お菓子の木
あるところに中のいい姉妹がいました。姉の名前はジュンコ、妹はサキ。
姉の膝の間にすっぽりと収まりながら背中を預けるのが、妹のお気に入りの場所でした。
「見て、海外だとパンがなる木があるんだって」
広げた絵本のページでは人々が木になったパンを嬉しそうにもいでいました。
「これがあればみんなおなかいっぱいになれるね」
「それだけじゃないわよ。ほかにもお菓子がなる木だってあるんだから」
「お菓子ってどんなのどんなの? 甘いおいもさんとか?」
「生クリームたっぷりのケーキとか、ふわふわのカステラよ。前はお菓子屋さんにならんでたんだから」
口の中に広がる甘さを想像しているとぐうとおなかが鳴りました。
「きっと戦争が終わったら食べられるわよ。そのときはおなか一杯たべましょうね」
「うん!」
妹は姉の提案をとても素敵なものだと大きくうなずきました。そんな二人にぱんぱんと手を叩く音がしました。
振り向くとそこにはエプロンをつけたお母さんがいます。
「ねえ、二人ともちょっとお使いおねがいできる?」
「えー、でも~」
「今ならよく晴れてるからお星様がよく見えるはずよ」
「ほんとに? じゃあ、いく!」
足早に玄関に向かう妹を追いかけます。扉を閉める前に姉はお母さんと目配せを交わしました。お互いにまかせてというように大きく頷きました。
外にでると夜空にはいくつもの光が瞬いていました。
「わぁ、今日もすごいね~」
妹は顔を夜空に向けながら瞳を輝かせます。
それは疎開先に来てから見るようになった光景で、いままで住んでいた町中ではみることができないものでした。
「ねえお姉ちゃん、昼間はお星様はいないのに夜になるとキラキラ光ってる。お星様は昼の間どこにいってたの?」
舌足らずな口調で姉に尋ねます。
「それはねお星様が巡っていくからよ」
「うん? ふうん、そうなんだ」
妹はわかったように頷いてみせます。それは誰かの仕草とそっくりなことに姉の口元から苦笑がもれます。
「いいことをおしえてあげるわ。流れ星を見つけるといいことがあるのよ」
「ながれぼし?」
妹が振り向いたちょうどそのとき、頭上に一筋の光が夜空にこぼれおちました。
「ほら、あれよあれ」
「えっ、えっ、どれどれ?」
「あーあ、消えちゃった。流れ星にお願い事するとかなうのにな~。わたしだけお願い事しちゃったな~」
「ずるい! ずるい! あたしもするの!」
地団駄を踏んで悔しがる妹の様子をおもしろがるようにクスリと微笑みます
「二人ともどうしたんだい?」
声をかけてきたのは近所のおばあさんでした。
姉は「こんばんは」と挨拶しますが、妹はむくれたままです。
「おばあちゃん聞いてよ。お姉ちゃんだけずるいんだよ。ながれぼし見れなくてあたしだけお願いできなかったの!」
「おやまあ、それはかわいそうに」
頬を膨らませる妹の頭をなでてあげます。そうすると妹も少しだけ機嫌を直しました。
「ほらそろそろ行くわよ。帰ったらいいことがあるはずだから」
どうしてと首をかたむける妹に今日の日付を教えてあげました。
「今日はなにかあるのかい?」
「それはですね、今日はサキの誕生日なんですよ」
「そうかい、サキちゃんは今年でいくつになるのかな?」
「ごさい!」
指を広げておばあさんの質問に答える頃にはすっかり笑顔になっていました。
家に帰ると、サキがわくわくしながら玄関を開きます。すると、テーブルの上に大きな箱が置かれていました。驚く妹の前でお母さんが微笑みながらいいます。
「サキ、誕生日おめでとう」
キレイにラッピングされた箱を妹はわくわくしながら開けました。
蓋を開けるとそこには丸太のような年輪を重ねたお菓子が入っていました。妹は初めて見るものに目をきらきらさせます。
「わあ、いいにおい。これお菓子?」
「すごい、バウムクーヘンだ」
お母さんといっしょにしかけたどっきりでしたが、これには姉のジュンコも驚いていました。
「お母さん、どうしたのこれ?」
「町に住んでたとき、近所にお菓子屋さんがあったでしょ。町にいったときに寄ったら、もう小麦も砂糖も手に入らないからこれが最後だって分けてもらったのよ」
「そっか、あの店もなくなっちゃうんだね……」
以前に何度もいったことのある店がなくなることにジュンコは寂しそうにしました。
戦争が始まってからどんどん物も人もなくなっています。明日どうなるかもわからないことに不安が増すばかりでした。
「どうしたの二人とも? お菓子だよ? おいしそうだよ?」
辛抱たまらないといった様子のサキを見て、二人は思わず笑みをこぼします。
三人はテーブルに座って切り分けたお菓子を仲良く食べました。久しぶりの甘さにとても幸せそうです。
「お姉ちゃんの言うとおりだったね」
「そうよ、お星様にお願いしておいたのよ。それと、このお菓子の名前のバウムクーヘンって意味は知ってる?」
「う、う~ん、ばうむくーへん……」
腕をくんで眉をよせる妹の前で姉は得意気に説明します。
「外国の言葉で“お菓子の木”って意味らしいわよ。ほら、見た目も切り株みたいでしょ」
「すご~い、これがお菓子の木なんだね!」
素直に喜ぶ妹に場の雰囲気も明るくなります。二人の頬も緩みました。
暗い話題ばかりの中で住んでいた町からも逃げ出した。それは一時の安らぎでした。
その日は唐突に来ました。
夕陽の中にサイレンが鳴り響き、地鳴りのようなプロペラの音が近づいてきました。
空から近づく真っ黒な影はまるで怪物のようでした。
三人は急いで頭巾をかぶり逃げ出しました。
同じように逃げ出す人たちで往来はいっぱいになっています。三人ははぐれないようにしっかりと手をつないで走りました。
途中、道の隅っこでうずくまる影を見つけました。それは近所のおばあさんでした。
「おばあちゃん、逃げようよ。ここは危ないって」
「いいんだよ、あたしは。足を悪くしてるからねぇ」
どうしようかと迷っているとお母さんがおばあさんに手を差し伸べます。
「ジュンコ、サキを連れて行って」
「でも」
「大丈夫よ。ほら早く」
「……わかった。いくよ、サキ」
おばあさんを任せると妹の手を握り前を前に進もうとした。
次の瞬間、すぐ後ろでドオンと大きな音がして体が吹き飛ばされました。
あちこちが痛んだけれど、妹の手は離しませんでした。体を起こして後ろを振りむこうとしましたが、吹き荒れる熱風で目を開けていられません。
「お姉ちゃん、お母さんは……」
「走って! 走るのよ!」
倒れた二つの塊から目をそらして走り出しました。
どこをどう逃げ回ったのかわかりません。とにかく、妹の手を引っ張りながら火のない場所に飛び込みました。
何度も襲う衝撃に倒れ、妹を抱き起こしました。
「……おねえちゃん」
「大丈夫よ。ほら、おんぶしてあげるからしっかりつかまってて」
背負った妹の体は驚くほど軽かった。とても軽かった。
その重さを絶対に離さないように腕に力をこめて走りました。
どれぐらいたったかわかりません。ようやく火の中から逃げ出すことができました。
よろよろと歩いていると、枝を横に大きく広げた木を見つけた。
背負っていた妹をそっとおろして、太い幹にもたれかかると一気に疲れを感じました。
「……お姉ちゃん、おっきい木だね。もしかしてこれがお菓子の木?」
かすれた声で妹が話しかけてきました。
「そうよ、ほら甘い匂いがするでしょ」
姉もぼんやりとした声で答えます。
「……すごーい。お菓子の家もあるのかな」
「もうちょっと進んだらあるはずよ。だからね、休んだらもうすこしがんばろうね。お母さんたちもすぐにくるから」
「……うん。みんなずっといっしょ―――」
妹はか細い声で返事をします。
日が沈み、あたりが暗くなってきました。
ぼんやりと空を見上げていると、空では星がまたたきはじめました。
そこに一筋の光が流れました。もしかしてと思っていると、その光はどんどん増えていきます。
「ねえサキ、見て。ほら流れ星よ!」
「…………」
隣の妹に呼びかけます。でも、返事はありません。
「ほら、今ならいっぱいお願いできるわよ! だから、起きて……」
必死に妹に呼びかけました。そんな彼女の上をいくつもいくつも光が流れていきました。