第88話 ひそやかな暗雲
夕食を終えたフィオン達は、杯を交わしながら具体的な今後の詰めに入る。
新たな判断材料として、スプマドールは予想以上に万全の状態である事。ハンザから聞いた限り軍の徴用はレクサムには及んでいないが、北の大都市リバプールでは不明。船の枠は限られ、相場は平時の数倍にまで跳ね上がっているとの噂。
話を総合したフィオン達は、五人は陸路を考えるが、フィオンに加勢する形で船を推していたクライグのみ、依然海路を行くべきと主張していた。
「んー…………そりゃ船に乗れれば早いし楽なのは確実だけどねえ。肝心の乗れるかどうかが不透明ってのが……乗れたとしてもスプマドールがダメだったら、持って行かれる事もあるかもだしねえ」
ヴィッキーの苦言に対し、クライグは難しい顔をしつつも首を縦にはしない。
レクサムから真北のリバプールまでは歩けば二日、馬車ならば一日。
馬車で行きスプマドールも含め全員が船に乗れるのなら最短となるが、一つでも上手くいかなければ無駄足となる。
フィオン達だけが乗れたとしても、スプマドールが乗れなければどこかに預けておく他は無く、そうなると徴用で取られてしまう可能性が有る。全員が乗れないのならばそもそもリバプールを目指した時点で無駄となり、ならば最初から北東を目指して陸路を行く方が日程は縮まる。
「スプマドールを手放すのは……短い付き合いじゃねえし、久々に会ってやっぱ情がな……。つーかこいつが絶対に納得しねえよ。良いじゃねえかクライグ、無駄足になればそれこそ本末転倒だしな」
初めから陸路を推していたアメリアは、中々納得しないクライグにジト目を向けて黙っている。スプマドールが連れて行かれるという可能性が僅かにでも発生してからは、更に強硬な態度を取っていた。
親友からの説得を受け、しかしそれでも恵体の男は難しい表情を崩さない。普段は人懐こく屈託の無い笑みを浮かべる顔は、眉間に皺を寄せ苦悶を表していた。
「中……クライグ様の言う事も解りますがリバプールまで行って乗れないよりは、初めからリーズを経由して北を目指す方が良いかと思います。停戦や休戦に入ったとしても候達が気を緩めるとは思えませんし……」
「…………解った、陸路を取ろう。……ここでは俺は新参だしな、いきなり無理を言ってすまなかった。俺なりに安全や日程を真剣に考えての事けど、気を悪くしたんなら……許してくれ」
シャルミラからも説き伏せられ、ようやくクライグは首を縦に振り、少しばかり機嫌を悪くしていたアメリアに頭を下げた。
何故ここまで海路を推していたのかフィオン達には解らなかったが、その対応は真摯なものであり、思わずアメリアも居住まいを正し頭を上げさせる。
「そ、そんな大袈裟な……私はスプマドールと離れたくなかっただけで……。クライグが真剣だったのは解ってるから、私も頑固になってたね…………ごめん」
互いに謝るものの空気は少々微妙なものとなり、間を持たせる様に杯を干す速度だけが増していく。
耐えかねたのか意を決したか、咳払いをしたオリバーは自身の事に口を開く。明日で別の道を取る人狼の青年は、少しばかり気恥ずかしく、再会を願う。
「俺は明日から西ニ、ヒベルニアに帰るガ……どうなるかは解んねえけど落ち着いたら……またブリタニアに渡るとするヨ。お前らがどっかで動いてれバ…………まあ運が良けれバ、また会えるだろうナ」
ヒベルニアの西端、故郷カルバーへと帰るオリバー。
父が大金を抱えたまま行方を晦ました事で、あらぬ嫌疑を掛けられた彼は、ロンメルに触発され家族と向き合う為に帰郷を誓っている。
事が起こったのは先年の秋。何かしら進展もあるかもしれず、無ければ自身の手で真相を暴こうと既に覚悟を固めていた。
改めてオリバーから口に出され、暫しの別れとなるフィオン達も、寂しさと気恥ずかしさを隠す。
「運が良ければなんて、水臭い事言ってんじゃないよ。本気で会おうと思えばどうにかなるし、ここの合鍵でも渡しとけば良いんじゃないかい? 取られて困る物も……ほんと、話以上に何も無いしねえ」
「勝手に進めてんなよ誰の家だと思ってる? 合鍵渡すのは文句ねえがな、無いのは金目のもんであって取られて困るもんなら幾つか……」
当の本人はそっちのけで、ヴィッキーとフィオンは狩猟道具の価値やら用途やらを交わしながら酒を進める。気付けば持ち込んでいた蜂蜜酒や林檎酒は空になっており、二人は程良い酒気に染まっていた。
酔っ払いからは視線を外し、オリバーはクライグとシャルミラに杯を向ける。
自身が離れた後に家族達を守る二人へと、以前とは違う人間への考えを明かす。
「戦場で何度か見ていたガ、腕の方は確かだっタ。クライグはフィオンの昔からの友らしいナ。……今更、亜人の俺が言う事でも無いんだろうガ…………後の事を宜しく頼ム、俺も区切りが付いたラ……必ずまた来るからヨ」
控え目に打ち合わされる木製の酒器。二人は杯を干した後、託された想いを言葉に乗せる。既に幾度も死線を共に潜り抜けてきた仲であり、種族の壁というものは彼らの間にも存在しなかった。
「出来る事は引き受けましょう。乗りかかった船ではありますが、私も異形の魔獣達なぞ放っておけません。国や軍の方でも調べてはいるでしょうが、国防も疎かには出来ないでしょうし……クライグ様もそう思いますよね?」
「え? ん…………そりゃあそうだろうな、うん。……こっちの事は心配しないで自分の事をしっかりやってきてくれよ。俺達がいれば何も問題無いさ! ……というか様付けは流石に……ちょっと恥ずかしいな」
夜は更けていき歓談はお開きに、明日も早いという事で六人は床につく。
ベッドは女性陣に譲り、男三人は毛革や毛布を使い床に寝そべる。
クランボーンの森から五日の馬車旅。余り自覚は無きままに疲労は溜まっており、すぐに深い眠りへと落ちていく。
その中でフィオンは、とある記憶を夢で見る。狩人になるよりも前、士官学校の試験よりも更に昔の――――丁度十歳の頃、曽祖父メドローの葬儀の記憶を。
「…………リーク? こりゃあ……夢、か……?」
ふわふわと浮かぶ意識、夢を夢と認識し俯瞰する。
殺風景で目立った特色も無い田舎村、故郷のリーク。既に曽祖父メドローは棺の中に、葬列は寂れた土固めの道を踏みしめ、墓場へと移動している最中である。
「ったく、こちとら葬式終えたばっかだってえのに……。なんでまたこんな…………辛気臭えのは勘弁してくれ」
毒付きながら揺らめく意識はあちこちに向き、少しずつ夢の景色は鮮明になる。
色が付き人が増え風が吹き、忘れられていた記憶は段々と引き出しを開く。
蘇る感情は曽祖父への嘆きと共に、当時にも感じていた妙な疑問。父と母の後ろの参列者達は、幼きフィオンの首を傾げさせていた。
「そういや、結局解んねえままだったのか…………まあ、この後からジジイにしごかれて忙しくなったからな。一体こいつらはどこのどいつなんだか」
葬列の先頭、父母だけははっきりと解る。
小さな診療所で村医者を営む父オルミドと、畑仕事と手織りの品で家を支える母ソーニャ。理由は解らないが、祖父は足が悪いと嘘を付き参列しなかった。
そして後ろから付いて行く参列者達は、一人もフィオンに見覚えは無い。そもそも家族以外の親族と付き合いは浅く、親戚の類と引き合わされた覚えも薄い。
参列者達は年寄りが多く召使いの類を侍らす者達までおり、纏う物や立ち振る舞い等、凡そ田舎村のリークには似つかわしくない風格の者ばかり。
夢で見ている今もまるで検討は付かず、父母がビクビクと怯え困惑を浮かべている事しか解らない。
「どっちに聞いても解んねえの一点張りだったが……なるほど、どうにも本当に知らなかったみてえだな。まあ、この夢が正しいのかは知らねえけど……」
葬列は墓場に到着し、故人との最後の別れを執り行う。
棺の中の曽祖父メドローは、嘗て見た妙な夢の通り、深い皺が万遍無く刻まれた厳かな顔。二度と開かぬ瞼で閉じられているが、その面持ちはどこか優しく――
「…………ン…………くれ。おいフィ………………フィオン!」
――――夢は切羽詰った声に搔き消され、意識は夢より帰還する。
フィオンが瞼を擦り開けると、金髪の恵体、親友クライグが目の前にいた。
表情はどこか焦りが見え、手には軍刀を持っている。クビの手当ての足しに貰えたとこいつが笑いながら言っていたな、等と暢気な記憶が脳裏を過ぎた。
「……どうしたクライグ? 鼠でも出たか? 森ん中なんだそん位パパッと」
「寝惚けてる場合じゃない、シャキッとしてくれ。オリバーが気付いてくれたけど夜盗か何かが近付いてるらしい。頭動かしてくれ」
夜盗の襲来。火急の事態を報され、狩人は静かに起き上がり装備を調える。
既に他の五人は準備を済ませており、シャルミラと共にアメリアを背にしているヴィッキーは、嫌味の様に激を飛ばしてくれる。
「前にもここが盗みに入られたんだっけ? あんたは泥棒と縁でも有るのかねえ、お陰で退屈しないよ」
「るせえ、んなもん有るなら今直ぐ切っちまいてえよ。……オリバー、敵の情報は? 出方はそれ次第だ」
オリバーは窓際で耳と鼻をそばだて、外からの気配を探っていた。夜闇に閉ざされた森はフィオン達にはまるで見通せないが、人狼はその鋭敏な感覚器を以って、微かに流れ入る空気から多くの情報を掴み取った。
耳と鼻を時折ピクピクとさせながら、察知出来た事を皆と共有する。
「数ハ…………三はいねえナ。鉄ト……臭エ、まともに風呂に入ってねえぞこいつハ。……直ぐそこまで来てル」
「どうしますか? 数が勝っているなら外へ打って出るのも良いと思いますが……ここは貴方の地元です、案が有れば早く」
シャルミラは軍刀を抜きながら、フィオンへ決断を急かしてくる。
問われた狩人は現状を落ち着いて認識し、出来るだけ安全な道を選び取る。
倒すでは無く勝つでも無く、誰も失くさない事を最優先に願いつつ。
「……数が少なくても弓か何か、もうこっちを狙ってるかもしれねえ。出て行くのは無しだ。俺とクライグとオリバーで三方から迎え撃つ、ヴィッキーとシャルミラはアメリアを頼んだ」
建物の唯一の出入り口、ドアを三方向から囲みフィオン達は待つ。
外から見て右手の土間にはクライグが息を潜め、左手にはオリバーが魔操具の水晶へ手を伸ばし待機、フィオンは部屋の中央で机を盾にし弓矢を構える。
敵が入ってくるのと同時に灯りを点け降伏を促す手筈。従わぬならば矢を皮切りに打ち倒す覚悟であり、家の中には剣呑な殺気が満ちる。
「…………ッ! 来ルゾ、カマエロ」
青灰の人狼は押し殺した声で開幕を告げ、間を置かずドアが軋みを上げる。
冷たい夜風と共に闇を纏う夜盗達が踏み入り――運命の歯車が回り出す。




