第97話 帰郷、魔窟に入る
五人がレサクムを発ち早一日、故郷リークまではあと僅かという所。
道中の馬車ではフィオンとヴィッキーによる質問攻めが行われ、馭者のクライグは常にそれらに答えていた。丸一日以上続いていたが成果は存外に少なく、得られた情報は片手で数えられる程度だった。
「当たり前っちゃあ当たり前だけど……何も知らされてないんだね。まぁ、あたしが誰かを使うとしても、余計な知恵を渡しゃしないか……」
何故エルフや異形の魔獣に近付いた者を王は警戒視しているのか、何故アメリアは見過ごされているのか。クライグはそれらに関し何も情報を持っていなかった。
無論、クライグが未だ秘密を隠しているという可能性も無いでは無いが、誰もそれを疑う者はいない。
ヴィッキーの溜め息にクライグは申し訳無さそうに、しかし昨夜の事はもう引き摺らず、抗議と共に声を返す。
「こっちはいつ殺されるかってずっとビクビクしてたんだ、深入りなんて出来っこないって。実家に帰る時だって申請書はまともに書けなくて……ベルナルドさんは知らない様だったけど、無駄にどやされちまったよ」
フィオンやクライグの事に関して、軍や国の内部でどの程度まで共有されているのか定かでは無い。話を総合すると王を含めて極少数だとは思われるが、各地の候や伯が把握しているかは不透明。
クライグが言うには、エクセター候レーミスは自身を避けていた様にも感じられていたと言い、フィオン達としてはイーヴァンやベドウィルにその様な気配は感じ取れなかった。
「俺を放置してたのも今一解んねえし……でもって首突っ込んだら即監視とか……一体何考えてんだか。……まぁジジイに会って話を聞ければ、少しは解るかもしんねえな」
クライグにフィオンの監視命令が発せられたのは、彼が傭兵として戦争参加が決定してからの事。それまではモードレッドの件も伏され、完全に放置されていた。
クライグの様な密偵が他にいるのかも定かでは無く、これ以上異形の魔獣やエルフを探ろうとすれば王を敵に回す事になり、いよいよ身の危険が高くなる。
だが今更降りようという者は、一人もいない。
「敵の内情に通じているかもしれないのであれば、リーク行きも丸っきり貴方の個人的な事、とはいきませんね。私も歴史や物語には興味が有ります。純粋に知識欲としてもお話を窺いたいものです」
まだ正式とは言い難いが、意中の相手と恋仲になれたシャルミラは機嫌の良さを隠せていない。お相手は質問攻めに少々疲弊しているが、それは必要経費として看過されている。
王を裏切った事になるクライグは降りる降りないというより選択肢は無く、それに付いて行くシャルミラにも答えは一択。
元々ロンメルの為に動いていたフィオン達も、この程度で逃げ出す潔さは持ち合わせておらず、今やフィオンとしては自分自身に根深い問題にもなっている。
「見えてきたけど……あれが、リーク? ……なんていうかその……素朴、だね? 私はああいうのも嫌いじゃ無いけど…………アスローンの方が好き、かな?」
「取り繕うなら最後までフォローしろっての、余計惨めになんだろが。厩舎とかあったかな、そもそも記憶が曖昧だが……まぁ一先ずは家の前に止めとけば良いか、誰も文句言わねえし盗む奴もいねえだろ」
幌から顔を出したアメリアが見やるのは、素朴と言うよりは閑散とした田舎村、フィオンとクライグの故郷リーク。土固めの街道を辿り、城壁も柵も無く、番兵もいない村へと馬車を進める。
緑豊かとも商工業が活発とも言い難く、ブリタニアのほぼ中央に在りながら主要な街道からも見離された寒村。人が皆無とは言わないが、寂れた道を行く者は少数であり、良く言えば純朴な、悪く言えば土臭い者ばかり。
クライグは案内も無くスプマドールを、とある一軒家の前に進める。
年季の入った二階建ての木造家屋、所々に素人仕事の補修が有り、玄関の脇には鉢に幾つかの花が、控え目ながらに彩を与えている。
意を決しフィオンは馬車から降りようとするが、その前に一つ気に掛ける。
「よし、ほんじゃいっちょ……って、その格好なら別にいいか」
「言われるまでも無いよ、目立つ訳にはいかないし脅かしたくもないからね。これなら問題無いだろ」
ヴィッキーはダークエルフ達から買い取った紺の服を着ているが、右腕の魔道の義手は屈強に過ぎ、女性用の衣服の袖には通らないので肩口から破いている。
そのままであれば余りに目立つ格好だが、今はその上から、茶色のゆったりとしたローブを纏っている。夏を目前にした今では少しばかり奇異ではあるが、そこまで目を引く程ではない。
フィオンは自身の生家のドアを叩く。一先ずノックのみで中からの反応を待ち、直ぐに聞こえてくるのは、彼に聞き覚えのある女性の声。
「……はーい、どなたですか? 今は手が離せないんですけど……」
「っ…………ぁー……母ちゃん? フィオンだけど、ちょっと帰って来――!?」
外開きのドアが勢い良く開かれ、同時に一人の女性が飛び出して来る。
そのまま真正面にいたフィオンを、抱きしめると言うよりは捕まえる勢いで、両手でガッシリと掴み捕らえる。
「っちょ!? ッ……母ちゃん今はちょっと、ジジイに話があってだな後で……」
畑仕事で荒れた肌と女性にしては太い腕、僅かばかり白髪の混ざる茶色く長い髪。フィオンの母ソーニャは、七年振りの息子との再会を噛み締める。
年月のみではなく微かに届くものは彼女の心を毎度不安にさせ、便りを一通も寄越さない事は、最悪の予感を掻き立たせてしまっていた。
「……去年は冒険者になったって報せが来て、ついこないだは戦争に参加って……その後何も来ないもんだから、私は…………。手紙の一つも、送ってよ」
何も言い返す事は出来ず、フィオンは皆の前ではあるが気恥ずかしさを抑え、そのまま母が落ち着くのを待つ。四人も腰を折る事は無く、温かな笑みを浮かべそのまま静かに待った。
幸いソーニャは直ぐにフィオンの後ろ、アメリア達に気付き解放してくれた。安堵の詰まった涙はパッと拭い取り、家を預かる主婦としての顔を覗かせる。
「あらあらちょっとちょっと……美人さんばっかりで…………あら? そっちはもしかして、クライグ君かしら? 随分立派になっちゃって……」
「あ、ハハハハ……どうもお久しぶりです。フィオンにはいつも世話になってて、今日はちょっとこちらの――?」
バタンと、荒々しくドアが閉まる音とバタバタとした足音が二階から響く。
水を差されたソーニャはムッとしながら声を張り上げるが、フィオン達としては少しばかり助かる。本来の目的である情報を得る為にも、今は立ち止まっている暇は無い。
「お義父さん、フィオンが帰って来ましたよ!! ……ごめんなさいね騒がしくしちゃって、今お茶を淹れるから中で話しを」
「ぁー……母ちゃん、悪いんだけど…………ちょっと立て込んでてさ、用があるのはジイちゃんなんだ。……二階に上がるけど、ちょっと待っといてくれ」
息子の気配に、ソーニャは一瞬体を強張らせる。
フィオンはまだ平静を保ち感情を抑えているが、幾らか滲み出たものは隠し切れず、母だけはそれをつぶさに感じ取った。と言ってもそれが何なのかまでは理解出来ておらず、首を傾げてフィオン達を通す。
五人はソーニャに挨拶をしながら中へと入り、フィオンの後に続いて二階へと向かう。階段を上りながらシャルミラは眉を顰めるが、フィオンはそれに関して既に考えが整っていた。
「八十過ぎで二階とは……老人には厳しいのではないですか? 足腰や体力を考えれば一階の方が……」
「何でか譲ろうとはしなかった……老人扱いされるのを嫌がってんのかと思ったが今にして思えば…………ジイちゃん、いるんだろ? ちょっと話が……?」
古びた大きな木製の扉。フィオンは数回ノックするが、中からの反応は無い。
重々しい空気を纏うドアを、フィオンは身構えながらゆっくりと開く。
窓から差し込む光に照らされるのは、見渡す限りが本の山。四方の壁に並ぶのは古びた大きな本棚と、それと時を同じく刻んできた本の列。それ以外には円い机とベッドが一つずつ。埃と歴史の臭いを放つ書斎兼私室であった。
そして机の奥、部屋の最奥には一人の老人が立っていた。
「……ったく、取って食うつもりはねえよ。まあ話次第によっちゃあ」
「ッ……それ以上近付くなああ!! なんじゃ、今更になってわしを…………根絶やしに来おったか? 見せしめにでもするつもりかあ!?」
抜け散らかした頭髪と皺深い顔、フィオンと血の繋がりを示す青味を帯びた瞳。
フィオンの祖父は、自身の首に短剣を当て激している。理由の方にフィオン達は心当たりが無いでも無いが、それは勘違いだと教えようとする。
「おじいさん、俺達はちょっと話を聞きたいだけで……害意はこれっぽっちも」
「ぬけぬけと――ッ!? ク……クライグ、貴様がおると言う事は、やはりか……軍の犬っころめが! 何をしに来たと言うんじゃああ!?」
祖父はフィオン達を、軍の差し金だと誤解し連行でもされるのかと恐れている。
既に王側を裏切ってはいるが、一応はまだ軍属であるクライグは顔を苦くして引き下がる。自身が出て行っては逆効果になると。
フィオンに対しても戦争で軍功を得たと彼は勘違いしており、まともに話を聞ける精神状態には無い。
予想だにしないトラブルにフィオン達は部屋の外で頭を抱えるが、一人静かに灰の髪の淑女は対応する。その指に光る魔操具が、正に役立つ時であると。
「ど、どうするの? 下手に入って行ったらおじいさん……首を刺されたら私にもちょっと…………一旦出直す、しかないのかな?」
「落ち着いてアメリア、大丈夫。この場は任せて下さい、一応直ぐに動けるように準備だけ……おじいさん、今から私一人が入って行きます、武器は何も持っていません。手を上げたまま入ります」
シャルミラは一人、両手を上げたまま書斎へと入って行く。
老人は声を上げかけるが、その対応に調子を崩す。彼女の足取りはゆっくりと物腰は静かに、宣言通り丸腰でありそれで何が出来るのかと訝しむ。
そのまま数歩進んで部屋の中央、円い机を隔てて両者は向かい合い、眼鏡越しの紺の瞳に祖父は気圧される。
「ッ…………わしを、どうするつもりじゃ? お前も軍人か? ……説得でもするつもりかッ!? そんなものに屈する程わしは――」
「――えぇですから、まずはこちらの方を」
シャルミラの左手の水晶の指輪。その内の一つ、薬指のものが優しく緑の光を放つ。途端、室内には清涼な風が流れ、置かれている本はパラパラと頁を捲る。
その流れを一息吸ったものは皆心が安らぎ、老人は元よりフィオン達も気持ちに余裕が生まれる。以前に使ったものよりシャルミラへの負担も低く、軽くフラついた彼女はそのまま説得に入る。
「っ……おじいさん、私達は軍の手先ではありません。本気で襲うか攫おうとするのであれば、もっと奇襲的に大人数で押し掛けていると思いませんか?」
「…………ん、んむ……そうじゃ、な。……ではお主らは一体、何をしにここに来たんじゃ?」
シャルミラの薬指の魔操具の指輪。効果は周囲の者をリラックスさせる気体を発生させるものだが、室内でもなければ霧散してしまい効果が薄い。条件も限定され効果も補助的なものであるが、術者への負荷も弱く、今回の様な場合には有効な手立てとなる。
正気を戻した祖父にフィオンはモードレッドの血筋に関して知った事を、クライグが王の密偵であった事は伏して説明した。
部屋の中央の円卓、上座の祖父は事の次第を把握し、何度か頷き問い返す。
「……なるほど、知ってしまった訳か。…………それで、わしならそれに関して知っておると? ……なぜ、そう思うのじゃ?」
知らないとまでは言わないが、フィオンを探る様に老人は問いを投げる。先程までの興奮は欠片も無く、今は年相応の落ち着きと、どこか影の濃い曲者の様な気配を纏う。
同じ青の瞳でありながらフィオンとは真逆の雰囲気の双眸、それを向けられた孫は正面から睨み返す。肉親でありながらもその瞳には、隠し切れない強い感情が宿っていた。
「年齢もそうだが……あんたが知ってたなら俺の中で考えが繋がるんだよ。……なあ、あんた俺を…………知ってて軍に送り込もうとしたんじゃねえか? そこんとこをハッキリさせときてえんだよ……メルハン」
メルハンと、怒気をまざまざと滲ませた語気に、祖父は意味深な沈黙を保ち考えを纏め出す。
物語に闇に手を掛けたフィオンは、いよいよ以って、自身の運命の暗部に足を踏み入れる。友に殺されかけても憎しみを持たなかった男は、紛う事無き実の祖父に対し、隠し切れない憎悪を向ける。