に入ってトランプを取る。


「いまからスピードやるで。吉海は真広と、私は千鶴ちゃんとする!

 ……あと千鶴ちゃん、下の名前ちとせっていうんや! 真広は知っとった?」

「知らなかった」

「私これから、ちぃちゃんて呼ぶわ」

「じゃあ私はけつちゃんって呼びます。……、……やっぱやめる」

「いい判断だと思う」


 けつちゃん、って変だよね。なにがとは言わないけど。けつみたいだよね。

 ……言っちゃったけど。


 吉海くんがカードを切る。

 隣で結莉も。


「せーの」


 スピード、と声をかけて両チーム同時に始める。


 ――結果はというと。


「……10戦中10敗」

「私は7勝。真広、逆に運ええんちゃう?」

「俺が強すぎたなー」

「先輩はよもぎだからね」


 さいご悪口だった気がする。


「よもぎはぁー、よわ弱いぃー……結莉ちゃんはー、つよ強いぃー」

「るるるるるー、ほーほけきょ」

「吉海兄はぁー…………強いー?」

「なぜ疑問形」


 千鶴も結莉もご機嫌だな。

 吉海くんが大きく伸びをした。


「ひさしぶりにトランプなんてしたよ。弟はいま反抗期だからなぁ」

「……吉海ってブラコン?」

「そうとも言うらしい」

「兄弟姉妹おらんから羨ましい」

「はっはっは。悪いもんじゃないぞ」


 結莉が唸る。千鶴は――冷たい目。たぶん吉海くんに向けて。


「…………産んでもらうか」

「ちょっと待て結莉」

「とりあえずあっち向いてホイしない?」

「千鶴は黙って」


 吉海くんがけらけらと笑った。




 次の日。

 放課後までの長い時間が過ぎ、ようやく屋上。


 結莉はあとから遅れてきた。

 開口いちばん。


「ちぃちゃん見とらん? 中2の教室行ったけどおらんかったぁ」

「そういや来ないね」

「弟に訊いてみようか?」

「……、……」

「……」


 ふたりで真面目な顔をして横を向いた。


「当たり前のように吉海おるやん」

「思った」


 はっははぁ、と高らかな笑い声が響く。

 クラスの中心で人気なやつ、と思っていたけれど、今朝見ると若干浮いてた。その理由がわかった気がする。


「弟と話す口実になるし、訊いてみるよ」


▷『おまえと同じクラスの千鶴ちゃんって、どこいるか知らない?』

▶『黙れ』


「速攻で返事来る割に冷たいな」

「素直じゃないんだよ、あいつ」

「なるほど……?」


 素直じゃないっていうか。面倒くさがっている、のでは。

 ……いや、それなら返事よこさないか。


▶『千鶴なら上履き探しに行ったよ』


「ほら、素直じゃないだけだろ?」

「ていうか上履きってなに」

「失くしとんかな」


▶『俺忙しいから帰るわ。じゃあな』


「ちゃんとあいさつすんの可愛えな」

「可愛いだろ」


 吉海(兄)くんが携帯を通学鞄にしまった。


「まぁ上履き探してるだけならすぐ来るだろ」

「そやね」


 ぴこん、と携帯が鳴る。

 吉海くんがしまった携帯を取り出して見るが、通知はない。


「私でもないよ。真広ちゃう?」

「僕持ってないよ。ほとんどの人が守ってないけど、校則違反だし」

「実は昨日、私が勝手に入れといた」

「……そういえば家いたね」


 お風呂あがったら母さんと結莉が話していたからびっくりした。


 鞄を漁ってみると、たしかに教科書のあいだにねじ込んである。

 迷惑なのかそうでないのか。授業中に通知鳴ったら終わりだけどね。


▶『教室なう』


「ちょっと古いんだよな」

「ちぃちゃんがギャルになってしもた」


▶『屋上行く時間ないなう』


「特徴的な語尾なんだね?」

「いつもはちゃうよ」


▶『いまからトイレ行くなう』


「早く行けよ」

「なんの連絡」


▶『というわけで、2階のトイレ前で待ってるますなう』


「あ、集合する感じ?」

「よし行こか」


 鞄を手に取った。


 ――2階。トイレ前にて。


「ちぃちゃーん、来たでー」

「……いないね」

「大のほうなんかな?」

「女の子が汚い言葉使わない」


 吉海くんは後ろでけらけら笑っているし。


「入って見てみるわ。真広も来る?」

「――……」


 一瞬だけ騙されそうになった。


「僕を犯罪者に仕立て上げるつもり?」

「うん」

「ひとりで行ってきなさい」

「えー」


 とか文句を言いつつ中に入る結莉。

 僕はちょうど、中が見えるか見えないかのところで待つ。さすがにこの歳で犯罪者にはなりたくない。


「まひろー、変なメモ置いとー。ちぃちゃんはおらんー」


 ぺらぺら紙を動かしながら、結莉が女子トイレから出てきた。


「ちぃちゃんやろか。他の子ー?」

「中見たらわかるんじゃない?」

「ぺり、おーぷん」


 ぺら、と紙がめくれて。


『屋上にいます』


「…………ん?」


 屋上? 入れ違いになったのか?


「ちぃちゃんの字やね」

「だね」

「……入れ違いになったんかな」


 続きがあった。


『先輩だけで来て』


 とりあえず、吉海くんの提案で、僕だけ屋上に戻ることにした。

 結莉と吉海くんは高1の教室で待機。


 ――ふわ、と感覚が、宙にさらわれていった。



 屋上に、影が見えた。


 千鶴と思って近づくと、やっぱり千鶴。

 フェンスぎりぎりまで寄って、もたれかかって、ぽやっとした目で僕を見る。


「先輩に、いおうと思ったことがあって」


 相槌を打って、僕もフェンスに寄る。

 風が心地よい。じめっと、しているけれど。


 千鶴が、意を決したように、息を吸い込んで、


「……アイスたべたい」

「それが言いたいことっていう解釈でいい?」

「じょうだん」


 はぁああ、と息を吐くと、千鶴も伝染るように息を吐いた。


「先輩といると、調子くるうなぁ」

「……悪口?」

「ちがう、ちがう。褒めことば」

「ほんとうかなぁ」


 結莉と吉海くんは、ちゃんと離れたところにいるよ。と言う。

 さすがよもぎ。とよくわからない答えが返ってきた。


「はあーあ、先輩が同じ学年だったらなぁ」

「千鶴が同じ学年にいると、とんでもなく大変そうだ」

「……そうかもね」


 その答えにちょっと驚いて、千鶴のほうを見る。

 風が髪をさらっていった。表情が見えない。


 やがて風がおさまったころ、千鶴が話し出した。


「初めて会った日、飛び降りようと思ってた」


 ぽつぽつと言いながら、上を向く。そんな歌があったよなぁと場違いなことを考えて、千鶴に申し訳なく思った。


「クラスのひとたちに、いやなことされて」


 ああ、それで。いつか見た鞄の中が黒かったのか。

 

「家でも、あんまり、居場所はなくて」


 僕は千鶴の家に近づいたことはない。


「もういっそ、死んじゃえばいいと思ってた」


 なんて、言えば、いいだろう。

 しばらく考えるけれど、答えは出ない。自分の不甲斐なさを改めて実感した。


「でも、先輩と出会って、いまだけ生きたいと思えるようになった。

 結莉ちゃんと会って、会話の面白さを知ったし、

 ……吉海兄は、へんだと思ってるけど。

 クラスのひとたちも、悪い人ばかりじゃないと気づいたし、

 私を受け入れてくれるひとたちもいるんだって思った」


 だからさー、と言って。


「ありがとう、って言いたい」


 僕は少し大きめに息を吸い込んで、


「千鶴っていつも急だよね」


 ちょっと不満げに僕を見た。


「でも、小動物みたいで、見てて楽しい」

「先輩もよもぎだけどね」

「……それは置いといて」


 僕ってそんなに、よもぎに似ているだろうか。

 上を向いたまま、少し、口角があがる千鶴。


「僕も千鶴の行動には助けられてるんだ。千鶴だけが感謝することじゃない」


 本気でわからないと言っているように、僕を見た。


「ほんとうに?」

「うん。たとえば……そうだね、内緒」


 むー、と頬を膨らませるのが滑稽で、軽く笑う。


「おこったよ、先輩。私、これは、おこったよー」

「じゃあお詫びにさ、今度僕のうちに来ない?」


 ちょっと固まってて面白かった。


「じゃあ、結莉たちのところに行こうか」

「……うん!」



「様子変やったから心配した! すっきりした顔しとーね、もう大丈夫ね!」


 結莉が千鶴に抱きつくまでがお約束。




「いらっしゃい、千鶴ちゃん。真広から話は聞いてる。可愛い子ねぇ」


 母さんの前で固まる千鶴。ちょっと面白い。


「なんか真広ママ、いつもと喋りかた違くない?」

「ね、なんか東京弁」

「――……せっかくお上品なママ演じようとしとったんに……!」

「真広ママには方言が似合うとる」

「それは嬉しいわ結莉」


 どうぞ入って、と声を掛けると、ぎこちなくそれに従う千鶴。

 そうか、前に来たときは母さんいなかったのか。


「で」


 目がエフェクトのようにきらきら光る。これで無加工なのがすごい。


「ちょっと髪いじってもええ? めっちゃ可愛えやん、ぼさぼさは損よ!」

「私もやるー、ええ? ちぃちゃん」

「う、……うん、まぁ」


 促されるまま椅子に座って、目をつむる。

 母さんと結莉がなにやら喋りながら、千鶴の髪を編み込んでいく。


 僕は同仕様もないので、そのまま千鶴の向かいの席へ座った。


 ――数分後。


「ちょっと真広、手鏡持ってきてん」


 母さんに言われた通り手鏡を持ってくると、母さんがひったくるようにそれを奪う。


「どう? 可愛くできたやろ?」

「可愛えなぁ、ちぃちゃん」


 う、とうめき声をあげながら、千鶴が手鏡を母さんから受け取る。

 おどおどと鏡を見て、ちょっと驚いた顔をする。


「おぉ……すご……」

「ちぃちゃんの語彙力が」

「可愛えな」

「可愛え」


 語彙力が消えた3人を見ながらお茶を飲む。しばらく3人で好きにさせればいい、――と思ったけど。

 結莉に頭を掴まれた。そのまま少し回転。痛い。


「ちぃちゃん見て、なんか感想思い浮かばん?」


 ああ、千鶴のほうに顔を向けたのか。物理的に。


「似合ってるんじゃない?」

「疑問形……」

「そーいうとこやで真広……」

「まぁ、よもぎだから、しょうがないね」


 さいご悪口だった気がする。


 ――それはともかく、

 ピーンポーン、と軽快な音が響く。


「おぉ、やっと来た。――はぁい。ちょー待っといてー」


 ……。


「この前ぶりだな! 波々伯部!」

「ちょっと視界がうるさい」

「先輩の言うとおり」

「ひどいなぁ、せっかくおしゃれしてきたのに」


 おしゃれっていうか。……おしゃれ……?


「あ、『肺炎球菌の葛藤』の肺炎球菌の格好だ」

「正解! 実は夕月から、千鶴ちゃんがこの映画好きだと聞いていてな」


 ――ここでサプラーイズ!、と唐突にも両手を広げた吉海くんに、千鶴がビビる。

 吉海くんの後ろから、ちょびっと顔を出した少年。千鶴がさらにちっこくなった。


「……吉海」

「……えーと、千鶴……うちの兄貴がごめん」

「……いや、ぜんぜん……」


 なるほど、彼は吉海くんの弟らしい。

 気まずい。結莉は笑顔。


「……というか結莉、なんでこんなに人呼んだの」

「え? それは、ちぃちゃんに友だち増やそか思て」

「ごめん千鶴、うちの幼なじみが」

「いつものことだね」


 はぁあ、と僕はため息を吐く。

 千鶴は僕の後ろから顔を出して、吉海(弟)とじゃんけん。……なんで?


 ――とまぁ、


「ちぃちゃんが寂しくならんよーに、騒がしくしていくから」


 覚悟しててな! と結莉。

 千鶴はそれを見たあと、小さく笑みを浮かべて。


「ありがとう、結莉ちゃん……よもぎより優秀」

「やろー」

「ひとこと余計なんだよな」


 一生分の騒がしさを、いまもらった気がする。



▶『先輩へ』




「いっつも思っとーけど、冬服のちぃちゃん、可愛ない?」


 結莉が横でつぶやくのを、僕と吉海くんが両側から見る。

 ここまできて、なにを今更。呆れたように視線を前に向けた僕に、結莉は軽くはたいてから、「あほ」と僕を罵った。心外。


「卒業式ちゃんと見たん初めてかも」

「馬鹿じゃん」

「悪口返しか? お?」

「ふたりとも、騒がしい……ぴよ」

「どした吉海、語尾」


 ぴろん、と通知音。

 式終わり速攻じゃん、メッセージ送ってくる馬鹿がいるのか、それはだれなのか、と思ってこっそり携帯を見ると、千鶴から。


▶『そつぎょうした』


「知ってるけど」

「ん、ちぃちゃんから?」

「中学卒業したって」

「知っとーなぁ」


▶『先輩のおかげ』


「……ん?」


▶『今日を迎えられました』


 可愛いところあるじゃん、と僕は思う。

 いやセクハラとかではなくて。


▶『先輩が私にしあわせをくれたように、先輩にもしあわせが訪れますように』


「…………」


▶『千羽鶴より願いを込めて』


 は、と軽く吐いた息が、初春の風に流されていった。


「……付き合ったら?」

「だからそういう関係じゃないって」

「そうにしか見えんけど」

「あ、弟からメッセージ来たぴよ」

「吉海その語尾気に入ったん?」


▶『千鶴が波々伯部先輩に会いたいって。言っといて、兄貴』


「俺関係じゃないのか」

「ざまぁ」

「……夕月、口悪くなった?」

「そんなこと……ないと思う」

「自信なさげ」


 そっちもそろそろ付き合ったら、と悪ふざけで言ってやったら、結莉は軽くそっぽ向いた。……お?


「吉海くん、千鶴の教室向かうって言っといてー」

「……自分で言わないのか?」

「僕は別のこと言うから」

「なるほど」


 携帯を見て、メッセージを入力。


 思えば騒がしくなってから、1年半も経っていたのか。感慨深い。

 千鶴は相変わらずぽやっとしているけれど、中3のクラスメイトたちとは、吉海(弟)の助言もあって、割かしうまくいっていた、らしい。


 よかったな、と僕は思う。


 でも、昔からその関係だと、千鶴と僕は出会わなかったかもしれない。

 ――。


▷『千鶴と出会えてよかった』


 ――だから、千鶴の苦しさに、少し、少しだけ感謝したことは、秘密でいよう。


▶『……デレ期?』

▷『一回その口閉じようか』


 僕は千鶴に絆されていた。のだと、強く実感した。



▷『千羽鶴みたいな人だね、君は』

▶『先輩はよもぎだけどね』

▷『そんなによもぎに似とーかな……』


▷『――千鶴』


▷『卒業おめでとう』

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