今しかない
「近々、結婚する」
「……はい?」
「式は私が整えるので、日程は追って連絡する。あなたはドレスのサイズだけ合わせておいてくれ」
この男はいつも言葉が足りない。
短髪の黒髪と同じ色の、切れ長な瞳を見つめる。しかし互いの目線は決して合わない。
幼馴染、兼婚約者の男。ジェイ・スミス。
彼は窓の方を見つめて淡々とした口調で話した。
私の執務室に急に来て、口を開いた途端のこれだ。左手に書類、右手にペンを持ったまま固まる私を、この男はチラリとも見ようとしない。
えっと、結婚?この人と私は婚約関係であり、今「あなたはドレスを合わせておいてくれ」と言われた。ってことは、結婚するというのは私と彼の話か。
「兄さん。急に結婚すると言われてもエマ義姉さんも困惑するよ。きちんと説明してあげて」
すぐ横の机で書類と格闘していたジェイの弟、ルーカスも怪訝な表情で私たちを見つめる。
「そうですよ。私も商会の仕事が詰まっているので、いきなり言われても難しいです」
数年前に他界した両親が大事にしていた商会を引き継ぎ、取りまとめているのは私だ。そのせいで敬語で話すのはもう癖になってしまっている。
そんな境遇のせいで子爵の嫡男であるジェイとの婚姻が伸びに延び、お互いが23歳になった今でも婚約状態なのは申し訳なく思っている。
しかし若輩者の私が商会を率いるのは並大抵のことではなく、寝る間も惜しんで仕事をするしかなかった。とてもではないが、婚約者のことを気に掛ける暇は無かったのだ。
当然、婚約破棄の話も出た。が、こちらは商会トップである私が貴族に名を連ねること。スミス子爵側は商会の資産という利益があったので破棄はされず。それどころか、ジェイの弟であるルーカスが商会へ出仕してくれた。ルーカスは機転が利きくうえに愛嬌があり、今では商会に必要不可欠な存在だ。
そんなルーカスの力添えもあり、商会もかなり落ち着き軌道にのってきた。そろそろ、結婚について考えないとなーと思っていたのは確かだ。
にしても突然すぎる。
「結婚式について、何かこだわりはあるのか?」
「そうではなく、結婚するとなると色々と準備が必要でしょう?仕事に支障がでるので調整しなくてはいけません」
「必要ない。ドレスの試着に必要な時間……2時間ほど確保すれば十分だ」
そんな訳あるか!
と、言いたい気持ちをグッと抑える。
「ジェイ。義両親様への挨拶や、式に呼ぶ関係者のリストアップなどもしないとい……」
「両親への挨拶は今更不要だ。リストアップはルーカスと行う」
「でも、それ以外にも必要なことがあ……」
「ない。また連絡するので、失礼する」
人の話を遮って、言いたいことだけ言うと颯爽と部屋から出て行ってしまった。なんて勝手な人だ!
思わず手に持っていた書類をグシャリと握りしめる。
「……ルーカス」
「う、うん。エマ義姉さん」
「式の出席者のリストアップは私がします。商談や出向の日程と時間調整がこれから必要になってくると思うので、お願いできるかしら?」
「それはもちろん、大丈夫」
私の冷え冷えとした口調に、ルーカスが心配そうな目を向ける。
いけない。悪いのはルーカスの兄であって、彼ではないのだ。八つ当たりをするのはお門違い。
「ありがとう。仕事を増やして申し訳ありません」
ニコリと笑いかける。しかし空気は少しも和まない。
「いや、僕はそのために来たようなものだから。兄さんは……仕事で大変なエマ義姉さんに、負担を増やしたくないんだよ。本当だったら、商会のことも手伝いたいと思っているはず。領地の仕事があって出来ないから僕に託しているけれど」
ルーカスが苦笑いをしながら話す。
昔からルーカスは「ジェイが私のことを気にかけている」と言ってくれる。しかし、普段の言動を思い返すと、そうは思えない。
ジェイが私の話を最後まで聞かないのは、今日が初めてではない。勝手に大事なことを一人で決めてしまうこともそうだ。
ルーカスの言っている、思いやりとやらは感じられない。
結婚をすれば、ジェイとの生活が始まる。想像をすると心臓が鉛のようにズンと重くなった。