第86話 騎士と軍人、矜持と責務
海原を疾走する第五軍の装甲騎兵隊。砦から立ち上る赤い狼煙には気付きつつも、一切構う事無くその後方のウェーマスへ、上陸に最適の波止場へ駆け抜ける。
海際までしっかりと築かれた砦の備えや馬防柵は、何も出来ずに黒の騎馬隊を見送る事しか出来ない。
「閣下、大佐の方も滞りなく済んだ様です。直に砦への総攻撃も始まるかと」
森からは黒煙が上がっており、近衛の一人は主君レーミスへ吉報を述べる。
予定では騎兵隊が町へ攻め込むのに乗じ、本隊は砦を陥としに掛かる算段であり、先頭の黒騎士は部下の働きに報いるべく、更に速度を速め獲物へと迫る。
「一息で港を制圧しそのまま町の掃除に入る! 順路は打ち合わせの通り、間違えた者は死を心得よ!!」
黒備えの騎兵達は真っ直ぐに港へと強襲を掛ける。
船からの荷降ろしの為に幾つか桟橋が架かっているのみの環境は、段差も起伏も欠しく、騎馬突撃には最適の地形。柵も物陰も無く、隠れる場所は皆無。
帝国兵達は目と現実を疑う事しか出来ず、心構えも隊列も整わないまま、馬上槍と蹄鉄を赤に染める為の塗料となる。
「テッ、敵ぃ!? ドミニアは魔獣でも飼って……何がどう――」
僅かに見張りの兵達が詰めるのみの波止場は、海からの騎兵突撃に成す術も無く崩壊する。槍先は茜の兵達を海へ突き落とし、荒ぶる軍馬は土と海を問わず、もがく帝国兵達を蹄の下に踏み締める。
港に寄せる波は瞬く間に、仄かな赤味を帯びるものとなるが、騎兵達は一息も乱さぬまま返り血に塗れる主に付き従う。
レーミスは悠然と手綱を引き、血払いもせずそのまま、町中へ馬首を向かせる。
前言の通りここからが本番であると、町の掃除に向けて隊列を整えさせた。
「――進めッ! 今こそ我らの領土から、汚らわしい鼠共を駆逐する時ぞ!!」
激と共に町の通りは、逃げ場無く広がる黒の壁に占領される。轡と槍先を揃えた道幅一杯に広がる騎兵突撃。後には轢き潰された帝国兵達が無残な屍を曝すのみとなり、港町ウェーマスには断末魔が満ちる。
たゆまぬ訓練によって培われたそれは一匹の巨大な魔獣と化し、町を一筆書きに塗り潰して征く。
帝国兵達は立ち並ぶ家々の中に咄嗟に逃げ込むか、呆然としたまま轢死していくのみ――とはならず、狼煙に対応出来た士官は一隊を率いて反撃を試みる。
「来たか……構えよッ! 帝国兵の意地を奴らに見せ付けてやれええ!!」
茜の兵団が一面に並べるものは、長さ五メートルを越える大槍の陣。石突をしっかりと地面に突き刺し固定されたパイクの槍衾。
騎馬突撃の天敵を構えられ、しかし足並みを乱せば後ろの者に巻き込まれる装甲騎兵隊は、更に加速し、軍馬は騎手の意思を四肢に込める――
「馬鹿共が、串刺し――――ニ、ィ?」
鍛え抜かれた駿馬は魔操具の助力を得、軽々と槍の穂先を跳び避ける。
常識離れの跳躍に帝国兵達は対応出来ず、一瞬の困惑が生死を分けた。
「踏み砕けッ! 立ちはだかる者は全て――等しく頭を地に埋めてやれええ!!」
決死の覚悟での迎撃は、無慈悲に路傍の残骸と化す。馬上槍は帝国兵達を裂きながら突き飛ばし、軍馬の蹄鉄は血と肉と骨を塵芥とさせる。
黒き騎兵隊は一糸乱れぬ統率により、そのままウェーマスの町を死の淵に叩き落とした。蹂躙を阻める者は無く、潮騒は地獄の叫喚に搔き消される。
町の大半の掃除を済ませた騎兵隊は、三手に分かれる。
一隊は緒戦においてフィオン達冒険者が突き止めた物資倉庫を押さえに。本来は火を掛ける予定であったが予想よりも事が上手く運び、燃やすのは勿体無いと鹵獲に掛かる。
大半は町に残った残党の捕縛に。既に抵抗する意思も戦力も無く、危惧すべきは自害か自棄であるが、近衛隊は油断無く事に掛かり縄を締めていく。
残りは戦にケリを付けるべく、砦の背後に迫る。既に趨勢は決したが砦を巡っての攻防戦は依然戦の音を響かせており、第五軍団の主は雌雄を決すべく、旧敵の指揮官に引導を渡しに向かう。
目立った抵抗も受けず砦の後方まで辿り着き、孤軍奮闘する銀騎士を捉える。
「奮起せよプロヴァンスの勇士達! 我らの真価を示すはッ――今を置いて他には無いぞおお!!」
ムアンミデルは近衛隊と共に陥落寸前の砦を何とか繋ぎ止め、殿の役目を果たしていた。帝国兵の大半は逃げに徹しており、ウェーマスの町の西端を経由し南方のポートランドへと向かっている。
己が身を省みずに武を振るう騎士に、レーミスは敬意を表しつつも槍を向けた。
武人では無く一人の指揮官として、名を使い敵軍の息の根を仕留めに掛かる。
「聞けえッ! カリングの負け犬共よ! 既に町はトリスタン六世の槍によって奪還された。この砦を死守した所で、貴様等の努力は何も実を結ばぬぞ!!」
砦の後方から現れ、同時に敗北を突きつける名乗り。死力を尽くしていたムアンミデルの部下達さえも、これには勢いを弱め目に見えて動きは鈍くなる。
だが逆に、銀甲冑の騎士は逆転と報仇の一手を見い出した。のこのこと姿を表した大将首に向けて、血塗れの銀の槍と馬首は静かに狙いを定める。
「っ…………ッ゛!!」
名乗りも無く口上も無く、銀の騎士ムアンミデルは殺意だけを滾らせ、一直線にレーミスへ襲い掛かる。
砦の最前面から戦場を俯瞰していた男は、その金眼に、身動き取れぬまま焼き殺された友軍と、首を取られながら骸まで灰とされた大将をはっきりと映していた。
「閣下、お下がりを! 応じる義理などこちらには――」
「馬鹿を言え、私が遅れを取るとでも? お前達は逃げた鼠共を狩り取っておけ。大佐よりも戦果が少なければ……いや、多かった方に褒美を取らそう」
黒の騎士レーミスは軽く果し合いに応じる。ベルナルドにはああ言ったものの取れるならば取っておきたい首であり、今は正に絶好の機会であった。
再び果たされる大将同士の一騎討ち。
一合目は両者全速の突撃による槍の合わせ合いとなり、痛烈な金属音と共に、互いの槍先は火花に包まれる。そのまま二騎が擦れ違いになった刹那、黒騎士が駆る黒馬は――瞬時にして制動が掛かり、レーミスは剣を抜きながら一閃を放つ。
「ッ――もらったあああ!!」
魔道の鎧を纏う黒馬は後ろ足から根が生えた様に急停止し、人馬一体の動きで繰り出された剣閃は銀騎士の頭を――――
「なニッ――――ガァァ!! …………ッ!」
ムアンミデルは間一髪の所で、上体を捻らせ軽傷で済ませた。兜は弾け跳び金の短髪と黒肌を血で濡らしつつも、闘志は些かも揺らいでいない。
レーミスは間髪入れずに攻め掛かり、槍を落としたムアンミデルも剣で応じる。
両者は先日の決闘と同様、互いの馬を止めたままの切り合いとなるが、前回と同じく拮抗状態とはならない。
「どうしたどうしたああ!! 手抜きでもしているつもりかッ!? レディーファーストを受けるつもりは毛頭無いぞ!!」
既に砦を守る為に激戦に身を投じていたムアンミデル。銀の騎士には明らかに疲れが見え、速さも力も劣勢を色濃くしている。
見る見る内に銀の鎧は斬撃の傷と鮮血で覆われていき、愛馬は主の意を汲み距離を取るが、両者の流れは既に明らかとなっていた。
「ッ……ッゴ、グ……っぬ……っ」
「今ならば捕虜にしてやらん事も無いぞ? 応じるならば貴様の兵達も……助かる分には助けてやろう。これ以上は自殺にも近い……英断を望む」
レーミスは勧告を突き付けるが、ムアンミデルは殺意を下げはしない。
既に彼の部下の大半は、一騎討ちの開始と同時に主の意を量り逃げ伸びた後。今尚周りで戦っているのは、主と共に殉じると覚悟を決めた者か、復讐に類する感情で己を見失っている者達だった。
余り本気では無かったが、頑として拒否を示された事に黒の騎士は一息を吐き、するべき義務は果たしたと遠慮無く、更に勢いを増して首を獲りにいく。
再び切り結ぶ両者だが、天秤の傾きに変わりは無い。
黒騎士レーミスの刃は血風を纏い縦横に振るわれ、銀騎士ムアンミデルは息を苦しげに、少しずつ己が身を削られていく。元々ほんの僅かにレーミスが勝っていた武勇は、この場で付いた数々の要因によって更にその差が開いている。
両者は無言のままに殺意と剣先のみに意を乗せ加速していき、遂に頂点を迎えた時に――銀騎士の刃は鮮血を浴びた。
「っな? ……きさ――――貴様ああア゛ァ゛!!!!」
「――!?」
憤怒を轟かせるレーミスと、己が一撃に驚愕を浮かべるムアンミデル。
男の剣は誤りでもなく狙い通りに、彼女の愛馬の首を落とした。全身鎧の黒馬は鮮血を溢れさせ、自身の剣が塗れた赤に、黒肌の騎士は戸惑いの顔を見せていた。
愛馬を亡きものにされ、地に投げ出されたレーミスは怨念の叫びを響かせる。
「貴様っ……よもやそこまで…………騎士としての矜持を捨ててでも勝利を欲したか!? それが帝国の騎士の……武人の誇りだとでも言うつもりかああ!!」
馬への攻撃は騎士道において外道に当たる。暗黙の了解とは言えそれを破られたレーミスは激憤をぶつけるが、そもそもムアンミデルは彼女の駆る馬を、真っ当な馬だとは思っていなかった。
海面を駆け抜け生物にあるまじき制動を行う存在を、魔操具の技術により造られた何らかの異形だと勘違いしてしまい、ならば攻撃しても良いだろうと。
全てを理解したムアンミデルは言い訳は口にせず、粛々と刃を収め馬首を返す。
「情けを掛けるつもりか!? 外道に掛けられる謂れなど私には」
「落馬させた者を手に掛ければ、それこそ私は畜生に劣るだろう。……情けでは無く、これは私が私の為に出来る最後の処方だ……口を出さないでもらおう」
過失とは言え犯した事に、ムアンミデルは何とか己が矜持を繋ぎ止めようとし、男の背から誇りを感じたレーミスは、頭に上った血を何とか引き摺り下ろす。
決闘は幕引を悪く終えたが、ここは武人が競う闘技場では無く国が勝敗を分かつ為の戦場。両者は過去を一息で流し、互いに指揮官としての振る舞いを見せる。
「……ウェーマスの町からは相当の捕虜が獲れるだろう。それに関して後日使者を送る、色好い返事を待っているぞ」
「……承知した。使者は慣例通り付き添いを含め三名まで、武装も許そう。士官階級には貴族家も多い、丁重な扱いを期待する」
決闘は勝負を分かたず、戦の趨勢のみが勝敗を分ける。
ドミニアとカリングの戦いは短いながら休戦期間に入り、互いの戦は一時干戈では無く、紙と筆と言論に依る交渉へと意向する。
そしてそれを握るのは、戦場に座す指揮官だけでは無い。忠義や思惑は違えど互いが戴く、君主の手にも重々しい筆が握られていた。
§§§
ウェーマスの港町から遥かな北西、ドミニア王国王都コルチェスター。
二人の指揮官が戦の幕を下ろしてから数時間後、その報告を魔操具の通信機で受け取ったブリタニアの王。ドミニア王ウォーレンティヌスは一人静かに、本棚と書類に満ちた王城三階の執務室で、机を紙束に埋めていた。
「そう、か……女傑殿には感謝せねばな。これで間に合ってくれるだろう……帝国が貴族共を放り出せば……いや、それだけは有り得んか」
錆び枯れた声、皺とクマの濃い双眸、白髪の目立つ金の髪。齢四十三とまだ若年の王は、還暦と紛う程の憔悴を見せながら先々の事に思いを巡らす。
それも無理の無い事。年若く王位を継いでより二十年以上、夜は一度の熟睡も出来ず、昼の内に僅かな仮眠を取る事しか出来ておらず、彼の心身は限界をとうに越えていた。
起因するは円卓に纏わる呪い。それは深く王位にも根を張っており、凡そ人の身のまま全てを清算する事も払拭する事も敵わぬ怪物。
呪いによって支えられた王位である以上、投げ出す事も消し去る事も出来ぬまま、最大の加害者は百年を経た現在、ある意味では最大の被害者ともなっていた。
「友達にか……まあ問題無い、首輪として機能していれば……」
戦の展望には一息を付き、次いで目を配るのは別の報告書。忠実に励んでくれている若者からの、クランボーンの森の始末であった。
「ッチ……これだから老人は嫌いだ、あれ程念を押したというのに……何故先に魔操具で連絡を寄越さん。第三軍に見られたのはまず――?」
薄暗い執務室に響くのは、扉越しのノックの音。
王は見られてはまずい書類を仕舞いそれに応じる。ウェールズ候への八つ当たりは一瞬で熱を冷まし、気怠げではあるが部下達に理解を持つ王として振る舞う。
「何か用か? あと六分程は暇があったと思うが……」
「ハッ! リーズ候が目通りを求めており、既に謁見の間にて待機しております。用件は窺えておりませんが陛下と直接お話をしたいと」
「リーズ候、か。それは……」
目通り、謁見。王は目を細め誰が来たのかを察するが、念の為に確認を取る。
間違えてしまえば厄介事の種になりかねないが、今はたかが六分とは言えども、唯一心を安らげる明るい内の睡眠を削られたくは無い。
兵は王の問いに答えを返し、受け取った王は椅子に深く背を預けながら、安心した様に申し渡す。
「そちらならば謁見の間に待たせておけ。少し眠る……暫く放っておいてくれ」
要請に応じ防衛の為、王都へと軍勢を率いて駆け付けたリーズ候。現円卓において最強の男を、まるで下男を扱うように王は待たせる。伝説に謳われる百年前の嘗ての円卓において、聖王に最も近く侍った太陽の騎士の末裔を。
兵は戸惑いつつも忠実に、王の命を受け下がっていく。
王としての力は別に、円卓としての力関係では下位に属する筈のウォーレンティヌス。それが上位のリーズ候に対しこの対応を取る事に、兵としては気が気では無かった。
「流石に、これが最後の山場だろう。後は…………いや、もう無い……で欲しい」
微睡みつつも、やはり不安は払拭出来ないまま、浅い眠りへと落ちていく。
意識は途切れる瞬間まで五体を動かし、いるはずの無い刺客に双眸は怯え、脳髄は先々の心配を予感する様に思考を回し、乾いた口は言い聞かせる様に、弱々しい激を自身へ飛ばす。
「もう少しだけ……あと…………もう少しだけ、だ…………」
眠りに落ちても尚、クマの濃い顔から怯えは消えず、逃げ出す事の出来ない運命は、夢の中でも大罪人を責め続ける。
戦渦は一時鳴りを潜め、ブリタニアには静寂の時が訪れる。
生き延びた青年達は遂に、もがき苦しむ中で一つの答えへと辿り着くが
暴かれた物語は再び――――牙を剥いて襲い掛かる。
エクセター戦役、了。
舞台は血と刃が飛び交う戦場から、紙とインクの物語にライトが照らされる。




