第96話 親友との別れ
クライグの口から語られた二人の系譜の呪い。大罪人の血を引く二人は、対照的な様子で腰を下ろしている。
片やその事実に心までをも鷲掴みにされ、運命の前に屈しているクライグ。
片や一時それは胸中に仕舞い込み、目の前の事に思い巡らすフィオン。
重い静寂の満ちた倉庫に、溜め息と共に声が響く。
発するは黒髪の狩人の青年。嘗ての親友に青の双眸を向け、冷たい声音を放つ。
「クライグ、解ってるとは思うが…………もうお前とは、親友じゃいられねえ。
……解るよな?」
起きた事を考えるなら、当然の結論。未だ治癒も途中で傷だらけのフィオンは、それを成した張本人に口を開く。
クライグは体をビクリとさせ顔を上げるが、目はフィオンに合わせられない。逡巡し苦悩を浮かべ、自らに拒否権は無いと首をだらりと下げる。
「……ッ…………解ってる、解ってるよ。……好きにしてくれ、覚悟は……していたさ……ッ」
全てを押し殺しクライグはきつく目を閉じる。覚悟を口にはしたもののその実、己以外の意思による行為に真の覚悟は備わっておらず、今になって親しき者との決裂に強く苦渋を噛み締める。体は僅かに震え乱れた金の髪は返り血に塗れ、執行を待つ死刑囚の如く沙汰を待つ。
そして、それを見るフィオンの目には――――憎しみは宿っていなかった。
「今から俺達は親友じゃなく……友達だ、文句は言わせねえ」
声音は変わらず無情に響くが、言葉の意味に一同は目を見開く。
一拍遅れでそれを言われた本人、友は気の抜けた声を漏らし顔を上げた。
「ッ…………え? それって……どういう」
立ち会う三人は無言を保ち、二人の間の強い絆を再確認する。
幼少時に出会ったフィオンとクライグ。一度は六年の時を別に過ごしたが、再会を経て戦地で命を預けあい、運命により死闘を強いられた二人の絆。それが破れるか否かの一つの答えに、口を挟む事は出来なかった。
既にフィオンは腰を上げて背を向けているが、クライグは言葉の意味に心底から戸惑い、肩を捕まえてどういう事なのかと問い掛ける。
「ちょっと待てフィオン、今のは……どういう意味だ? あんだけの事しといて、お前許す気か? そもそも親友と友達って……どう違うんだ?」
肩を掴まれたフィオンは、振り返りながらパッと答える。
そこには敵意の類は無く、有るのはただ心配し過ぎの友に対する、面倒臭そうな呆れが少しばかり覗くだけだった。
「少しは違うんじゃねえか? 傷はアメリアに癒してもらったから平気だ。てめえのせいで頭の中グチャグチャなんだよ、ちったあ自分で考えろ」
突き放す様な厳しい物言い、だが中身は逆に、温かいものが詰まっていた。
クライグは自然と涙が溢れ、声にならない声を何度も繰り返す。先程の恐怖によって絞り出されたものとは違う、感謝を表す涙と言葉。
事は済んだとフィオンは家へ戻ろうとするが、納屋の戸は蹴り押さえられ派手な音を立てる。
見届けたヴィッキーは言うべき事は言っておかねばと、冷たく警告を飛ばす。
「今回は実質的に……実害は無かったと目を瞑ってやる。だが次は容赦しないし、あたしがあんたに向ける警戒は解かれはしない。フィオン、次何か有ったらあんたがきっちりと……解ってるね?」
殺意まではいかないが、ヴィッキーは冷たく刺々しい気を放つ。
有無を言わさぬ強い態度で、責任と覚悟をフィオンに確認させ――――
「しつけーって、心配すんな。こいつは根っこの方は単純だ、こんだけ反省してりゃ次はねえよ。そもそもバレバレだったろうが、そういう奴なんだよ」
「……なんだ、解ってるのかい。ならあたしから言う事は何も無いよ。もし次が有るなら昼間にしておくれ、寝不足になっちまうだろうが」
現実主義の魔女は釘を刺すものの、本質は芯まで凍えたものでは無かった。さっさと事を切り上げ、一人先に寝床へと戻って行く。
クライグはその背にも謝罪と感謝を述べ、魔女は返事はせずに無視もせず、ひらひらと生身の左手を振ってそれに応えた。
「……もう大丈夫、と思います。感覚も感触もはっきり……有難う御座います」
「ふへー…………ほんっと心臓に悪いんだから。暫くは安静にしててよね? とりあえず三日位は様子を見る事!」
シャルミラの指を治癒していたアメリアは、ドッと息を吐き出し地べたに横たわる。治癒は終えたが傷が深かった彼女の指は、まだ動きがぎこちない。
クライグはそれに自責を感じ、座っている彼女の前に膝を付く。しかし謝罪の意思で飛び出した言葉は何とも奇襲的であり、一瞬で場の空気は様相を変える。
「シャルミラッ…………本当にすまない、何をどうすれば良いか……。俺に何が出来るか、そもそもこの先どうなるか解らないけど……責任は、しっかり取る」
優しく手を取りながら、クライグ本人は特別な意味は頭に無く放った言葉。
それをそういう意味だと感じたフィオンとアメリアは、口を押さえ目を白黒させるが、冷静な淑女は狼狽えない。この機を逃さず、ズイッと詰め寄り畳み掛ける。
「私は元よりそのつもりで貴方に接しここまで付いて来ました。……先程の話を鑑みるに、クライグ様が軍を抜けたと言うのは嘘という事ですね? 私は本当に軍を抜けてしまっているので、それ込みで、これから宜しくお願い致します」
「……え? ぁ、はい……んん? …………え゛?」
事ここに至り、朴念仁は漸く諸々を察し、自身の言葉の意味を理解する。こういった経験が初めての彼は焦りながら助け舟を求めるが、友は少々つれない態度。
フィオンは口許を隠しつつ頭を巡らし、考え様によってはこれは丁度良いと結論付けた。ドキマギしている友に対し、しっかりと責任を取らせる。
「お前一人っ子だろ、丁度良いじゃねえか。そうなりゃもうお前一人の命でも無くなるしこっそりアホな事も出来なくなんだろ」
「それはッ…………さっきの話もう忘れたのか? 俺に子供が出来たらそれは……俺は親を恨んでる訳じゃないけど、生まれた時から重荷を…………そんなの誰も望んでる訳ないだろ?」
クライグは動揺しつつも、未だ自身の血に縛られ可能性を閉ざそうとする。
子は親を選べない。クライグが子を成すという事は、簒奪者アウレリウスの系譜が後の世代に続くという事を意味する。
問われたフィオンは即答に苦しむが、シャルミラの方は動じていない。変わらず静かな物腰のまま、何も問題は無いと言葉を紡ぐ。
「私はそこまで子供を望んでいません、変化する可能性は勿論ありますが。クライグ様が本気で憂いているのであれば、貴方の意思を尊重しましょう」
詰め寄られたクライグは反撃の手を失い、答えは返せないまま天井を仰ぐ。明確な返事は交わされていないが、彼女の想いを無碍に出来るほど冷血でも無かった。
まだ先行きは不透明だが一応の決着を迎え、フィオンは胸を撫で下ろし今後の事に頭を向ける。
出揃った情報と明日からの日程、確認せねばならない事。自身の血筋については、知っているであろう人物に心当たりが有った。
「てめえが軍人のままってのも今後使えるかもな。……グラスゴー行く前に寄り道させてもらう、一度リークに行ってジジイをとっちめる。王が言ったとか言われても……まだ信じらんねえからな」
フィオンの曽祖父メドローは既に死去しているが、その息子であれば未だ存命。
約百年前に実際に何が有ったのか、事実を知っている可能性は多いに有る。
クライグはシャルミラから手を離し、咳払いの後にそれに続く。自身も調べはしたものの、そちらの方は空振りであったと。
「俺も何度か実家に帰って探りを入れたけど……家族は何も知らなかった。うちの祖父達はもう亡くなってるからな……フィオンの家族には一度も会ってない。何かやばい事を引き起こすんじゃないかって……」
「フィオンの実家に? ……なんか、あんまり乗り気じゃないね。家族と仲悪いんだっけ?」
首を傾げるアメリアにフィオンは苦い顔をして頷き返す。この地レクサムに一人逃げ移ってから今年で七年、一度も実家には帰っていない。支援してくれた母ソーニャにも手紙の一通も送っておらず、父や祖父とは絶縁に等しい。
だが今はそれよりも、モードレッドが真に自身の先祖なのかどうかを調べたい。
どういう訳で血筋が繋がっているのかを確認せねば、フィオンは胸の中のとある疑問を消し去る事が出来なかった。
「母ちゃんは別だが……俺を爪弾きにした連中だからな、必要じゃねえなら会いたくねえよ。……たしかジジイは八十以上だ、百年前の円卓のあれこれも知ってるかもしれねえ。絶対に絞り出してやる」
十五年前に曽祖父メドローが九十を越え亡くなった時、祖父は既に七十を越えていた。生き証人とまではいかないが、それに近い情報を持っているとフィオンは睨んでいる。
シャルミラは頭の中でグラスゴーまでの道順、経由地、日数等を勘案する。
レクサムからグラスゴーまでは、大都市リーズを経由して約十日の道程。この地から東の田舎村リークを経由しても、日程は半日か一日延びるかどうかという所であり、そこまで全体の支障にはならない。
「……リークであれば旅程としてもそう負担にはなりませんが、判明させた所で何かメリットがあるのですか? 精神的な事でしたら理解も出来ますが」
「…………ちょっとつっかえてる事が有る。個人的な事だとは解ってるんだが……どうせ十日の間ずっと野宿じゃ体も物資も保たねえだろ? 本っっっっ気で気が進まねえが実家に泊まる事も出来る、俺は馬車で寝るけどな」
もし自身の血が本当に、叛逆の騎士モードレッドに繋がるのならば――――
フィオンはとある考えを頭から切り離せずにいた。仮にそれが事実であり、それが自身の過去の一件にも繋がるのであれば、許しておく事は出来ない。
旅の日程にリーク行きが追加され、真夜中の騒動はお開きとなる。
明日に備え体を休めるべく家へと戻る中、クライグはフィオンに声を掛ける。
納屋を出て夜空の下、満月と星々が雲間から覗き出し、真夜中ではあるが闇は薄くなっていた。
「フィオン、ちょっと良いか? ……流されちまったけどやっぱちゃんと、言っておかなきゃって…………言うべきだと思うんだ」
「…………」
改まった態度で、クライグはフィオンの正面に立つ。
気楽なものでは無く就寝の挨拶でも無く、真剣に謝罪と、頼みをすべく。
「俺がやった事は、どうしようも無い……裏切りだ。何を幾ら謝っても……無かった事にはならない……だから償いだけでも…………しなくちゃって思ってる」
「…………ッ」
痛切に連なっていく声に、フィオンは少しずつ眉間に皺を寄せていく。
必死に言葉を探すクライグはそれに気付けぬまま続け、最後の言葉の前に、苛立ちは限界を突破する。
「本当に今日の事は……お前は許してくれたけど俺はッ……だから……次に何かあったなら俺を――――」
「ッ――――っるせえんダヨオ!!」
言葉を遮り、フィオンはクライグの横っ面に拳を打ち込む。
何も備えが出来ていなかったクライグは地に倒れ、振り抜いたフィオンも手の痛みに蹲った。気付いたシャルミラは踵を返しかけたものの、アメリアに背を押され先に家の中へと入って行く。今は二人きりにしておく方が良いだろうと。
一頻り二人分の呻き声が響いた後、呆然とするクライグにフィオンは口を開く。
まだ少しばかり怒気を孕みつつ、無用の気遣いは逆効果だと。
「いつまでもウダウダ言ってんなよ、もう済んだ事だろうがッ。……てめえの言う通り何言ったって無かった事にはなんねえんだ…………だからもう、今日の事は明日から引き摺んなッ、その方が……俺も楽なんだからよ」
「…………!」
立ち上がったフィオンは、クライグに手を差し出す。あくまで只の引き起こす為の手ではあるが、彼にとっては別の何かに感じられた。
クライグはその手を取りながら、最後に一言だけを返す。まだ負い目を感じてはいるが出来る限りの――――
「……それでも、これだけは……ちゃんと言わせてくれ」
「なんだよ? 変な事言ったらもっかいぶっ飛ば――――」
友の記憶の中にある通り、屈託の無い笑みで感謝を告げる。
「――――ありがとう」
「……! ……さっさと寝ようぜ、早く寝ないと明日がきつくなる」
不意を突かれたフィオンだが、漸く笑ってくれた友に笑みを返す。
語り明かしたい心境ではあるが、二人は足並みを揃え家へと戻る。寝不足で明日に響かせば、二人仲良くヴィッキーから説教を受けかねない。
気付けば空に雲は無く、満月と星々はその煌きを惜しみなく放っていた。
一行は長く短い夜を乗り越え、一路東に、フィオンとクライグの故郷リークへ向かう。出生の秘密を明らかに、血の系譜を詳らかにすべく。




