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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第二章 エクセター戦役 命の順番
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第79話 異形の異変

 村から南方の森の中、第三軍と帝国軍の戦いは膠着状態となっていた。

 苦肉の策を成し背後を脅かした帝国軍は士気を高めたものの、彼我の物資や食料等、物理面での優劣は如何ともし難い。

 同時に、ダークエルフ達の援護を失い数隊を村に割いた第三軍も決定打は無く、戦線は拮抗し、互いの被害だけが増えていく泥沼と化している。

 今日で決着を付けるべく前線に出張っていた大将アーノルドは、足止め目的で一騎討ちを仕掛けたベドウィルに捕まり、思う様に事を進めれてはいなかった。


「いい加減、にぃ……諦めんかッこの――石頭がああッ!!」


 怒号と共に振るわれるベドウィルの戦鎚は、怖気のよだつ暴風と共に辺りの大気を薙ぎ払うが、狙いを外した空振りは大きな隙となり足元がふらつく。

 機を得たアーノルドの方も既に体力が尽き、反撃の一打を差し込めはしない。

 朝からの熾烈な決闘は決着が付かないまま、老齢のベドウィルは息を荒げ、重武装のアーノルドは自身の鎧の重さにたたらを踏む。


「なんじゃお主……もうまともッにぃ、立ってられんでは……ないかぁッ」

「それは貴殿こそ……同じで、あろう。ったく……とんでもない老人だ」


 共に満身創痍の両将は闘志だけは滾っているが、戦線同様の行き詰まりに差し掛かっていた。最早戦鎚は振るわれず互いに杖の様にして体を支えている。

 それでも研ぎ澄まされた二人の双眸は、戦列への打開策、一騎討ちの次の展開、村の状況への推察等、休む事無く方々へと注がれ――


「閣下ああ――アーノルド閣下!! 火急の報せです、今すぐお耳を!」


 帝国軍の伝令兵が声を張り上げやって来る。青息吐息のベドウィルは妨害をしたいが、体の方は言う事を聞いてくれない。

 アーノルドは形振り構わず転げながらに距離を取り、兵は耳打ちで何かを伝える。内容はそう多くも無いが、語る兵の顔には焦燥が見え隠れしている。

 老将は体を動かせぬならせめて観察をと目を細め、内容を聞き動揺を顕にする剛将の表情を、バイザーの奥に何とか垣間見た。


「なッ!? ……っ…………すぐに兵を引かせる、肩を貸してくれ。今直ぐ下がって全軍に指示を……」


 アーノルドは体裁も整えず、決闘を切り上げ撤退の姿勢を取る。

 ベドウィルはその焦りに凡その内容を察するが、疑問が持ち上がり首を捻る。思い当たる事は無いでも無いが、それはそれで不可解を孕んでいた。

 下がっていく大将アーノルドは最後に一言をと、兵に肩を預けたまま、とても義勇兵とは思えない老将へ問いを投げる。


「貴殿、ベーリィと名乗ったか。やはり無名の人物とは到底思えんのだが……何か事情が有るとは察する。……しかし直に手を合わせた者として、その真の名を問うても宜しいか?」


 一刻一秒を争う状況で、アーノルドは最後に個人の執着を優先させた。

 将としては愚かな振る舞いではあるがそれを承知で足を止めた武人に対し、問われたベドウィルもまた一人の武人として、その心意気に報い名乗りを返す。


「……我が名はベドウィル。ベドウィル・(恐るべき膂力の)ベドリバント(ベディヴィエール)の系譜にして、ウェールズを束ねるブリタニアの要である。……我が剛力を受けて無事であった事を、子々孫々にまで語るが良いわ」


 老将の正体を知り、アーノルドは姿勢を正し軍礼を執ってそれに応えた。

 寝物語や軍人としての教訓として幾度も耳にしたその勇名。剛将は久方ぶりに功績以外のもので胸を満たし、改めて帝国軍の後方へ去って行く。

 ベドウィルもまた麾下の兵に付き添われ後方へと下がる。カリング軍に何が起こったか大方の予想は付いているが、疑念は付き纏い頭に靄が掛かっている。


「ベドウィル様、敵は攻勢を弱め下がっていますが……予定通りに追撃を行いますか? 森の外まで出してしまえば」

「いや、どうにも様子がおかしい。敵の後方で何か起こったとしか思えんが……この場で防御を固めよ、どうにも嫌な予感がする」


 帝国軍は追撃に備えつつ少しずつ戦線を下げ、第三軍はその背を追わぬまま森の中で隊列を整える。

 ベドウィルは帝国軍が何者かに背後を襲われたと察したが、その正体に疑念を持ち警戒を強めていた。森の外に待機させている別動隊は敵軍が森から追い出されるのを待っており、命令を無視し森の中に入ってくるとは思えない。

 近隣に他の軍団が展開しているとの情報も得ておらず、再び遅れを取る事は許されないと、戦歴に厚い将帥は暗緑の瞳を森の奥へと注ぐ。


 第三軍と共に戦線の一端を担っている冒険者十数人。その先頭に陣取るロンメルとヴィッキーとオリバーの三人は、漸く止んだ敵軍の猛攻に一息付きつつ、疑念を呈していた。

 無防備で無いとは言え退いて行く帝国軍、その後背を何故討たないのかと。


「折角のチャンスだってのに、何でここで手を緩めるってんだい? 今だってあたしがその気になれば……火事は起こすかもしれないけど魔法は届くってのに」


 周りの兵達に聞こえても構うものかと、ヴィッキーは大っぴらに不満を漏らす。

 とは言え末端の兵全てまでもが、指揮官の意を理解しているという訳でも無く、ある者は共に思考を巡らせ、ある者は独自の解釈を口に上げる。

 同じく頭を捻ってはいるが、幾らか軍学に覚えのあるロンメルは、目の前の事態の異常さを答える。


「恐らく……敵の背後で何かが起こったのじゃろう、そうでなければ今日を逃がして退く事はあり得ん。村を襲わせた部隊を見捨ててまでとくれば……何処かの軍に背後を襲われた、と見るのが正しいじゃろうな」

「だったら……益々あたし達が追撃すべきなんじゃないのかい? そうすりゃ完璧に挟み撃ちに出来てここのケリが付く。指揮官はそれに気付いてないのかい?」


 無論、ウェールズ候ベドウィルはその程度の事は理解している。

 その上でもう一歩先へ。敵軍の背後を襲ったのが何者なのか、それを不明なままで動けば手痛い目に遇いかねないと、歴戦の老兵は目を細める。

 鬱蒼とした森を見通せる程の視力は無いが、僅かでも情報を探ろうと。


「挟撃は嵌まれば強いが、しっかりと連携をせねば同士討ちを引き起こす。正しく事前に連絡を取って動かねばならん。第三軍がこの地に来た夜戦の時も……挟み撃ちのチャンスではあったが松明で存在を明かしたであろう? あれも同士討ちを避ける為の配慮じゃよ」


 カリング帝国であればまだしも、ドミニア王国には魔操具での連絡手段も有り、各地の軍団はそれを用いて戦争全体への有利と成している。

 第三軍が有する魔操具には現在の状況に関し何の連絡も入っておらず、ベドウィルが危機感を募らせているのはこれが原因であった。敵軍の背後を襲ったものは状況的には友軍だと思われるが、ならば有る筈の連絡は届いていないという矛盾。

 迂闊に動けば手痛い被害を受けかねないと、ベドウィルとロンメルは同じ結論に達している。


「常に最良の行動が出来るとも限らないだろウ? 魔操具の設備だっテ……各軍の本隊位しか持って無いんだロ? ちょっと勿体無いんじゃないカ?」


 しかし、そんな物に頼った事は無い生粋の戦士。ワーウルフのオリバーは話を聞いても尚首を傾げる。

 みすみす見逃すには消えて行った敵兵達は余りに惜しいと、ククリナイフの手入れをしながら青灰の人狼は疲れ知らずの戦意を放つ。

 同じく武器の手入れをしながらロンメルは、オリバーの頭をぽんぽんと叩きながら、今は大人しくしておけと軍としての規律を諭す。


「ま、雑兵のわしらがどう頭を使おうとも大勢には響かぬよ。勝手に動く事も当然出来る訳も無い。ここの指揮官が優秀なのは既に解っておる……今はお主の目と鼻が便りじゃぞ?」

「解ってるってしっかりそっちモ――?」


 言うが早いか鼻が早いか、オリバーは嗅覚で何かを捉え、森の奥へと黄色い瞳を走らせる。出所は自らのナイフでは無いかと一瞬目を落とすが、やはりその臭いは深暗の緑の先から、夥しい血臭が風に乗ってくる事を感じ取る。

 既にオリバーの鼻以外にも感覚の鋭いものはそれに気付き、隊列の端々では武装を整える音と張り詰めた空気が広がっていく。

 ヴィッキーは杖を構えつつ一先ずはロンメルの後ろへ、援護の体勢を整える。


「何か来てるみたいだけど、味方の軍って訳じゃ……無さそうだね。前衛さっきの通りに頼むよ、火事には注意するさ」

「あぁ、期待しておる。お主も注意して――!?」


 ロンメルは大六感とも言うべき感覚で、言い様の無い()()()を感じ取る。

 森の奥から少しずつ耳に届く悲鳴、鼻を詰まらせる血臭。

 幾百と経験してきた闘争の空気に、経験した事の無い程に汗が滲み出る。出る筈の無い義手の右腕で汗を拭おうとし、正気を取り戻そうと額当てを強く結び直す。

 オリバーは初めて見るロンメルの動揺を気遣うが――異形の群れが姿を表す。


「ロンメル、どうかしたカ? ちょっとその汗はおかし、イ――?」


 オリバーの遠目に映るのは、帝国兵の姿。森の茂みの中から茜の甲冑の上半身だけがふらふらと、ヤジロベエの様に妙な動きを見せている。

 人狼の視力にかろうじて見えるそれに、気付いているのはまだ少数だが、不可解な動きに対しざわめきが広がる。


「どうしたよオリバー? 何か見つけたのかい? あたしの目にはまだちょっと」

「いや、そノ……ナ。逃げテ、ル? よく解らないんだが帝国の――!?」


 説明に惑うオリバーの目から、()()()()()()()()()

 闇に飲まれた様にずるりと、下半身を隠していたはずの草むらの中へ、倒れるでも無く真っ直ぐ、水に沈む様に消え失せた。

 兵達は固唾を飲んで臨戦態勢を整える。そんな事が起こるはずは無いと、落とし穴も無しに人が地面に消えて行く等、そんな事は有り得ないと。

 報告を受けた指揮官ベドウィルは、嘗ての記憶から直ぐ様結論を導く。過去にはブリタニアにも溢れていた災厄の総称、依然ヒベルニアに蔓延る外敵。

 何故この地に存在するのか詮索は後回しに、信を置く兵達に命令を轟かす。


「全軍、魔物が来ておるぞ!! 臆する事無く迎え撃ち我が軍の威名を――!?」


 老将の雄々しい声を遮り、森中に阿鼻叫喚の悲鳴が飛び交う。

 同時に姿を表すのは逃げ惑う帝国兵達。戦意は無く武器は無く、只必死に生き残るべくばらばらに逃げ駆けずり回る。

 恐慌状態のその背を追い爪牙を血で濡らすのは――第三軍の精鋭達も、歴戦の老兵さえも、この場を預かる老指揮官さえも顔を青褪める。


「あれは、一体……魔獣……? ……いやあんなもの、生き物ではないわッ」


 魔獣とは言えその形態は様々だが、今目の前に映るモノは、茜の軍勢を蹂躙しているモノは、()()()()()()()()()()()()()()

 大まかには獣の姿を、狼や熊、馬等の真っ当な生物。それらを基調としてはいるものの、余りにもソレラは異形に過ぎた。

 頭の数、目の数、口の数、四肢の数。挙句には本来有り得ない形態。

 背から口を生やすモノ、頭から足を伸ばすモノ、胴や下肢を複数持つモノ。夥しい異形の群れは人と獣の狩りを逆転させ、茜の兵達を追い詰め貪って行く。

 第三軍の目の前には、異界の饗宴が広げられた。

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