第74話 獣王三影
「全軍水路を塞げええ!! 後の事は考えるな! 丸太でも岩でも何でも……死体を詰めてでも塞き止めろおお!!」
エディンバラ大城壁中央、破壊された岩扉から続く水路にはヴァイキング達を満載させたドラゴン船が列を成し、続々と城塞内部へ侵入を果たしていた。
兵達はそれを阻むべく形振り構わず船に飛び移るが、只でさえ待ち構える側が有利な上に、船上での戦いはヴァイキング達の独壇場。果敢にも挑んだ兵達は敢え無く屍と成り果て、湾へと流れる水流に清らかさは無い。
矢の類では戦士達はものともせず、城壁から落とすのとは勝手が違い丸太も岩も役には立たず、刻一刻と状況は悪化していく。
「坊主、汚名を返上するのは今しか無いぞ! さっさと突っ込め!!」
「言われなくて――もおッ! 行くしかないだろ!!」
精霊グラスに言われるまでも無く、青藍の騎士は城壁上を掛け戦場に躍り出る。
崩れた城壁の先端、イーヴァンは斧槍を片手に跳躍し、ヴァイキング達を切り捨てながらドラゴン船に降り立った。
瞬く間に四人を屠った蒼獅子の甲冑を前に、名誉と流血を求める戦士達は目の色を変えて殺到し、その首級を船頭に飾らんと殺意を振り下ろす。
「こいつら、少しはっ!! ……死ぬのを恐れろってん――ッダア!!」
斧槍の一薙ぎで三人を地に伏させ、迫る刃は柄と甲冑で防ぐものの、四方八方から迫る凶刃を全て捌く事は適わない。
騎士は身を削られながら、嬉々として死に逝く戦士達と血の演闘を舞い続ける。
崩された城壁の狭間、湾との出入り口で最も狭くなり最も敵が集中する一点。
蒼獅子はその身に血化粧を施しながらも立ち塞がり、連なるドラゴン船を赤く塗り潰していく。
「ッ――イーヴァン殿、この場を任せた!! 私は侵入した敵を根絶やしにする。第四軍、近衛のみ我に続けええ!!」
最も過酷な場を任せる事に一瞬ローエンヴァルは躊躇を覚えたが、その真髄を目の当たりにし馬首は冷静に返される。
城塞の主は手勢を引き連れ北城壁の後方、軍事関連の建築物とそれに付随する民間施設の集まり、その一角へと蹄の音は遠ざかって行った。
後を託されたイーヴァンは血の味を噛み締めつつも口端を上げ、更に眼前に迫り来るヴァイキングの一団、その先頭の頭蓋を割りながら名乗りを上げる。
「我こそはヒベルニア辺境伯、祖に戴くは円卓の騎士が一騎ユーウェイン――
蒼獅子イーヴァンとは俺の事だ!! 俺がここに在る限り、敵は獅子の口に飛び込むのみ! 後は入り込んだ鼠達を……白鷲が狩り殺すのみよ!!」
畏敬を感じていた男の信を勝ち取り、蒼獅子の爪牙は勢いを増して敵を食い散らかして征く。兵達は所属の区別無くその武者振りに奮い立ち、獲物の首の重さを再認識したヴァイキング達は、我欲を上乗せし目をぎらつかせる。
城壁を巡る攻防は様相を変え、水路の色合いは最早深紅に堕ちていた。
近衛兵を連れ城内を疾走する真白の騎士、ローエンヴァルの一隊はまだ敵を直視出来てはいないが、既にその所在を捉えていた。
本拠地の構造は地図を必要ともせず体に染み付いており、その一角から昇る煙と鼓膜が捉える悲痛な叫びは、それ以上の情報を必要としなかった。
道行く先々に蛮行の跡を辿り、大通りに差し掛かった所で、それを直視する。
「――鏖殺せよ、一匹も生かすな。この世に生まれて来た事を後悔させてやれ」
戦士では無く、蔓延る物は血肉を啜る獣の群れ。長引いた戦の日々に鬱憤を募らせていたヴァイキング達は、通りのあちこちで欲を発散させていた。
猛禽の将と近衛隊はその必滅を誓いながら、槍を取る手に熱を込める。庇護すべき民に手を出した害虫に、血走った眼と共に切っ先は鋭敏に突き立てられる。
「んあ? っちぃ、もう来やが――!?」
「下衆が……囀るな。人の真似事を止めさっさと死ね」
通りの狂宴は容赦無い粛清により上塗りされ、獣達は這う這うの体で逃げ惑う。
分散し好き放題をしていたヴァイキング達はまともな対応は出来ず、殆どは討ち取られ幾らかは姿を隠すものの、土地勘の無い者達は間も無く追い詰められた。
「一隊から三隊は隊伍に分かれ細道まで虱潰しに探せ。四隊は住民を兵舎に集め手当てを施し……残りの者は現状の把握と避難の確認を……」
ローエンヴァルは矢継ぎ早に指示を飛ばし、被害の拡大を抑えるべく兵達を方々へと走らせる。既にこれ以上敵の侵入は無いと、猛る蒼獅子に信を置いての対応。
しかし息付く暇は僅かにも無く、更なる火急の報せが響き渡る。
「閣下ああ!! 敵が……敵の一隊が、玉座に――!!」
騎士は玉座という言葉に目を見開き、愛馬は主の意を汲み近衛達を置き去りに全力で疾駆する。今は何よりも速さを貴び、歩兵に合わせていられる余裕は無い。
エディンバラに王城は無く人の身が座す玉座なぞは存在し無い。蹄が向かうのは夕刻の陽を浴び燦然と輝く、何よりも尊き黄金の丘。
ローエンヴァルは改めて槍先に殺意を滾らせ、心に浮かぶ絶対の聖王、騎士王アーサーの名を冠する丘、アーサー王の玉座へと急行した。
§§§
隊列を整え丘へと向かう三十人程のヴァイキングの一団。
抵抗する者には容赦しないが積極的に民間人を襲うでも無く、歩みを揃えて通りを闊歩する。
全てのヴァイキング達が享楽や殺戮に耽っている訳では無く、船団や部族の単位でその考え方は様々に違う。
彼らはただ前方に聳える丘へ、戦術的な価値のみを求め向かっていた。
大都市の中央に構える近隣で最も高さのある存在。占拠すれば都市内部の情報を全て得る事が出来る上、丘の傾斜は直接の戦闘に於いても投射戦での有利、逆落としでの突撃、敵の陣形の把握、役立つ要素は数え上げれば限が無い。
「船長、こんな事やってる場合ですかい? 俺達もさっさとそこら辺襲って女でも金目のもんでも」
「ちっこい銅貨に釣られてんじゃねえ、まだ戦いが終わった訳じゃねえぞ。あの丘を抑えておけばクヌーズは兎も角……ハーラル様なら確実にその価値に気付く。それで褒美を貰えりゃ俺達は一足飛びに王家のお抱えか……もしかすれば所領を頂けるかもしれねえ」
戦争である以上、将兵達にとって実入りとなるのは略奪で得た品か、戦後に控える論功行賞。先見の明がある者達はそれを見据えて行動しており、一団を率いる年季の入った船長もまた、目先の利益には目もくれていない。
そもそも総大将たるクヌーズはこの地を一時的な略奪の場では無く、統治すべき未来の領土と認識し兵達にもそう触れ回っている。
それを承知で勝手な振る舞いを見咎められれば、全てを失いかねない。
「ま、どうしても好き勝手してえってんなら無理は言わねえがな。若い時分にはそういう時もあらあよ……ただし、行くなら自己責任だぞ? 奴隷に落とされたってんならうちで商品として買ってやるが……?」
話の解る船長は度量の広さを示そうとした所で、甲高い蹄の音に気付く。
北海を渡り来襲しているノルマン側に騎馬の備えは無く、それが表すものは一つのみ。船長は湾曲した片刃の刀剣、カトラスを抜き放ちつつ振り向くが、既にしてそこは――猛禽の狩場となっていた。
「野郎共、敵さんのお出ましだ!! 丘を飾るのに丁度首を一つ――!!??」
列の背後から迫ったソレは、全てを物言わぬ塵に変えて行く。
放たれる白銀の槍は鮮血を舞い上がらせ、噴き荒れる赤は双翼を形作る。
駿馬は魔獣の如き嘶きを上げながら、肉食にでもなったかの様に牙を振るわせ、鋼の蹄は骨肉を紙屑の様に踏み散らかす。
背に跨る真白の騎士は――既にして白は皆無。生き血と臓物を貪る魔凰となり、戦士達の一団はか弱き生贄となっていた。
「ッ……ヒッはあっ……っま、ビ――」
歴戦のヴァイキング達所か、酸いも甘いも下してきた船長でさえ泡を噴き、悲鳴を発する事さえも出来ず石畳の塗料と化した。
掃除を終えた騎士は胸を撫で下ろし槍を血払いする。丘の敷地である芝生には寸での所で間に合い、血は僅かにもそこに飛び散っていない。
「……今ので全てか? 兵達が来たならば周囲の警戒を……む」
念の為にと、船長が隠れて付いて来させていた別動隊。
通りの影から飛び出るや否や十人の弓兵は弦を引き絞り、恐怖に歯を鳴らしながら仇の騎士へと矢を放つ。
ローエンヴァルは特に動じず、落ち着いて槍を構え双眸は矢の軌道を読むが、その内の一本、狙いを外し自身では無く――丘へと飛んで行く矢が一つ。
「ッ――ぬ゛あ゛ッ!!」
槍は左手一本で振るわれ、旋風を纏う絶技は九本の矢を叩き落とす。
狙いを外し丘へと向かった矢には、僅かの逡巡も無く確実に止めるべく、差し出し伸ばされた右腕の手首を貫いていた。震える程に拳は握られ、筋骨で無理矢理圧迫したのか、血の一滴も流れ出る事は無い。
射掛けた戦士達はその様に戸惑いと狂気を感じつつも、次を急ぐべく矢へと手を伸ばし、野太い雄大な声を掛けられる。
「おぉお! 探したぞローエンヴァル殿。うむ……良い! 戦への愛をビシビシと感じる、まさに絶好の機会に巡り合えたなあ。しかし……」
超大の両刃斧を肩に掛け、熊の様な漢が現れた。
クヌーズはうんうんと頷き上機嫌だが、直ぐに調子を改める。
夕陽に輝く丘を背に真白の全身鎧を返り血に染めた猛禽の騎士。それは彼にとって最高にも近い好敵手の姿であったが、その右手首に刺さる矢と周りの戦士達。
漢はそれを見止めた途端にどこか顔を白けさせ、丸太の様な豪腕を畏れる戦士の首に回す。
次代の王に肩を組まれた戦士は愛想笑いを浮かべるが、その首は瞬時にして――
「……我が幕下の戦士であるからには愛と矜持を以って戦場に立て。あの御仁を相手に飛び道具等とは……恥を知れええ!!」
回された腕は断頭台となり、金剛石の如き上腕二頭筋は首を断ち切る。
他の九人は心胆を寒からしめ、一目散に逃げ出した。
クヌーズは骸から剣を引き抜き、死体を通りの端に安置した後、真正面からローエンヴァルに近付いて行く。
「我が兵士達の無粋は我が身を以って埋め合わせよう。これは施しでは無く遠慮でも無く、予の愛を滾らせる為の儀式である」
クヌーズは躊躇う事無く、自らの右手首を深々と刺し貫いた。
猛禽の騎士は一切構わず右腕の矢を引き抜き、槍先を敵へ向け憎悪を放つ。口上にも儀式にも何の関心も示さず、今は身命を賭けて丘を守るべく、総身を以って目の前の敵の必殺を決意する。
その様を見やり、王子クヌーズは再び顔に笑みを取り戻し、剣を引き抜き愛用の大斧を手に、名乗りと共に猛爪の間合いへずかずかと踏み入る。
「我こそはノルマン王国が長子、大王ゴームの後継、デーン人の愛の結晶……
クヌーズである!! いざあ、無窮の愛を――ここで謳い合おうぞおお!!」




