第82話 遺された者達
依然三人の哀惜が満ちる部屋。ささやかな風は悲しみを慰撫する様に優しく流れ、家族達の涙をそよがせる。
その空間に飛び込んでくるのは、控え目なノックの音。
中の様子を知った上で鳴らされるそれは、小さく二回だけ。それ以上の催促はせず、用のある人物はドアの外で待機する。
「誰ダ? クライグの奴カ……? ったク、もうちょっと待てっテ……?」
オリバーが応対しドアを開けると、そこには彼の知らない一人の冒険者。
フィオン達には幾らかの接点がある男、アンディールが立っていた。武装は無く軽い様子も無く、重々しく神妙な面持ちは故人への弔意を示している。
一礼をした後に部屋の中に入り、ロンメルの傍で俯いたままの若者、フィオンの肩に手を添え無言で頷きを見せる。
「アン、ディール……? 随分探したんだぞ、今までどこに……」
「情けねえ話だが夜戦の時に逃げ出してな、その後は森に潜伏してたんだが……あのでけえ音で戻って来てみれば、妙な腕の爺さんが危篤と聞いちまってな。もう少し待つべきとも思ったんだが……」
アンディールは胸に手を当て、ロンメルに黙祷を捧げる。
深く長くそれでいて手慣れた所作、真摯に故人を悼む姿は、初めて見る彼の姿だった。祈りを終えた男は再びフィオンに目を落とす、先行きを心配する様に、その胸の内を探る。
「お前らと最期を過ごせたのは……いや、俺が言える事じゃねえな。……これからどうするんだ? まだ戦に従事するのか?」
フィオンはロンメルの額を撫でながら、問いには首を横に振る。
まだしっかりと話し合い決めた事でも無いが、それだけは無いだろうと。アメリアもオリバーも、それに異を唱える事は無い。
次いでアンディールはロンメルの義手に目をやるが、肩から外されたそれと傍らで意識無く眠る女。右腕の無いヴィッキーを見やり、口を噤んだ。
「ッ……ダークエルフ達はでかい葬儀を行うらしい、第三軍も冒険者も交えてな。お前らはそれに参加すると良い、心の区切りは必要だ。……邪魔したな、用件はこれだけだ。……額当て、大事にしてやれよ」
アンディールはそのまま部屋を出て行く。多くを聞きたかったフィオンだが、今はそれを聞ける心情でもなく、どこか忙しそうな背を止める事も出来なかった。
次いで入れ替わりに部屋に入ってくる二人、クライグとシャルミラ。
軍人としての堅い空気を纏っており、ロンメルに軍礼を行い死を惜しむ。フィオン達とよく接点を持っていた二人は、元ではあるが軍人として経験に富むロンメルから、多くの享受を受けていた。
「盗み見るつもりは無かったんだけど、さっきのやり取りは見ていたよ……。離脱に関しては俺の方から掛け合っておくけど……フィオン、その後どうするかは……決めてあるのか?」
先の事を問われ、フィオンはまだはっきりとは答えられない。やるべきと思える事は定まっているが、それもヴィッキーが起きてから話し合う必要があった。
啜り無くアメリアの背を撫でつつ、フィオンは親友に答える。
「すまねえな、お前の事がどうでも良くなったって訳じゃねえんだが……。まずは葬式をして皆と話し合って……家族だなんて言われたなら、最後までやってやんねえと、な?」
空元気を張る親友に、クライグは口を開き掛けるが、何も言わずに踵を返す。
自身に何かを言う資格は無いと、血の通わない軍人としての任務を優先した。
「そうか……俺達はもう暫くここにいる、予定が決まったら教えてくれ。良い仲間を……持ったんだな」
答えを受けたクライグは、シャルミラと共に部屋を出て行く。
帝国軍の襲撃を受け人間に対する強硬派を多く喪った村では、既に第三軍を伴い、ラオザミが主導し葬儀の準備が進められている。クライグとシャルミラもそちらへの協力や本部への報告等、多忙を極めている最中であった。
再びフィオン達だけになった空間に、呻き声が響く。
意識を失っていたヴィッキーが目を覚まし、開かれた深紅の左目はぼんやりと、力無く天井に注がれる。
「ヴィッキー!? 今は、まだ……無理しちゃ……」
アメリアの静止は聞かず、ヴィッキーは上体を起こそうとするが、右腕を失くした身はベッドにボスリと崩れ落ちる。横になった彼女は、無反応のロンメルと、外されている魔道の義手に気付く。
「ッ――! …………そうかい……なら……しょうがないね」
ヴィッキーは義手には構わずに、残った左手でロンメルの髪に手を這わせる。
白髪混じりであった黒髪は更に白を多くし、燃え尽きた後の灰の様な色になっていた。表情は安らぎを浮かべ、何の反応も示さない。
察したヴィッキーは目を細め、最後に髪を整えてから手を離す。
全てを悟った彼女は自力で起き上がり、託された技手を持ち上げる。左手だけでは持ち難く、抱き上げる様に胸に抱え込む。
「ヴィッキー……前にアメリアに話したらしいが……ロンメルは、お前の――!」
フィオンが言い終える前に、ヴィッキーは何も言わずに頷いた。
その顔に驚きや戸惑いは無く、ロンメル同様彼女自身も、全てを知った上で黙っていた。その上で喋らなかった己が胸の内を、どこか寂し気に口にする。
「こいつが気付いててあたしが気付いてないなんて事、あるもんか。……結局、お互い言い出せないままだったけど……これで良かったんだよ、これで……ね」
朧気にロンメルへ目を向けつつ、ヴィッキーはその死を受け入れる。
未だ受け入れられずにいるフィオン達よりも、最も彼と繋がりが深かった彼女は、悼み悔やみはすれどそれ以上は背負ってやるものかと、気丈さで覆っていた。
まだ心に受け入れ難いアメリアは、知らされていなかった二人の関係にも惑い、更に顔を崩れさせる。
「どうして……二人共言って、くれなかったの……? 私はッ……そうすれば、もう少し…………ッ」
ヴィッキーは残った左手で少女を撫でながら、話さなかった理由を明かす。
逃避ではあれど互いに同じであったと、辛い過去を苦々しく振り返る。
「……すまないねアメリア、でもね……言い出せる訳も無いだろ? あんたの右腕を奪った元は、あたしだなんて……目の前に腕の仇がいるぞなんて……。こいつが言わなかったのも思う所があったからだろう……出切れば、忘れちまった方が良い様な事さ」
ヴィッキーの家族を襲った魔獣の一件。
危害を加えたのは魔獣に違いないが、事が起こる前にそれを目にしていたヴィッキーは、自身にも非が有ると考えていた。もっと早く対応出来ていれば、違った未来があっただろうと。まだ十才だった彼女をそう責める者は、誰一人いなかった。
そのまま罪悪感を抱いていた彼女は、被害を被ったロンメルに話す事は出来なかった。彼が気付いているとは、彼女も知りつつも。
「いつもいつも庇ってきて……何も言わず隠してるつもりだったんだろうが、見え見せだったさ。最後まで庇ってその上こんなもん遺しやがって……ったく、重いってんだよ……ッ」
義手を抱え込み、額を押し当て声を殺す。ヴィッキーが見せる初めての涙に、フィオン達が驚く事は無い。共に深く涙の痕を刻んでおり、その心は痛い程に理解出来た。
同時に、悲しみながらも受け入れる彼女の姿を見て、フィオン達も少しずつだが前を向き始める。
「ヴィッキー、ロンメルはお前に全てを譲るって……荷物の中に必要なものは揃ってるらしい。義手もお前に使って欲しいってよ…………少し……重いかもしんねえけどさ」
伝えるべきと考えていた、伝えなければならない事。
あくまで親切心で忘れない内に大事な事をと、伝えられた想いは堰を切らせる。 物量ではなく心の重みは、冷たい心を跡形も無く溶かしていく。
「だから……重いってんだよ。庇われて遺されて、甘やかされて……いつまでも子供扱いして……。される側の身にもッ……なってみろってんだ……」
ヴィッキーが胸に抑えていたものは、遂に決壊する。
余りにも重い想いは、蓋をされていた少女の心を剥き出しにさせ、叫びと共に大粒の涙を、十八年振りの素直な心を暴きだす。
「ッ……私に、どうしろって言うのよ!! ありがとうも……ごめんなさいも……まだ、なにもッ――――もうちょっとだけ……待っててよ……ロンメル」
激しく声を上げて泣く女に、フィオン達も再び込み上げ、たった一年余りではあるが、亡き家族との記憶を思い起こす。
もっとこうしていれば良かった、あの時ああしていれば……。無為にさえ思える仮定は故人を偲ぶ想いと交わり、少しずつ心を解きほぐす。
儚いもしもが無限に積まれ、泡の様に消えて行く。人の価値はその死後にこそ正しく真価が表れると言うが、落涙はそれを示すかの様に、流れが留まる事は無い。
だが、受け入れた後の感情は、皆が皆前を向こうと足掻くものとは限らない。
涙を溢れさせ顔を覆う少女の言葉は――呪いを孕んでいた。
『どうして……あなたが…………どうしてッ……』
か弱く細く放たれる、だがはっきりと運命を呪い、敗北に屈する意思。
響く呪詛は青年の心に滲み込み、底に沈んでいた幾つもの呪い、それらと結合し遂に感情となる。一つになった感情は心に広がり、肉体を支配しようと現れる。
「ッ!? ……っ゛!! ――――ッグ……」
衝動的に顕現するものは、純粋な憤怒。
運命を嘆きながらに膝を折り意思を折る心に、未だその原因は解らぬまま、フィオンは無意識に怒りを覚えていた。
幾度もそれらに遭遇し、己の奥底に潜んでいたものは、遂に形を成し――
「――っは、ァ゛……っ……?」
再び、闇へと沈んでいった。爪先が微かに血に濡れるのみで、拳は解かれる。
今だけは、自らの怒りを上回る他者への嘆きが勝り、怒りは霧散される事も無く、再び撃鉄を起こして火種を待つ。
硬直するフィオンには気付かぬまま、オリバーはロンメルの死を尊重し、アメリアの言葉に異を唱える。
あくまで、少女に絶望ではなく前を向いて欲しいと願い。
「アメリア、じいさんはヴィッキーを守ッテ……運命に勝って死んだんダ。気持ちは解るガ、それを否定するのハッ……したくはネエ」
「解ってる……解ってるけどっ……でも……。でもっ……」
本人や周りがどう言おうとも犠牲を伴った結果に、少女は納得出来なかった。
だが、どうしていれば最善だったのかなど、それこそ人の身には余る領分。誰も何も、覗き見ている人外にさえも答えは出せぬまま、哀悼の声は続く。
一人の老人を悼む家族達の慟哭は、誰にも憚られずに響いていった。
かけがえの無い者の喪失は遺された者達に転機を起こし、それは新たな幕への呼び水となる。だがそれと向き合うのは――もう僅かの時を要した。




