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作者: 美愛

 初めて会ったとき、君のその声が、好きだと思ったんだ。


 僕は、転校生だった。転勤族な親の影響で、転校はもう恒例行事のようになっていた。だから、その年の冬、海も山も近い田舎に引っ越した時も、何の感慨もわかなかった。けれど、担任に促され席に着いた僕に、

「よろしくね。」

と、隣から笑顔で声をかけてきた君の声はとても美しく澄んで聞こえたんだ。

 例にもれず、田舎でも転校生は物珍しいようで朝礼が終わるなり僕の周りに人だかりができた。孤立したいわけでもないし、愛想よく答えるうちに僕があちこち転々としてきたことがわかると謎の歓声が上がった。みんな外のことに興味津々で色々と聞いてくる。張り上げたわけでもないのによく通る声が響く。

「いろいろ回ってきたなら、東京とかにもいったことあると?」

 不思議な響きなのにすっと入ってくるその声の主は先ほどの隣の席の少女で。妙に緊張しながら、僕がいたのは郊外だけどね、と返す。ころころと笑う彼女から目を離せないのはなぜなのか。

「それでも、東京は東京やけん。羨ましか。」

 そうだそうだと周りからも声が上がる。ますます楽しそうに笑う彼女がとてもきれいに見えた。周りから僕を冷やかす声が上がる。彼女のことを見つめすぎたようだ。ひゅーひゅーと口笛を吹く奴なんかもいてなんだか恥ずかしくなってきた。だが、まあ、安心した。転校初日だが、この分なら何とかなじんでいけそうに思える。騒いでいるとさっきの担任が戻ってきて席に着くように、と指示を出す。そこからは普通に授業が始まって、休み時間のたびにお祭り騒ぎだった。

 授業がすべて終わり、放課後になるとまたクラス全員が僕の周りに集合した。学年が一クラスだけだから、というわけでもないだろうが、このクラスはとてつもなく仲がいいように思う。今だって、転校生歓迎会を誰の家でやるのか、という話で盛り上がっている。この辺りに娯楽施設など影も形もない。カラオケやボーリング場も、大規模なイオンなんかもない。よって必然的に集まるなら誰かの家になるらしい。僕は行くだなんて一言も言った覚えはない。だがまあ、普通に歓迎会をしてくれるのはうれしいし、もしかしたらきれいな声の彼女ともっと親しくなれるかもしれない。つまり、行くわけだが。そうこうしていたら場所が決まったらしい。なんと件の彼女の家だそうだ。聞くと、彼女の家はこの辺りでは有名な大地主らしく、クラスで一番広々と使える家だということだ。ご両親に彼女が電話で了解を取り、せっかくなら大広間で盛大にやりなさいとありがたいお言葉をもらって僕たちは移動し始めた。大人数とはいえ、気になる彼女の家へのお呼ばれだ。幾ばくかの緊張を感じながら、クラスのみんながここは誰の家の田んぼで、あの辺からはどこの家の畑で、という説明をしてくれているのを聞いていた。

 彼女の家に着くまでに、歩いて一時間ほどかかっただろうか。そろそろ疲れた、と感じ始めたころ、純日本風の大きなお屋敷が見えてきた。一組の男女が門の前に立っていて、ぞろぞろと連れたって歩いてくる僕たちを見つけると破顔して近寄ってきた。彼女にまず声をかけたし、会話の内容や雰囲気から、彼女の両親であることは容易に知れた。彼女が僕のほうを示し、彼らがようこそ、と言ってくれる。続けて、軽食をこちらで手配しているからね、存分にゆっくりしていきなさい、と人のよさそうなほほえみを向けてくれた。お礼を口にしながら、ずいぶん用意がいいな、と思っていると、彼女の母に彼女が近寄っていく。

「なんか、用意良すぎる。パパとママから微妙にお酒の匂いもする。ほんとは今まで何しよったと?」

 やっぱり彼女の声は人だかりの中でもよく通る。すねたような声音にそちらへ顔を向けていると、くつくつと笑う声が降る。まだ僕のそばにいた彼女の父の声だった。実は、と言ってこっそり僕の両親と近所の人をたくさん呼んで歓迎の酒盛りをしていたんだよ、と教えてくれた。ご両親に少々飲ませすぎたようでね、今日は泊って行ってもらおうかと思っているんだ、よければ君も泊っていくかい、慣れない田舎の夜道を一人で歩くのは危なかろう、とのんびりした口調で言葉を紡ぐ。不思議とはっきり聞こえるその声は、なんとなく彼女の声の響きに似ている気がした。

 結局、クラス全員騒ぎつかれて眠ってしまったので僕だけじゃなく全員御厄介になってしまった。翌朝、それぞれが学校の支度のために親の運転する車に乗り込んで帰宅していく。僕の両親は二日酔いがひどすぎてもうしばらく彼女の家でご厄介になるようで、申し訳なさで肩身が狭い。しかも、僕だけ彼女の家で朝ご飯をいただくことになってしまった。男性用の洗面台で彼女の父と鉢合わせたのでそれとなく両親のことを謝っておく。気を使わなくていいんだよ、もとはといえば、こちらが飲ませすぎたのがいけないのだしね、と、驚くほど善良な答えが返ってくる。朝食の席では、まるで修学旅行の時のようなご飯が出た。とにかく、豪勢で、食べきれないほど。

「お箸の持ち方、奇麗やね。」

 その声に目を上げると、真正面に彼女が座っている。

「おはよ、よく眠れた?」

 にこにこしながら歌うような声音で聞いてくる。少し自分の鼓動が早くなるのがわかる。おはよう、快適だったよ、と何とか声を絞り出す。途端にむせてしまった。どうもきれいな人に見られているのは緊張する。驚いた彼女が水を差しだしてくれたので、一気に飲み干す。その勢いに驚いたように目を丸くし、ころころと彼女が笑う。

「焦りすぎ。ご飯は逃げんよ?」

 そういいながらなおも笑う彼女につられて僕もついつい笑ってしまった。そこからは僕の緊張も解けて、和やかに談笑しながら時間は進んだ。


 彼女の家にはじめてお邪魔してから、数か月が経った。どうも、僕の両親は彼女の両親に気に入られたらしく、あれからもちょくちょくうちに来て、ご飯を食べないかとお誘いを受けるようになった。そうなると、高確率で翌日彼女の家で朝ご飯を食べることになる。彼女の両親はどうも、飲ませ上手というものらしく、僕の両親は毎回つぶれて寝入ってしまうのだ。そうなると、彼女の両親は夜に絶対に僕を一人で出歩かせようとしない。何やかやと世話を焼かれ、いつの間にか僕は客間でいびきをかく両親の真ん中で眠ることになるのだ。眠れないと起きだすと、彼女の父に見つかってしばらく将棋を指した後布団に連れ戻される。彼女の父に見つからずとも、彼女の母に見つかる。彼女の母は、体が疲れたら眠るだろう、といって僕を室内でのトレーニングにつき合わせる。散々いい汗をかいた後、気後れするくらい豪奢な浴室で二度目のお風呂を堪能し、やっぱり布団に戻る羽目になる。そして、翌日は彼女と一緒に登校するのだ。

 ちなみに、彼女との仲は進展なしである。お昼ご飯はクラスみんなでワイワイしながら食べるし、放課後も特に用事のない人間は迎えが来るまで教室に残ってしゃべっている。距離を縮めるほうが難しいのだ。だがまあ、これはこれで楽しい毎日だ。そう思っていた。本心から、楽しかったんだ。ただ、欲を言えば彼女ともっと、と思っていた。


 転機が訪れたのは、僕が転校してきて半年ほどたったころだ。学年が一つ上がり、夏休みに入ったころ。唐突に、彼女から海に誘われたのだ。それも、二人きりで。もうこのころには完全に彼女のとりこになっていた僕は、二つ返事で了承した。前日は楽しみで楽しみでウキウキしたし、当日は柄にもなくちょっと髪を整えたりもした。そして、彼女の家まで迎えに行くと、門の前に淡い色合いのワンピースに身を包んだ彼女がいた。こちらに気が付くと柔らかなほほえみを浮かべ、近寄ってくる。

「まだ時間になってないのに。デート、そんなに楽しみやったと?」

 下から覗き込むように、そしていたずら気なほほえみを浮かべて、問うてくる。少し照れながらもうなずくと、ころころと鈴を転がすように笑う。僕たちの声を聞きつけたのか、家の中から彼女の父親が出てきた。手に持ったペットボトルを僕に渡して、今日は暑くなるみたいだからね、熱中症に気を付けるんだよ、日が暮れる前に戻っておいで、今日はみんなで一緒にお寿司を食べようね、といつものように語りかける口調でいうものだから、最後のお寿司のくだりまでついうなずいてしまった。今日は両親は仕事で遅いはずだから、僕だけいただくことになってしまう。慌てたが、彼女の父は言質とったり、とでもいうようにうんうんとうなずいて家の中に戻って行ってしまった。

「夜ごはんも一緒におれると?嬉しか!」

 そういってにこにこしている彼女に、まさか気が引けるからやっぱり、なんて言えるはずもなく、あえなく今晩もお邪魔することになってしまった。ここ半年で彼女と接していて気づいたが、彼女の方言はおそらくこの地方のものではなく、彼女の母親の出身地のものだ。彼女の父は訛っていないし、クラスのみんなが同じような言葉遣いをしているのを聞いたことがない。何より、彼女は彼女の母親と話すときに、より方言が強く出ていた。まあ、何が言いたいのかというと、方言強めな彼女もきれいだということだ。夜が楽しみだ、と思わず口にすると、きょとんとして、そんなにお寿司が好きだったか、と問うてくる。お寿司が好きなのはそうなのだが、それ以上に彼女が好きなのだ。まあ、言える勇気なんか持ち合わせていないわけだが。鷹揚にうなずいて、早く行こう、と彼女を促す。また晴れやかな笑顔に戻っててくてくと僕の隣に来る。そういえば、海に行くということだったが、泳ぐのか、と問うと、彼女は首を横に振る。ではなぜ海?と問うと、はにかみながら、強い光に照らされた海の淡く見える色を見るのが好きなのだ、という。彼女らしい、と思った。

 海に着くと、彼女は大はしゃぎだった。海なんて珍しいものでもないのに、と思うが、自分もなんだか海に来ると心が沸き立つような感覚があるのは否めないので一緒にはしゃいだ。しばらくはしゃいで、はしゃぎつかれて、砂浜に持参してきたレジャーシートを敷く。彼女は、

「ありがとう。」

と言いながらシートに腰を下ろし、海を見つめる。ふと思い出し、彼女の父親からもらったペットボトルを彼女に差し出す。バッグの中で少しぬるくなってはいたが十分冷たく感じる温度だった。

「いつもよりはしゃいどったね?海、好き?」

 こちらを見つめてくる彼女がとてもきれいで。耳朶を打つ声があまりにも心地よくて。田舎の海だから、浜辺には僕たちだけで。だから、意識する間もなく、言葉が口をついて出た。

「君が、好きだ。」

 そういった自分の声がやけにはっきりと聞こえた。目を丸くしてこちらを見つめる彼女の瞳をじっと見つめ返す。堰を切ったようにあふれて止まらない、なんて言葉があったなあと考えながら僕はさらに言いつのったんだ。彼女の優しい笑顔が好きだ、たまに方言が混じるのがかわいい、いくらでも出てくる言葉に徐々に彼女はうつむいて行って。次に彼女が顔を上げたとき、彼女が真っ赤だったのは暑さのせいばかりではないだろう。

「もう、わかったから。」

 そう、声を絞り出した彼女は本当にかわいくて。そのあと、僕たちは彼女の家まで、手をつないで帰った。家の前で待っていて、僕たちを出迎えた彼女の父親にすごくにやにやされたことを覚えている。


「ひょっとして、緊張して意識飛びかけとるん?」

 隣からきれいな声が聞こえる。あれから、両親が脱サラして彼女の家の土地を借りて農業を始めたり、大学進学のために遠距離恋愛になってしまったり。いろいろなことがあった。僕たちは、今、真っ白な礼装に身を包み、控室にいる。今日、交際記念日が、結婚記念日に変わるのだ。緊張するなというほうが難しい。昔のことを思い出していたことを伝えると、ころころと笑う。ふと、まだ彼女に言ってなかったことがあることを思い出した。それを言うと不安そうな顔になる。何を言われるのだろう、という心の内がよく見える。だが、きっと君は聞いた後またころころと笑うのだろう。


「実は、僕は君と初めて会ったときから、君の声が、いっとう好きなんだよ。」

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