第90話 晴れやかな離別
翌朝、フィオン達はベドルとトートをレクサムの町役場へ引き渡した。二度の盗みは有れど恩になった事も確かであり、更生や社会復帰の機会を与えてもらえる様にと口添えて。
次いでブリストルへの出発の前に、町の出口でオリバーと別れを交わす。
シンミリしたものでは無く、傍目には口喧嘩にも見える騒々しさ。馬車から一人離れて行くオリバーへ、フィオンとヴィッキーはまるで幼子に言い聞かせる様に大声を張り上げている。
「良いか、絶対に船に乗れよ!? 間違っても洞窟通ったら承知しねえからな!」
「向こうに着いてもちゃんと馬車を使う事! その為に金持たせてんだからね!?節約なんざしないでしっかりと安全を買いな!!」
オリバーは節約と腕試しを兼ね、ネビンの洞窟を通って帰る予定であった。別れる直前にそれを聞いた二人は、それだけは止めておけと金を押し渡し今に至る。
数十分の押し問答の末オリバーが引き下がったが、遠ざかって行くその背に対し、やかましい声は中々止まず青灰の人狼は少しうんざりする。
「ッ~~~~……いい加減しつけえゾッ!! お前らに通れたってんなら俺が通れねえ訳ガ――!?」
余りのしつこさに振り返ったオリバーだが、目の前に飛んで来た何かを反射的に掴み取った。微かに見えた輪郭と手の中にある固い感触に、人狼は押し黙りゆっくりと手を開く。
何の飾りも無い、少し古びた鍵が一つ。
そういえば昨日の夜そんな事も言っていたかと、人狼の青年はしっかりとバッグへ仕舞い込んだ。依然まだ声を張り上げている、血の繋がり所か種族さえも違う人間達へ、亜人の青年は軽く手を振り、ボソリと呟きながら再び歩み出す。
「ったク、お人好し共メ…………でけえ荷物は置きっぱなしだろうガ。これで俺が戻って盗みに入ったらどうする気ダ? 脇が甘えったらネエ……大丈夫かヨ?」
漏れる声は自身の幸先への憂いでは無く、少しずつ遠ざかる他種族達への心配。
軽く振り返ってみればまだ何かを叫び手を振っており、呆れながらもオリバーは手を振り返す。不本意な出発での旅路ではあったが、思い返して見ればそう悪いものでも無く、最後の言葉は笑みと共に口から突いて出た。
「マ、どうせだから楽させてもらうとするカ。……とんでもねえ目にも会ったガ、何だかんだあったんだナア…………楽しかったゼ、またナ」
人知れず目を擦りながら、青灰の人狼は西へと向かう。まだ少しばかり難所の洞窟へも興味は有るが、足先が向かうのは微かに違う方角。無碍にしてしまってはいつか合わす顔を無くしてしまい、家族の言う事ならばと、渋々従った。
見送りを終え馬車へ戻った二人を、アメリアはニヤニヤしながら待っていた。
フィオンは構わずに馭者席に座り馬車を出発させるが、しつこく笑みを押し付けられたヴィッキーは、少女の首根っこを掴み問い質す。
「言いたい事があるならはっきりと言いな。正直に言わないと……義手の加減を間違えちまうかもしれないよ?」
「むぐっ…………言わなくても解ってる癖、ニッ!? はい、正直に言います……始めは凄く仲が悪かったでしょ? それがあんなに……オリバーの節約だってこっちの事を考えての事だろうし…………また会えると良いね」
フッと息を吐き、ヴィッキーはアメリアを解放し髪を整える。
当初は言葉ではなく刃を突き付け合っていた様なオリバーとの間柄。それがいつの間にやら随分と柔らかくなったものだと、魔導士は自嘲気味に、少女の顔に釣られ笑顔を浮かべる。
馭者席に座るフィオンもまた、晴れ空を見上げる顔には温かなものと、一抹の寂しさが宿っていた。
「あくまで話だけで知っている程度ですが、彼とは最も付き合いが浅かったのですよね? それでも……感じるものはあるのですか?」
珍しくもフィオンに声を掛けてくるのは、灰色の髪の淑女シャルミラ。眼鏡の奥の紺の瞳は冷やかしや興味の類では無く、何故だかフィオンと同様の、物寂しいものを浮かべていた。
真意は解らないが声音はどこか真剣なものであり、フィオンは手綱を取り振り向かないまま、自身の心に正直に答える。
「そうだな、出会ったのは去年の秋だから……付き合いは半年とちょっと位か? 最初の時はそりゃもう最悪だったし怒ると牙とか爪とか怖えし……あの犬面だから見た目だと何考えてるか解り辛えで面倒臭えし……飯は肉ばっか食うから、食費もあいつが来てから随分上がったんじゃねえかな」
愚痴の様な文句の様な、何かを誤魔化す様にフィオンはオリバーに溜め込んでいたものを洗いざらい口にする。シャルミラはそれを黙って聞いているが、端々に滲み出る感情は確かに伝わり、言葉の裏の温もりは彼女の目を細めさせた。
一頻り吐き切ったフィオンは、それらを全て踏まえた上で、胸に有る想いを正直に吐き出した。
「それでもやっぱ……どうやっても腕比べは勝てねえし体力や鼻は人とは段違いだ、ズリーよなあ。しかも自慢もしねえで俺が弓を使える事は褒めやがって……便りになる奴だったよ。亜人だ何だで色々違ったけど、中身の方は全然変わんねえで…………こんなとこだ。答えになってんのか知らねえけど、これ以上は勘弁してくれ」
それ以上を口にするのは難しいと、フィオンは手綱に集中し口を閉ざした。
しかし、ここまで喋られては黙っていても同じであり、しっかりと聞いていたシャルミラは軽く礼を言って話を終わらせる。
家族や絆と言ったものに興味はあれど、経験の浅い淑女にとっては、とても参考になる感慨だった。
一人減った馬車は侘しさと共に、前を向き直った家族への温かな祝福を乗せ、南への街道を平穏のままに進んで行く。
レクサムからブリストルまでは馬車で四日の道程だが、整備された街道と万全の状態の優駿スプマドール。ある程度は予想出来ていたが日程は一日縮み、何事も無く到着したのはレクサムを出て三日目の昼過ぎだった。
戦地ウェーマスに赴く前に訪れた、エクセターの実質的な領都ブリストル。
水運と港湾により栄え商工業の発展が著しい大都市であり、豊かな機運はそれに乗れた者と乗れなかった者を分け、確たる暗部をも生み出してしまっていた。
到着した一行は宿を押さえ二手に分かれる。フィオン達三人は件の老人を探しに貧民窟へ、クライグとシャルミラは幾つか所用を済ませに軍部の方へ向かった。
「ここが…………か。ダブリンでもちっと目に入った事はあったが、どこもそう変わんねえな。さて……見つかると良いんだが」
都市の東の一角、真昼間だと言うのにどこか薄暗く、連なる粗末な建物は淀んだ空気を発する貧民街。シャルミラから聞いた場所に足を踏み入れ、フィオン達は辺りを見回しながら陰鬱な通りを行く。
ベドル達がここで問題の老人と出会ったのは、彼らが最初にフィオンの家に盗みに入った一月ほど前の事。都合一年以上前ではあるが、こういった地の人間はあまり所在を移す事も無く、外部の者が思っている程治安や社交性に問題は無いと、信憑性は兎も角話を聞いていた。
「しっかしどうやって見つけたもんか、歩いてるだけで解……るはずもねえか。やっぱ適当な人に聞いて回るのが」
「そっちの調べは当然だが…………なあフィオン、クライグの奴は一体どうしたってんだい? 森を離れてからどうにも……明らかにおかしいだろ」
クライグの様子に関し、ヴィッキーは冷たい声を響かせる。
思えばフィオン達が異形の魔獣を調べようかという時から、クライグは度々異議を唱え小さいながらに衝突を繰り返している。戦地ウェーマスやクランボーンの森で共に協力していた時には、一度も無かった事であり、論や言動の中身は別にしても、疑念を呈すには充分過ぎる変化だった。
「ここに来るまでもずっと黙ってたね。元気が無いとかじゃないけど思い詰めてる感じで…………前は明るくて面白かったのに……フィオンは何か知らない?」
「いや、俺も何も……クビになったのが結構堪えてるんじゃねえかな? 表には出さねえけど…………あいつが軍に入るまでは本当に大変だったんだ。勉強の方はからっきしで俺よりもずっと頑張って……理由は解らなくもねえけど、クビにされて平気な訳がねえんだよ」
アメリアの問いに、フィオンは苦しい顔で親友の心境を察する。
フィオンと共に士官学校に入るべく多くを積み上げていたクライグ。実技や体力面は問題無かったが勉学の方は不得意が目立ち、フィオン以上に努力をしていた。
彼一人が合格した後は、理不尽に落とされてしまった友に報いるべく、更に研鑚を積み上げ首席を勝ち取った。その結末が一方的な強制解雇では、余りにも報われないものであり、その苦悩を感じるフィオンとしては肩を持たざるを得なかった。
「まあそういう話なら……解らなくも無いけどねえ。意見を言うのは良いんだけどあんまり噛み合わないと…………戦力になるのは確かだけに、面倒なこった」
「真剣なのは解るんだけど、悩みなのかな? 何か隠してるみたいな…………。
でも、フィオンがそう言うなら今は……おじいさんを探すのに集中しよ?
ここで喋ってても、どうにもならないし」
フィオンからの説明を受け、二人は一定の理解を示すものの完全に納得するまではいかず、ジメジメとした裏町の空気に感化された様に、道行く三人の顔にはどこか影が差す。
実際にクライグの苦労を経験で知るフィオンと、話や情報でしか解らない二人では、どうしても隔たりが存在してしまい意識の差となって現れていた。
クライグの変調は何が原因なのか、頭の片隅に残ったまま三人の探索は続くが、疲労感だけが募っていく。偶に通り過ぎる人をさり気無く観察するが、髭の無い色白の老人とは巡り会えず、辛気臭い貧民街の通りをアテも無く彷徨う。
「こいつはやっぱ……そろそろ誰かに話を聞くしかねえか? これ以上うろついてても埒が開かねえだろ」
「そうだねえ……無駄に入り組んでるしはぐれると厄介だ、余り離れずに二手に分かれようか。虱潰しに聞いて行けば何とか……?」
探し方を変えるか立ち止まった所で、ヴィッキーはアメリアの様子に気付く。
振り返った少女が首を傾げ見つめているのは、ふらつきながら遠ざかって行く一人の人物。色褪せたフード付きのローブを深く被り、角を曲がりかけている。
こういった事では勘が鋭いアメリアをヴィッキーは信じ、咄嗟にその後を追う。
フィオンも気付き踵を返すが、少し見込みが甘かった。
「アメリア、何か気付いたのか? もしかしてあれが?」
「よく解んないけど……こう、首根っこを掴まれるみたいな。丁度こないだヴィッキーにされたみたいに…………え?」
三人に振り返られた人物は、急に足取りを変えて俊敏に走り出す。一瞬で路地裏へと姿を消し、更に距離を離すべく狭い道を器用に疾走する。
逸早く反応したヴィッキーはその後を追い、同じく路地裏に消えながら大声を飛ばした。
「フィオン、あんたもさっさと追いなッ! アメリアは……無理せず追うかどうにかして追うか、やれる範囲で頑張んな!!」
声に応じてフィオンとアメリアは、互いに頷きを交わし走り出す。フィオンはヴィッキーとは違う道から、アメリアもまたフィオンとは別の方向へ。既に庇護の対象では無い少女もまた、仲間達の一助となって共に目的へ邁進する。
逃げた人物は何者なのか、そもそも何を理由に逃げ出したのか?
全ては闇の中に身を隠し、三人は爪先が届いた手掛かりへひた走る。その暗がりの先にあるものが、何を呼び覚ますかも知らぬままに。




