元気だろうか
混乱している私を椅子に座らせ、ルーカスが温かいお茶を持ってきてくれた。ゆっくりとお茶を飲んでから、起こったことを包み隠さずに話す。
「えーつまり。商会のトップだったエマ先生は書類仕事の合間に休憩室で一眠りして、起きたらここに来ていたってこと?」
「そうですね」
「今までやってきた魔術の研究は?覚えてる?」
「さっぱり、分かりません」
「じゃあ、魔術は?使える?」
「魔術という概念は御伽話の世界でしか聞いたことありません」
「嘘でしょ……」とルーカスが頭を抱えて項垂れる。頭を抱えたいのは私の方なんだけど。
元の世界はどうなっているんだろう?朝に行われる予定だった会合は大事なものだったので、一体どうなったか考えるだけで恐ろしい。
「商会は大丈夫なんでしょうか……」
「こんな時まで仕事の話!のめり込むものが魔術から仕事に変わっただけで、エマ先生の本質は変わらないんだね」
はぁーと大きな溜息をルーカスがつく。
とにかく今は、一刻も早く戻る方法を探さなくては。
「何か、戻る方法ってありますか?」
「魔術は無いけど"エマ"や"ルーカス"という人物は存在している場所。……先生は並行世界から来たんじゃないかな?」
「へいこう、世界?」
「そう。確か、この辺に文献があった気がするけどな」
ルーカスは立ち上がり、研究室の壁にある本を人差し指でなぞっていく。何回か指が右往左往し、とある本の上で止まる。
「あった、これだ」
「随分と分厚い本ですね」
茶色く分厚い本を本棚から引っ張り出すと、机の上にドンっと置く。年季の入った本だが埃っぽくはなく、よく読み込んでいたようで背表紙がよれている。
「これは並行世界についての研究書。」
ルーカスが分厚い本を開き、パラパラと捲る。私もヒョイと横から覗く。文字を見て首を傾げ、違和感に気づく。
「なんて書いてあるか読めます……」
「え?へえ、文字は違う世界でも共通なの?そういえば言葉も一緒だし」
「いえ、文字は違います。けど不思議と読めますね。……何だか、深く考えようとすると分からなくなりそう」
「並行世界から移動してきた人間は、何らかの作用によってこの世界に適合した脳の作りになるってことかな?専門分野が違うから詳しくは分からないけど」
目次を見て、大体の検討をつけたのかパラパラとページ数を確認しつつ捲りながらルーカスが話す。
「エマ先生と僕は師弟関係で、魔術を用いた医療の研究をしているんだ。今度、並行世界についての研究をしている人のところへ行ってみよう」
「研究している方がいるんですか?」
「一応はいるよ……あ、あった。ここかな」
研究書の終わりの方のページだ。小さな文字の羅列を見る。
「……『並行世界の行き来は可能とされている。今までに経験したという人物は何人かいる。しかし確かな魔術に基づき実行した訳でなく自己申告のため、虚実の可能性がある。並行世界への渡り方は今日まで確定されていない。』と書いてありますが?」
「書いてあるね」
絶望感に目の前が暗くなる。いや、待て。まだ希望はある。
「専門分野の研究をしている方は、すぐに会えるのですか?」
「会えるけど、今日は無理だね。論文の提出日で話を聞いてくれる暇は無いだろうから」
ああ、朝の会合には絶対間に合わないことが決定した。それどころか、戻る方法が見つかるかさえ怪しい雲行き。
「せっかく商会が軌道にのってきたのに」
「また仕事の話をしている」
信じられないものを見る目でルーカスが私を見る。
今まで死に物狂いで守ってきた商会が今脅かされそうになっているんだ。気が気ではない。
「これは憶測だから確実ではないけど、そんなに心配する必要は無いと思うよ。元の世界には、この世界にいたエマ先生がきっといる。ほら、ここにも『並行世界の行き来を確立するのに最も有力とされている手段は等価交換だ』って書いてある」
「ん?それは、どういう意味ですか?」
「簡単に言うと、2つの世界にいるエマ先生という存在が入れ替わっている状態ってこと」
つまり。私の元いた世界には、ここで魔術の研究をしていた私がいるってこと?