第73話 エディンバラ決着戦 二羽の隼
二人の辺境伯が守るエディンバラ大城塞、その北壁を巡る攻防は日を跨ぐ毎に、精彩を欠いていた。
攻め寄せるノルマン王国のヴァイキング達は日増しに勢いを弱め、今では散発的な攻撃を気紛れに繰り返すのみ。対する守り手たる第四軍と第六軍は、万全の体制の下防備を疎かにはしていないが、長引く睨み合いは否応無しに空気を弛緩させていた。
「ローエンヴァル殿、少しはお休みになられては如何でしょうか? 常にそれでは体に障るのでは……」
兜は脱いでいるものの、城壁中央に変わらず屹立する城塞の主。
スコットランド辺境伯ローエンヴァルは一切気配を鈍らせず、白き猛禽の甲冑と槍先は、海上に布陣する侵略者達に殺意を滾らせている。
同じく武装は解かないまでも、少しばかり肩の力を抜いているイーヴァンは連日連夜の不動の騎士を心配するが、やはり返答も変わらぬままであった。
「長期戦ともなれば士気の低迷は避けて通れず、将が身を以って示す事でそれを少しでも引き締めねばならん。特に、敵側の気が緩み伝染するというのは……警戒をして損をする事では無い」
取り付く島も無い返答を返し、真白の騎士は潮風を受けながら、筋張った双眸は海上の敵を睨み据える。
イーヴァンも決してだらけている訳では無く、敵の妙な動きに不信感を抱いてはいた。青藍の若武者も軍を預かる者として、その思考は軍略に割かれている。
ヴァイキング達は対岸のアバーダーの町を攻め取りはしたが、そこを足掛かりに内地へ侵攻する事は無く、かと言って全く有効活用しない訳でも無い。
フォルトン橋からちょっかいは掛けてくものの、橋での大規模な交戦は前日の一度切り。橋を攻め切り城塞を二方面から攻めれば敵は優位に立つはずだが、何故だかその手は使ってこなかった。
「坊主の考えも解らんでは無いが、私は伯殿に賛成するぞ。こういう時こそ気を引き締めておかねば足元を掬われかねん。……そもそも、お前は普段から集中力を欠いているきらいが有る。追い込まれねば真価を発揮出来んというのであれば、頭から全力を出せる者には……」
イーヴァンの傍をふよふよと漂いつつ、精霊グラスは主では無くローエンヴァルの肩を持ち、クドクドと説教じみたものを垂れ流す。
前日の爆発での損傷はまだ癒え切っておらず、人魂の形態で小言を漏らす事しか出来ない。幸い敵の攻勢は弱まってはいるものの、主としては前日の過失を度々思い出すので早い所の回復を望んでいる。
「お前は疲れるとかそういうのを知らん体だろうがっ! 人間休む時にはしっかり休んでおくべきで……というかお前の事を考えて俺は気を張らず――む」
イーヴァンの抗議を遮り、敵陣から一艘の大船が進み出る。
部下達にオールを漕がせ竜を戴く船頭に立つのは、既に何度も見知った巨漢。
裸に熊の毛皮を纏っただけの王子クヌーズは相も変わらず、水面を揺り動かす豪声で一騎討ちを要求する。
「ローエンヴァル!! いざ今日こそは! 我らの愛を砕け散るまで――!」
城壁上からは一本の槍が投げ放たれ、開けっぴろげな声を無慈悲に遮断する。
投げつけられたクヌーズはそれを事も無げに大斧で払い、つれない態度の好敵手へとしつこく、無邪気な野太い声で叫び続ける。
「今日こそはあ! お主の槍があ! 尽きるま、でええ!! 予の愛は! 枯れぬと、知れええ!!」
城塞の主は一切聞く耳を持たず、間断無く投げ槍を放ち拒絶を示す。
既にローエンヴァルにとって敵の総大将クヌーズは、相手をすべきでは無いものとして分類されている。
一騎討ちに応じれば敵は湧き立ち士気は上がり、苦々しくもその実力は本物であり討ち取る事は容易では無い。ならば敵の戦力を確実に削ぐべきであると、城壁を降りるのはクヌーズを避け、敵兵達の真っ只中と数日前から切り替えていた。
城壁を巡る攻防では如何に無双の武人クヌーズであろうとも、その怪力のみで形勢を覆す事は出来ず、放っておいてもそう問題は無い。
「しつこいもんだが……一途な漢だなあ。……ローエンヴァル殿、貴殿が遅れを取るとも思えませんし、応じてやっても良いのでは無いですか? もし討ち取れれば一気にこの戦を終わらせられますよ?」
同じく城壁から、愛を叫ぶ戦士を見やるイーヴァンは、その首の重さを鑑みる。
ノルマン王国の後継者にしてヴァイキング達の総大将であるクヌーズ、考えるまでも無く今この場での最上位の首級であり、討ち果たしたならば北部の戦いは速やかに終結する。
しかし問われた猛禽の騎士は動きを止めず、精密機械の様に連投される投げ槍と共に、冷たい言葉を放つ。
「敵に向ける感情は殺意と敵意のみ、戦場に持ち込む感情は武具と自軍への信頼のみだ。あれを正しく見定めるなら、応じるよりも相手にせぬ方が都合が良い。戦が長期化すれば更に敵は痩せ衰え……その時こそあの蛮族を引き裂いてくれよう」
苛烈な槍の雨は緩ませる事無く、戦の主は思考を研ぎ澄まし先の展開を冷静に見据える。作戦が空振りに終わった事は微塵も引き摺らず、このまま長引くならば敵は自ずと袋小路に陥ると。
敵が困窮し略奪行に走るのならば分断した軍を各個撃破し、エディンバラに拘り続け更に萎れるならば、いずれ滞陣さえもままならなくなる。
依然敵の魂胆には靄が掛かったままだが先の展望は悪くは無いと、ローエンヴァルは戦の全体図を描き直していたが、再び戦士達は――それを台無しにする。
「なっ!? 奴等……ヤケにでもなったか!?」
沖で鳴りを潜めていた竜の群れ、身重か空腹かの様に静寂を守っていたその集団は、突如として翼を広げ荒波を切り裂いて疾走する。
目一杯の潮風を受けた主帆は大きく膨らみ、千を越すドラゴン船は大城壁へと、悠然と颯爽と、玉砕を高らかに笑いながら全軍突撃を開始した。
青藍の騎士は微かに狼狽えるが、戦場で育まれた武の申し子は即座に頭を切り替え、獅子を連れた騎士の名に恥じぬ咆哮を響かせる。
「全軍奮起せよ!! 我らが未来は今日この時この場にて定まる! この白壁を敵の生き血で染め上げ、ブリタニアを想うだけで卒倒するまでに叩き潰せ!!」
イーヴァンの叫びに応じ、第六軍のみならず第四軍も己に鞭を入れる。
見た目には士気が下がっていた様にも見えるドミニア軍は、その実英気を養っていただけの事。兵達は即座に弓矢を構え、丸太や岩や煮え湯の準備を済ませる。
万端整った大城壁に対し、戦士達の王子は大喝を轟かせ死出の旅路を祝福する。
「ガーッハッハッハ! 見事なり我が軍勢、我が好敵手よ!! 主神よ、どうかご照覧あれ! 我らが愛は天を衝き破り、虹の橋をも越えて見せようぞおお!!」
ヴァイキング達はドラゴン戦を大城壁にぶちかまし、降り注ぐ洗礼をものともせずに猛攻を仕掛ける。鉤爪付きの梯子を掛け、弓兵には応射を、丸太や大岩は気合と筋骨で耐え凌ぎ、狂奔は泡立つ煮え湯より尚血潮を沸騰させる。
二人の騎士は城壁上を奔走し、長柄武器で敵を突き落とし梯子を放り投げて海へと沈め、攻め寄せる戦士達を望み通り、黄泉の国へと旅立たせていく。
「っふん、所詮は悪足掻きに過ぎん蛮族共の浅知恵よ。……一頻り攻め終えた所で追い立ててやるか、せいぜい玉砕の美に狂い踊るが良い」
ノルマン側の威勢は目を見張る激しさが有るが、大城壁はビクともしない。
時たま危うい場面は見受けられるものの、イーヴァンかローエンヴァルのどちらかが駆け付ける事で即座に帳消しとなる。
ヴァイキング達は数を頼みに攻め手を休めはしないが、船の残骸と骸の数は、瞬きの度にその嵩を増していく。
投身自殺にも等しい玉砕特攻は続き、その影で一つの動きが起こる。
数隻のドラゴン船が城壁の中央、岩扉へと横付けされ、乗り込んでいたヴァイキング達は直ぐ様海へと飛び込み避難する。
「――! 坊主、あの動きはまた……爆ぜる船を付けて来たぞ!」
「解ってるって――ありったけを使え、枯らしちまっても構わん!」
岩扉の上の兵達は即座に、用意していた水を船体に満遍なく放出する。
交易都市としても名高いエディンバラ大城塞、集まる情報もまたブリタニア北部では随一であり、遥か東の異境の爆ぜる黒い粉、黒色火薬に関しても調べを付けていた。
火薬の弱点である湿り気を突くべく、守兵達はこれでもかと水を掛けドラゴン船をずぶ濡れにさせた。
船首の竜の彫刻からは水滴が滴り落ち、ヴァイキング達はそれを歯噛みして――
「――構わん、さっさっと射掛けろ。どうせダメ元なんだからな」
戦場の後方、第二王子ハーラルは陰気な声で指示を飛ばし、戦士達は濡れたドラゴン船に火矢を射掛けた。
イーヴァン達はそれに首を傾げるが、船体には変化が起こる。
「なんだ、まだ諦めて――!」
火矢を放たれたドラゴン船は瞬く間に燃え上がり、崩れ軋む船体の音は火竜の呻き声となりギリギリと鳴り響く。
イーヴァンは臭いに気付き更に指示を飛ばそうとするが、ローエンヴァルはそれを押し止め――遂に局面は打開される。
「っち、魚油を染み込ませていたか……更に水を被せろ! 何なら湯でも」
「問題無い、如何に火が付こうと黒色火薬とやらはそれ自体が濡れてしまえば使い物にはならんと聞く。念の為に船体を沈めるつもりだったが……あれならばその手間も掛から――」
炎に包まれたドラゴン船は閃光を発し、その直後、以前の比にはならない規模で、周囲を巻き込み巨大な爆発を起こす。ドミニアもノルマンも、人も船も海も区別無く、巻き上がる爆風は有象無象を吹き飛ばした。
戦場の者達は須く目と耳をやられ、視界が回復し煙が晴れた後に、
城塞の主の双眸は――変わり果てた岩扉の姿を映し出した。
「バ……カな……。大岩戸が……こんな、事が……!!」
この地を預かる辺境伯ローエンヴァル、戦場では殺気のみを放っていたその双眸は、今は驚愕に歪みわなわなと口を震わせている。東西に駆け回っていた事が幸いし二人の指揮官は爆発を免れたものの、被害の大きさに顔から生気を失くす。
城壁中央、湾との出入り口を塞いでいた巨大な岩扉は、無残に砕け散っていた。
今やそこには名残の瓦礫が僅かに降り積もるのみで、湾と城塞内の水路を塞ぐ物は、立て板一つ無い。
「っは、ははは……まさかあいつの大博打が当たっちまうとはなあ、こいつは付いてるぜ。……なーにをボサッとしてやがる!? 全軍さっさと突っ込めええ!! 宝箱が大股を開いて誘ってやがるぞおお!!」
第二王子ハーラルは兵達を盛り立て、ドラゴン船は続々とエディンバラ城内へと突っ込んで行く。都市内に張り巡らされた水路には竜が跋扈し、解き放たれた地獄の戦士達は欲望を解放させ血遊びに興じる。
しかし命令を下し兵達を進ませたものの、策謀を巡らせる青き衣の王子は自らは突き進まず、一息入れて成り行きを見守る。
「まさかあんなものでどうにかなるとはな。というか、一体何だったんだあれは? ……あの驚き様……ドミニアの奴らも知らない様だが」
アバーダーの町を攻め取った際、長兄クヌーズが発見した謎の物品。
掌大の黒い球体、赤い血管の様な物が纏わり付いており、不気味な拍動は心の臓腑を連想させる。
クヌーズはいつもの調子でそれに彼なりの愛を見い出し、黒色火薬と共にドラゴン船に詰め込んだ結果は、先程の未曾有の破壊の渦。
結果としては最良にも近いものではあるが、疑り深い第二王子はブツブツとしつつ、気難しい両目は目の前の戦場へ、一人の漢を探す。
そして弟の思いを一心に受ける長兄は、彼にしては珍しく崩れた城壁を見て、頭を抱えてしまっていた。
「う、むむむ……いかんな、あれはいかんぞ……あれでは裏口から入るも同然では無いか。大王ゴームの長子がその様な真似をする訳には……。しかし遅れを取っては戦士の名折れ……うーむ」
王子クヌーズは彼なりの理論と信念により、城壁を崩して入るという行為には忌避感を感じていた。栄えある未来の大王が通るには相応しくは無いと、自身の愛を示すには何かが違うと。
剛毛と剛筋に満ち満ちた戦士達の長は、その肉体には似つかわしくないイジイジとした態度であれこれと思い悩み、何かに気付いたのか急に顔を明るくする。
「なるほど……そうか! 大き過ぎて気付けなんだとは……予とした事がうっかりしておったわ。よしっ、そうと解れば……っ!」
クヌーズは自身の両刃斧を肩に担ぎ、近衛も軍も放り出して船を飛び出す。
部下達の静止も聞かずにドラゴン船の間を渡り歩き、崩れ落ちた部分ではなく、まだ荘厳な佇まいを見せる大城壁に辿り着き、労わる様に手でなぞる。
「うむ、やはり王の道を歩む者ならば……壁はくぐるものではなく越えていかねばならん。……いざあっ! 我が愛をこの壁に刻み付けようぞおお!!」
両大斧を顎で咥え、熊の様な漢は大城壁を自力で登り始める。
幸いにも守兵達は崩れ落ちた部分へと殺到しており無人であったが、味方であるヴァイキング達からはよく目立ち、彼を探していた人物は口端を吊り上げる。
とは言え、この場でこれ以上の事が起こる事は無い。
その腹の内にあるものは人目を憚り、ひっそりと人知れず、役者が揃うのを待つ必要が有るのだから。




