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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第二章 エクセター戦役 命の順番
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第78話 生死の重み

 治癒の力を持つと聞かされ、アメリアを見る副長の目にはギラつく光が宿る。

 ただの人足や女であればまだしも、治癒の魔導士を確保したとなればその恩賞は計り知れない。

 敏腕のエクセター候がブリタニア全土に手を広げてもたったの二人。カリング軍全体でも治癒の魔導士は十人とおらず、それを敵軍から奪えたとなればどれ程の功績となるか。

 軍の為にも己の為にも、震える少女の腕へ茜の手甲が伸びる。


「ッデ!? ……たく、話は聞こえていただろう? 大人しく従うなら大事に扱ってやる、抵抗しない方が得だぞ?」


 足が震え逃げる事は出来ないまでも、アメリアは拒絶を示した。息は荒く恐怖に歪む歯は強く噛まれ、我武者羅にナイフを振るい副長の手を退ける。

 頑強な手甲は刃を通さず被害は無いが、連れて行く途中に暴れられては面倒だと、軍人は軍人のやり方で、剣持つ腕を振り上げる。


「!? や……やだ……止め……来ない、でッ……」


 仲間達がいるならば兎も角、今は一人ぼっちのアメリアは腰を抜かしてしまう。

 両手でナイフを向けたまま足はもぞもぞとするが、逃げ出せもせずにじりじりと後ずさる事しか出来ない。

 そのまま振り上げられた剣は容赦無く、勢い良く振り下ろされ――異を唱える上官の声に、一度だけ静止する。


「待てッ!! 丁重に扱えと言ったろうが、んな事して反抗的になられたらどうするつもりだ?」

「……大丈夫ですよ、犬に教えるより人の方がよくものを聞きます。飴と鞭をちゃんと与えれば……ねッ!」


 多少の怪我ならば自身の治癒の力で癒やせるだろうと、刃は再びアメリアの柔肌に迫る。殺意は無く躾であると、狙いはナイフを握る白い手へ。

 恐れに硬直していた歯は限界を迎え、肉迫する凶器に対し、押し殺していた叫びが僅かに漏れる。


「ッ――助、け……フィ、オ……」


 か細い悲鳴は――虚無には還らなかった。

 呼応する様に放たれた一矢は、少女の目の前に牡丹を散らせる。

 殺意を乗せた鏃は狼牙となり兜を脱いでいた副長の頭を――その中枢を穿った。

 崩れ落ちる茜の骸と手放される凶刃。その切っ先は、寸での所で力無く落ちる。

 次いでアメリアの目に映るのは、よく見知った青年の背中。勇ましくもまだ若い声が、死に満ちた赤い空間を消し飛ばす。


「無事かアメリア!? ……そうか…………良かった。悪かったな、急いだんだけどちょっと遠くてよ。立ては……しねえか」


 返事は出来ないまでも涙ぐみ首を横に振るアメリア。それを確認したフィオンは大きく息を吐き、安堵に胸を撫で、帝国兵達に剣を構える。

 重傷者たちを処理していたカリング軍は指揮官の最期に肩を落とし、しかし項垂れや諦めは微塵も無く、復讐の炎を灯す。ある者は更に激しく怪我人達へ刃を振るい、ある者は副長の仇へ、呪詛を吐きながら襲い掛かる。


「ッチ……アメリア、何とかして逃げろ!! こいつらもう見境――!」


 依然動けないアメリアを背に、フィオンは三人の兵士を相手に立ちはだかる。

 後退や回り込む等足を使う事は出来ず、剣とナイフを手に、己が身を盾として死地に噛り付く。突かれ、裂かれ、薙ぎ切られ、歯噛みしながら魔獣の帷子で何とか凌ぎを削るものの、殺到する敵は更に後ろから続いて来る。

 しかし帝国兵達の足元からは――そこかしこで屈強な男が起き上がる。


「っぐ……ッガァ……手前らいつまで寝ぼけてやがる! 若造が漢見せてんぞ、恥ずかしくは――ゴォ゛ッ……第三軍軍律第二条の二!! 『兵士ならば座して死を待たず、己が使命を尽くせ』!! 総員、命を燃やせええええ!!!!」


 動けない程の重傷の兵達が、徒手空拳で帝国軍に殴り掛かる。武装所か半裸にも近しい兵達は、斬られる以前に血を流しながら、軍人としての生涯を使い切る。

 茜の軍勢は突然の反撃に面食らうものの、既に覚悟を以って濡らしていた刃は容赦をしない。

 殺戮のみで塗り潰されていた野戦病院は一転、戦場然とした怒号と雄叫びが飛び交う、真っ当な戦場となって更に朱色を濃くしていく。

 依然フィオンに斬り掛かる三人は、背後の状況に歯軋りし一瞬動きを止め、狩人はその隙を見逃さなかった。


「よそ見してんじゃ――ねえッ!! やる気ねえってんならさっさと投降――!」


 振るわれた刃は兜の隙間から喉首を裂き、噴き出す鮮血に残り二人は、更に憎悪を駆り立てる。投降の文字は欠片も持たず、報仇雪恨のみで思考を埋める。

 激しく縦横に死を求める刃の嵐。仇の標的所か並び攻める同僚さえも構わずに、二人はフィオンを滅多切りに押し攻める。

 血涙を流す双眸は獣のソレと化し、歯を砕く程の憤りは運命さえも噛み砕く。


「のっ……ゲァッ……ッ舐め、ん――!?」


 想いの強さ故に精彩を欠き、乱雑になっていた猛攻の隙。

 膾にされながらもフィオンはその一点を貫くが――執念は死さえも凌駕する。

 脇から心臓を突き抉られた兵士は、兜の中を血の海に沈めながらも、狩人の身を諸手で掴み捕らえた。怨恨は骸の腕を石と化し、フィオンの右半身を拘束する。


「んなッ!? ざっけ……こん、な――」


 動きを止められたフィオンの首に、血塗られた切っ先が走る。最後の一人は仲間の遺志を継ぎ、その想いに報いるべく全霊の横薙ぎを放つ。

 その武技は人の身の範疇にあれど、幾人もの遺恨を乗せた刃は鬼神に迫る。

 フィオン一人では抗うべくも無く、狩人の命脈は運命の下に断ち切られ――


「ッ――…………っ生き、て……!?」


 皮一枚の所で、依然へたり込んでいるアメリアはフィオンの体を引き倒した。

 狼の革鎧の端っこを強引に掴み、依然骸に拘束されたままではあるが、フィオンは何とか数秒だけ命を間延びさせた。

 いつかの救出のお返しにフィオンは唖然とし、アメリアはフィオンが左手で持つナイフに両手を沿え、まだ危機は終わっていないと活を入れる。


「フィオンまだ来るよ! 私一人じゃ……シャキッとして!!」

「ッ――言われるまでも……もうちょっとだけ踏ん張れえ!!」


 報復に魂をくべる兵士はそのまま、倒れた二人へ猛然と死力を尽くす。

 二人で一本のナイフを握るフィオンとアメリアは、何の打ち合わせも無く何の掛け声も無いままに、恩讐を纏った死の一撃を耐え続ける。

 一人では乗り切れない運命に対し、二人は魂を一つに合わせ抗う意思を示す。

 積怨に捕われた兵士は己の肉体の限界にまで打ち据えるが、魂よりも先に肉体が、心肺は音を上げ肩を落として一歩下がった。

 俯いた双眸は虚ろにたゆたい――フィオンの足へ注がれる。


「な――!? アメリア、俺を掴んで引っ張れ! 早く!!」

「ん゛、っぐ……んっぬ……今、やって……」


 一息に屠れぬならばまずは末端をと、息が上がった事で冷静さを取り戻した兵士は、その狙いを変更した。

 倒れたままの二人には、依然死体に抱き付かれ左腕しか動かせないフィオンは、バタバタと足をもがくものの成す術は無く――


「ど――っけええええ!!」


 劈く声と共に親友クライグは横合いから突っ込み、怒りを顕に、帝国兵の頭を兜ごと斬り飛ばす。

 次いで雪崩れ込んでくる黒紫の肌の軍勢。ダークエルフの集団が野戦病院を取り囲み、並び引かれた弓矢は戦いを止めさせた。


「クライグ、お前……お前がここにいるって事は、他は……?」

「もう大丈夫だ心配するな。ベドウィッ……ベーリィさんが少しだけこっちに割いてくれた、後は地力で勝てるはずだ」


 既に村の方々でも、少数の第三軍を伴ったダークエルフ達が駆け回っており、それはカリング軍の作戦の失敗を示していた。自暴自棄で暴れていた帝国兵達は遂に敗北を認め、剣を捨て膝を付く。

 重傷ながらに応戦していた第三軍の兵士達は、苦悶の声を漏らしながら、再び体を横にする。


「わ、私皆の治癒に……急がないと」

「あぁ頼んだ、俺の方は見た目よりは大事でもねえから後で――!」


 息を付きかけたのも束の間、捕虜として縛られていた隊長は遺品の剣で縄を切り、そのまま復讐の遺志を継ぎ立ち上がる。周りのダークエルフ達は矢を向けるものの、その目は亡き部下の仇、フィオンしか見据えていない。

 立てと首で示されたフィオンは骸の拘束を解き起き上がり、剣を握りながらもその口は、アメリアが救った命を断つ事を、躊躇っていた。


「もう決着は済んだろ? そいつだってあんたに無駄死にして欲しいとは思ってねえはずだ、頭を冷やして……」

「黙れ若造、御託は結構だ。こねえならこっちから行くぞ? さっさと構えろ」


 早くしろと言いつつも、剣を構える体は明らかにふらついており病み上がりを示している。剣一本で鎧兜も無く、凡そ戦える体調でも無く、目に宿る光には影が差している。

 最早立って構えるだけで精一杯の男は、死に場所を探していた。 

 その想いには共感出来ないまでも理解は出来るフィオンは、剣を構えながら再び投降を呼び掛けようとするが、亡者の口が先に開く。


「ッ……っ」

「目の前で四人……四人だ……。そりゃあ今まで何人も看取ってきたがよ、数や回数で慣れるってもんじゃねえんだよ。お前が目の前で仲間をやられたら……同じ様な台詞が吐けるのか?」


 目の前で大事な人間を殺されたならば、その仇を討ちたくなるのは、間違っているのか? 例え無駄死にするだけと解っていようとも、抑えるべきなのか?

 四人という数にフィオンの頭の中には、ここ一年で顔を合わせてきた仲間達の顔が浮かぶ。仮に彼らが目の前で、無残に命を散らしたならば――


「どうして……? 折角助かって……死んで行った人達も……あなたのそんな事、望んでるはずが……」

「……譲ちゃん、助けてくれてありがとよ。だがこいつは無駄死にって訳じゃねえし、死んだ奴らの為になんて思ってねえよ。……俺は俺の……俺自身がこうしたいんだよ、すまねえな。……さて、そろそろやろうか」


 男は最期にアメリアに謝りながら、再びその双眸をフィオンへ向ける。軽く一杯引っ掛けにでも行く様な、軽い口調で。

 執念を背に立っている男は、決して、その想いに囚われてはいなかった。

 問いに惑っていたフィオンは結論を出し、迷いを振り払い剣を握り直す。今正に大事な者を守る為に命を張った身で、それを否定する事は出来なかった。

 想いに答えてくれた狩人を前に、男は軽く笑みを浮かべながら、振り被った剣は真っ直ぐにフィオンへと――


「……ッオ゛ォ゛――アアッ!!」

「ッ――っ!」


 フィオンは歯を食い縛り、無言で男の肩口を袈裟に断ち切る。

 怪我人用の薄布は破れ、村に流れる最後の鮮血が撒かれた。赤に沈む男の顔に憎悪は無く、何かを成し遂げた満足気な笑みが、薄く張り付いていた。

 アメリアは涙を拭い嗚咽を抑えながら、死者ではなく生者達の為に奔走する。

 フィオンは最後に斃した男の瞼を閉じさせながら、謝るでは無く勝ち誇るでも無く、その生き様と最期の姿を、深く心に刻んでいた。

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