第92話 告解
「……なあじいさん、あんたもしかして…………エルフだったり、するのかい?」
フィオンの質問が静かに部屋に響き、老人は自身がエルフであると、神妙な顔で首を縦に振った。
追い求めていた情報を握っているのがエルフだと知り、にわかにざわめきが走るが、最も動揺を表したのは、金のオールバックに立派な体格の男。
クライグは思わずよろめき壁に背をぶつけ、鎖帷子と軍刀が派手な音を鳴らす。
「大丈夫かクライグ? ……つーかアメリア達も言ってたんだが、お前大丈夫か?やっぱクビになったのが結構堪えて」
「え? いやいや全然そんな事…………誰だってエルフなんて聞いたら驚くだろ。ずっと行方知れずになってて一斉に姿を消したのが……って少尉の方が……そういえば少尉には何も話して無か……たっけ?」
クライグの反応に隠れていたが、老人のすぐ傍のシャルミラは、事態に付いて行けずに硬直していた。何の前触れも無く、目の前の人物が二十年前に国中から消え失せたエルフともなれば、頷ける反応だがフィオン達は頭を抱える。
戦争が始まる前にクライグにはアメリアの情報を共有しており、その副官であったシャルミラにも、同様に行き渡っていると思い込んでいた。
把握したヴィッキーは今更ではあるがアメリアに関し、呆然としたままのシャルミラに情報を明かす。追い討ちにも近いが早めに教えておかなければ、むしろ後々にも響きかねないと。
「ぇーっとねシャルミラ……。あたしらはあんたが知ってるものと思ってたんだが…………実はアメリアもエルフでね、治癒の力を無制限に使えるのもそれが理由なんだよ。言うまでも無い事だろうけど他言はしない様に、旅を一緒にするなら知っててもらわないと面倒だからね」
少し気恥ずかしそうに頭を下げるアメリアへ、シャルミラは何とか動揺を抑え込み頷き返した。依然彼女の混乱は限界を越えてしまっているが、大事にならぬ内に情報を共有出来たのは良かったかもしれないと、フィオン達は強引に納得する。
出揃った事を整理しヴィッキーは頭を悩ますが、状況は手詰まりでありこの場でやれる事はこれ以上は無かった。
「ベドル達が言ってた魔獣の魔操具を持ってたのがエルフで……耳を切って正体を隠してた? 何がどうなってんだい全く……いよいよきな臭い話になってきたね」
「じいさんが喋れる様になるまでは待つしかねえが……ずっと付きっ切りな訳にもいかねえ。レクサムに戻ってハンザに頼んでみよう、待ってる間にグラスゴーに行けば丁度良いだろ。じいさんもそれで良いな?」
出揃った事を整理し今はどうしても時間が必要だと、フィオンは結論を出しこの場を纏める。喉が癒え喋れる様になるまで彼の事はハンザに預け、その間にフィオン達はヴィッキーの杖を作り直すべくグラスゴーへ向かう。
確認を取られたエルフの老人は、少し考えた後に頷き同意を示した。
それに応じフィオン達は宿を引き払うべく荷物を纏めだすが、シャルミラは仕方無いとしても、クライグは動こうとはせず何か考え込んでいる。先日にも見せたどこか思い詰めた様な表情であり、口に手を当てブツブツとしていた。
「クライグ、大丈夫? さっきフィオン達と話したんだけど……悩みとか有ったらちゃんと言ってね? 言い難い事とかもあるだろうけど」
「え? あぁ、これは…………ちょっと癖みたいなものだよ、いきなりエルフだなんて驚いたもんだからさあ。……大丈夫だって、早いとこ荷物纏めて出ないと料金が嵩んじゃうよな」
アメリアへの対応は傍目には自然にこなし、クライグはテキパキと荷物を纏めていく。その様子にヴィッキーは怪しむものの、確たる証拠も無しに具体的に何かをする事は無かった。
夕陽が落ちる前に、フィオン達はエルフの老人を連れレクサムへ出発する。手掛かりが得られるまで数日はブリストルに留まるつもりで宿を取っていたが、結局一泊もする事無く復路に着いた。
馬車の人員は一人増し、北への街道を平穏に進んで行くが、行きと同様に何も起こらず――――とはいかなかった。
出発してから二日目の夜、街道沿いでの野営。
幾ら治安が良いブリタニアとは言え全くの無用心で過ごす訳では無く、夜は焚き火を絶やさずに交代で番を行っている。
夜番をしているフィオンは、焚き火に枯れ枝をくべつつ夜闇へ目を配る。雲が多く月と星明かりは途切れがちに。時節は春の終わりが近く、虫や小動物の囁きが温かな風に乗る。
「前進……してんのかなあこれ。三歩進んで二歩下がるってなあ……こういう事なのかね…………。中々上手い事いかねえな……?」
喋れないエルフの老人が持つ情報、親友の不可解な変調、今後の旅の予定。多くの事に頭を巡らせていた狩人は船を漕ぎ掛けていたが、暗がりから誰かが近付いて来るのに気付く。
揺れる焚き火に照らされ出すのは、灰と紺の服に身を包んだ女性。ハリのある灰の髪と鋭い紺の瞳、シャルミラが姿を現す。
ブリストルを出発してからここまで、何かを悩んでいる風であり、馬車で沈黙を保つのは彼女とクライグの二人になっていた。
「……まだ交代には少し早いんじゃねえか? 寝付けなかったか?」
「いいえ、そういう訳では……少し話が有ります、隣に良いですか?」
夜闇を差し引いても彼女の顔にはどこか影が差しており、普段通りとは言え冷たい声はより真剣さを纏っている。年下の二十三でありながら、その雰囲気はどこか目上の様にも感じさせた。
話の内容に皆目検討は付かないが、フィオンは無碍にせず黙って肯定を示す。
人二人分程を隔てシャルミラは腰を下ろし、即座に問い掛ける。
「彼女の……アメリアとの経緯は聞きましたが、本来の目的、帰る場所を探しているというのはどうなったのですか? 何も知らなかった私としては、その様な素振りは見受けられなかったのですが」
混乱していたシャルミラに対し、アメリアとヴィッキーはこれまでの事を聞かせ考えの整理に手を貸していた。ネビンの洞窟でのアメリアとの出会いから、冒険者としての日々や戦争で直面した多くの事を。
それらを自分なりに纏めたシャルミラは、率直な疑問としてアメリアの本来の目的、帰る場所の模索はどうなったのかと、本人では無くフィオンに聞いてくる。
「そうだな……そっちの方もどうでも良い訳じゃねえし行く先々で知ってそうな人には聞いてんだがな。エルフのじいさんにも話せる様になったら聞くつもりだ。しっかし当のアメリア自身が、なんかもうそっちよりも別の……今はロンメルの事だけに集中しちまってて…………少し前からもそうだったんだが、あんまり帰りたいって主張をしなくなってたんだよなあ」
いつ頃からかと聞かれれば曖昧に、冒険者として過ごす日々の中で彼女の望郷の想いは薄れていた。今はロンメルとヴィッキーを襲った異形の魔獣達に心血を注ぎ、他の事は余り目に入っていない。
答えられたシャルミラは暫し考え込み、頭の中で思考を広げる。思い悩んだものでも無く澄んだ顔であり、答えを纏めた淑女は本題を切り出す。
すんなりと何でも無い事の様に、剣呑な言葉を。
「私は二人がエルフだと知った時、真っ先に頭に浮かんだのは二人を売って金銭を得ようというものでした。国でも軍でも買い手には困らないでしょうし、どれだけの価値になるかは想像も付きません」
「……は? てめえいきなり何を……」
思わず立ち上がり身構えるフィオンだったが、直ぐに状況を理解する。
今でもそう思っているのならば彼に白状などする訳も無く、彼女の態度は敵対や脅し等とは違い、良心からの吐露を示していた。と言っても、既に彼女の中では消化済みの事であり、悪びれや後ろめたさを浮かべていないのは小憎らしい。
再び腰を下ろしたフィオンにシャルラミは話を続ける。何故実行に移さなかったのかと、今の胸中を包み隠さず。
「本気でやろうと思えば幾らでも出し抜く隙は有りましたが、私自身の心の踏ん切りが付きませんでした。混乱の理由はそれだったのですが……貴方達がお人好しで助かりました」
「……ヴィッキーには言うなよ、今あいつに殴られると洒落になんねえからな。
……で? わざわざ話すって事は何か言いたい事が有るんだろ? こうなったら最後までしっかり聞かせろ、寝るに寝れなくなる」
話の先を続ける前に、シャルミラは少し考え気持ちを落ち着ける。
他言した事があるのは数人のみ。彼女に非が有る訳では無いが軽く話せはしない内容。幾らか恩義を感じているとは言え、正直に言えば苦手な部類の異性に話すのは躊躇われたが、氷の様な淑女はその妥協を数秒で済ませた。
「私は元々ヒベルニアからの難民の、聞いた話ですが捨て子との事です。あの盗人の二人も恐らくはそうでしょう。ブリストルの孤児院に預けられ物心が付いた頃から身を立てるべく軍の地位を狙い……教材や指導は事欠きましたが士官学校に入る事が出来、まだまだ少数ですが女性将校として配属されました」
魔物蔓延るヒベルニアから本土ブリタニアを目指し、しかし現実に押し潰され、行き場を無くした者達。シャルミラは自身の出生を他人事の様に語り、立身の志を過ぎ去ったものとして夜風に流す。
余りに重く余りに軽い言葉だが、フィオンは動じる事無く傾聴を崩さない。要らぬ同情や憐憫を彼女は求めておらず、履き違えてその類を向ける事は、それこそ侮辱に当たるだろう。
「しかし軍では女性の地位は軽んじられ……特別な出自か能力でも無ければ成り上がる事は出来ないと、知っているつもりでしたが実際に入った後に痛感しました。見切りを付けかけていた事も事実ですが、感情に暴走して職も辞してしまって…………手っ取り早く幸せになる為に、私も焦っていたのでしょう」
黙って火の番をしつつ耳を傾けるフィオンに、シャルミラは言葉を続ける。
出生、野心、動機、後悔。少しばかり罪悪感を窺わせる語気。
話は最後に『なぜ実行しなかったのか』に移る。心の踏ん切りが付かなかった理由に対し、冷たい淑女はたゆたう炎を見ながら、定かでは無い心をそのままに声に乗せる。
「貴方達を見ていると、羨ましいとか妬ましいとか……そういった気持ちを強く抱きました。理由が解らない内は目を背けていましたが、私も家族や絆と言ったものを強く焦がれていたのでしょうね。そしてそれを壊す事を躊躇って……情に流されたのでは無く情を優先したと、そう思っておいて下さい」
話を終えたシャルミラは、何事も無かったかの様に腰を上げ寝床へ戻る。
交代の時間まではもう僅かだが、少しでも睡眠の時間を無駄にするつもりは無く、必要が無ければフィオンと共に待つという選択は彼女には無い。
恋や情に流されておきながら、凛と張り詰めた空気は崩さない灰の華。用事を済ませさっさと立ち去った淑女に対し、フィオンは溜め息混じりに感謝を漏らす。
「どう違うんだよそれ……まあどっちでも良いけどよ。礼を言うのは違う気もするが…………いや、やっぱ違うな。未遂とは言え物騒な事考えやがって、油断も隙もねえ。……クライグも妙な奴に好かれたもんだな」
文句の様でありながら軽く笑みを浮かべるフィオン。間も無く戻って来たシャルミラと、互いに何も無かったかの様に振る舞い夜番を交代した。
レクサムへの帰路はこの後穏便に、何事も無く無事に到着する。全てを曝け出したシャルミラは普段の調子を取り戻し、会話や馭者の交代等にも平静に取り組んでいた。
依然クライグは思い悩んだ調子を保ったままではあるが、五人の旅は一応の前進を見せ――――遂にその時を迎える。




