偶然は、必然に
予定外の量はいつものこと。
迷わず買い物袋を追加して、会計を待つコンビニ。
隣のレジを何気なく見ると、カップルで背の高い女の方が見えた。
すぐにレジに目を戻す。
一瞬で見た画像を、脳裏に映し出した。
ストレートの髪が肩まで、前髪は目の上でそろっていた。
カラーコンタクトで大きい目は茶色、離れていてもわかる重力に逆らうまつ毛。
鼻は小ぶりで、口紅は予想外に大人しかった。
髪型だけみれば昔の日本人形みたいなのに、丈の短いTシャツがボディラインをくっきりと描き、細いウエストのヘソピアスが異様に光っていた。
お腹を冷やすのは女性にとっては最大の敵じゃないの?
キャッシュレス決済しながらも、まだ考えていた。
そしてなぜかもう一度彼女を見たくなった。
他人には興味がないのに。
誘惑に勝てず途中まで目をやると『ここは私が払う』のセリフが聞こえてきた。
イメージとはちがう、優しい声の持ち主で、見るのをやめた。
もしかしたら見た目の印象よりも、いい子なのかもしれない。
彼の方が背が低いのもほほえましい。
私の目利きも大したことないわね、と自分を戒めて袋を受け取って店を出る。
隣の車は変わっていたが、驚くことにナンバーが前に止まっていた車と同じだった。
誰かに共感してもらいたい衝動にかられるが、こんなこと誰にもわかってもらえない。
今の支払金額が前回とまったく同じだったのは、先に予測出来ていた。
またチャージしておかないと残金不足で恥をかくところだ。
早く帰って風呂まで済まして、たまってる韓流ドラマを見なくてはいけない。
はやる気持ちでハンドルを切り返した。
その後ろ姿を誰かが見ているとも知らずに。
・・・あのおばさん、こっちをチラッと見たけど知り合いかしら。
付き合って2年になる翔太を盾に真由子はそっと確認した。
どうやら知り合いではなさそう。
見た目は誰から見てもいい人、って感じで多分40歳は超えているが、センスがいい眼鏡の下の肌はきれい、コンビニだけに来た服装でもないし、店員さんにも丁寧に対応してるし、おばさんと呼ぶより若い気もする。
会社にいたら、信頼できるお局さんって感じかしら、うちの主任と交代してほしい、と次々とイメージを膨らましているともう一度こっちを見るのがわかった。
真由子は一瞬で悟り、目をそらしそれを回避した。
冷静を装いながら、用意していた財布からお金を取り出す。
奢られるばっかりは性格的に嫌なのだ。
翔太もそれをわかっているから少額なら任せてくれる。
帰りがけ、すれ違い様にお局さんを見ると、薄いグリーンのカーディガンに白いものが見えた。
タグが見えるとは、裏表逆に着ているらしい。
真由子は急に親近感を覚えた。
そのまま後ろを歩きながら目で追っていると、隣の車を気にしつつ車に乗り込むのが見えた。
もしかして、と真由子は思った。
見た目は常識ある大人でも、どこか抜けてるような、こっちが構いたくなるような人なのかもしれない。
それでいて・・・、とても、大雑把なのかも、と印象を増やした。
だってほら、駐車の位置がすごく片方に寄っている。
あれじゃ反対側の隣側には誰も車置けないよ、と急発進する車を見送った。
(偶然は必然だとよく聞くけど・・・)
真由子は薄いグリーンのカーディガンを見て思い出した。
猛暑日になるのが確実にわかる朝。
蝉の声でよけい暑さが増して、すこし歩いただけでも汗が滲んでくる。
定期的に訪れる現場、社用車の駐車をお願いしにきたコンビニですぐに彼女の服が目に飛び込んだ。
店主に挨拶するためにレジを待つ彼女の後ろに並ぶ。
そして小柄な彼女の背中を見ながら思う。
どうして毎回裏表反対に着るんだろう。
本人はもちろん周りも誰も気付かないんだろうか。
声をかけてあげた方が親切なのか、ありがた迷惑なのか・・・
『あっ!』
っという声に我にかえった。
目の前で彼女がおろおろしだし、店主が迷惑そうな悲しそうな顔をした。
どうやら会計の時点で、電子マネーの残金がなかったらしい。
現金の持ち合わせがなかったようで、一旦会計を取り消しするような会話が聞こえてきた。
いつもなら、そのままそっとなりゆきにまかす。
だって他人なんだから。
「お金・・・貸しましょうか?」
考えるより先に出た言葉に、誰よりも真由子が一番驚いていた。
「本当にありがとうございました。」
そう言って彼女は深々と頭を下げた。
彼女の名前は、佐山美和さん。
この近くの小さな事務所で事務員として働いているらしい。
「お金は必ず返しますから」
携帯だけ持って出てきたらしく、今持ち合わせがないとの事でお互いの連絡先はすでに交換していた。
「でも、もしもの場合でもすぐに見つかっちゃいそうね」
美和が真由子の制服姿を見ながら少し笑って言った。
「交通指導員なんです、よく婦警と間違われますけど。
でも、本気を出せばすぐに見つけ出せますよ」
真由子がからかうように言うと、彼女はやっと顔を崩して笑った。
目の前には社用車の交通指導車が停まっている。
「それと・・・」
真由子は少し言いにくそうに.続けた。
「上着が裏側になっちゃってますよ」
美和があわてて確かめる。
「ホントだ・・・。いつからだったんだろう。全然気が付かなかった」
恥ずかしそうにうつむくので、こっちも申し訳ない気持ちになる。
「もしかして、この前のコンビニの時もそうだった?」
上着を着なおしながらの美和の言葉にハッとする。
「覚えていたんですか?」
「えぇ。」
美和は思い出したように含み笑いをしながら言った。
「私服は割と自由なんですね」
今度は真由子が恥ずかしそうにうつむくのを見て、美和が慌てた。
「ごめん、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
急に和やかな雰囲気に包まれて二人で顔を見合わせて笑った。
これも一つの出会いなのかもしれない。
「お仕事に行って。そろそろ児童が歩いてきてるよ」
美和が向いた顔先に目を向けると、遠くから集団登校してくる子供たちの列が見えた。
もうそんな時間になるのか、と一人で横断歩道に立たせている同僚を心配して様子を見ていると美和が言いにくそうに小さな声で言った。
「急いでいるところ悪いんだけど・・・、あのシルバーの小型車、ナンバーを控えておいてくれない?」
「えっ?」
美和が示す方向にシルバーの車は1台しかない。
他の車はすべて違う色だ。
「変なお願いでごめんなさい。ちょっと気になって。詳しいことはまた話すね」
真由子は戸惑いながらも、言われた通りに向かう先にある車のナンバーを手帳に控えた。
小走りで美和を返り見てみると、彼女はまだコンビニの中の様子を熱心に見ていた。
署に帰ると、溜まった書類が散乱する机でとりあえずのスペースを確保する。
今日中に提出しないといけない書類から、目を通す。
残り5時間、午前中までが期限の書類が3件。今日中までが5件。
集中しないと終われない。
一日の終盤が見えてきた頃、送別会の知らせが届いた。
寿退社をする、と同僚から話は聞いていたが、まだずっと先の事だと勝手に思いこんでいた事に気付かされる。
周りには流されない性格だと思っていたけれど、どうしてもこういう情報には自分の未来を想像してしまう。
翔太は結婚を望んでいるのだろうか。
私は、今結婚を望んでいるのだろうか。
予定を確認するために手帳を開くと、殴り書きのおそらく真由子にしか解読できない文字が目に入った。
そういえば、と今朝の出来事を思い出した。
(美和さんは何を言おうとしていたんだろう)
初めて見かけたあの日も、帰りがけに隣の車のナンバーを気にしていた気がする。
車のナンバーのマニア?
そんなの聞いた事ない。
自分の誕生日か記念日の数字なのか。
でも、それを私にメモとって、なんて言う訳ないし。
あの後、コンビニ店内を熱心に覗き込んでいた姿がチラつき、胸騒ぎを覚えた真由子は共有パソコンへ移動し、控えたナンバーを検索してみた。
まさかと思うけど、もしかしたら、という変な感情でじんわり熱くなるのを感じる。
慣れた作業なのに、いつもよりスローモーションで時間が流れてもどかしい。
最後のエンターキーを押した後、入ってきた情報を一瞬で読み込む。
良かった、盗難車でもいわくつきの車でもなさそう。
思い過ごしだとホッと胸を撫でおろした時、違和感を感じた。
あの車、確か車名は・・・
近くの電話でかけ慣れた内線番号をまわす。
「翔太、ちょっと見てほしい情報があるんだけど」
・・・画面を確認した翔太は、自分の顔をなでながら考えるようにして真由子を振り返った。
「真由子がナンバーを控えた車は〇〇だった、と」
「うん、間違いないよ。私も前に乗ってた車だし」
画面の情報では、別の車名になっている。
「ナンバープレートを付け替えたんだと思うけど、目的が怖いな」
「そうなんだよね、別に付け替える事自体は手続きをふんでいれば違反ではないんだけど」
履歴を確認しても、何も見えてこない情報に悪い予感が漂う。
「とりあえず、交通課で情報を共有してもらって取り締まりをしてもらおう。運転者に話を聞くのが一番早いしさ」
翔太は、真由子に目配せすると上長に説明に行きかけて、止まった。
「で、何で真由子はこの車のナンバーを控えた?」
翔太の疑問はもっともだ。
真由子は今朝の出来事を、翔太に伝えた。
どこまで信じてもらえるかはわからない、と思いつつ。
1時間後、会議室のパイプ椅子にちょこんと座る美和は確実に場違いで、真由子は大切なモノを手の中で温めてきたのに、急に手離さなければならない様な寂しさを感じていた・・・
「今日のお通しは蛸とキュウリの酢の物です」
コン、と目の前に置かれた可愛い小鉢の中身がもう美味しそうで、期待が膨らむ。
そのまま別れてしまうには、後ろ髪ひかれる思いが募った真由子は、美和を食事に誘った。
話し合いの結果、美和に連れてこられたこのお店は、友人夫婦のお店だという。
狭くもなく広すぎない店内空間で、すごく落ち着いた雰囲気だ。
ここなら是非翔太も連れてきてあげたい。
「ゆっくりしていってね」
友人が真由子に声を掛け、美和に目配せして席を外したのを合図に、ビールで乾杯した。
喉を鳴らしながら、美味しそうに最初の一口を飲む美和に真由子はついつい笑ってしまう。
本当に美味しそうに飲むから、きっとすごくお酒好きな人なんだろう。
真由子は、というともっぱら食べる方に夢中で、すでに頼んであったおすすめ品に舌鼓をうちつつ、感動すら覚えていた。
一つ一つが美味しくて、ジワッっと押し寄せる感覚に、幸せってこういう事なのかもしれない、と心が満たされるのを感じながら。
とりとめない会話と、ゆっくり流れる時間で、美和との空間が居心地良くなった頃、真由子は本題に入った。
「美和さん、もう少し詳しくあなたの事教えてもらえませんか」
アルコールが入ったのもあって、少し饒舌になった美和はゆっくり話し出した。
「さっきも話したけど、フラッシュ暗算なの」
真由子もテレビ番組で見たことがある。
次々と数字が素早く表示されて、それを足していく離れ業に驚かされた。
「物心ついた頃から、なぜか数字だけが頭に入ってきて記憶してて」
さっきの話では、最初に会ったコンビニの駐車場で帰り際に隣の車のナンバーを見た。
それが自分の車とよく似たナンバーだから覚えていた。
後ろトランク付近に、人気歌手の限定ステッカーが貼ってあったのも確認していた。
真由子と2回目に会ったコンビニでは、そのステッカーを見て、何か違和感を感じ、真由子にナンバーを控えるように伝えたとの事だった。
「今回の件も偶然が重なってしまったんですね」
真由子は同情するように言うと、ふふっと美和が軽く笑った。
「小さい頃は、母と買い物行って精算金額が合っていると褒められるのが嬉しくて」
なんとなく想像出来るし、真由子にも覚えがある。
「そのうち、近所の車のナンバーとか覚えて、隣のおばちゃんとかに、〇〇に居たでしょ、とか調子にのって話すから段々気味悪がられたの」
「えっ?」
「そりゃそうよね。個人情報まではいかないけど行動がバレちゃうんだから」
予想外の話に方向転換されてく。
「ある時近所のアパートに空き巣が入って、鍵も壊されてないからって警察が来たの。そのアパートは暗証番号を打ち込むタイプの鍵だったのね。」
真由子は息を飲む。
「美和さんが疑われたんですか?」
「たまたま、友達の家が隣で何回かその家の人とも玄関先で会ってたから、暗証番組を覚えていて、誰かに言ったんじゃないか、って」
「…それでどうなったんですか?」
「さすがに子供の私が空き巣で疑われる事はなかったけど、噂は広まって、母からは何かに気づいても内緒にしなさいって言われたわ」
美和が続けた。
「でも、親心なんだよね。得意な事は伸ばした方がいいからって、そろばん教室に通って、フラッシュ暗算をするようになって…そろばんはまったく芽が出なかったけど、フラッシュ暗算だけはみるみる上達していったの。」
「でもある時プツンと糸が切れるように、暗算が出来なくなっちゃった」
「何か理由があったんですか?」
「さぁ、私にもわからない。でも始めると頭が痛くなってどうしようもなくなって…結局そのまま辞めたの」
美和が2杯目のビールをゴクリと飲んだ。
「フラッシュした数字がずっと頭に残ってて夜中にうなされたり知恵熱が出た事もあったんだけど、辞めてからは上手く数字とも付き合えるようになったかな」
秀でた能力も時には毒になる事があるんだ。
「でも、今回は真由ちゃんに伝えて良かった」
真由子は顔をあげて改めて美和を見た。
「私の話を受け止めてくれたから。
今回の件がどんな結末なのかは分からないけど。
うん、言って良かった」
美和は真由子に言うと優しく笑った。
今まで、人知れず苦労して秘めた思いが沢山あったのかもしれない、と真由子は思った。
ぎこちなく笑い、照れて俯いた真由子に
「いきなり警察署はレベルが高かったけどね」
と美和が続ける。
「それは本当にすみません、私もこんなになるとは思ってなくて…」
うろたえる真由子に、美和が大笑いして、少し赤くなった顔がますます赤くなった。
机上の真由子の携帯が短い着信音を鳴らした。
美和が追加の注文してるタイミングで、確認する。
思った通り翔太からだ。
読み進めてると、真由子の様子が変わったのが分かったのか、美和が声をかけた。
「何かあった?」
覗き込むように問う美和に真由子は冷静を保つように静かに伝えた。
「男の運転手を確保したそうです。
それも緊急逮捕で」
「えっ?」
「銃刀法違反みたいです。」
「刃物を所持していたって事?」
「はい。彼からの情報だと、たまたま持ち合わせていた、と話してるみたいです。でも、今回の車のナンバーが違う件とは別ですよね。
署員の中ではコンビニ強盗でも計画してたのではないか、と予想してるみたいです。」
「そう…」
美和は短くつぶやくと、暗い顔になって何かを考えだした。
「とにかく事件になる前に防げて良かったです。これも美和さんのお陰です」
真由子は雰囲気を変えようと努めて明るく言った。
「美和さんもそう思いません?」
「そうよね、うん。」
自分を諭すように美和が相槌を打つ。
明らかに何かおかしい。
「美和さん、何か気になる事が?」
美和は無言で真由子を見つめると、私の推測の範疇なんだけど…と前置きをして言った
「本当にコンビニ強盗だったのかな?」
「えっ?」
真由子が驚いていると、美和はまた一口、自分を落ち着かせるようにビールを飲むと続けた。
「まだ真由ちゃんに言ってない事があったの。
たいした事じゃないと思っていたから、言わなかったんだけど、誰かを傷つけようと考えていたなら話が変わってくるから」
「何があったんですか?」
真由子は胸の高鳴りを感じていた。
何を言い出すのかと、不安を隠しつつ急かせる様に詰め寄ってしまう。
「初めて会った日のコンビニで、私が隣の車のナンバーを確認したのは言ったよね。でも、その車の前に停まっていた車も同じナンバーだったの。
その時は、たまたまでもすごい偶然だな、でも、もしかしたら家族だけど別々に来たのかな、位の不思議さしか残らなかった」
「…私が車を停めた時、お母さんらしき人が子供を後部座席から降ろしていて、狭いとやりにくいかと思ってなるべく間を空けて車を停めたのを覚えているの」
あぁ、それで片側に寄せて駐車していたのかと真由子は合点がいった。
「そのコンビニの後も実は何回かその車とはすれ違っていて…」
美和さんの近所に住んでいる親子だったのか。
「数台後にあのシルバーの車がついていくのを数回見たわ」
「ど、どういう事ですか?」
「今思うと、隠れるように後をつけていたかもしれない」
「それって…、ストーカーって事ですか?」
「何かの拍子にそれがバレて、仕方なくナンバーを付け替えてストーカーをやるしかなかったら?」
「ナイフを持ち歩いてたのは、元奥さんに危害を加えるため…?」
美和は頭を振った
「それは本人にしか分からない。でもつけていたかどうかはわかるかも。確かその女性の車のナンバーは502のす〇〇-〇〇だよ」
「翔太に電話してきます」
真由子は携帯を持ち急いで立ち上がった―。
これが、美和との初めての事件だった。
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