第75話 愛憎の戦士
斜陽に輝く丘を背に、総大将の二人は真っ向から激突する。
率いるべき兵はおらず、武技の冴えと修練の極地に喝采は無く、通りには引き裂かれた骸が転がるのみ。
だが二人にとってそれは余りに瑣末事に過ぎず、片や殺戮機構と化し目の前の巨躯へ刃のみを奔らせ、片や今この瞬間の果し合いに、愛と感情を爆発させる。
「良い! 良い! 良いぞおお!! やはり貴殿こそ我が愛をぶつけるに相応しい――愛しき好敵手よおお!!」
打ち鳴らされる白銀の槍と両刃の大戦斧。人体を刺し貫く事のみに特化し、一切の無駄を省いた鋭槍と、人を打ち倒すには巨大過ぎる、冗談の様な鉄塊の斧。
血塗れの全身甲冑の馬上の騎士は、一声も発さず感情の残滓さえも見せず、只管に臓腑を抉らんとする猛禽となる。
蒸し暑い裸体に熊の皮を巻いた漢は、この死闘を心底慈しみ敵にさえも愛を向け、切り刻まれながら押し進む姿は猛熊と化す。
武人として対極の両者は以前と同様見事に噛み合うが、その天秤は平衡にはならず、微かに傾きを見せる。
主の意が伝わる名馬はその四肢を死力で踏ん張るものの、熊の巨漢クヌーズの膂力は馬体にさえも押し勝ち、蹄はジリジリと丘の敷地へと近付いて行く。
「どうしたどうしたどうしたああ!! 些か疲れが見えるかっ!? 叫ぶが良いローエンヴァルよ!! 我らの心は、愛を欲しておるぞおお!!」
連日の威嚇と戦士達の撃退に明け暮れる日々、更には今日ここに至るまでの激戦は、ローエンヴァルの体力を確かに削り取っていた。
対するクヌーズは実家にも近い自身の大船での暮らしと、今日行った事は精々、大城壁を素手で登った事のみであり、万全の体調でこの場に臨んでいる。
元々の体力からして差が有る両者は、決して平等な条件とは言い難い対峙ではあるが、不利なる騎士は口を開かず歯を食い縛り、漢は慢心も驕りも抱かずに、自身の心に正直に敵へ塩を送る。
「ッ――!! っ……ッッッッ!!」
「叫べローエンヴァル! 憎悪でも殺意でも、侮蔑でも良い!! それは侵略者たる予が浴びるには相応しく――貴殿が発するには正しきものぞおお!!」
互いの腕と切っ先は一切鈍る事無く、猛禽の騎士は息を絶え絶えに変わらず必殺の一閃を放ち続け、王子たる漢は身の毛のよだつ凶器を振るいながら、真剣に敵の心を心配する。
互いの打ち合いは既に百を越え、斜陽が黄昏に変わり行く中、遂に城塞の主は敵に対し初めて、殺意以外の感情を丘に木霊する程に咽び吠える。
「ローエンヴァル、心の中のものを開くのだ!! それが何であろうと予は」
「ッ゛~~~~……イ゛イ゛加減、にいッ――黙れ害虫めがあ゛あ゛ッ!!!!」
自暴自棄にも聞こえる我武者羅な咆哮と、乱雑に振り払われる白銀の槍。
洗練と効率のみを纏っていた中で初めて見せる槍の軌道、それはクヌーズの目を大いに狂わせ、防いでも尚その巨躯を大きく弾き飛ばす。
互いの得物の間合いを離れ死合いは一時仕切り直しに、打ち飛ばされた熊の如き漢は一息も乱さず大斧を肩に掛け、馬上の猛禽の騎士は全身で激しく呼吸を繰り返し、バイザーは一時開かれ苦しげな顔が覗き出す。
「ふむ……ようやっと口を開いてくれたか。交わし合うものが刃だけとは、些か趣きに欠けるとは思わぬか?」
「戯れ言ッ……を゛お゛っ! 戦場に、おいてぇ……それ以外ッ……なん、だと」
会話に応じるローエンヴァルではあるが、あくまで戦術的な時間稼ぎ。
体力が枯渇している事を正しく認め、不本意では有るが感情を押し殺しての苦肉の策。己の舌を噛み千切り今すぐに槍を放ちたいという衝動を抑え、一時、憎むべき敵との対話を続ける。
「それ以外、とな? それこそ妙な話では無いか。人が生きておるのならそこには幾らでも感情が生まれる、数え出しては限が無い程にな。寧ろ過酷で凄惨な戦場でこそ、それらは輝きを放つもの……そうは思わんかね?」
戦場で交わされる種々の感情。それは一概に敵意の類のみでは無く、温かく注がれるものも確かに存在する。同胞達と結ばれる堅い絆、命を助けてくれた友軍への心からの感謝、まだ必死に足掻き付いて来るのが精一杯の新兵への激励。
そしてその程度の事は、総兵数三万を越す第四軍の長、辺境伯たる身で知らぬ筈も無かった。
「知れた……事ッを。それは自軍にのみ向けられるもの、決して……倒すべき……憎むべき敵には」
敵に向けるものと味方に向けるもの、そこには明確な隔たりが有る。
それは当然の事。自身と共に大きな目標へ向かう者達と、それを阻み妨害し、更には危害を加えようとしてくる者達を同じに見る事など――
「……なぜ、敵を憎まねばならぬ? 憎く思う事はあろうとも、決して義務や強制ではなかろう?」
愛を叫ぶ王子は、真っ向から異を唱える。
気負う事無く飾る事無く、敵対者に対し、憎悪は絶対の存在では無いと。
己の中には無い論にローエンヴァルは首を傾げ、話は先に続かれる。
「予はこの地に来る前から、いや我が戦士達もそうだが……貴殿との邂逅を楽しみにしておった。名高き円卓の裔にして無双の武人と名高き辺境伯……想像以上の苛烈さでは有ったが、それもまた気高き魂と愛の表れであろう。そんな貴殿に対し……我らが無用の憎しみを向けた事は、一度でも有ったかね?」
思い起こされる戦の日々、死をも恐れず立ち向かってくる戦士達の群れ。
その肉体から発されていたものは殺意では有ったが、敵意や憎悪は無く、己の内に宿る野心や功名心、そして強敵に対する武者震いだけであった。
だが猛禽の騎士が睨むのは、道端に置かれた一つの骸。
先程味方であるはずの指揮官に、首を圧し斬られた戦士の成れの果て。その双眸が最後に自身に向けていたものは、紛う事無き純粋な憎悪であった。
「貴様が気紛れで処断したそこのもの……確かに我に憎しみを抱いていたぞ? ……っふん、所詮蛮族の論理なぞはその程度の」
「それは貴殿……親しき仲間達をこうも無惨に曝されてはなあ。大事なものに手を出され憎しみを募らせる……それは愛がある故であり、正しく人間の心であろう。予が疑問を抱いておる……何と言うか息苦しい敵意とは、まるで別物よ」
クヌーズの後方、通りを凄惨に彩る屍の道。丘に近付く戦士達をローエンヴァルが皆殺しにした残滓は、鮮血は未だ乾かずに橙色の陽光を反射していた。
それもまた庇護すべき民達に手を出され、崇敬を奉じる玉座に近寄られた事での、城塞の主の心の具現。クヌーズはそれ自体を咎めはしないが、死体の扱いには一家言あるのか目を細める。
紛う事無く敵である漢の言葉は一々ローエンヴァルの心を刺激し、呼吸の鎮まりとは正反対に、その精神と胸の内は激しく揺れ動いた。
「あの者を処したのも予が貴殿に想う愛の表れであり……うむ、あの瞬間には味方にでさえ憎しみを発しておったなあ。得難き好敵手とはやはり戦士にとって」
「……貴様の話はもううんざりだ、時間稼ぎはもう充分。……構えるが良い侵略者達の主よ、戯言はここまでだ」
息を整えた猛禽の騎士は、馬から降り槍を構える。あくまでも戦術眼と己の心に従った動きであり、切っ先には鋭い殺気をまざまざと滲み出す。
対するヴァイキング達の王子は大戦斧を悠然と擡げ、言葉ではなく戦意を全身で表し、本来の目的通りに、闘争を以って愛する敵と心を通わす。
「応よッ!! 時間稼ぎであろうと何も問題は無い。例え吐かれる言葉が張りぼてであろうとも、己が心に嘘を付く事は――何者にも出来ぬ事ぞおお!!」
再び始まる剣戟の調べと、吹き荒ぶ血風の嵐。
万全とはいかないまでも、体力を回復させたローエンヴァルは互角に打ち合い、クヌーズの重撃に対しては無理に防がず、回避と捌きを優先する。
輝きを取り戻した白銀の槍は獰猛なる凶爪となり、瞬きの暇無く繰り出される無双の絶技は、隆々とした漢の巨躯から血霞を撒き散らさせる。
浅手には目も暮れず、猛熊は雄叫びと愛を轟かせながら、掠っただけで人体を両断する異形の大斧を自在に振るう。
「ぬぁッハアア!! やはり貴殿こそは――我が目に狂いは無かったわああ!! 嘗て無い昂ぶりと、愛の噴火を感じるぞおお!!」
全身を膾にされながらも、致命傷は防ぎつつクヌーズは前進を止めない。
ローエンヴァルはそれを押し止めるべく、限界を超え槍技の極地までをも越え至るが、後退する足先は遂に芝生へと、何者であろうと侵入を禁ずる玉座の敷地に差し掛かる。
踏み入る事にも血飛沫が飛ぶ事にも、城塞の主は断固として許容出来ず、大斧の一撃を紙一重で避けながら、猛禽の騎士は翔ぶ様にクヌーズの背面へと回り込む。
しかし振り向くクヌーズの片足が、芝生の上に乗り掛け――
「ッ――とおっ!? ……うむ、踏んではおらんな。いかんいかん、予とした事が少々熱くなり過ぎておったわ」
芝生の直上に差し掛かった図太い足は、流血を滴らせずにそろりと避けられた。
そのままクヌーズは芝生から遠退き改めて斧を構え直すが、ローエンヴァルはその配慮に目を見開き、どういう事なのかと戸惑いを表す。
バイザーの奥の顔は見えない筈だが、気付いたクヌーズはニヤリと笑い掛け、しかし攻め手は休めず猛然と襲い掛かり、愛への矜持を天に響かせる。
「見くびるでないわ! 愛の結晶たるこのクヌーズ、愛を尊ぶ事はあろうとも踏み躙る事はあろう筈が無い!! 貴殿の立ち振る舞いからあの丘こそ……理由は知らんが、見抜けぬ程の節穴では無いわああ!!」
自身の身勝手な愛のみならず、敵味方を問わずに愛を尊重する漢。
故にこそダナアスト。デーン人の愛と渾名されるヴァイキング達の王子は、強敵の愛の象徴にも、敬意を以って慈しむ事を憚らない。
満面の笑みを浮かべるクヌーズに対し、ローエンヴァルは顔に困惑を浮かべるものの、肩の力が抜けた槍先は更に冴え渡り、死闘は熱波さえも放ち加速する。
激突はここに最高潮に達し、響く奏では尚も激しさを増し黄金の丘に響き渡る。
槍先には陰りを落とさぬまま、ローエンヴァルは先程の所作に対し、何かが胸の内から溢れ口を開こうとするが――闘争は絶頂の内に、切っ先は骨子を抉り抜く。
「……クヌーズ、と言ったな? ッ……我こそは――!?」
何の事は無く突き出された無数の乱打の内の一突き。しかしそれ一つとっても武の極地を垣間見せる一閃は――心の臓を貫いていた。
既にクヌーズが百を越す数を捌いてきた牽制にも近い一撃。
不可解な決着にローエンヴァルは眉を顰めるが、即座にその双眸は決闘への横槍、漢の脇に刺さった矢に気付く。
穿たれたクヌーズは胸に槍が刺さったままよろめき、意識は朦朧とし丘へと近付いてしまうが――
「ッ゛グッブォ――んっぬ゛お゛!! ……っづ……ッ」
心臓の破壊による血流の暴走。
クヌーズは口から噴き出そうになる血の逆流を、今吐き出せば飛沫が敷地に飛びかねないと、全てを飲み下し胃に収める。
先日アバーダーで住民から受けたナイフによる脇腹の傷。そこには深々と毒の滴る矢が食い込んでおり、クヌーズが手放した大斧の傍には、もう一本、ローエンヴァルを狙った矢が落ちていた。
クヌーズはよろよろと芝生から遠ざかった後に、石畳に腰を下ろした。
「この矢は……私は……貴様に庇われたと……!?」
ローエンヴァルは遠目に、建物の屋根の上に下手人の影を見い出すが、それも直ぐ様闇へと消えた。即座に追いかけようと踏み出す前に、クヌーズは苦しげに咳をしながらそれを止める。
「良いのだ……全ては予の不徳の致すところ。それより最後の望みとして、少しばかり……話に付き合ってくれ」
息を整えつつ、クヌーズは落陽に輝く丘へ顔を向ける。
彼にはそこにどんな意味と想いが宿るのか知らなんだが、丘を見やる目は虚ろにも輝き、口はその真意を求めていた。
「あれが貴殿の……愛の在り処なのだろう? その身にさえも、勝るものか?」
自身と至宝とを天秤に掛けさせる一言。平時であれば槍を以って返答する愚問であるが、問われたローエンヴァルは目を瞑り、思慮を挟まずに口を開く。
既に残された時間は、余りにも短過ぎた。
「我が魂に家名を足しても尚勝る。……せめて目に焼き付け安らかに逝け。異境の地の戦士であろうと……我らが聖王は安らぎを与えるであろう」
穏やかな返答に笑みを浮かべつつ、愛を体言したヴァイキングの王子は逝く。
夥しい生傷の目立つ惨い遺体でありながら、その顔は安らぎに満ち、閉じない瞳は黄金の丘を映していた。
ローエンヴァルはその胸から静かに槍を引き抜き、首を取るでも無く瞼を閉じさせるでも無く、生死を共にした友の横に腰を下ろした。既に物言わぬ骸であるが放って行くには忍びなく、そのまま部下達の到着を待ち、口は心に沿って動く。
兜を取りながら小さくも確かに、誇りを込めて名乗りを上げる。
「我は栄えある円卓の騎士が末裔。谷を駆け抜ける者パーシヴァル、白鳥の騎士ローエングリン。両名の血を受け継ぎしスコットランド辺境伯、ローエンヴァルである。貴殿と直に刃を交わせられた事を……心より光栄に思う」
総大将にしてノルマン王国の長子クヌーズ、彼が討たれた事で北部の争いは即座に終結する。
城壁を破られた後の攻防も、ヒベルニア辺境伯の奮戦によりヴァイキング達の侵入は最低限に抑えられ、城内に残った者達は全て討ち取られるか捕虜となった。
第二王子ハーラルは速やかに残った兵力を全て纏め上げ、本国と打診しそのまま停戦協定に入る。手際良く迅速な手腕が功を奏し、長子を喪い失意にあった大王ゴームは、彼を後継者の座に据えた。
エディンバラから危機は去り、将兵と領民達は、一時の平穏に枕を高くする。




