表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨景・桜雨

作者: 宗あると

 雨が降っている。時折ぽたん、と屋根から滴の落ちる音がする。

 窓の外は、ぼんやりとした灰色。街全体が俯きかげんだ。

 水飛沫をあげる車の音。歩いていく傘。


 雨の日。


 不意に鳴ったスマホ。テーブルに置いてスピーカーにすると、かすれた声が聞こえてきた。


 「おはよう。雨だね。今日はやめとく?」

 「おはよう。うーん、雨でもやってるから、行ってもいいけど、どうしようかな」

 公園の植物園に行く約束をしていた。最近花に興味が出てきたと言ったら、じゃあ一緒に行こうとなった。

 「雨の日は出掛けたくないんだよね、正直」

 スマホの向こうで苦笑いをしているのが、頭に浮かんだ。

 「そうなの?じゃあ1人で行くよ。気にしないで」

 「ああ、そう?なら今日はパスするわ。悪いね、こっちから言ったのに」

 「雨ってわかった時から、そんな予感がしてた」

 「へぇ予知能力」

 「ただの直感だよ。シャワー浴びるから、もう切るね」

 「ハイハイ、バイビー」

 「バイバイ」

 

 フツリ、とスマホが切れた。

 椅子の上で両手をあげて、体を伸ばす。

 はぁ、と息を吐いて両手をおろすと、だらんと脱力した。


 雨に負ける女。その程度の距離感。心地は良いが、幸せとは程遠い。

 どっちつかずで、確かめるような野暮なことも出来ない。

 ずるずるしているとも違う、アンバランスな気持ちを平静に保つことが、良い人のように思えた。

 求めない、求められる。求める、求めない。それを繰り返して、お互いの心に小波をたててては、何もないよと嘯く。


 「はじまらないな、いつまでも」

 呟き、深呼吸をして立ち上がった。

 冷えた雨の空気で、部屋が澄んでいる。



 しとしと降る雨の中、駅へと向かったが、1人の侘しさに耐えられなくなって引き返し、近くの公園に立ち寄った。

 濡れた土の上を歩きながら、散りはじめた桜の木へと歩いていく。

 

 桜雨。


 確かそう言うんだっけ。いつかの雨の日、車窓から見えた川沿いの桜を見つめながら、そう言っていたのを思い出した。

 雨で散っていく桜が淋しいと言うと、腑に落ちない顔をした。


 「桜が散ることを別れに例えたりする歌とかあるでしょ?あれはどうにも好きになれないんだよな。そんなことを伝えたくて散っていくわけじゃないと思うんだよ。人が死ぬ時、愛する人に悲しんで欲しいって思う?悲しまないで欲しいよね?」

 「切ない感じがするだけじゃないかな。終わりが来たって感じがするし」

 「それは人が勝手に思ってるだけだって」

 「例えなんだから、そんなに深く考えなくても」


 苦笑しながら言うと、不機嫌になって黙り込んだ。

 どう応えれば正解だったのか。桜の気持ちなんてわからないけれど、自分が死ぬ時は確かに悲しまないでと思うかもしれない。


 雨に打たれる桜を見つめながら、どうして人は別れを悲しむのだろうと、ふと思った。

 別れが何を変えるわけでもない。

 会えなくなっても、愛した人への想いは変わることはない。その気持ちを抱けただけで幸せなんだから、別れは愛していたという確証をくれるもので、悲しむことではないと思う。


 「そもそも別れが悲しいっていうことが幻想なんだよね」


 あの時言えなかった言葉を、桜雨の中、呟いた。




 俺が死んだら、遺骨は桜の木の下にこっそり埋めてくれないかな。少しでいいから。

 見つかって事件になりそうだから、絶対にやだ。


 あしらうように応えると、本気で怒ってきた。

 君は人の気持ちってものをまるで考えられない。

 そう言われて、怒り返した。

 自分の思った返事がもらえない度にいちいち怒る人だって、人の気持ちがわかるなんて到底思えない。


 怒られたことがショックだったのか、自分のことを思いやりや気遣いの出来る人間だと思い込んでいたことがわかってショックだったのか。

 それ以降は妙に大人しく、少し優しくなった。


 心地良い距離感が生まれたのはその頃からで、どちらがいなくなっても互いに悲しまないことは、それとなく互いにわかっていた。


 だから、泣く必要なんてない。


 いつか見た川沿いの桜の木の下で、遺骨の入ったペンダントを首から外すと、掘り返した土の中にそっと落とした。


 「これなら見つかっても事件にならないよね」


 悲しみはない。ただ、頭の中は空虚で、愛していた幸せだけが、胸を温かくしている。

 溢れてくるのは、出逢えたことの喜びとそばにいられたことへの感謝と、そしてお互いを傷付けることなく別れることが出来た安堵とーーー。


 「ありがとうね」

 土の中の遺骨に、囁いた。

 涙が頬を伝っていた。

 「悲しくて泣いてるんじゃないから。愛してたって、大好きだったって、わかったから。それだけでこれから生きていけるから。悲しんで欲しくないんだよね?」


 鼻を啜って、ペンダントに土をかけた。

 立ち上がり、桜を見上げた。

 桜の上の空は、曇っていた。

 ぽつり、と頬に雨が落ちた。


 「泣いてるの?」

 微笑を浮かべて、瞳を閉じた。閉じた瞳から、涙が溢れた。

 「生きてる時に、こうやって愛を確かめ合えたらよかったのにね」


 雨は小雨になった。

 桜雨。別れと涙。

 悲しくはない。

 心に咲いた愛は、散ることなどないから。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ