第77話 殺戮
ダークエルフの村に侵入したカリング帝国の軍勢。
隠密を重視した三百の小勢ではあれど、前線への援護以外には見張りの兵を僅かに分散させていただけの村は、一溜まりも無かった。
既に立ちはだかったダークエルフ達は、木々生い茂る森の中ならばいざ知らず、村の中ではその真価を発揮出来なかった。変わり果て打ち捨てられた骸は、行き場の無い哀悼を招くのみ。
あくまで帝国兵達は歯向かう者のみに刃を振るい村の制圧に掛かっているが、それは慈悲では無く効率の為。民間人は生かし捕らえ、後に活かす為でしか無い。
村の中央、古びた大きめの木造家屋。カリング兵達は村の中心人物である族長を押さえるべく、茜の軍勢は無遠慮に侵入し、最奥の間、族長の私室へ辿り着く。
「族長アルディト! 抵抗するなら容赦無く――?」
兵達は刀身を並べ踏み込むが、ベッドに横たわる者は無く、部屋の中には古びた調度品が並ぶのみ。
既に護衛の戦士は血に沈んでおり、使用人達は誰も口を開かず役に立たない。
身を潜めたか逃げ果せたか、切っ先のやり場を無くした兵達は剣を下げ、部屋の外の士官に振り向き指示を仰ぐ。
「隊長、先に勘付かれた様です。探すにしても手掛かりが――?」
振り向いた兵士の一人は、入り口の直上、天井の角に張り付く黒影に気付く。
見上げた先、バイザーの隙間からは、蜘蛛の様に四肢を伸ばした痩身のダークエルフが一人。目を合わせるや否や、影の様にするりと落ちながら、手にした杖を振り下ろし兜ごと中身を叩き潰す。
「っ――ア゛ッ……ッボァ……アッマ――」
「っち、目敏い奴がおったもんじゃ。気付かずにおれば良いものを……」
頭蓋を砕かれ脳を損傷した兵士は、耳障りな狂声を吐きながら壊れた人形の様にうろうろとする。
アルディトはその腰から直剣を引き抜き、動揺する兵士達へ即座に飛び込む。
「人間共、生きてこの森を出れると思うなよ!? 土にも還さず虫の餌にしてくれるわああ!!」
痩せ衰えたダークエルフは、兵士達の中心で凄絶な剣舞を披露する。
老齢を感じさせない剣捌きは甲冑の弱点、脇や膝裏の隙間を的確に刺し貫き、左手の杖は兜を叩き揺らし、焦って反撃する兵士達は同士討ちを巻き起こす。
清涼な風が過ぎる部屋は一瞬で、血と断末魔と怒号に満ちた戦場と化した。
アルディトはその中心で鮮血を浴びつつ、村中に響く程に大笑を上げる。
「ギッハ――ッハ、ハハアッ! ハハハハハハハアハアハハア!!」
肉を裂く感触は往年の生業を思い出させ、血の味は昔年の仲間達との祝杯の再現となり、アルディトは嘗ての戦士としての日々に想いを馳せる。
ドミニア王国との反目を顕に、血で血を洗い合っていた闘争の日々。もう会えはしない仲間達との苦楽の記憶、辛くとも活き活きと躍動していた輝かしい過去。
双眸は喜びに歪み口端を吊り上げ、血の乱舞は更に激しくなり茜の兵士達を苦痛に躍らせる。
「カッハハハハハアハハア――あ゛ア゛ぁ゛っあ……あ、ぁ゛?」
夢想は一瞬で終わり、老いは現実に意識を引き戻す。
部屋の中の七人は血祭りに上げられたが、残ったものは部屋の中心に、息を切らせた老人が一人のみ。廊下の隊長は想定外の被害に歯噛みするものの、直ぐ様控えていた兵達が押し入って来る。
「最早楽には死ねると思うな、捕まえた奴等を纏めるのに使おうと思っていたが……貴様はそいつらの前で生皮を剥ぎ、見せしめの道具にしてくれるわ!!」
殺到する兵達を前にアルディトは肩で息をしながら、距離を測っていた。
このままでは終われぬが死を免れる事は出来ぬなら、ならば最後に一矢を望む。
血塗れの剣をおもむろに振り上げ、狙いを定めた士官へ投げ付けながら――
「ッグ――こん、のおッ! ッチ、悪足掻き――をッ!?」
咄嗟の投擲とは言え、帝国の精鋭兵としてその程度は凌ぎ切る。
飛来した剣は抜き放たれた一刀に打ち払われるが、既にアルディトの体は
――宙を舞っていた。
痩せ細ったダークエルフは左手の杖をテコに全力で飛び掛かり、右手に握られた使い古されたナイフ、その切っ先は士官の頭上に――
「老いぼれがッ――舐めるなああ!!」
しかし、足掻きは脆くも届かない。
反撃は枯れ枝の様な右腕ごと斬り飛ばされ、無防備に落下する老人は兵士達の上、構えられた剣山に深々と身を沈め苦悶の声を漏らす。
肉と衣服を突き破った剣で針鼠の様になったアルディトは、赤黒い血を吐き出しながら、憎悪を湛えた老顔は鋭い睨みを飛ばすものの、体はだらりと動かない。
「……ったく、往生際の悪い。大人しくしていれば良いものを……っぺ」
事無きを得た士官は憎々しい双眸を向ける老人に、間近まで近付き唾を吐いた。
既に瀕死の老骨でありこれ以上は動けぬと。例え動けたとしても木の杖一本では今更何も出来ぬと。
死に体のダークエルフは尚も鋭い目を見開き、重々しい口は感謝を告げる。
「ありがとよ……部下を気遣ってわざわざ近付き吐いてくれて――なあッ!!」
ぐったりとしたままの痩せた身は、左手だけが機敏に動く。
しなりの効いた鋭い手首の振り。杖の鞘は無音で抜き放たれ、仕込み杖はその真の姿――針の様な鋭刃を剥き出す。
静寂のままの一閃は、士官の首をぬるりと貫き血泡を噴かせた。
咽び呻く士官はそのまま倒れ伏し、狼狽える兵士達から放り出されたアルディトもまた、無数の剣に貫かれたまま血溜まりを作る。
「ッコォ……カッハ、ハ……なんじゃ、貴様らの武器も、存外使えるでは……ないかッ……っ」
ダークエルフの族長であり、同時に一人の亜人でもあったアルディト。同胞達の未来を真剣に考えながら、従来通りの強硬姿勢を見せざるを得なかった男は、初めて人間達の仕事振りを褒め笑う。
老骨の戦士は最期に本心を吐き出しながら、満足気な顔を浮かべ幕を下ろした。
§§§
「ここは……野戦病院か。なんだ重傷者ばかりか? こりゃ制圧するまでも……」
村の一角を占有している野戦病院。怪我の程度が重く寝かせられた者達しかおらず、踏み込んだ帝国兵の一隊は互いに見合わせ判断に戸惑う。
現在ダークエルフと第三軍は増大した負傷者達を度合いに応じて分けており、軽傷の者は森の中の軍の陣に、重傷の者は村の中の野戦病院に集めている。
既に軍医や手伝いの者はほぼ逃げ失せ、取り押さえるまでも無く全ての者は反撃所か動く事も出来ない。
それを見た茜の軍勢は、兵とは言え人としての倫理を持つ帝国軍は、剣先を下ろしぼそぼそと言葉を交わす。
「これなら……やらなくても、なあ?」
「んっ……そう、だよな。非戦闘員への攻撃はしなくても良いと……ならここは」
抵抗しなかったダークエルフ達は捕縛し集められ、占領後の人足として使われる予定である。この地を拠点に先々を窺うのならば、活かしはすれど殺す事でのメリットは少ない。
だがそれも――労働力等として活用法が有ればこそ。
この場を預かる指揮官は切っ先を滑らせる。意識無く無抵抗の重傷者を一人、痛めつけはせず手早く慣れた手口で、首筋を切り裂き鮮血を流させた。
見開きどよめく兵達に指揮官は血塗れの剣を突き付け、冷たい声で帝国軍人としての本分を告げる。
「こいつらが役に立つと思うのか? 飯はどうする、自分の物を分け与えるか? 使える様になるまで世話でもしてやるつもりか? 民間人共を生かすのはあくまで奴隷として使う為だ……解ったら速やかに取り掛かれ」
冷徹にも思える効率の最優先。力無き民達ならば兎も角、怪我を負っていようとも軍人達の管理は労力を要する。捕虜にするには余裕が無く、例え出来たとしても食料を始めとし諸々のコストも掛かる。
命令を受けた兵達は覚悟を固め、鞘に収めかけた剣を抜く。考えてみれば、こいつらも誰かの仇かもしれないと、そう自身に言い聞かせ作業に掛かる。
「止め……待て、大人しく従――」
「ッ……黙っててくれ、こっちだって色々あんだよ」
必死に助命を懇願する声と、未練がましい言い訳と共に振るわれる刃。届かぬ願いは断末魔に上塗りされ、無に還る。
帝国兵達は直ぐに会話に応じれば自身の心を締め付けるのみと、心を虚無にして機械の執行官となった。
雄叫びや怒号は欠片も無く、既に言い訳の声も途絶えた。微かに響くのは動けもせず順番を待つしかない者達の、恐怖に震える歯の音と、今際の漏れ声のみ。
戦場よりは遥かに静かにして、流れる血の量はそれを上回る。
嬲るでも無く激しくとも無く、虐殺と言うには余りに遠い。殺しや殺人と言うには簡素でも無く、膨大で濃厚な血臭は鼻と喉を突く。
凄惨にして一方的な――純粋たる殺戮の空間が具現化した。
「……ったく、黙って従ってれば良いんだよ。頭を使えばそれこそ辛く――?」
愚痴を言いつつも、率先して事を成していく命令を下した指揮官。
そのバイザー越しに目端に映るのは、金砂の髪の少女。
ナイフを手にアメリアは一人、逃げずに帝国兵の前に立ちはだかった。
「そ……そこまで……そこまでにして! 皆動けないし、戦うなんて……殺す事は無いでしょ!?」
向き直る甲冑の指揮官は、思わず首を傾げる。この場に似つかわしく無い様にも見え、しかし全くの部外者には到底見えない。
年若く美貌では有るが血糊が染みた服装は娼婦という身形ではなく、面持ちの強さは強い意思を発している。軍医であれば幾らか戦いの心得もあろうが、震える声と足、力みの目立つ構えは、お世辞にも軍の者には見えなかった。
「女? 売女か、医官か……いや違うか……。まぁ良い、これなら捕まえておけば充分に……?」
指揮官は手を伸ばしかけた所で、アメリアの傍の怪我人に気付く。その扱いは明らかに周りの者達とは差異が目立ち、見覚えを感じさせた。
傷は癒えているが寝かせられたまま、手足は縛られ顔には目隠しも兼ねた濡れ布が置かれており、覗き出る輪郭には――
「まさか……隊長!? そんなッ……もう無事では無いと……」
「んっだよ人が寝て……ぁ? 副長か? お前……何だってここに……!」
先日の夜の戦闘で、ダークエルフ達には秘密裏に捕虜とされていた兵士。
隊長と呼ばれた男は目を白黒させ、副長と呼ばれた指揮官は兜を取り、再会に喜ぶ涙は頬を濡らしていた。
寝起きの隊長は首だけ動かし周りの状況に目を細めるものの、腕章を付け臨時の指揮官となっている副長に、多くを言う事はなかった。
「……副長、状況は把握出来た。で……その譲ちゃんをどうするつもりだ? 民間人はどうしろと命令を受けている?」
アメリアは未だナイフを下げてはいないものの、震える足は言う事を聞かず、逃げるも向かうも出来ずに涙ぐんでいた。
軍人として責務を全うした副長に対し、隊長もそれに応じる。
とは言え彼もまた人としての心は確かに有り、命の恩人であり帝国兵としてもぞんざいに扱うべきでは無いアメリアに、任務を逸脱しない範囲で心を砕く。
「ハッ! 非戦闘員は捕虜にしその他の者は容赦無く切り捨てよと。この女であれば生かす価値はあるかと……それともこの場にいるという事は、何か医療の知識が……?」
既に勘付いている副長に対し、隊長は溜め息を付きながら情報を明かす。
只の女として扱われるよりは余程マシであろうと、上官として命令を下す。
「……その女は治癒の魔道を使える、捕まえれば我が軍の大きな力になる。……丁重に扱えよ? 無理強いよりは協力してもらった方が効率が良い」




