明日は仕事だから掃除は済まそう
「ジェイは、どうして研究室の掃除をしに来たのですか?」
片付けの手を止めることなく、不思議に思ってたことを聞く。入ってきた時にジェイが言っていたセリフを思い出す。彼は「いつも通りだ」と言っていた。おそらく掃除をしに来たのはこれが初めてでは無いのだろう。
ルーカスが散乱している本を棚に仕舞いながら話す。
「論文の提出前は、片付ける余裕が無くて研究室が荒れるんだ。エマ先生は燃え尽きて動けなっちゃうから、いつも兄さんが片付けにくるんだよ」
うん。だから何で、そこからジェイが片付けることに繋がるんだ?私の疑問が通じたのか、ジェイが淡々と答える。
「私は宮廷書士として王宮で使う魔術についての管理と統率を行っている。そのため魔術師の多いこの棟に行き来することがあり、昔馴染みであるお前の研究室に出入りすることも多々あった」
そうなんだ。書士って書類仕事メインで机に向かっているイメージがあったけど。直接出向かうこともあるのか。
「散らかっている部屋は仕事の効率が悪くなるからな。動けないあなたの代わりに私が掃除をしている」
「疲れたエマ先生を労わりたいからやってるって言えば良いのに」
「ここの魔術医療の研究は王宮にとっても重要な役割を担っている。研究が滞れば私の仕事にも影響が出る」
納得したような、しないような。説明を聞いてもこの世界でのジェイと私の関係性は、いまいちよく分からないままだ。
「私とジェイとルーカスは、この世界でも幼馴染なんですか?」
「そうだ。住んでいた町が同じで、家族同士の付き合いも昔からある」
"家族同士"と言ったところで、ジェイがチラリと私の顔を見る。ーーああ。
「私の世界でも両親は既に亡くなっています。2人とも流行病で」
「……この世界でも同じだ。嫌なことを話させたな、すまない」
ジェイが抑揚のない言葉で告げる。この男の良いところは、悪いと思った時に素直に謝れるところだ。
表情は全く変わらないから、付き合いの浅い人から見れば「本当に謝っているのか?」と思うような態度。でも私には黒い大型犬がシュンとなったような姿に見える。
思わずクスリと笑いがこぼれた。
「大丈夫ですよ、私が先に伝えておこうと思って言っただけなので」
「……そうか」
私の世界で両親が亡くなった時、彼らが大事にしていた商会をどうしても手放したくなくて幼いながら後継ぎになった。悲しみに暮れる暇もなく、無我夢中に働いていた私を支えてくれたのは他でもないジェイとルーカスだった。
きっと、この世界でも支えてくれたのはこの2人だったのだろう。
3人もいたせいか掃除はあっという間に終わった。意外だったのは、ジェイがほうきと雑巾を使って端から端まで手際良く丁寧に掃除をしていたことだ。
「今日は専門分野の人には会えないけど、それ以外に参考になるような文献がないか書庫に行ってくるよ。あとエマ先生の論文が出せないって伝えないと。……兄さんはどうするの?」
「彼女を私の家に連れて行く」
ジェイがキッパリ言い放ち、もう彼の中で決定事項となっていて何か意見を話す余地もない。
ほうきとバケツを再び持った彼が私を見る。
「細かいことは明日以降に対処する、今日は何も考えず休め」
「先にスミス夫妻に私が伺うことを伝えなくて大丈夫ですか?急に行っては迷惑になるのでは?」
「いや、実家の屋敷には住んでいない。城下町に一軒家を借りて住んでいる。そこに行く。」
「えっ」
私のいた世界では子爵の屋敷でご両親と住んでいたから、てっきりこの世界でもそうだと思い込んでいた。
……なるほど、これはルーカスが反対した訳だ。恋人でもない未婚の女が1人暮らしの男性の家に行くのは、いささか問題がある。かと言って先程のやり取りから、寮の自室に行くというのは却下されるだろう。
「ジェイ。図々しいことを言うようで申し訳ないのですが、スミス夫妻のお屋敷の方に泊めていただくことは出来ますか?」
スミス夫妻は貴族らしく威厳ある2人だが、平民である私を見下すことなく未来の嫁として接してくれていた。この世界でどうかは分からないが、家族同士の付き合いが昔からあると言っていたから懇意にはしているのだろう。
「何故だ」
「未婚の男女が同じ家で寝泊まりするのは外聞が良くありません」
「私としては全く問題はない。……あなたに恋人や気にしなければいけない相手はいないと認識していたが、違うのか」