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※閲覧注意です。出血シーンがあります。
『大変お待たせいたしました。安全が確認されましたので、運転を再開します』
アナウンスの直後、ガクンと車体が揺れた。
車両はゆっくり前に進み出し、そのまま谷底へ真っ逆さまに落ちていく。
物凄い速さだった。風圧と重力を感じる。
私は叫ぶことも泣くこともせず、両手で安全バーを強く握り締めながら、歯を食いしばって耐えていた。
宮園さんは楽しそうに笑っている。
彼女はジェットコースターが面白いと思える体質らしい。
カーブに差し掛かると遠心力で身体が投げ飛ばされそうになり、落下の瞬間よりも恐かった。
ずっとマシンに振り回され続けているような感覚である。自分の身体が見えない何かによってあちこちから引っ張られている。
でも、楽しい。
きっと宮園さんと一緒に乗っているからだと思う。彼女と同じ時を共有することに価値があるのだ。
緊張が解けていく。強張っていた身体から余計な力が抜けて、張り詰めていた心も穏やかになった。
降車後、私と宮園さんは気持ちが高ぶっていた。
「最高に面白かったわ。こんなに楽しい乗り物だったのね」
「私も久々に乗ったけど、すごく楽しかったよ」
「もう一回乗りましょ?」
「うん。乗っちゃおう」
ジェットコースターに乗ったのは正解だった。
こうしてお互いに打ち解け合うことができたのだ。
この後も私たちは色んなアトラクションを満喫した。
二人ともずっと笑顔だった。
楽しい。今が人生で一番、ワクワクしている。
最高の一日だ。
と、思っていたのに……。
「次は空中ブランコに乗りましょう」
そう言って宮園さんが右腕に抱き着いてきた時だった。
「あっ……」
鼻の辺りが急に熱くなるのを感じた。
地面にポタポタと真っ赤な雫が落ちていく。
え? もしかして鼻血?
どうしてこんな時に……。
宮園さんとの遊園地で興奮しちゃってるのは仕方ないけど、鼻血まで噴き出すなんて。ああ、もう。本当にみっともない。
なんでこうなるの? タイミング最悪だよ。
私は慌てて鼻を抑えようとした。
ええっと、そうだ。ティッシュ、どこに入れてたっけ?
ホットパンツのポケットに手を入れる。しかし、ハンカチしか持っていなかった。
これはお気に入りのハンカチなので、あまり汚したくない。
どうしよう。血がダラダラ流れてる。
こうなったら素手で止めるしかないのかな。
パニックを起こしかけていた時だった。
「動かないで」
彼女はバッグから咄嗟に白いハンカチを取り出し、それを私の鼻に当てた。
その動きには何の迷いもなかった。
純白のハンカチが血で赤く染まっていく。
「じっとしててね」
宮園さんは微笑んだ。
そんなことしちゃダメだよ。素敵なハンカチなのに。
私のせいで、台無しになってしまう。
恥ずかしさと申し訳なさを感じながら、私は血が止まるのを待った。
「もう大丈夫そう?」
コクコクと頷く私。
宮園さんはそっとハンカチを引き剥がした。
真っ赤な血がべっとりと付着しているのが見えた。
「ごめんね。それ、洗濯して返すよ」
「いいのよ。気にしないで」
血まみれのハンカチを折り畳んでカバンに仕舞う宮園さん。
思っていたよりも血は出なかったが、それでも汚れはついている。
「でも……」
「大丈夫」
そう言って宮園さんは私の頭を撫でる。
私は思わずキュンとした。
宮園さんって……。
宮園さんって、本当にいい人だ。
優しくて、懐が深くて、親切で……。
いつも私を気遣ってくれる。
彼女のことがますます好きになってしまった。
「ちょっと顔洗ってくるっ!」
恥ずかしくて彼女を直視できない。
私は逃げるようにして園内のトイレに向かった。
鏡の前で顔に血が付いていないか確認する。
鼻の下が少し赤くなっていたので、水で洗い流した。
「はぁ……。私ったら、何やってるんだろう」
バシャバシャと手を洗いながら、ため息をつく。
また宮園さんに迷惑をかけてしまった。平気そうな顔をしていたけど、内心では「うわぁ」って思ってるよね。
「どうしてこんなタイミングで……」
今日は失敗が許されない大切な日だ。
こんな時に限って想定外のトラブルが起こるとは、本当についてない。
彼女の前で醜態を晒すわけにはいかないのに、興奮して鼻血を噴き出すなんて最低だ。
私はダメな人間である。頭だけじゃなくて運も悪い。
手洗い場でうな垂れていると、背後から宮園さんの声がした。
「そんなに落ち込まないで。私は本当に気にしてないわ」
「宮園さん……。わざわざ励ましに来てくれたの?」
「それもあるけど、お手洗いに行っておこうと思って」
「やっぱり、ハンカチは私が洗うよ」
「いいの。そんなことより、空中ブランコの次は観覧車に乗りたいわ。まだ一回も乗ってなかったでしょう」
宮園さんは話題を逸らす。もうこれ以上、ハンカチのことには言及するなという圧力みたいなものを感じた。
「あ、そうだね」
私は空気を読むしかなかった。
「松浪さんも今のうちにお手洗い済ませておいたら?」
「……うん」
トイレで顔を洗ったついでに、私も用を足すことにした。
アトラクションの待ち時間が長引くかもしれないので、済ませられるうちに済ませておいた方がいいだろう。
「……えっとぉ」
「どうかしたの?」
私は個室に入ったのだが、なぜか宮園さんも一緒に入ってきたのである。
「なんで宮園さんもここにいるのかな?」
「ダメかしら?」
いいとかダメとか、そういう問題じゃない。
普通は一人で入るものだよね?
「ちゃんとできるか、私が見ててあげる」
「え? で、できるよぉ。子供じゃないんだし。見ててくれなくても大丈夫だから……」
また私の反応を見て楽しもうとしているのだろうか。
宮園さんは時々、変なことを言う。
「この前みたいなことがあったら大変でしょう?」
この前のこと。
旧校舎のトイレでのことを言っているようだ。
いや、でもあの時は花子さんが……。
「見せて」
「見たいの?!」
彼女はとんでもないことを言い出した。
やっぱり変だよ。今の宮園さん、頭おかしいよ。
「見たいわ」
冗談ではなく本気で言っているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「そんなの無理だよ……」
私は彼女から目を逸らす。
「そう。残念だわ」
宮園さんは悲しそうな顔をした。
私をそれを見て心が痛んだ。
何やってるんだ私は。さっき決めたばかりじゃないか。
宮園さんのお願いは何でも聞いてあげようって。
だったら……。
「わかった。いいよ」
彼女を失望させたくない。
彼女のためなら何でもするんだ。
私はホットパンツのチャックを下ろした。
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