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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第三章 エメリード 結実の時
94/151

第93話 泥の運命

 ブリストルを発ち三日目、フィオン達がレクサムへ帰り着いたのは夕刻の頃。

 エルフの老人を町の雑貨屋の主人、ハンザに預けるべく馬車を店先に止める。既に老人からの同意は得ており、後はハンザと交渉するだけと馬車を降りようとするが、ずっと塞ぎ込んでいた親友、クライグは意を決して口を開く。


「なあフィオン、どうにもこの件はきな臭い気がする。ハンザさんに預ければ彼を巻き込んでしまうんじゃないか? それは望む事じゃないだろ?」


 またも異を唱えるクライグだが、今度ばかりは彼の言い分に一理有る。

 魔物が掃討され尽くしたブリタニアで発生した異形の魔獣の群れ。それと通じているかも知れない魔獣を備えた魔操具と、(かつ)てそれを所持していたエルフの老人。

 きな臭さは嫌でも頭を過ぎり、無関係の人間を巻き込む事は誰も望んでいない。

 クライグの提案に皆は考え込み、更に本人が対案を出す。


「何も全員でグラスゴーに行く必要は無いさ。俺がじいさんの看病と……見張りも兼ねてここに残っておけば良い。そうすればハンザさんを巻き込む事も無くフィオン達も安心出来るだろ?」

「そいつは……そうだな、その方が良いか? クライグがいなくなるのは戦力としちゃ不安だが、まあブリタニアの中だしシャルミラもいるしな。じいさんに万が一がねえとも限らねえしここは――!」


 納得しかけるフィオンだったが、ヴィッキーは首を横に振り拒否を示す。

 既に彼女のクライグに対する不信は限界に近付いており、信用を前提にした方針には納得出来なかった。自身らのいない間に何をされるか解らないと。


「あたしは納得出来ない。ハンザを巻き込むのは頂けないが、クライグ一人に留守を任せるのは今は難しい。……いっその事じいさんにも一緒に来てもらえば良いんじゃないかい? 馬車で寝かせておけば回復するだろう」

「クライグ様が残るというのでしたら、私も残ります。ヴィッキーの提案は少し乱暴です、容態に差し障るかもしれません。グラスゴーまでは陸路で片道十日近く、その間に悪化してしまっては……」


 ヴィッキーに続きシャルミラも意見を出し、馬車の中は議論と混乱が広がる。

 クライグ、ヴィッキー、シャルミラの三人は方針を主張し合い、フィオン、アメリア、老人は言葉の中に埋もれていく。

 主に発現するのはクライグとヴィッキーであり、両者の間は段々と溜め込まれていたものが表に現れ、緊迫していく。話は噛み合わぬまま、敵意にも似た空気が馬車に流れる。


「俺が残っていれば何か有っても大抵の事には対応出来る。シャルミラ程じゃないが軍で医療に関しても叩き込まれてる。その間に杖を作ってくれば、全部上手く進むじゃないか。不安ならシャルミラを俺の監視に当てても……」

「シャルミラを残しても一人位は目を盗める……と言うか疑われてる自覚も有るんだね? ……もうフィオンの昔馴染みってだけじゃあ、看過出来る程を越えちまってるよ」


 自身を留守番とし、グラスゴーへ皆を行かせようとするクライグ。

 そもそも彼を信じる事が出来ず引き下がらないヴィッキー。

 馬車の中は剣呑な雰囲気となり、ピリピリとしたものが張り詰める。いよいよ放っておけなくなったフィオンが口を開くが、話は横槍によって事無きを得る。


「二人共言い分は解ったけどよ、埒が開かねえだろ…………いっその事俺が残って、四人で行って来てもらえば……」

「……いつまで店の前でくっちゃべっておる。いい加減にせぬと人を呼ぶぞ」


 話に入りつつひょっこりと馬車を覗き込んでくるのは、巻き込む事を懸念されていたハンザだった。いつから話を聞いていたのかは解らないが、視線と指でエルフの老人を運び込むように指示してくる。

 フィオン達は魔獣やエルフと言った言葉は避けつつ話を進めていたが、既に大まかな話は伝わっている様子だった。

 アメリアは巻き込む事を危惧しながらも、ハンザの親切心を無碍には出来ずに心配を募らせる。


「良いんですか? でもこの人を預かってもらったら……ハンザさんに迷惑が……詳しい事も話せませんし、おじいちゃん喋れませんし」

「馬をいきなり寄越されるよりはよっぽど楽じゃわい。お前さんらが預けてくるんなら悪党って事も無いじゃろう。……また直ぐに出発するんじゃろ? ならばわしとしても頼みたい事が有る。それで手打ちとしようじゃないか」


 ハンザの介入により議論は中断され、巻き込む云々は本人の意向と交換条件によって押し切られた。

 クライグは納得のいかない様子だがそれ以上は口出しをせず、フィオンはエルフの老人を伴い、ハンザに続いて雑貨屋の中へと入って行った。


「本当に良いんだな? 詳細は話せねえしこのじいさんの素性も明かせねえし……期間も二十日近く預かってもらう事になるんだが」

「ゴチャゴチャ言っておらんで若者は年寄りに面倒事を押し付けんか、わしも頼みたい事が有ると言っておろうに。……奥の右手の部屋を好きに使ってくれ、後でベッドのシーツを変えに行こう」


 ハンザはエルフの老人を正体は知らぬまま、それでも良いと迎え入れた。店の奥の一室を宛がい、客人として遇してくれる。

 エルフの老人はフィオンとハンザに礼をした後、ハンザに促されるまま店の奥へと消えて行った。最早逃走の恐れは皆無に見え、一先ずは丸く収まったとフィオンは胸を撫で下ろす。


「で、じゃ……頼みたい事と言うのは人探しなんじゃが……お前さんヒベルニアに行っておったんじゃよな? あちこち飛び回って…………冒険者であればダブリンには詳しいか?」

「人探しねえ、前にも聞いた気がすんな……ダブリンなら初めは拠点にしてたんだけど、夏頃に中央のアスローンに移ったからそこまで詳しいかって言われると……向こうまで行けってのは勘弁だぞ?」

「いや、元々望み薄な依頼じゃ、ダブリンまで行ってくれとは言わんさ。旅の道中で名前を聞くか知る者に会うか……そうしたらわしに教えてくれ、頼んだぞ」


 頼んだぞ。そう言ってハンザは話を終わらせようとするが、フィオンが指摘する前に肝心の所に気付いてくれた。

 一体誰を探せば良いのか、せめて名前が解らない事にはどうしようも無い。

 誤魔化す様に咳払いをした後、ハンザは尋ね人の名を告げるが、フィオンはその名に顔を顰める。


「探して欲しいのは……アンディールという名の男じゃ。年の頃は三十に近く」

「――――!? アンディール……? なあハンザ、あんたアンディールとどういう関係だ? わざわざ探して欲しいなんて……」


 フィオンの反応にハンザは勘付き、言葉を続けながらフィオンに迫る。以前にもフィオンの身を案じてきた時の様に、切実に痛切に。

 まざまざと()()を顕にし、震える声で安否を気遣う。


「どこじゃ……どこで会ったんじゃ? ダブリンか? お前さんに会ったと言う事は、元気でやっておるんじゃな? もしや会ったのは……戦地でか!?」


 掴み掛かり狼狽えるハンザを宥め、フィオンは落ち着かせながら口を開く。

 関係性はほぼ見えたものの、彼らの間に何が有って現状に至るのか、ハンザの頼みに応じながらそれを問い掛ける。


「次に会ったら必ずあんたの事を伝えるよ。……最後に会ったのはクランボーンの森だ。元気だしピンピンしてたが、忙しそうだった。その後は知らねえが……息子なのか? 生き別れ……って事か?」


 ハンザは安堵の息を吐きつつ、涙を流しながら何度も首を縦に振る。

 生き別れの息子の無事を知った老父は一先ず落ち着きを見せるが、何故生き別れる事になったのか、それだけは明かす事は無かった。


「すまんが…………余り詮索はせんでくれ。色々有ったんじゃ……あの老人の面倒はわしに任せておけ、お主らもアンディールの事を……頼んだぞ」


 ハンザの下を去り、五人は夜を越すべくフィオンの家へ向かう。

 頼み事は全員で共有しておいたが、その内容とは関係無く、一行を包む気配は暗いものとなっていた。不穏の因子は水面下で膨らんでいたが、エルフの老人を巡っての衝突で表のものとなり、今ははっきりとパーティ内での不和を招いている。

 数日前にフィオンの家で夜を過ごした時とはまるで別もの、森の中に点る灯りはどこか薄ら寒さを孕んでいた。


「あたしとアメリアは今日の所はこっちで寝るよ。宣言しておくがちょいと仕掛けをさせてもらう。そいつで何か有っても責任は取らないからね」

「ごめんねフィオン、私も今はちょっと…………おやすみ」


 夕食後、ヴィッキーとアメリアは奥の部屋を使い、戸を閉めた後に何かゴソゴソと仕掛けを施した。

 クライグは今までの諸々に対し謝罪をしていたが、それは今後に何かを保証出来るものでは無く、ヴィッキーとアメリアの不信を払拭は出来なかった。

 残された三人の間には依然重い空気が流れるが、クヨクヨした所でどうにもならない。体は野宿以外の睡眠を久方ぶりに求めており、こちらも早々に寝床に入る。


「……すまない。俺が招いた失態だが、俺も真剣に考えての上だったんだ。この先絶対に無いとは言い切れないけど、もう少し彼女達の信用を損ねない様に……」

「あんま気にすんな、ヴィッキーは元々気難しい所もあるからよ。……ロンメルの事も有ったし、ちょっとナーバスになってんだよ俺達は。……明日から長旅だ、早いとこ寝ようぜ。朝になれば少しは機嫌が直ってるさ」


 灯りを消し、フィオン達も体を休める。

 馬車旅と余計な事に気を張っていた精神は思いの外睡眠を欲しており、微睡みは速やかに意識を断ち切ってくれた。

 しかし仲間達の険悪なムードはフィオンの心を無意識に苛んでおり、要らぬ心配事は夢見を悪くさせる。


 もしこのまま仲違いが続けばどうなるか――旅どころでは無いのではないか?

 仮に分裂や解散が起こればどうなるのか? 異形の魔獣達をどう調べるのか?

 このままの道を行った先で、ロンメルに顔向け出来るのか?

 積もり募る憂慮は悪夢を見させ、青年の意識を深淵で弄ぶ。

 (うな)され、苦悶を漏らし、汗をぐっしょりと掻き、フィオンが目覚めた目の前に

 ――それはいた。


「……クライグ、か。……どうしたんだ? 何か有った…………のか?」


 不吉な夢を払い目を覚ますと、クライグが起きていた。

 月夜を浴びる顔はどこか無感情に、無機質に、手には軍刀を持ち

 ――――まだ悪夢に引き摺られてか、背筋が凍る。


「ッ……あぁ起こしちまったか悪い。ちょっと夜風を浴びようと思っただけど……フィオンも一緒に来ないか? 少し…………話もしたいしさ」


 誘われるがままに、フィオンはクライグと共に外へ出る。

 剣もナイフも持っていないがそれは必要無い。親友と夜話をするのにそれらは要らず、何か有ったとしても、彼が剣を持っている。思考さえも(何故持っているかは)必要無い(考えるな)


「……二人っきりで話すのも、何か久しぶりだな。ブリストルで再会してから……もう三ヶ月位になんのにな。まあやる事ばっかりだからしょうがねえがよ」


 家の前で他愛の無い話を交わし合う。森に入って行く事も、どこか遠くへ散歩する事も無い。話が終われば直ぐにまた、寝床に戻るのだから。

 誘ったもののクライグは口数が少なく、フィオンの話に曖昧に応じるばかりで、どこか心ここに在らずと――――思い悩んでいる。

 フィオンはそれに、気付く事が出来ない。


「そういや物置の草……こないだオリバーと入れたのをそのままだったな。まあ今の季節なら寒いって事はねえだろうけど……ちょっと見てくるわ」


 何の気は無く、フィオンはスプマドールが寝ている物置へと向かい、剣を持つ男もまた、その後を静かに続く。

 物置の中は白馬の寝床を確保しても尚充分なスペースが有り、壁掛けには手斧や生活用具が並び、灯り取りの窓からは月と星の光が薄く差し込む。駿馬は柵の中で穏やかな寝息を立て、特に凍える事も無く体を休めていた。

 安心したフィオンは眠気を覚え、明日に備えて親友の体を労わり――


「大丈夫だな……俺達もそろそろ寝ようぜ、寝坊したらそれこそヴィッキーに何言われっか――――?」


 振り返り様、フィオンは肩口に違和感を覚え、手を這わせて確認する。

 手を覆う温かな液体、目に映る強い原色、鼻を突く鉄の臭い。戦場で嫌と言う程流し流され、ここ数日は縁の無かった純粋なる赤色。右の肩は鮮血に塗れている。

 肩から生えた刃の先、柄を握っているのは見覚えの――――無い、友の顔。

 激痛は現実を直視させ、狩人の血液を一瞬で沸騰させる。


「クライ……グ!? お前、一体――ッガ!?」


 刃は肩口から乱暴に引き抜かれ、流れる鮮血は切っ先に釣られ舞い上がり、間髪入れずに鋭い袈裟切りが狩人を襲う。

 フィオンは痛みを歯噛みし地べたを転がり回避する。

 立ち上がり見やった親友の顔は、苦悩と返り血に塗れていた。


 ブリストルを発ち三日目、フィオン達がレクサムへ帰り着いたのは夕刻の頃。

 エルフの老人を町の雑貨屋の主人、ハンザに預けるべく馬車を店先に止める。既に老人からの同意は得ており、後はハンザと交渉するだけと馬車を降りようとするが、ずっと塞ぎ込んでいた親友、クライグは意を決して口を開く。


「なあフィオン、どうにもこの件はきな臭い気がする。ハンザさんに預ければ彼を巻き込んでしまうんじゃないか? それは望む事じゃないだろ?」


 またも異を唱えるクライグだが、今度ばかりは彼の言い分に一理有る。

 魔物が掃討され尽くしたブリタニアで発生した異形の魔獣の群れ。それと通じているかも知れない魔獣を備えた魔操具と、(かつ)てそれを所持していたエルフの老人。

 きな臭さは嫌でも頭を過ぎり、無関係の人間を巻き込む事は誰も望んでいない。

 クライグの提案に皆は考え込み、更に本人が対案を出す。


「何も全員でグラスゴーに行く必要は無いさ。俺がじいさんの看病と……見張りも兼ねてここに残っておけば良い。そうすればハンザさんを巻き込む事も無くフィオン達も安心出来るだろ?」

「そいつは……そうだな、その方が良いか? クライグがいなくなるのは戦力としちゃ不安だが、まあブリタニアの中だしシャルミラもいるしな。じいさんに万が一がねえとも限らねえしここは――!」


 納得しかけるフィオンだったが、ヴィッキーは首を横に振り拒否を示す。

 既に彼女のクライグに対する不信は限界に近付いており、信用を前提にした方針には納得出来なかった。自身らのいない間に何をされるか解らないと。


「あたしは納得出来ない。ハンザを巻き込むのは頂けないが、クライグ一人に留守を任せるのは今は難しい。……いっその事じいさんにも一緒に来てもらえば良いんじゃないかい? 馬車で寝かせておけば回復するだろう」

「クライグ様が残るというのでしたら、私も残ります。ヴィッキーの提案は少し乱暴です、容態に差し障るかもしれません。グラスゴーまでは陸路で片道十日近く、その間に悪化してしまっては……」


 ヴィッキーに続きシャルミラも意見を出し、馬車の中は議論と混乱が広がる。

 クライグ、ヴィッキー、シャルミラの三人は方針を主張し合い、フィオン、アメリア、老人は言葉の中に埋もれていく。

 主に発現するのはクライグとヴィッキーであり、両者の間は段々と溜め込まれていたものが表に現れ、緊迫していく。話は噛み合わぬまま、敵意にも似た空気が馬車に流れる。


「俺が残っていれば何か有っても大抵の事には対応出来る。シャルミラ程じゃないが軍で医療に関しても叩き込まれてる。その間に杖を作ってくれば、全部上手く進むじゃないか。不安ならシャルミラを俺の監視に当てても……」

「シャルミラを残しても一人位は目を盗める……と言うか疑われてる自覚も有るんだね? ……もうフィオンの昔馴染みってだけじゃあ、看過出来る程を越えちまってるよ」


 自身を留守番とし、グラスゴーへ皆を行かせようとするクライグ。

 そもそも彼を信じる事が出来ず引き下がらないヴィッキー。

 馬車の中は剣呑な雰囲気となり、ピリピリとしたものが張り詰める。いよいよ放っておけなくなったフィオンが口を開くが、話は横槍によって事無きを得る。


「二人共言い分は解ったけどよ、埒が開かねえだろ…………いっその事俺が残って、四人で行って来てもらえば……」

「……いつまで店の前でくっちゃべっておる。いい加減にせぬと人を呼ぶぞ」


 話に入りつつひょっこりと馬車を覗き込んでくるのは、巻き込む事を懸念されていたハンザだった。いつから話を聞いていたのかは解らないが、視線と指でエルフの老人を運び込むように指示してくる。

 フィオン達は魔獣やエルフと言った言葉は避けつつ話を進めていたが、既に大まかな話は伝わっている様子だった。

 アメリアは巻き込む事を危惧しながらも、ハンザの親切心を無碍には出来ずに心配を募らせる。


「良いんですか? でもこの人を預かってもらったら……ハンザさんに迷惑が……詳しい事も話せませんし、おじいちゃん喋れませんし」

「馬をいきなり寄越されるよりはよっぽど楽じゃわい。お前さんらが預けてくるんなら悪党って事も無いじゃろう。……また直ぐに出発するんじゃろ? ならばわしとしても頼みたい事が有る。それで手打ちとしようじゃないか」


 ハンザの介入により議論は中断され、巻き込む云々は本人の意向と交換条件によって押し切られた。

 クライグは納得のいかない様子だがそれ以上は口出しをせず、フィオンはエルフの老人を伴い、ハンザに続いて雑貨屋の中へと入って行った。


「本当に良いんだな? 詳細は話せねえしこのじいさんの素性も明かせねえし……期間も二十日近く預かってもらう事になるんだが」

「ゴチャゴチャ言っておらんで若者は年寄りに面倒事を押し付けんか、わしも頼みたい事が有ると言っておろうに。……奥の右手の部屋を好きに使ってくれ、後でベッドのシーツを変えに行こう」


 ハンザはエルフの老人を正体は知らぬまま、それでも良いと迎え入れた。店の奥の一室を宛がい、客人として遇してくれる。

 エルフの老人はフィオンとハンザに礼をした後、ハンザに促されるまま店の奥へと消えて行った。最早逃走の恐れは皆無に見え、一先ずは丸く収まったとフィオンは胸を撫で下ろす。


「で、じゃ……頼みたい事と言うのは人探しなんじゃが……お前さんヒベルニアに行っておったんじゃよな? あちこち飛び回って…………冒険者であればダブリンには詳しいか?」

「人探しねえ、前にも聞いた気がすんな……ダブリンなら初めは拠点にしてたんだけど、夏頃に中央のアスローンに移ったからそこまで詳しいかって言われると……向こうまで行けってのは勘弁だぞ?」

「いや、元々望み薄な依頼じゃ、ダブリンまで行ってくれとは言わんさ。旅の道中で名前を聞くか知る者に会うか……そうしたらわしに教えてくれ、頼んだぞ」


 頼んだぞ。そう言ってハンザは話を終わらせようとするが、フィオンが指摘する前に肝心の所に気付いてくれた。

 一体誰を探せば良いのか、せめて名前が解らない事にはどうしようも無い。

 誤魔化す様に咳払いをした後、ハンザは尋ね人の名を告げるが、フィオンはその名に顔を顰める。


「探して欲しいのは……アンディールという名の男じゃ。年の頃は三十に近く」

「――――!? アンディール……? なあハンザ、あんたアンディールとどういう関係だ? わざわざ探して欲しいなんて……」


 フィオンの反応にハンザは勘付き、言葉を続けながらフィオンに迫る。以前にもフィオンの身を案じてきた時の様に、切実に痛切に。

 まざまざと()()を顕にし、震える声で安否を気遣う。


「どこじゃ……どこで会ったんじゃ? ダブリンか? お前さんに会ったと言う事は、元気でやっておるんじゃな? もしや会ったのは……戦地でか!?」


 掴み掛かり狼狽えるハンザを宥め、フィオンは落ち着かせながら口を開く。

 関係性はほぼ見えたものの、彼らの間に何が有って現状に至るのか、ハンザの頼みに応じながらそれを問い掛ける。


「次に会ったら必ずあんたの事を伝えるよ。……最後に会ったのはクランボーンの森だ。元気だしピンピンしてたが、忙しそうだった。その後は知らねえが……息子なのか? 生き別れ……って事か?」


 ハンザは安堵の息を吐きつつ、涙を流しながら何度も首を縦に振る。

 生き別れの息子の無事を知った老父は一先ず落ち着きを見せるが、何故生き別れる事になったのか、それだけは明かす事は無かった。


「すまんが…………余り詮索はせんでくれ。色々有ったんじゃ……あの老人の面倒はわしに任せておけ、お主らもアンディールの事を……頼んだぞ」


 ハンザの下を去り、五人は夜を越すべくフィオンの家へ向かう。

 頼み事は全員で共有しておいたが、その内容とは関係無く、一行を包む気配は暗いものとなっていた。不穏の因子は水面下で膨らんでいたが、エルフの老人を巡っての衝突で表のものとなり、今ははっきりとパーティ内での不和を招いている。

 数日前にフィオンの家で夜を過ごした時とはまるで別もの、森の中に点る灯りはどこか薄ら寒さを孕んでいた。


「あたしとアメリアは今日の所はこっちで寝るよ。宣言しておくがちょいと仕掛けをさせてもらう。そいつで何か有っても責任は取らないからね」

「ごめんねフィオン、私も今はちょっと…………おやすみ」


 夕食後、ヴィッキーとアメリアは奥の部屋を使い、戸を閉めた後に何かゴソゴソと仕掛けを施した。

 クライグは今までの諸々に対し謝罪をしていたが、それは今後に何かを保証出来るものでは無く、ヴィッキーとアメリアの不信を払拭は出来なかった。

 残された三人の間には依然重い空気が流れるが、クヨクヨした所でどうにもならない。体は野宿以外の睡眠を久方ぶりに求めており、こちらも早々に寝床に入る。


「……すまない。俺が招いた失態だが、俺も真剣に考えての上だったんだ。この先絶対に無いとは言い切れないけど、もう少し彼女達の信用を損ねない様に……」

「あんま気にすんな、ヴィッキーは元々気難しい所もあるからよ。……ロンメルの事も有ったし、ちょっとナーバスになってんだよ俺達は。……明日から長旅だ、早いとこ寝ようぜ。朝になれば少しは機嫌が直ってるさ」


 灯りを消し、フィオン達も体を休める。

 馬車旅と余計な事に気を張っていた精神は思いの外睡眠を欲しており、微睡みは速やかに意識を断ち切ってくれた。

 しかし仲間達の険悪なムードはフィオンの心を無意識に苛んでおり、要らぬ心配事は夢見を悪くさせる。


 もしこのまま仲違いが続けばどうなるか――旅どころでは無いのではないか?

 仮に分裂や解散が起こればどうなるのか? 異形の魔獣達をどう調べるのか?

 このままの道を行った先で、ロンメルに顔向け出来るのか?

 積もり募る憂慮は悪夢を見させ、青年の意識を深淵で弄ぶ。

 (うな)され、苦悶を漏らし、汗をぐっしょりと掻き、フィオンが目覚めた目の前に

 ――それはいた。


「……クライグ、か。……どうしたんだ? 何か有った…………のか?」


 不吉な夢を払い目を覚ますと、クライグが起きていた。

 月夜を浴びる顔はどこか無感情に、無機質に、手には軍刀を持ち

 ――――まだ悪夢に引き摺られてか、背筋が凍る。


「ッ……あぁ起こしちまったか悪い。ちょっと夜風を浴びようと思っただけど……フィオンも一緒に来ないか? 少し…………話もしたいしさ」


 誘われるがままに、フィオンはクライグと共に外へ出る。

 剣もナイフも持っていないがそれは必要無い。親友と夜話をするのにそれらは要らず、何か有ったとしても、彼が剣を持っている。思考さえも(何故持っているかは)必要無い(考えるな)


「……二人っきりで話すのも、何か久しぶりだな。ブリストルで再会してから……もう三ヶ月位になんのにな。まあやる事ばっかりだからしょうがねえがよ」


 家の前で他愛の無い話を交わし合う。森に入って行く事も、どこか遠くへ散歩する事も無い。話が終われば直ぐにまた、寝床に戻るのだから。

 誘ったもののクライグは口数が少なく、フィオンの話に曖昧に応じるばかりで、どこか心ここに在らずと――――思い悩んでいる。

 フィオンはそれに、気付く事が出来ない。


「そういや物置の草……こないだオリバーと入れたのをそのままだったな。まあ今の季節なら寒いって事はねえだろうけど……ちょっと見てくるわ」


 何の気は無く、フィオンはスプマドールが寝ている物置へと向かい、剣を持つ男もまた、その後を静かに続く。

 物置の中は白馬の寝床を確保しても尚充分なスペースが有り、壁掛けには手斧や生活用具が並び、灯り取りの窓からは月と星の光が薄く差し込む。駿馬は柵の中で穏やかな寝息を立て、特に凍える事も無く体を休めていた。

 安心したフィオンは眠気を覚え、明日に備えて親友の体を労わり――


「大丈夫だな……俺達もそろそろ寝ようぜ、寝坊したらそれこそヴィッキーに何言われっか――――?」


 振り返り様、フィオンは肩口に違和感を覚え、手を這わせて確認する。

 手を覆う温かな液体、目に映る強い原色、鼻を突く鉄の臭い。戦場で嫌と言う程流し流され、ここ数日は縁の無かった純粋なる赤色。右の肩は鮮血に塗れている。

 肩から生えた刃の先、柄を握っているのは見覚えの――――無い、友の顔。

 激痛は現実を直視させ、狩人の血液を一瞬で沸騰させる。


「クライ……グ!? お前、一体――ッガ!?」


 刃は肩口から乱暴に引き抜かれ、流れる鮮血は切っ先に釣られ舞い上がり、間髪入れずに鋭い袈裟切りが狩人を襲う。

 フィオンは痛みを歯噛みし地べたを転がり回避する。

 立ち上がり見やった親友の顔は、苦悩と返り血に塗れていた。


「フィオン、すまない……。でもこうするしか……俺には…………無いんだッ」


 月光に照らし出された親友は、正気のまま、絶望を纏いフィオンに死を迫る。

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