第2話 オッターヴィオとオーロラ
リチルとイチルの家のナナメ向かいに住む青年人形オッターヴィオは、結婚相手を探すために家を出るところだった。
オッターヴィオは母と父にあたる育ての親が息子のヴェネリオに兄弟がほしいと願って降って来た人形なため、結婚相手が家にいないのだった。
ヴェネリオは翌年降ってきた人形のリタと、先日結婚した。
オッターヴィオはそれを祝福してから、自分の結婚相手探しに旅立つのだった。
「もう、この辺でいいよ」
もう町外れだ。見送ると言ってこんなとこまでついて来たヴェネリオを、オッターヴィオは立ち止まって見た。
何度見ても自分によく似ている。鏡を見ているようだと思うこともある。周りからも、双子みたいだと言われてきた。
周りの人と人形の兄弟は、こんなに似ているものでもない。
「気をつけてな」
ヴェネリオが小さく笑った。
寂しそうに見えて、オッターヴィオは笑った。
「そんなに寂しがったり心配もするな、行くあては決まってるんだ。しかも、隣町だぞ」
「アハハ、隣町は近すぎるよな」
オッターヴィオは当てもなく旅をするようなバカな真似はしたくなかったし、ヴェネリオもそんな旅をさせたがらなかった。
そこでとりあえず両親に相談したところ、母が隣町に相手のいない年頃の娘さんがいると教えてくれた。
「きっと、その人が運命の相手よ。だって、運命の相手があまり遠くにいても困るからね」
困るという都合を解決するために、運命の相手が近くにいるものだろうかとふたりは顔を見合わせたが、母の言うことを信じることにした。
「まぁ、とりあえず近くから当たっていくのは正解だよな」
オッターヴィオの言うことに、ヴェネリオはいつも通りうなずいた。
「じゃあ、ここで」
「行ってくる」
笑いかけたオッターヴィオに、ヴェネリオは笑顔でまたうなずいた。
それから、小さく見えなくなるまで見送っていた。
離れ離れになるのは、これが初めてだ。
あんな見送りをされると、寂しさが移ってしまう。
オッターヴィオは感傷を振り切って、隣町との境界になっている小川にかかる木の橋を渡った。
ポツポツと木々の生えた、見晴らしのいい林の小道を行く。
天気が良くていいが、雲が速いので油断はできない。
早く隣町に入り、宿を見つけなければ。
それよりなにより、早く結婚したかった。
早く、人間になりたいのだ。
そして、人間のように飲んだり食べたりしたかった。
一番仲良しの人形イチルも興味があると言いながら、結婚相手の願いを叶えて人形のままになってしまった。
一緒に食事を楽しみたかったのに残念だ。人間のままのヴェネリオと楽しむとしよう。
一応、人形でも食べることはできる。だけど、後のメンテナンスが大変なのだ。一々病院送りなんてもうゴメンだ。
病院で診察台に横になって目を閉じる、で思い出した。
眠ってもみたいこと。夢を見てみたい。
ヴェネリオは悪夢を見ることもあるし、寝坊することもあるから眠りに関しては人形の方がいいんだと言ってるけど。
自分でコントロールできない眠りを体感してみたいんだ。ヴェネリオだって、一度気絶してみたいと言っていた、それと同じ願いだ。
それにと、頭に生えた黒い猫耳を引っ張った。
ヴェネリオと唯一違う部分、黒い猫耳を消したかった。
神様のイタズラというものだろうか、これは。
他の人形達にはないのに、全く不運だ。
小さい頃は、猫みたいで可愛いと撫でられて納得していたが、青年になった今は違和感しかなかった。
こんなに大きな猫は、いないじゃないか。
耳を普通にするためにも、料理と睡眠を楽しむためにも、人間になることを許してくれる結婚相手に出逢いたい。
そう祈りながら、オッターヴィオは前を見すえて力強く歩いた。
その前方から、ひとりの人間の娘が歩いてきた。
ひと目見て、ピンときた。
自分と同じ珍しいグレージュ色の髪、自分は首の辺りで切っているが向こうは長い、と同じ年頃。
そんな娘が結婚相手を探す自分の前に現れたのだ。
それだけで、ピンときたのだが果たして。
カンは当たりで、娘の方もオッターヴィオを見て目を丸くした。
彼女の瞳の色は綺麗なスカイブルーだ。
自分の瞳はミッドナイトブルー、昼と夜みたいだとオッターヴィオは笑みを浮かべた。
待ち構えるように立ち止まったオッターヴィオに近づいた娘は、小首をかしげた。
「こんにちは」
人懐こい笑顔も可愛い。
「こんにちは、どこに行くの? もしかして、隣町?」
「ええ、よくわかったわね」
娘は嬉しそうに笑った。
「もしかして、結婚相手を探しに行くの?」
「ええ」
娘はもっと嬉しそうに笑って、オッターヴィオも得意げに笑った。
娘の名はオーロラ。
家には人形の姉しかいないので、結婚相手を探すことにしたのだった。
「姉はもう結婚したから、次は私ねってことで」
「へぇ、そこも同じだね」
同じところを見つけるたび、距離は近づく。
隣町に行くだけの者同士、オッターヴィオはいつもの白い襟付きシャツと黒いズボンに黒いジャケットを着ただけ。
オーロラも着慣れたブラウスに土色のサロペットスカートだったが、ふたりとも靴は新調したブーツだった。
ふたりは肩をくっつけて、橋から小川を眺めた。
「見なよ、あの2匹の蝶。一方はガラス細工だ」
橋の手すりのそばを飛び回る2匹を、オッターヴィオは指差した。
「ガラス細工のほうが、綺麗だわ」
その言葉に、オッターヴィオはちょっと不安を感じた。
「君に、結婚相手になってほしいけど」
蝶からオーロラに顔を向けて、一番大事なことを切り出した。
「俺は、人間になりたいんだ。君が、それを叶えてくれる人ならいいんだけど」
「いいわよ」
あっさり笑うオーロラに、オッターヴィオは疑いの目を向けた。
「本当に?」
「ええ、だけど、もうしばらく人形のあなたと一緒にいたいわ。いいかしら?」
「それは、いくらでもいいよ。と言いたいところだけど、俺達も永遠にこのままじゃいられないから、なるべく早くもう充分と言ってくれよ」
「わかったわ。だけど、どうして人間になりたいの? それも、早くなりたいみたい」
「そうだよ。だって、早く人間みたいに生きたいから。特に料理と睡眠を楽しみたいな。それに、俺の体はメンテナンスが大変なんだ」
シャツの袖をまくり、肘の関節から白い腕をはずして見せるとオーロラは目を丸くした。
「関節人形は、関節の隙間の掃除が面倒なんだよ」
オーロラは腕を受け取り、手で拭く真似をして笑った。
それからは、オーロラがメンテナンスを手伝ってくれるようになった。
瞬く間に数年経って、ヴェネリオとリタの住むレンガのアパートにふたりで暮らしはじめていた。
星の降りそうな澄んだ夕暮れ、オッターヴィオはオーロラのお手入れしましょうと伸ばした手を掴んだ。
「そろそろ、充分と言ってくれないか?」
「わかったわ」
観念したように笑うと、オーロラは両手でオッターヴィオの猫耳をつまんだ。
「この可愛い猫耳とも、お別れね」
いいないいなと羨ましがっていたので、別れの寂しさもひとしおな様子のオーロラをなんとか慰めたくなった。
そう考えたオッターヴィオはもしかしてと、天井に目を向けた。
「俺がこのまま人間になるなら、君にも生えるんじゃないか? 想いの強い方に導かれるんなら」
「そうかしら? そうだと、嬉しいけど」
オーロラが嬉しいなら、猫耳とはおさらばしたかったがこのままでいよう。自分の願いを優先してもらうのだから、一つくらい妥協しないとな。
決意したオッターヴィオだが、オーロラは嬉しいと言った反面、自分の猫耳を引っ張る真似をしてから、力なく両手をおろした。
「似合うといいけど、ねえ、オッターヴィオ」
「ん?」
「本当に、結婚相手が私でいいの?」
「なんだ、今さら。なんとかブルーってやつか?」
オッターヴィオは困って、片眉をさげた。
「だって、人間の私はそんなに綺麗でも可愛くもないんだもの。人形になれば、綺麗で可愛くなれる気がして……」
「君が綺麗か可愛いかなんて、気にしたこと一度もないよ」
周りの人と人形の夫婦達も、そんなことを気にしていることはなかった。けれど、自分達は小さい頃から一緒ではなかったから気になるのか。しかし、それなら気にならない自分は?
答えはオーロラがくれた。
「オッターヴィオは、食べることと寝ることしか興味ないものね。人間になったら、太らないか心配だわ」
オーロラは腕を組み、ふんと体ごとそっぽを向いた。
「中年太りはまぬがれないよ」
「ふふふ、太らない体質よきっと」
「それはそれでいいとして、君が綺麗じゃないとか可愛くないとかもいいじゃないか、今まで一度も気にならなかったんだから」
「それは……」
「うーん……そうだ、最初に君を見た時、俺に似ていて嬉しいと思ったよ」
「私が? オッターヴィオに? 髪の色だけじゃない?」
オーロラは嬉しそうに笑ったが、髪をつまんでみせた。
「そう、まずは髪の色に目がいったけど。目の色は俺と違って綺麗だと思うし、笑顔も可愛いし、見た目以外も色々俺に似ているね」
真剣な顔を見て、オーロラはニッコリした。
「嬉しい……」
オッターヴィオもニッコリしたが、あることに気がついた。
「……俺の方が不安になってきた」
「え?」
「俺が人間になったら、今みたいな見た目じゃなくなるかもしれないよ。よく、綺麗だって褒めてくれるけど……」
「オッターヴィオなら、人間になっても綺麗よ。ううん……」
オーロラは顔を寄せて、瞳をのぞき込んできた。
夕日はすっかり沈んで、濃紺の空には星が光りはじめていた。
「人間になって、丁度いいくらいじゃないかしら?」
「そう?」
「うん」
オーロラの指が優しく、目元を撫でた。
「この大きな目も、長いまつげも、細い鼻も艶々の唇も、白い肌も……ヴェネリオそっくりになるのかしら? 人間になった姿が見たいわ」
そっと体をあずけてきたオーロラを、オッターヴィオはほっとして抱きしめた。
「そう思ってもらえたら、無事に、人間になれそうだね」
幾日もしない後、人形達の降る賑やかな夜となった日に誓いのキスを交わしたふたりは、お揃いの猫耳を喜びにピクピク動かしながら、お祝いの料理を楽しんだ。
それ以来、オッターヴィオとヴェネリオは完全に双子と言われるようになった。見分ける方法は耳と、いとも簡単だ。