第76話 クランボーンの森決着戦 選択
ウェールズ候ベドウィルが到着してから数日、茜備えのカリング帝国軍は連日攻め寄せるものの、その戦線は後退の一途を辿っていた。
ウェーマスの町から隘路を通り、クランボーンの森に強襲を掛けた大将アーノルド率いるカリング軍。
馬車を使う事は出来ず持ち込んだ糧食は既に底を突き、森で獲れるものだけで全軍を維持する事は難しく食糧事情は最悪。更に敵地のど真ん中という環境は、兵達の精神さえも磨耗させていた。
「皆、今は歯噛みして耐えてくれ。全ての責任は私が負う、諸君らは只……後一度だけ、愚将の策に従ってくれ」
今日も朝早くから干戈を交える両軍、ドミニア軍に加勢するダークエルフ達も健在であり、森の木の葉よりも多く落ちる矢は茜の兵団を文字通り削り取る。
依然戦線では帝国軍の不利が目立ち、ジリジリと下がる戦列からは呻き声がそこかしこで上がる。
しかし――大将アーノルドを筆頭に将兵達の目から戦意は失われず、腹に力は入らずとも気迫で以って足を支える。
苦々しく吐き出される指揮官の詫びにも近い言葉には、罵倒を吐く者は誰一人いない。用いれる策の内から最も軍人然として、成功する確率と成った時の旨味の度合いのみを追求した策。
それを命じられた兵達の心は、既に外道に沈む覚悟であった。
戦線を逆側から、ドミニア王国第三軍の後方から俯瞰する偉丈夫の老将。
ウェールズ候ベドウィルは安定して押し勝っている戦線を見ながら、暗緑の瞳は細まり疑問を呈し、長い白髭を思わせぶりに撫でていた。
「妙に粘り強い軍じゃのお、とっくに被害は度を越しておろうに……何を考えておる……?」
損耗率や帝国軍を取り巻く環境を考えれば継戦は至難であり、それでも尚崩れず立ち向かってくるという事実に、百戦錬磨の老将はその絡繰りを思案している。
一度崩れ出した兵の心を繋ぎ止めるには、具体的で現実的な存在が必要であり、今のカリング軍で言うならば援軍の到着か装備や食料の補充か、或いは目の前の戦線を打破する何らかの妙策。
「どこぞ援軍のアテが有る訳もあるまいし。……結局、魔導士達も繰り出してはこなんだか」
ベドウィルはそれを帝国軍の後方に待機する魔導士の部隊、彼らに火を放たせ森に火事でも起こすつもりかと考えていた。そうなれば村と森を奪った時の恩恵は減るものの、戦線自体には多大な影響を与えられる。
しかし今日までその部隊に動きは無く、ダークエルフ達の矢に怯える鉄製の盾は、魔法を使うと言う事を放棄している表れとなっている。
「……ま、もう少しで森の外へと押し出してやれるか。そうなれば遠慮せずに待機させておる軍で……それでここの戦も仕舞いじゃろお、その足でウェーマスへの援軍に行くとするか」
クランボーンの森に乗り込む前から、森の外で待機させていた五千の別動隊。
既に使いは走らせており、敵軍を森から追い出した所で挟撃を仕掛ける手筈は万端整えられている。
眼下に広がる戦線には連日の戦闘で数を減らしたのか、帝国軍の数は既に二千を割る規模であり、合わせて七千で挟み討てば易々と踏み潰せる。
練達の将帥は先の見えた戦場からその後の展開へ思考を向けるが、それは少々甘い見立てであると――森に響く痛切な悲鳴は背後を振り向かせる。
「ッ――!? ……迂闊、ダークエルフ達の索敵を過信して……いや、わし自身の失策じゃな。追い込まれればその程度の事……可能性の一つとして並べておくべきじゃったわ」
第三軍の後方、森の中心に位置するダークエルフ達の村には、悲痛な叫びと戦火の煙が上がり、茜の軍勢が蹂躙を開始する。
大回りに大回りを重、地べたを這いずって接近した帝国軍。甲冑を泥に浸し草木で胃を埋めてきた侵略者達は、夢にまで見た収奪の地へ遂に土足で踏み入った。
数日前ならば兎も角、連日の優勢で押し進まれた戦線からは、村へ急行するには余りにも距離があり過ぎる。
守るべき村に手を伸ばされた事で第三軍の将兵達は狼狽を顕にし、援護を続けていたダークエルフ達は、一も二も無く己が健脚が潰れる程の速さで駆け戻る。
「鎮まれええ!! こそこそと忍び寄った以上、敵は必ずや少数である! 村はダークエルフ達に任せ我が軍はこのまま――ッチ、そりゃ当然じゃわいな」
同時に、秘策を発動させた帝国軍はそれに呼応する。
この時の為に取っておいた最後の気力、出し惜しむ事無く槍先を振るわせ盾を振り翳し、茜の軍勢は息を吹き返し第三軍へ猛攻を仕掛ける。
「今こそ最後の好機である! 全軍奮い立てええ!! この地を制圧した暁には、大帝陛下からの褒美は思うがままぞ!!」
士気は完全に逆転し、大将アーノルド自身も前線へ出向き、帝国軍は深緑の森を鉄と血を以って塗り潰して征く。
第三軍将帥ベドウィルは目の前の劣勢を挽回すべく、今は背後の事は一時捨て置き、得物の戦鎚を握り直し前線へ赴く。彼にとって第一に守るべきは亜人の村では無く、苦楽を共にし手塩を掛けてきた、目の前の兵達であるのだから。
§§§
第三軍の戦列の一角を担っている冒険者達の一団。
精鋭兵達の様な安定感は無いが光る所は確かに有り、微力ではあるが戦力の一助となっていた。
ロンメルとヴィッキーとオリバーは兵士として戦線に参加しており、怪我人の救助に奔走していたフィオンは兵士に肩を貸したまま、煙の上がる村を遠目に立ち尽くす。
「そんな……一体どこから……村にはアメリアだって……ッ」
フィオンは肩を貸す兵士へ目を向ける。
腹と足には重傷を負い、ぐったりとしたまま反応は無いまでも、まだ確かに繰り返される呼吸は生存を意味していた。
そこらに放り出す事は出来ず、かと言って、甲冑を纏った屈強な男を背負い走る事も出来ない。頭の中ではアメリアの救出を第一に掲げながらも、目の前の赤の他人の命も投げ出す事は出来ず、苦々しく歯を食い縛りながら足を進める。
「ッ゛――クッソッ……俺は……どうしたら――!」
足腰に力を込めるものの、重装の兵士は鎧を合わせて悠に百キログラムを越えており、余りにも負担が大きい。
知恵を振り絞りしかし良案は浮かばず、苦渋に顔を歪めながらゆっくりと進む背に、嵐の様な戦の音の中から声が伝わる。
フィオンが振り向いた先にはカリング軍の猛反撃に曝された前線。そこで必死に切り結ぶ三人の仲間は、苦境に瀕した狩人へと叫びを上げていた。
「行けフィオン! さっさと村へ走るんじゃああ!! アメリアを守ってやれるのは、お主しかおらんぞおお!!」
「面倒臭い奴だねえ……誰が大事なのかなんて解り切ってるだろうが! アメリアに何かあったら承知しないよ!!」
「じれったい奴ださっさと行ケ。というかとっとと気付ケ!! アッチカラ……」
叫び返したい気持ちを必死に抑え付け、フィオンは兵士を投げ出す事も出来ず重々しく足を進める。
何が正しいのかどうすべきなのか。頭の中では既に答えは出ているものの、数多奪って来た命の顔が脳裏を過ぎり、その背に重く圧し掛かり――
「――バッカ野郎、こっちにも気付け!! 後の事は全部やっといてやるって言ってんだろうが!!」
駆け付けたクライグはフィオンの代わりに兵士の肩を持ち上げ、叱責しながらやりたい事をやれと激励を飛ばす。
フィオンは気付けていなかったが、仲間達は兵士を見捨てろと言っていた訳では無く、後の事はクライグに任せろと言う旨で叫びを飛ばしていた。
「っ……ッ――」
フィオンは親友の配慮に口を開きかけたが、今すべき事はその思いに報いる事、危機の差し迫った少女の下に駆け付ける事。そもそも遠慮や気遣い等は二人の間には存在せず、時間を浪費すればそれこそ裏切りにも等しい。
解き放たれた狩人は猟犬もかくやという疾走で、あっという間に姿を消した。
クライグは一直線に駆け消えた友の背に、どこか寂しく笑みを浮かべる。
「良い仲間を持ったんだな……ったく、俺も物好きなもんだ。……あの時縁を切っていれば、もっと楽だったろうに」
兵士を抱え、クライグは村へと向かう。
恵体の彼にとって重装の兵士は苦でもなく足取りは重くないが、その心は汚泥に纏わり付かれ、体は自由なままに、魂は深淵に捕われていた。
想いは誰一人にも知られぬまま、軍人は軍人の成すべき事に目を向ける。
しかし、担がれ俯きぐったりとしたままの兵士は――その心を嗅ぎ取り、魔性の眸は口端を吊り上げ、誰にも聞こえず独り言を漏らす。
「なーんだ……しっかり命に順序付けもするんだねえ……本当に面白い。しかしこれは、あの王も趣味が悪いなあ……益々目が放せなくなるじゃないか」
人ならざる魔は傍観に徹し、舞台が熱を帯びていく様を心より愉しむ。
エクセターの騒乱はいよいよ幕へと差し掛かり、一つの別れが、近付いていた。




