第3話 プランツェとダリオ
プランツェは珍しい陶器人形の娘だった。
屋根に座るプランツェを育ての両親が見つけた時は、神様がお城に降らすのを間違えたんじゃないかと驚いたほどだ。
以来、よく割れなかったものだというのが両親の口ぐせだった。
プランツェが体をなにかにぶつけると、他の人形と違い高い音を立てるので両親は気が気ではないのだ。
それもあって、大事に大事に育てられたプランツェ。
艷やかな乳白色の肌も、肩でカールした赤い髪の夕陽のようなグラデーションも、鮮やかな青い瞳と薄紅の頬と唇が映える柔和な気品のある顔も、完璧に描かれた美しさだった。
そんなプランツェはもちろん、結婚相手と育った。
名はダリオ。
焦げ茶色の髪に、茶色い瞳、特に目立たない顔立ちに気を使っていない健康的な肌の、背が高くも低くもない痩せても太ってもいない普通の青年だった。
けれど、優しいのだった。
結婚相手と知る前の小さい頃から、プランツェを大事にした。両親の教えもあったが、壊さないように慎重に接したり、見えない後ろ髪を拭いて綺麗にしたり、つまづいて倒れないように手を引いたり。
プランツェはそんなダリオが大好きだった。
ダリオと結婚するのだと、心に誓い生きてきた。
けれど、ダリオはよくこう言った。
「プランツェの結婚相手は、僕じゃないんじゃないかな」
「そんなことない!」
「僕じゃなくても、いいよ」
「嫌よ!」
ダリオはプランツェを想って言っているのだが、弱気もあった。
プランツェはぎこちなく腕を動かし、小さな手を割れそうなくらい力を込めて握りしめる。キッとした顔で強気に答えると、ダリオはいつも引き下がってくれた。
問題は母だった。
「プランツェは、きっと王子様と結婚するわ」
そう夢想していた。
ステラランド王国の王子様は人間で、相手の人形がいないのだった。
年頃も、プランツェと同じくらい。
だから、ただの夢と無視できずにプランツェはハラハラしていた。
「私の娘、美しいでしょう?」
町に広まった母の自慢を聞きつけて、とうとう城から使者がやって来てしまった。
「王妃様が、ぜひ娘を見せてほしいとのことです」
王妃様は元人形だった。
時々、気に入った人形を城に集めては愛でていた。
「ええ! 喜んで!」
母は狂喜乱舞した。
「返してくださるんでしょうね? プランツェはうちの息子の結婚相手なんだが」
父はまだ冷静で子供達の味方だった。
「それはまだ、わかりませんな。王妃様のお気に召せば、城で暮らすことになりますよ」
「いいのかね、ダリオ、プランツェ」
「行きたくない!」
プランツェはダリオにしがみついた。
「プランツェ、お願い」
「ママ!」
プランツェは責めるような顔を向けた。
「私がこの家に舞い降りたのは、間違いじゃない! 私の結婚相手はダリオよ!」
母はついに胸を打たれて、うんとうなずいた。
それでも、すがるように片手をプランツェに伸ばした。
「だけど、一度だけ王妃様と王子様にお会いしてきて……」
今度はプランツェが仕方なくうなずいた。
それから、ダリオの方を向いた。
「大丈夫よ、ダリオ。王子様に会ってもなにも変わらないから」
プランツェの差し出したなめらかだが硬い手を、ダリオの柔らかい手がそっと受け止めた。
「うん……」
どこか弱気に見える優しい笑顔。
プランツェは顔を近づけて瞳を見つめた。
「もしも、お城で暮らすことになったら……1年経っても帰れなかったら、きっと迎えに来て」
「わかった」
力のこもった声と眼差しに、プランツェは安心した。
ダリオの唇がとても近い。
このまま誓いのキスをしてしまい、人間になりたかった。
けれど、ダリオの想いが定まっていないのを感じて、果たせなかった。
お城についたプランツェを、王妃様は歓迎した。
ひと目見てニッコリして、お城に住みなさいと言った。
「あなたなら、王子の結婚相手にも相応しいかもしれない」
一番恐れていたことを口にされて、プランツェは顔を伏せて不安に苛まれた。
プランツェには、ふたつの居場所が与えられた。
一つは城の一室で、赤と金で装飾された豪華で美しい部屋。
もう一つは中庭で、王妃様お気に入りの草花が咲き乱れていた。
どこにいても、壊れないように丁重に扱われた。
プランツェもダリオと結ばれる前に壊れるわけにはいかないと、大人しくしていた。
中庭では、籐椅子のブランコに座ってゆらゆらしていた。
つらいのは部屋にいる時で、陶器でできた特注ドレスを着せられてじっとしているしかないことが多かった。
ドレスはとても薄く、二枚貝のように体に合わせて陶器のピンで留めていた。けれどいくら薄くても、か弱いプランツェでは動くことはできなかった。
そんなプランツェを、王妃様が心ゆくまで愛でに来た。
1年で帰れるかしら。後、どれくらいこうしていないといけないの。
不安にかられるプランツェはある日、重なったフレアに赤い薔薇が描かれた特別綺麗な陶器のドレスを着せられた。
そこへ、ついに王子が会いに来た。
綺麗なお人形しか結婚相手になれないと噂されてきた通り、人形のように完成された美しい王子様だった。
王子様の顔に笑みはなかった。
冷たくプランツェを見つめてきた。
「プランツェ」
棘のある低い声だった。
「はい、王子様……」
プランツェはいつものか細い声が、震えそうになった。
「母上に言われて会いに来たが……私はお前と結婚する気はない」
驚きと喜びにプランツェは目を丸くした。
王子様がお断りしてくれるなんて。
これなら、王妃様も諦めるだろうか。
「母上は、私を陶器人形にしたがっているようだが」
反発するような恐い顔で、王子はプランツェを眺めた。
プランツェはそんな刺すような視線に、深く傷ついた。
なんて、酷い王子様。
それとも、結婚相手ではない人形には、みんなこんなに冷たく接するのかしら。
今まであまり外に出られず、男といえば父とダリオしか接したことのないプランツェにはわからなかった。
悲しみに目を閉じて、わからないと首を振った。
そうしているうちに、王子様はいなくなっていた。
「ダリオ、早く来て……」
涙を流すようにしてから、プランツェは窓をじっと見つめていた。
王子様の態度を聞いて王妃様はショックを受けたが、プランツェを返す気はおきなかった。
それからもうすぐ1年という時、人形の降る夜。
ダリオは城の門に忍び寄った。
この夜はみんな空ばかり見上げて、降ってきた人形に夢中になる。
その隙に、プランツェを城から連れ出そうとしていた。
ダリオがこんなことを決めたのは、王妃様がプランツェを返してくれそうにないからだった。
少し前にプランツェの様子を訪ねに来た時、門まで王妃様の使いが来て “プランツェを諦める気はないかね?”
“他の人形を我々が探すがね” と言われたのだ。
もちろん、諦める気はありませんと答えると門前払いされてしまった。
さすがに気弱なダリオも、危機感を覚えて心を奮い立たさずにはいられなかった。
ダリオは門番達が空を見ているのを確かめて、城壁に縄はじごをかけて登りはじめた。
上手く城壁の上に登って、はしごをたぐっていると声がした。
「あっ、あそこに人形がいるぞ!」
「大きな人形だ!」
ダリオはすぐに自分が人形と思われていると気づいた。
急いではしごを降りたダリオは、城内の芝生を闇雲に走った。
そこへ、兵士がひとり飛びかかってきた。
「捕まえたぞ! ん!? お前は人間か!?」
「離せ!」
驚く兵士をダリオは必死に突きのけた。
幸運にも兵士は布人形でダリオより軽く、ポンッと尻もちをついた。
再び走りだそうとしたダリオだったが、人間の兵士に捕まってしまった。
「なにをしにきた! 城に降る人形を盗みに来たのか!?」
城に降る人形は特別と言われ、作りも見た目も上等だった。盗っ人は後を立たないのだ。
「違います。僕は、プランツェを返してほしいだけです。1年くらい前にお城に連れてこられた、陶器の人形です!」
「陶器の人形、ああ、あれは王妃様のお気に入りだぞ!」
「諦めて帰るんだ! 今日はお祭りだ、特別に逃してやる」
「嫌です!」
陶器になったつもりで、ダリオは動こうとしなかった。
困った兵士は、上官を呼びに行った。
やって来たのは、機械人形の騎士団長だった。
隣には、王子様もいた。
ふたりとも人形のようだ、見たこともない美しさだとダリオは状況を忘れて星空の明かりを頼りに見つめた。
「プランツェを返してやろう」
話を聞いた王子様は即座に言った。
「しかし、王妃様が」
人間の兵士が心配顔で聞いた。
「母上には、見つからないように」
次期国王様の命令口調に、兵士達はうなずいた。
「ついて来なさい」
騎士団長の後にダリオはついて行った。
プランツェは王妃様と中庭にいたが、王子様の呼び出しに自分の部屋に戻ることになった。
その途中の、人払いされた玄関ホールでダリオが待っていた。
「ダリオ!」
倒れるように胸に飛び込んだプランツェを、ダリオはしっかり抱きとめた。
「私を人間にして!」
「大丈夫だよ、プランツェ」
ダリオはプランツェの瞳をのぞき込み、キスをした。
王子様と騎士団長が見守る中、ダリオの腕に抱かれてプランツェは城を出た。
プランツェが人間になったと聞いた王妃様は、諦めてダリオとの結婚を祝福した。
そんな王妃様には神様のお恵みか、陶器でできたうさぎが城に降ってきた。うさぎは王妃様自慢の中庭で愛でられることになった。
人間になったプランツェは色んなところに行きたがった。
ダリオはまだ心配が抜けきらず、草原にピクニックに連れて行った。
プランツェは柔らかいワンピースに日除けのボンネットをかぶり、芝生を走り回った。
「転んでも大丈夫よ!」
「でも、転ばないでくれよ」
横たわるプランツェを、ダリオが笑って優しく起こした。
ふたりは並んでブランケットに座り、青空を眺めた。
「お城では、嫌なことばかりだった?」
「ううん、楽しいこともあったわ。見たこともない綺麗な人形やぬいぐるみ達がいたし、私も綺麗なドレスを着せてもらって、綺麗なお庭もあったし……」
「綺麗な庭にいるプランツェは、凄く綺麗だったろうな」
空を見上げて想像するダリオに、プランツェは頬を赤くした。
「王子様に取られないか、心配したんだよ」
「王子様には私と結婚する気はないと、とっても冷たく言われたわ」
うつむくプランツェに、ダリオが優しく言った。
「……王子様は結婚相手を探しているんだ。とてもつらいんだよ、きっと。プランツェと離れ離れの間とてもつらかった。あんな気持ちでずっといるんだよ」
ダリオがプランツェに頬を寄せた。
「運命の人形を探しているんだよ。プランツェは僕の結婚相手だったから冷たくしてしまったんだ、きっと」
「そうね……王妃様に私と結婚してほしいと言われているようだったわ。そんな結婚は嫌よね」
ふたりは微笑んでうなずきあった。
プランツェは王子様の結婚相手が見つかるように祈りながら、ダリオの肩に頭を寄せた。
幸せなまどろみに目を閉じたプランツェの髪が、微風と遊んで揺れていた。