第87話 帰還、レクサム
葬儀の翌日、準備を万端に済ませたフィオン達はクランボーンの森を発つ。
ロンメルから遺された魔道の義手は装着に外科手術の類は必要無く、既にぎこちなくだがヴィッキーは物を握れる程度に動かせている。ロンメルは扱える様になるまで数年掛かったと言っていたが、魔導士のヴィッキーが言うには扱いは魔道に近いものがあり、自身が直ぐに動かせているのはそれが原因だと。
「しっかし、重さの方はちょっと……。慣れるまでには時間が掛かるだろうけど、まあ仕方ないか……弄くる気にはならないしね」
既に第三軍はこの地を離れており、フィオン達の馬車は手元には無いが、アメリアの治癒によって多大な恩義を感じているダークエルフ達が手を貸してくれた。
クランボーンの森からレクサムまで、馬車で一日四十キロメートルとしても六日は掛かる道だが、戦士長兼族長代理のラオザミは一台の馬車を手配してくれた。
救われた命に比べればまだまだ釣り合っていないと、感謝をしながら見送りをしてくれる。
「お前達が来てくれなければ……ウェールズ候が来る前に村は陥ちていただろう、礼を言わせて欲しい。長旅になるだろうが、長命と幸福を祈っているぞ」
「礼を言うのはこっちの方だ、飯から何まで色々と……葬式も感謝してる。全部終わって落ち着いたら墓参りにも来てえし、その時はまた頼むよ。……達者でな」
村と森を後にし、目指すは遥か北北東のレクサム。フィオンが狩人として六年を過ごした地に六人は向かう。
ヒベルニアとは違いブリタニアでの度に道中にそう不安は無く、掛かる日数は心と現状の整理には丁度良い。誰が話し始めたか馬車の話題は旅の予定へ、レクサムの後はどの様にグラスゴーへ向かうか、地図を広げながら意見が交わされる。
「どっちを取るべきか……そりゃ最短は往復共に海だけど…………アメリア、どうしても嫌かい? 気持ちは解らなくも無いけどねえ」
レクサムで馬車と白馬スプマドールと合流した後、ブリタニア北部のグラスゴーまでは船が最短経路となるが、それならば馬車は必要無い。
フィオンは往路で船を使う事を提案したが、それに対し、アメリアは少し頬を膨らませ、ヴィッキーは義手の練習も兼ねて少女の頭を撫で宥めている。
「ブリストルに置いて行ってからずーーーーっと、スプマは放っておいてるでしょ? ダークエルフの人達から聞いたけど運動不足は馬に悪いって……それに船に乗るんなら、ロンメルさんのお金に手を付けるんでしょ? 無駄遣いとは思わないけど、節約出来るならその方が良いと思う」
ロンメルの財産はまだ相続の手続きを終えていないが、遺言通りヴィッキーが預かるにしても、用途は皆で話し合って決めようという事にした。かなり纏まった金額であり路銀としては充分に過ぎるが、誰も浪費を良しとしていない。
オリバーとはレクサムで別れその後五人でグラスゴーまで船旅をするのなら、決して安くは無い出費となる。
「預けてるじいさんがサボってねえなら、スプマドールも運動不足にはなってねえ……と思うぞ。早いとこ戻って森の周辺なり何なりを調べねえと……それこそ手掛かりを逃がすかもしれねえだろ? 戻って来てからは馬車を使うんだし……船で往復なら十日も掛かんねえって」
葬儀の話し合いの後、フィオン達は旅の準備を進めつつ改めて戦場跡も調べたが、有効な手掛かりは得られなかった。グラスゴーでヴィッキーの杖を調えた後、森の周辺の町や村を調べ異形の魔獣達の出所を探る予定である。
陸を行くか海を行くか。フィオンとアメリアの話は平行線を辿るが、新たに馬車に加わったシャルミラは気後れせず、元軍人としての経験を口にする。
「グラスゴーを目指すなら……リバプールから船が出ている筈ですが、まだ戦時徴用で枠が厳しいかと。例え空いていても相場は跳ね上がっているでしょうし、私は陸路の方が良いかと考えます」
灰色の髪の淑女は陸路を推し、アメリアは賛同者に抱きつき得意気になる。
ヴィッキーは特にどちらでも良いと中立であり、馭者をしているオリバーも離脱後の話に軽口を上げようとはしない。
孤立無援で窮すフィオンであったが、もう一人旅の仲間に加わった元軍人。親友クライグは友の肩を叩きつつ、船旅の方に利が有ると情報を出す。
「いや、北の戦いはもう停戦交渉に入ってるらしい。南のカリングの方も一時休戦に入ったから……どれ位かは解らないけど徴用は緩むと思うよ。速さを求めるんなら船の方が確実だし、アイリッシュ海なら波も穏やかだから安全だよ」
親友の援護射撃に、フィオンは思わず肩を抱いて労う。
シャルミラの主張を真っ向から崩す情報であり、アメリアは旗色が悪くなったと眉を寄せるが、傍らの女性は違う反応。
既に軍を抜けたクライグが、なぜそんな最新の情報を持っているのか?
一般にはまだ流れておらずフィオン達には初耳だが、ほぼ同時に軍を抜けたシャルミラさえも知らない事に、眼鏡の淑女は首を傾げる。
「中尉、それは本当ですか? 私も初耳ですが、どこで得た情報なのでしょう?」
「え? あぁ……第三軍の人達が話してるのをちょろっと聞いたんだよ、通信の魔操具を借りる時に……というか中尉は止めてくれ、もう軍人じゃないんだから」
その後も話は続き、レクサムに着いてスプマドールの状態を見てから決めると落ち着く。船の方も実際にどうなっているかはクライグにも解らず、具体的な計画策定は時間の経過を必要とした。
異形の魔獣に端を発する旅路。フィオン達は幾らかの警戒をしつつ旅を進めて行くが、魔獣にも野盗にも遭遇する事無く、道を行く車輪は滞りなく進む。
戦争に対応すべく街道の整備は行き届いており、六日掛かると思われた日程は五日に、一行はフィオンには懐かしいレクサムの町に到着した。
「ここが……フィオンの故郷……。へぇー……」
「故郷じゃねえよ、ヒベルニアに来るまで住んでた……まあそんなとこだ。ちょっと待っててくれよ、スプマドールを預けてる知り合いのとこに行ってくる」
深緑と共にある緑の町レクサム、夕方に到着し町には微かに橙色が下りている。
各人は町の方々に、アメリアとオリバーは馬車で留守番をし、ヴィッキーとクライグとシャルミラは役場へと向かい諸々の所用を済ます。
フィオンは一人で懐かしの雑貨屋へ、古びた戸を開き寂れた店へと入る。
何の連絡も無いままの再訪、店の主である老人は相も変わらず、木製のカウンターの奥で古びた本を広げていた。
「……よ、久しぶりだなじいさん。いきなり馬を預かってくれとか色々……迷惑掛けちまってすまなかったな」
声を掛けられたハンザは、目の前の人物が一瞬理解出来ず、長くボサボサの眉の下で目を白黒させる。
自然とはにかんだフィオンはカウンターの前まで近付き、頭が追いついたハンザは腕を伸ばし、一年ぶりの再会に喜びを浮かべた。
「フィ、オ…………フィオンか!! 無事で……いや、いきなりお前さんの名で馬と馬車を送られて来た時は面食らったが……よく、帰って来てくれた。……戦争に行っておったんじゃろう、大丈夫か? 怪我なぞはしておらんじゃろうな?」
一年前と同様、ハンザはフィオンの体をパシパシと叩き無事を確かめる。
どこか面映いフィオンは今は黙ってそれを受け入れ、我が事の様に喜んでくれる老人に無事を伝えた。
積もる話は余りにも多いが仲間達も待たせており、一頻りハンザに付き合ったフィオンは本題を口にする。
「預かってもらってた馬を引き取りたいんだが……勿論掛かった金は払うし、ちょっと色々有ってもう一頭手に入ったからそいつを補填って事で」
「水臭い事を言うな、金の方は……いや、餌代はバカになっておらんが一頭貰えると言うんなら……埋め合わせには充分過ぎる。同封の手紙にあった通り運動も……まあ実際に見る事じゃな」
店の裏、小ぶりながらもしっかりとした厩舎に通され、フィオンはスプマドールと再会し、思わず目を見張る。
白馬は一回り馬体を大きく、一目で解る程に健強になっていた。四肢に漲る筋肉は隆々と膨らみ、尻から首に掛けてのラインは鉄骨と紛う程に頑強に真っ直ぐ、どこか顔付きさえも鋭くなっている。
フィオンは驚きを隠せずに口をあんぐりと開け、ハンザはどこかしてやったりとその脇を小突いていた。
「こいつは…………何させてたんだ? 少し走らせてただけじゃこうは……」
「畑仕事が中心じゃが、森の開拓で切り株を引っこ抜かせたり力仕事も多かったからのお……丁度タイミングが良かったんじゃろう、水も餌もガツガツと食いおってなあ。良い馬じゃよ、こっちも助かったわい」
見た目はガッシリと壮健になっているが、手渡された手綱からは大人しく懐かしい気配が伝わってくる。フィオンはハンザに感謝しつつ馬の交換と、持て余す事になった馬車を一台おまけに贈った。
一目で解るほど勇壮になったスプマドールに、アメリア達も驚きと共に喜びを顕にし、ハンザに感謝を伝え後にする。久方ぶりに会えた優駿はやはり懐かしさを噛み締める様に、少女の首許に頭を近付けていた。
ハンザと別れたフィオン達は森の中を、町外れに在るフィオンの家へと向かう。
既に夕陽は沈みかけており、森に差す黄昏は見る間に陰りを濃くしていく。
「っと、あれがそうかな? んー……六人寝るにしては狭いんじゃないか?」
「中に殆ど物はねえから大丈夫だよ。早く飯作んねえといけえねえし、ちゃっちゃっと着けちまってくれ」
馭者のクライグが見つけたのは、森の中にポツンと姿を表したフィオンの家。
一行は大荷物は馬車に残し、手荷物のみを持って中へと入る。何度かハンザが掃除しており直ぐに寛げる状態であり、六人は手分けして夕食の準備や、スプマドールを繋いでおく物置の整理に取り掛かる。
「ット……フィオン、こいつはどこに置いておけば良イ? 外に出しちまって良いもんカ?」
「ん? そいつは……皮なめしの一式だな。もう随分使ってねえし……とりあえずは外に出しちまってくれ、今はスペースを空けねえと」
家の直ぐ隣に立つ木造の物置。大半はガラクタの類やフィオンが使わなくなった狩猟道具、複合弓を作るまでの失敗作等で埋まっている。
フィオンとオリバーは手分けして要る物と要らない物、外に出して良い物やそうでは無い物とに分けている。一先ずはスプマドールを寝かせられる空間を確保し、後は適当に草を敷き詰めておけば文句の嘶きはされないだろうと。
「こんなもんか、後は森から草を……っと、こいつは……」
矢の作成に使っていた古びたナイフ。手入れも何もあったものでは無く、埃と土に塗れている。
しかし手に取ったフィオンはこの地で過ごしてきた六年の記憶を、まるで昨日の事の様に鮮明に思い出す。
少しまでは当たり前に明け暮れていた狩人としての毎日。弓矢を担ぎ森で射り、解体し町に皮を卸し、稀に町の猟師達と浅くではあるが交流して来た日々。ささやかではあるが、満ち足り完結していた年月の名残。
グラスゴーへ行く中継地でしか無いと考えていたが、フィオンは漸く、第二の故郷とでも言う地へ帰って来た事を、しんみりと実感した。
「フィオン、何をボケッとしてんダ? 早くしないと日が暮れちまうゼ?」
「お……ぉお悪い、今手伝う。枯れ草の方が温かいから緑のを先に敷いちまってくれ、その上に茶色いやつを……」
思い出の欠片は放り出さず、物置の棚の上に。特別大事に扱う程では無いが、野晒しにするつもりは起きなかった。
帰郷の一日目は更けていき、森には夜の帳が落ちる。
森の中の一軒家には一年振りの灯りが点り、微かな賑わいが響く。まだロンメルの事に少し引き摺られてはいるが、彼の為にも前を向こうと足掻く儚げな談笑。
しかし、温かな光は闇の中では余りに目立ち、思わぬ者まで招き寄せる。
炎に飛び込む蛾の様に――――復讐の殺意がにじり寄っていた。




