32『移り気な乙女の変遷』
「痛っ・・・!」
「だ、大丈夫かい!?怪我してない!?」
「あ、うん。大丈夫だよ正義君」
「結構ザックリいってるじゃないか!絆創膏、絆創膏・・・」
「だ、大丈夫だよ」
「良いから!ほら、料理も俺が作るよ」
「そんな!せっかくの休みなんだから、ちゃんと休んでよ~」
「大丈夫だよ、君と一緒に居るだけで、疲れなんて吹っ飛んじゃうんだから」
「・・・も~、正義君ったら・・・」
「えー?パパが作るの?あんまり美味しくないのに・・・」
「おいおい勇気、そりゃないだろ?」
「ぷっ・・・あははははは。ほら、及びじゃない人は座ってなさいな」
「言ったなー?ふふふ」
どこにでもある平穏な家庭の穏やかな笑い声が響く一軒家―――
しかしその家を切り盛りしている妻は、ここ最近上の空になる事が多い・・・
今も心配事が頭を過ぎった瞬間に、包丁を持つ手元が狂って指を切った。
鹿島愛、旧姓:友杉愛
全世界に向けて各々が隠していた秘密を、動画投稿で文字通り『公開』処刑する『撮影者』の、次の標的だ。
「まぁ・・・タイトルで何となく、君の動画がどういう内容か察してはいるよ」
そう言って夫・正義は、自分のスマホでとある動画サイトの『撮影者』のユーザーページを開く。
『32 移り気な乙女の変遷』
息子・勇気が寝静まった後、夫婦2人だけの時間になり、愛は少しずつ語り始めた。
「・・・あたしね、今でこそ正義君一筋なんだけど・・・学生の頃は全然そんなんじゃなかったんだ・・・」
「・・・やっぱり、そういう話か・・・」
正義は、妻の懺悔を静かに受け止める。
「中学の時、1歳年上ってだけなのに遥かに大人っぽく見えた先輩に出会ったの。その人は毎日のように男の子達にプロポーズされるぐらい可愛くて、注目の的だった。その人みたいになりたくて、必死にメイクや可愛さを学んで、実践して来たの。
お陰でどんどん可愛くなれて、皆の見る目もどんどん変わって・・・憧れの人と同じ、毎日の様にプロポーズされるぐらい愛される存在になった。
・・・だけど、それでちょっと気が大きくなっちゃって・・・とっかえひっかえ彼氏を変えては、少しでも合わなきゃすぐ分かれるを繰り返して来た。あたしを好きだと言ってくれる人はいくらでも居る。選ぶ権利はあたしにあるって、傲慢に思い込んでた。
モテない人間はみじめだって、いじめられている子を助けもせず、逆に嘲ったり・・・最低だよね。この間の同窓会でも、つい昔と同じような対応しちゃったし・・・」
「確かに・・・話だけ聞けばとんだクソ女だね」
「ちょっ、そこまで言う!?」
「・・・でも、今は違うだろう?」
「・・・うん。いじめられてた子には『相変わらず』って言われたけど、あたしだって変わったんだよ。本当に一途に追い続けられる愛を、正義君に出会って知ったんだもん」
愛は、正義の顔を真っ直ぐ見て、真剣な表情で返した。
「・・・多分動画では、あたしの言葉だけじゃ足りないぐらい、中学時代の恋愛遍歴を余す事無く流されるんだと思う。最低な振り方をする所とか、気が合わない男の子の陰口とか、醜いあたしをたくさん見る事になると思う・・・」
「穂村さんも、海崎君も、見ていられないぐらい酷かったね・・・でも・・・」
正義もまた、真剣な表情で愛を見返す。
「俺は全部、目を逸らさず見届けるよ。そして『撮影者』に言ってやる。こんな愛は、もう今は居ないんだって!」
「正義君・・・!」
「前の2人は、今に関わる事をしたり、今もずっと中学の頃と同じ事を繰り返していた事が問題だったんだ。8年も一つの愛に捧げた愛は、もうあの頃と違う。俺が保証する!恐れる事なんて何も無いんだ!所詮過去は過去、今とは関係無い!」
「・・・ありがとう、正義君・・・!」
愛は大粒の涙を流しながらも、満面の綺麗な笑顔で正義に抱き着いた。
3日後、動画投稿当夜
正義はしっかり動画と向き合うため、本来休むのが難しい所を、無理を言って有休を取らせて貰い自宅に居る。
妻と共に、暗い過去と向き合い、今はもう関係無いと決別するために。
「始まった・・・!」
動画投稿時間になると共に、早速再生を開始する。
『好きです!付き合ってください!』
『え・・・あたしと?良いの?あたしで・・・』
『良いも何も、君が良いんだ!』
『・・・はい!よろしくお願いします!』
最初の告白は、初々しい様子でスタートした。
しかし初めての彼氏は恋愛初心者で、愛に気を遣わない行動が多過ぎて、愛の不快感を募らせていった。
『ごめんなさ、無理。別れましょ』
『え!?どうして・・・』
『告白したら、もうあたしをゲットした気になってんの?所有物みたいに扱ってんじゃないわよ!』
『そんなつもりは・・・』
『女の子に気を遣えないとかあり得ない!サイッテー!!』
『ま、待って・・・』
パァン!
『・・・ふん!』
見事な紅葉を相手の頬に彩らせ、3回目のデートで最初の恋はあっけなく終わった・・・
「ま、まぁ・・・これは彼が悪いよ。恋人なんだから、特別扱いされたいものだし」
「うん。最初の恋愛でこれだったから、少しずつ男に期待が出来なくなっちゃったんだよね・・・」
そんな彼女の言葉通り、8人、9人とプロポーズの回数を増す毎に、だんだん愛の男子の扱い方が雑になっていく。
『運動でかいた汗のにおいが酷い!時間を守らない!ヘアアレンジに気付かない!気の利いたプレゼントも無い!恥ずかしいぐらいでスイパラに一緒に来てくれない!あたしが居ながら他の女にも色目を使う!ets!ets!ets!!ets!!!
それでどうしてあたしと付き合ってるつもりなの!?』
『おいおい、勘弁してくれ!注文が多過ぎるだろ!!』
『文句があるなら別れましょ。あんたみたいな恋愛劣等種なんかの彼女なんか名乗りたくない!!』
『そんな・・・』
『あんた如きより良い男なんてね・・・履いて捨てる程居るのよ!!』
『んだとこのアマ・・・下手に出りゃ良い気になりやがって・・・!』
『はぁ・・・面倒臭・・・』
そう言って愛は、制服を少し破り、肌を露出させた。
『きゃあああああぁぁぁぁぁぁっ!!!』
『え!?なっ!おい!?』
『何だ何だ!?』
『あれって愛ちゃんの声じゃ・・・』
『っ・・・くそっ・・・!』
『あ、愛ちゃん!?』
『一体どうしたの!?』
『ぐすっ・・・顔は分からなかったけど、誰かに襲われかけて・・・』
『顔が分からないって・・・あの後ろ姿、A組の充だろ?』
『彼氏だからって庇う必要無いって!何やっても良いって訳じゃないんだから!』
『とにかく先生に言いに行こうぜ!』
『あのクズ・・・愛ちゃんの彼氏になれて調子に乗りやがって・・・!』
「・・・お、おいおい・・・明確に彼氏にやられたとは言ってないけど、完全に狙ってやったよな?これ・・・」
「う、うん・・・」
「ここまでやるだなんて・・・その後彼はどうなった?」
「学校に居づらくなって、高校受験前に転校を・・・」
「そうか・・・」
「っ・・・!」
愛は目を瞑って、正義からの言葉を待つ。
「・・・今度、ちゃんと謝りに行こうな。誠心誠意、心を込めて」
「・・・正義君・・・」
「俺も一緒に行くけど、会うのは2人でだ。その時は、こんな真似するんじゃないぞ?」
「うん・・・うん・・・!」
ここまでの醜悪な行動でも見捨てない夫に、愛は大粒の涙を流しながら感謝した。
「・・・で、中学時代の恋愛遍歴はここまでなのか?」
「うん、彼が最後・・・え、『中学時代』は?」
直後の言葉を聞いて、愛の涙が引っ込んだ。
「うん、だって・・・」
正義はスマホの画面を愛に向ける。
「動画のシークバー・・・まだ3分の1を過ぎたぐらいだよ」
「・・・・・・え・・・・・・!?」
愛は、そうなっている意味が分からないと、呆けた表情をする。
「俺と出会ったの、君が大学一年の時だよな?高校時代は、中学の時の倍の恋愛遍歴があるって事か。本当に、俺と出会うまでに一体何人と付き合っていたのやら・・・」
「まぁ、そうだけど・・・・・・」
愛は言葉を返しながら、内心冷や汗を搔き始める。
(どういう事・・・!?動画は『中学生の頃の内容しか無い』んじゃないの!?)
何か大きな思い違いをしていたのではないかと、徐々に冷や汗が肌の表面に滲み始める。
正義の予想した通り、続いて高校時代の恋愛遍歴が流れ始める。さっきまでとは裏腹に、軽快なラブソングが流れ実際の音声は抜かれている。プロポーズと別れのシーンのみを抜粋して編集してあり、まだ動画は半分を過ぎた辺りなのにあっという間に3回も四季が過ぎた。
「え・・・もう、大学一年に差し掛かるぞ?後は俺との内容しか無いんじゃ・・・」
「あ、あの!お、お茶入れて来てくれない?」
「? ど、どうしたんだ急に?」
「あ、あたし喉乾いちゃって・・・」
「・・・愛」
「はいっ!」
「・・・やましい事があるのか?」
「っ・・・!!?」
正義の言葉はまだわずかに優しさを帯びているが、さっきまでと打って変わって冷たさを感じる。
『映画研究会です!一緒に面白い物語を作り上げませんかー?』
「あぁ、俺だ・・・そうだ、新入生勧誘時に、君が映研に興味を持ったから知り合ったんだったね・・・」
「う・・・うん・・・・・・」
愛の言葉は消え入りそうな程小さい一方、彼女の鼓動はバクンバクンと大音響を放っている・・・
正義が抱き始めた嫌な予感は―――的中した
大学生の正義のプロポーズを受けたシーンの、僅か数秒後だった。
『よぉ!待った~?』
『間君!ううん、今来た所~』
『おいおい、名字なんて余所余所しい・・・健司って気軽に呼んでくれよ』
まるで初デートのような大学構内での逢瀬が映される。
―――既に正義との付き合いが始まっているにも拘らず
『正義君今、レポートの締め切り目前で・・・あたしより難しい内容だからまとめるの時間掛かっちゃって・・・』
『ま~ったく・・・こんないい女ほっぽって勉強とか、真面目だね~』
そう言いながら、間は愛と熱い口づけを交わす。
『いっその事・・・俺に乗り換えちゃう?』
『う~ん・・・考えとこっかな~』
間は、愛が既に正義と付き合っている事を知った上でこんな振る舞いをしている。それに対し愛は、拒絶するどころか満更でもない態度を示した。
「ふ~ん・・・考えてたんだ・・・・・・」
現在の正義の声から、どんどん優しさが失われていく・・・
「い、いや、それは・・・まだあたしの心が正義君一筋になり切れずに揺らいでいた頃で・・・」
「そう。まぁそれなら俺も納得出来るよ」
「そ、そう!ありがとう正義く・・・」
「そんな期間が・・・大学4年間ずーっと続いていなければね・・・」
またも恋愛遍歴のダイジェストが始まり、四季は巡るものの正義以外のとっかえひっかえは途切れない。
動画が、正義と付き合い始めてからも3~40人近くの男性との関係を持っていた事を容赦なく『公開』する。
そして動画内の時は流れ、結婚して主婦になる前の愛が務めていた会社での社内恋愛に進む。正義は今も務める別会社で、多少遠距離恋愛にはなっていたが交際は続いていた。
にも関わらず動画の中の愛は、最早他の男とも社内恋愛しているのが当たり前の光景になっていた。むしろ明らかに会社員じゃない容姿の人間との私服デートまで混ざっている。
「まさ・・・し・・・く・・・・・・」
最早普段の優しさなど欠片も残っていない、動画に食い入る正義の無表情の横顔は、声すら掛けられない程に怒気を帯びていた・・・
そして―――決定的な瞬間が訪れる
「なぁ、これ・・・」
突然正義が動画を一時停止した。内容は、相変わらず社内恋愛だ。
街のどこかを、愛が同僚と腕を組みながら歩いている。
「ど、どうしたの?正義君?」
「このコンビニだよ」
正義は愛と不倫相手に目もくれず、背景に注目した。
「俺の記憶が正しければ、確か前は別のコンビニだったよな?・・・今の動画のコンビニになったのって6年前じゃなかったか?」
「そ、そ、そうだっけ?」
「そのはずだよ、少なくとも―――」
―――このコンビニが前の店から変わったのって、俺と結婚した後だよな?
そこから更に2,3人とデートをしては別れたシーンを経て、動画は終了した。
部屋は完全に冷え切っていた。先に寝かしつけた勇気が居たら、あまりの険悪な空気を感じ取り泣き出してしまっただろう。
真っ直ぐ向き合うと言っていた正義の決意も、あまりに醜悪な内容によって粉々に砕け散った。
「何?つまりこれって、浮気を通り越して不倫してたって事?俺と結婚してからも?勇気を身籠って、会社を辞めた後も?」
「コ、コンビニの件は、正義君の勘違いじゃ・・・」
「俺が信用出来ない?」
「そ、そんな事・・・」
「俺は出来ない。なぁ、どの辺が中学から変わったんだ?なぁ、言って見ろよ!?」
「ひっ・・・!」
正義は怒りに震える。一途な恋など聞いて呆れる愛の軽薄な行動に、正義の愛の熱は完全に冷え切っていた。
怒りの理由はそれだけじゃない。とある理由で『どうせ中学の内容しか撮影されていない』と高を括った愛に、高校以降の恋愛遍歴を隠されていた事がより腹立たしかった。
―――自分なんかいくらでも騙くらかせると、舐め腐っていたと分かったからだ。
「・・・なぁ、最後に一つ聞かせてくれ・・・」
「な・・・何?」
正義の問いかけに、愛は恐る恐る返事をする。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「・・・いや、やっぱ良い。どうせ正直に言わないだろ、君」
「そ、そんな事!何が聞きたいの?もう今更隠す事なんて・・・」
「もう良い」
縋りつく愛を、容赦なく引き剥がす。
「君にとって俺との結婚生活は、何の価値も無かったという事は充分分かった」
「違う!そんな事無い!待って、待って正義君!!」
ガチャッ
正義は容赦なく、夫婦の寝室の鍵を掛けて愛を閉め出した
「ねぇ、ママ・・・パパ、ずっと笑わないんだけど、どうして?」
「パ、パパね・・・今、お仕事がとっても大変な時期なんだって。だから、とってもピリピリしていて・・・」
「お仕事が終われば、元に戻る?」
「も、もちろん!」
「・・・行って来る」
「あ、うん。いってらっしゃい」
「・・・・・・」
愛の見送りに、正義は返事をしないどころか顔も向けない。
「ちょっと、動画見た奥さん?」
「えぇ!そらもうビックリよ!あのおしどり夫婦の鹿庭さんの奥さんが、あ~んな尻軽女だっただなんて!」
「尻軽って言葉で済む?あんなの色情魔、娼婦よ!!」
「あの旦那さんの冷え切った様子だと、結婚してからの分もあったんじゃない?」
「何それ!正義君可哀想じゃない!」
「あんな出来た旦那さん他に居ないってのに、何の不満があったってんだいあの娘?」
「違うよ、ありゃ火遊びが楽しいってタイプだよ。結婚してるとか関係無いんだ」
「息子さんが生まれた後も、ほったらかしてどこぞの男と遊びに行ってたかもしれないって事?」
「いや、さすがにそりゃないだろ!」
「でもねぇ・・・世の中にはパチンコに遊びに行って、車に置いてけぼりにして子供を死なせる親も居るからねぇ・・・」
「理由が不倫だったら、パチンコの比じゃないだろ!母親名乗る資格無いよ!!」
「というか―――」
(っ~~~~~~!!)
近所の人々の蔑むような視線も甘んじて受け入れるつもりだったが、愛にはとても耐え切れなかった。
「ぐすっ・・・ひくっ・・・」
「ど、どうしたの!?傷だらけじゃない!」
夕方、帰って来た息子の惨状に愛は愕然とする。
「今日、学校に行ったら・・・お前のママはしょーふだって・・・最低な女だって皆が・・・そんな奴の子供、友達じゃない・・・気持ち悪いって・・・」
「っ・・・・・・」
愛は思わず勇気を抱き寄せる。
「勇気!無理に学校行かなくて良いからね!」
「でも・・・」
「またいじめられるだけだから!痛い思いしたくないでしょ?」
「うん・・・・・・」
愛は息子を強く抱きしめる。これ以上、何も失わないように・・・
(馬鹿だあたし・・・自分や子供がいじめられる側になって、ようやくどれ程酷い事をして来たか分かるなんて・・・!)
彼女は、中学時代に嘲り続けた果てに死んだ同級生を思い出す。
どの面下げて彼女を見下せたのか、今の自分には全く理解出来なかった。
(自業自得なんだ・・・全部全部、受け入れて前に進まなきゃ・・・!)
彼女は甘んじて現状を受け入れる覚悟を固める。
勇気は通信教育による自宅学習に切り替えるしかないと考える。あの動画は世界中に配信された。どこに引っ越しても同じようにいじめられるだけだ。
自分のやって来た事の愚かさを呪い、自分のせいで悲惨な立場に追い込まれた息子を必死に守ろうと歯を食いしばる。それが自分の償いだと信じて。
とうの昔に手遅れだったとも知らずに―――
翌日曜日
「・・・あれ、正義君?帰ってないの?」
最早正義にとっては寝食のためだけに帰る場所となった家で、いつも通りの朝を迎える。彼の休日は不定期なので、愛もそれに合わせて早起きする。
―――しかし関係が冷え切って寝床も寝室とリビングに分かれてからも起床時間はほぼ同じだったのに、今日は朝食が出来上がっても正義が姿を見せない。
「・・・あれ?何これ?」
起床と同時に洗面所を経由してキッチンに向かったため、料理を運ぶ段階になって、ようやく机の上に数枚の紙が置かれているのに気付く。
「・・・・・・え!?」
愛は全てが終わったような表情で、一番上の紙を食い入るように見る。
―――夫の分の記入欄は既に埋まった、離婚届だ。
(・・・ふふ・・・そうだよね・・・やっぱり無理だって思われちゃったか・・・)
この結果も、愛は受け入れる。夫婦の絆を自ら裏切った自業自得なのだから、愛に文句を言う資格はない。
ただ、1つ疑問があった。
(・・・どうして、一週間経ってから急に・・・)
会社に何かあったのか確認を取りたかったが、ボタンを押す手が進まない。何を言われるか分かった物ではないからだ。
(そういえば、離婚届以外にも何か・・・書き置き?)
愛は2枚目の紙に目を通す。何かの報告書だ。
「・・・・・・は・・・?」
そこに書かれていた内容に、愛は目を剥く。
『鹿庭 正義 様
サンプルA
提供頂いたサンプルから両者のDNAを比較照合した結果
両者の血縁関係は確認出来ませんでした。』
「サンプルAって、まさかこれ・・・」
正義との血縁関係を調べる必要がある人間など、1人しか居ない。
愛は、最後の3枚目―――本命の書置きに目を通す。
『不倫相手と拵えた子を俺の子だと偽るクズを養う義理も
俺以外の誰かとの間に出来た赤の他人を育てる義理も
俺には無い
正義』
「嘘だ・・・・・・嘘だあああああぁぁぁぁぁっ!!!」
愛は頭を抱えてうずくまる。同じポーズで遮断したはずの、月曜日に聞いた近所の噂話が蘇る。
『理由が不倫だったら、パチンコの比じゃないだろ!母親名乗る資格無いよ!!』
『というか―――』
―――あの子本当に、正義君との間の子なのかい?
「違う・・・そんなはずない・・・勇気は・・・正義君との子に決まってる・・・違う・・・違うの・・・」
愛はそう自己暗示のように呟き始めるが、事実は変わらない。
あの動画には映されていなかったが―――
―――DMA鑑定で夫と息子の血縁関係が否定されている以上・・・『心当たり』が無いなど、ほぼあり得ないのだ。
「何でこんな事に・・・これからも・・・これからも、幸せに暮らしていけるはずだったのに・・・」
自己暗示が無意味だと気付き始めると、今度は虚ろな目で自問自答し始める。
「あいつだ・・・全部、あのクズのせいだ・・・・・・」
「お疲れ様―!」
「お疲れ様でーす!」
「失礼しまーす!」
原稿が上がり、仕事場から自宅に帰る。早く自宅兼職場に出来るぐらい広いマンションに移れるぐらい売れたいものだ。まぁ、じっくり確実に面白い話を描かないとね。
「・・・ん?」
夜道を歩いていると、ふと足が止まる。
僕が曲がろうとした十字路の先から、誰かが待ち構えているように影が伸びる。
(何だ?変質者?それとも悪質なストー・・・)
思考を回すのも、そこまでだった
「うあああああああああああっ!!!」
「なっ!!?」
ガンッ!
足音が止まった事で気付かれた事に気付いたのか、影の主は雄叫びを上げて躍り出て来た。思わず後ろに下がる。僕が居た場所に、鉄パイプが振り下ろされていた。
「か・・・鹿島さん!?」
「その名で呼ぶな真壁えええぇぇぇっ!!!」
「うわっ!?」
鹿島さんは更に僕を狙って鉄パイプを振り抜いて来る。全く躊躇が無い。本気で僕を殺す気か!?
「あんたのせいで、もう鹿島じゃなくなったわよ!正義君、あたしと勇気を置いて出て行ったんだから!!」
それは無理も無い。下手をすれば結婚してからも続いていたと思われる、あんな大長編の恋愛遍歴を見せられたら、100年の恋も冷める。
だけど、問題は・・・
「そ、それがどうして僕のせいなんだ!」
「とぼけるんじゃないわよ!あんたでしょ、『撮影者』は!!」
「はぁ!?どうしてそんな結論が出たの!?」
「ふざけんな!どう考えたってあんたと菜々、海崎の動画は、中学時代に英理が隠し撮りしやがったビデオだろ!少なくともそう思ってた!でも高校以降の動画は、既におっ死んだ英理には絶対撮れない!英理の遺志を継いであたし達の秘密を付け狙っていたヤツが居る!じゃあそれは誰か?」
声を荒げながら、更に一振り入れて来る。
「英理と同じいじめの被害者で、1人だけ『公開』処刑で何の実害も無かった、あんた以外に誰が居るんだよ!!!」
「っ・・・!!!」
彼女の論理に納得が行く。誰かが庄司さんの復讐で『公開』処刑をしていると考えると、特に疑わしいのは客観的に見ても確かに僕だ。自分の番が真っ先に終わった事で完全に油断してた。どうして今まで気付かなかったんだ!?
無論、断じて僕じゃない!それに僕に実害が無かったのだって、たまたまBL漫画家になっていたからであって、100%無害な内容じゃなかった!!
「あんたが!あんたがあんな動画を隠し撮りして公開しなければ、これからも3人仲良く幸せに暮らせたんだ!!人の幸せぶっ潰すのが、そんなに楽しいか!!!」
「ふざけるな!何が幸せだ!本当にそう思っていたのなら、どうして延々と浮気を繰り返していたんだ!?」
「正義君は最高よ!この世に彼以上に素敵な旦那様は居ない!容姿にも素行にも文句なんてある訳無い!だけど・・・たった一つだけ不満があった・・・」
鹿島・・・いや、友杉さんは涙を浮かべて続ける。
「毎日毎日仕事仕事仕事!夜遅くに帰って朝早くに出社して、家に居る時間も僅か!大学時代からデートなんかしてる時間もロクに無い!寂しいの!足りないの!!彼だけじゃ全然愛を育む時間がないのぉ!!!」
「だったらそれを、どうして旦那さんに正直に言わなかったんだ!」
「だって彼が好きなんだもん!将来家庭を持つために必死に勉強して、一生懸命あたしと勇気のために働いている彼に、『寂しいから仕事変えて一緒の時間増やして』なんてわがまま、言えなかったんだもん!!本気で愛していたから!!!」
「本気で!?どこがだよ!?」
「証拠だってあるよ!他の男とは半年すら続かなかったけど、あたしは付き合い始めてから正義君と別れたいだなんて思った事、一度も無いんだもん!正義君『には』一途な愛を抱いてるって証拠でしょ?」
「そんな君の中でしか通らない理屈、通用すると思ってるのか!」
何とか隙を見て、振り下ろされた鉄パイプを足で抑える。
「君だって隠してたって事は分かってたんだろ?その気持ちを正直に言った所で、嫌われるだけだって。少なくとも彼から見れば間違ってるって分かってたんだろ!?本気で彼を思うなら、そんな君なんかに縛り付けない方が良かったんじゃないのか!?今回みたいに全てバレた時に、傷付けるだけなんだから!!」
「う、うるさい!うるさい!!」
「そうしなかったって事は・・・こんな事でも無ければ一生隠し通せると思っていたって事だ。裏切りだって分かっていて裏切り続けていたって事は、君は彼を裏切る行為自体は、しても平気だったって事だ!それで『一途な愛』とか笑わせるな!!」
「止めろ、止めろ!止めろおおおぉぉぉ!!!」
ついに鉄パイプから手を放して耳を塞ぐ。だけど僕は、目を背けさせる気は無い。
「結局君は今も昔も、恋に恋していただけだ。『一途に』愛していたのは旦那さんでも、あの動画に出て来たどの男でもない。有象無象の男達にチヤホヤされる、自分自身だろ!」
「あ・・・うあ・・・あ・・・あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ!!!」
ついに泣きじゃくり始める。この世の終わりのように。
だけど彼女に、同情なんて出来やしない。
「何泣いてんだよ・・・そんなに自分が可哀想か?自業自得の癖に・・・」
「もう・・・もう、止めて・・・」
「君に泣く資格があるのかよ?一番泣きたいのは君じゃないだろ!?」
「え・・・」
「一番辛くて泣きたいのは・・・君の愚かな行為で父親を失い、自分自身も難しい立場に追い込まれた、君の息子じゃないのか!?」
「あ・・・・・・」
夫が出て行ったショックと『撮影者』への怒りで、息子に気が回らなかったのか・・・
「勇気・・・勇気・・・勇気・・・!」
譫言のように息子の名前と思われる言葉を繰り返し、友杉さんは去って行った。
(殺そうとして来て謝罪も無しか・・・弁明はしなかったけど、未だに僕を『撮影者』だと疑ってるのかな?)
一時の感情に振り回されてばかりで、視野狭窄過ぎる・・・というより、自分の行動で他人がどうなろうが知ったこっちゃない・・・以上に、気に掛けた事なんか一度も無いんだろう。だから平気で浮気を繰り返せる神経をしてるんだし・・・
取り合えず、今回は通報を控えておこうと思う。海崎君と違って完全に殺しにかかられたけど、不問とする事にした。
もちろん彼女のためじゃない。父が出て行った上に母まで犯罪者としてしょっ引かれたら、息子さんが精神的な観点も含めて、どう生きていきばいいか分からなくなるからだ。多分、10歳にも満たない子だろうし。
(本気で息子さんを思うなら、旦那さん同様彼女から引き離すべきだけど・・・それを判断するのは僕じゃなくて、彼女の家族だろう。亡くなってなければ、近々会いに来るだろうし)
とはいえ動画が配信されてから、一週間は経っているけど・・・
「・・・家に着く頃には、次の動画の配信時間か・・・」
改めて帰路を行く最中、友杉さんの言葉が頭を過ぎる。
『英理の遺志を継いであたし達の秘密を付け狙っていたヤツが居る!じゃあそれは誰か?
英理と同じいじめの被害者で、1人だけ『公開』処刑で何の実害も無かった、あんた以外に誰が居るんだよ!!!』
(僕が実害を被らなかったのは、被害が出ずに済む生き方をしたからだ。ただし、そうなったのは・・・・・・)
―――もし私が死んだら、『絶対に』漫画家の夢を叶えてね
(中学時代に撮影されたあの動画を見たのなら、彼女は『知っていた』事になる)
友杉さんの言う通り、彼女の遺志を継いだ『誰か』は居るのだろう。
だけどやっぱり、主犯たる『撮影者』は彼女―――庄司英理を置いて他に居ないはずだ。
(やっと、あの時言った言葉の意味が分かった。『公開』処刑を実行する際、唯一の同じ被害者だった僕に、出来るだけ被害を及ぼさないためだ)
僕だけ標的にしないという選択肢は無いだろう。今回の友杉さん以上に真っ先に疑われかねないからだ。複数人がそう思ったなら、中学時代の比じゃない地獄に引きずり込まれる。
(・・・ただ、それでも僕を疑う人は今後も現れるかもしれない。僕に何の実害も無かった結果への不公平感を含めて)
完全な実害ゼロなんて、無理だったって事だ。動画そのものが罪を暴くだけでなく、動画をきっかけに被害を被るパターンまでは考慮されてなかったんだろうか?
(とにかく・・・こうなると僕も、『公開』処刑を止めるために動いた方が良いのかな・・・?)
『公開』処刑・・・僕に被害を及ぼさないための誘導・・・
庄司さんは、あの儚げな笑顔の裏で・・・既に『公開』処刑による復讐計画を立案・準備していたというのか・・・
(多分・・・『公開』処刑を止めるために、今後はもっと大勢のクラスメイトが本格的に動き出すだろう。なぜなら今回の友杉さんの動画で、中学時代だけじゃない、より『今』と密接に繋がりやすい大人になってからの罪を『公開』処刑される可能性が提示されたんだから・・・!)
中学時代はそこまで大それたことなどしていないと高を括る事が、もう出来ないんだ。
「・・・確か旦那さん、出て行ったって言ったよね・・・それに今日は日曜日・・・」
ふと、友杉さんの事を考えて気付いた事がある。
「じゃあ友杉さん・・・僕を襲いに来ている間、息子は1人で家に置いて来たの?」
(勇気・・・勇気・・・勇気・・・!)
友杉は全力疾走で家への帰路を迫る。どうして忘れていたんだと、自分が信じられなかった。
最愛の息子は絶対に守る。そう決心したはずだったのに―――
「勇気!」
家に着く頃には、既に日付が変わっていた。友杉は玄関の扉を勢い良く開ける。
「ごめんね勇気!急に朝から家を空けちゃって・・・ちゃんとご飯食べれた?」
無理矢理で引き攣りながらも笑顔を作り、勇気を迎え入れようとする。
しかし―――勇気は家の中のどこにも居なかった
「どこかに・・・遊びに行ったの?こんな夜遅くまで?そもそも今の勇気に、遊びに行ける場所なんて・・・あら?」
ふとリビングの机に目をやると、紙が一枚増えている事に気付く。
正義が書いた物と同じ手書きの書置きだが、勇気の歳ではまず習わない漢字も大量に使われているので、勇気が書いた物ではないとすぐ分かる。では、誰の書置きかというと・・・
「これ・・・父さんの字・・・?」
慌てて友杉は、父親の書置きを読み始める。
『心細いと勇気に呼ばれ、田舎から急いで出て来た。近所の人の話で、巣立ったお前が世間で何をしていたか聞いた。
昔から気が多い娘だったが、正義君のお陰でやっと落ち着いたと思ったのに・・・
お前は大人になってもあんな恥知らずな事を繰り返しておいて、その上で息子を置いてどこへ行ったんだ!?
勇気は、俺と母さんとで、隠居で引っ込んだ母さんの田舎に連れて帰る。勇気にある程度事情を話したら、自分から申し出た。もうお前と一緒に居たくないそうだ。
お前は来るな!敷居を跨ぐ事など許さん!
お前のような浅薄な女、母を名乗る資格も娘を名乗る資格も無い!
好きなだけ男を引っ掛けて生きて行けば良い。出来るものならな』
「あ・・・あ・・・・・・」
筆が進むにつれどんどん線が太くなり字が崩れていく父親の書置きを読み、友杉はあらゆる気力が身体から抜けて行った・・・
それは、手書きとはいえ完全なる絶縁状だった。
彼女は今までプロポーズを受けては長続きせず捨てて来た男達のように、自分自身が捨てられたのだ。
息子にも、両親にも。
身勝手な愛に溺れ、裏切りを繰り返した愚かな女は、ついにこの世の誰からも愛想を尽かされたのだ・・・
恋愛遍歴は既に全世界に出回っている。友杉の両親ように動画を見ていなかった人間は知らないだろうが、その周りの人間も知らないとは限らない。平気で浮気をすると分かっていて一緒になろうと思ってくれる奇特な男など、早々居ない。
「どうすれば良いの・・・あたし、これからどうやって生きていけば良いの・・・・・・」
どんないじめも嘲りも、飲み込んで生きていくつもりだった。
しかし―――そんな地獄を行く支えが失われたのだ
「もう、ダメ・・・あたし1人で、生きてなんか・・・・・・」
よろよろと最後の力を振り絞り、浴室を目指したその時だった
「あらあら、お可哀想に・・・すっかりみすぼらしい姿になり果ててしまって・・・」
「っ・・・!?」
誰も居ないはずの家の中に、他の人の声が響く。友杉は玄関の鍵を開けっぱなしにしていた事に気付いた。
「・・・・・・野風ちゃん?」
いつの間にか背後に立っていたのは、同窓会で再会したクラスメイトの一人だった。
ブランド物のコートに身を包み、長い髪を複雑に結い上げた、妖艶な雰囲気を醸し出す女性だ。
「良いじゃない、浅薄な恋でも。それがあなたなのだから。ただあなたに、結婚生活が合わなかっただけ。自分の事がちゃあんと分かっていなかったってだけよ」
「でも・・・でも・・・・・・」
「どうせ今後の食い扶持のアテも無いんでしょう?ウチに来なさいな」
「え・・・?」
「言ってなかったかしら?あたくし今、ちょっとしたバーを経営していますの。男性のお客様に一夜の夢を楽しんで頂く職業・・・あなたにピッタリではなくって?」
「そ、それって要するに・・・キャバ」
「ほらほら。あなた顔色悪いけど、ちゃんと食べてたの?コンビニの肉まんでも良いかしら?」
そう矢継ぎ早に言葉を繰り出す野風は、懐から1つの肉まんを取り出す。まだ温かく、微かに湯気が出ている。
「ほら。食べなさいな」
野風は綺麗に半分に割ると、片方を友杉に差し出した。
一瞬ためらったが、真壁を狙い職場を探し回り、取り逃がさないよう一時も目を離さず張り込んでいた友杉は何も食べていなかったため、空腹と食欲をそそる匂いに耐え切れず頬張った。
「あむ・・・んむ・・・・・・」
冬に入ったばかりの寒さと全ての家族に見放された空虚で身も心も冷え切っていた友杉にとって、温かい肉まんはこれ以上無いぬくもりだった。
「あっだかい・・・あっだかいよぉ・・・・・・」
年端も行かない子供のように、恥も外聞も無く泣きじゃくった。
―――『タイミング良く』現れた野風と、『都合良く』温かい肉まんに、何の疑問も抱かずに・・・
半日前―――
『あら、そのお宅に何か御用なのですか?』
『あぁ、ウチの孫が呼んでまして・・・何でも父さんも母さんも居ないって・・・』
『まぁ。あんな事があれば無理もありませんわね・・・』
『え・・・何かあったんですか?』
『あら、ご存じ無いんですの?世界中の方が知ってますわよ』
『は・・・?世界中の人が?』
『もしかして・・・『この動画』、まだ見てないんですの?』
(あの時、彼女の家と両親の前を通りかかったのは偶然だったけど・・・『こんな母親、息子さんに悪影響だ』って親切に教えてあげただけで、こ~んな友杉さんが見れるなんて!)
肉まんの温かさ如きに酔いしれる友杉は、野風から見れば滑稽で惨めでしかない。
そんな友杉を眺める野風の目じりが垂れ下がり口角が吊り上がり―――妖艶さどころか不気味さしか感じない笑顔を浮かべる。
(この子、手元に飼っておけば『今後』良いように使えそうですわ)
野風の胸中には、悍ましい野望の火が燃え盛っていた・・・!
(『公開』処刑!何をバラされても痛くも痒くもない者から見れば、なんて愉快なエンターテイメントなのでしょう!!しかもあたくしが座っているのは、演出にも携われるこれ以上無い特等席!!!
どうせ堕ちるなら徹底的に―――二度と這い上がれないどん底まで堕ちるのを見たいわ♪・・・彼女みたいに、ね)
出席番号26 狩谷 野風
職業:ナイトクラブ『アングイス』オーナー