第71話 白髪の英姿
義勇兵を名乗ったウェールズ候ベドウィル。偉丈夫の老将に率いられた第三軍はそのまま、カリング兵達と猛然と戦闘を開始した。
偽装の為に装備も得物もバラバラの軍ではあるが、帝国軍はダークエルフ達の弓撃と挟み撃ちになり、目に見えて勢いを弱めていく。
「クライグ、あれってやっぱり……間に合ったって事か、随分早かったな」
フィオン達は負傷者を回収しアメリアの下に集めながら、その戦いを遠巻きに見やる。数の上ではカリング軍が勝っているが、ダークエルフ達の援護や諸々の有利な条件を受け、第三軍の方が優勢に戦を推移させている。
「あぁ、予想では明日って所だったけど……何にせよ助かったよ、本当にもうダメかと……。っと、早く皆を手当てしないと……もう灯りを点けても良いだろう、ダークエルフ達なら誤射はしないはずだ」
怪我人を集めつつ、骸には安息を祈りつつ、フィオン達は森の一角で然るべき処置を施していく。無論、既に死に瀕し治癒でも助からない者達にも。
今はアメリアには治癒に専念してもらい、それらは他の者が引き受けていった。
そんな中、フィオンは一人の負傷者に気付く。
傷を負い寝かせられ大人しくはしているものの、その足甲は茜色。甲冑を脱ぎ捨てパッと見では解らないが、カリング帝国軍の兵がその中に混じっていた。
「こいつ……帝国兵か。見た所身分が高そうって訳には見えねえが……クライグ、ここでは捕虜はどうする? 村に入れるのは、やっぱマズいよな?」
身分の高い者や歴とした血縁を持つ者であれば、捕虜であろうとも丁重に扱われ然るべき時に身代金と引き換えに開放される。それが望めない者は簡単な手当ての後に一纏めにされ、奴隷として売り捌かれるか敵国との取引に使われる。
しかしそれらはあくまで人間の法であり、ダークエルフ達には通じない。
匿った事が露見すれば彼らとの関係は悪化しかねないと、クライグは軍刀を抜き放つが、それに先んじてアメリアは、己の信念と共に立ち塞がる。
「っ……フィオンの言う通りだ、そいつを助けたらマズい事になるかもしれない。アメリアの考えは解るけど、ここは」
「私はここに戦いに来たんじゃない、人を助ける為にここにいる。まだ助けられる人を殺すなんて……絶対間違ってる。何を言われたって私はこの人を助ける」
震えは無く気負いも無く、真剣を前に深緑の瞳は頑として動かず、一人の軍人を静かに見捉える。クライグは苦い顔をして向かい合うが、丸腰の少女を相手に心で押し負ける。
そこにやって来た義手の老兵は、クライグの肩を軽く叩き力を抜く様に諭した。
「ま、バレなきゃ良いという話であろう? どうせ装備は取っ払う、そうすれば見分けはつかんし、しっかりと縛っておけば良いさ。……アメリアの頑固はお墨付きじゃ、言い出したら聞かんよ」
クライグは深く息を吐き、軍刀を鞘へと収めた。
丸く収めたロンメルはフィオンにも目配せするが、狩人は肩をすくめてそれに同意する。元々、フィオン自身が止めに入るつもりだったのだから。
郷に入っては郷に従えとは言うものの、狩人とエルフの少女はそれを頑として跳ね除けた。二人がこの地に立っているのは、確固たる信念を己が胸に宿す故に。
片や戦いに来た訳では無く、一人でも多くを救う為。
片や国や戦はどうでも良く、親友に望まぬ業を背負わせぬ為だった。
§§§
第三軍の最前に立つ偉丈夫の老将、ベドウィル。
手にする得物は奇しくも敵将アーノルドと同様の長柄の戦鎚。身を包むのは第三軍の軍装では無く、冒険者達に紛れる為の軽装の戦拵え。
老齢を一切感じさせない筋骨と長躯は茜備えの軍勢を薙ぎ倒し、凛とした佇まいは清涼な気を迸らせ、対する者は気を弱め続く者は気勢を滾らせる。
依然ダークエルフ達の斉射に脅かされる帝国軍は、突如現れたベドウィル達に見事に挟撃される形となり、指揮官は手遅れになる前に声を響かせた。
「ぬぅ……全軍、鋒矢の陣を取れ! 敵軍を引き裂き陣まで一直線に戻るぞ!!」
窮地を脱し帰陣すべく、カリング軍大将アーノルドは号令を飛ばし全軍で矢の様な形の隊列、鋒矢の陣を敷かせ突破を狙う。
士官達は各々の隊に指示を出し、兵達は体に染み付いた訓練の経験、それに従い瞬く間に一本の巨大な矢を形作る。
アーノルドは老将ベドウィルに武勲の気配を感じつつも、今は武人としての野心は抑え、鋒矢の先端はそれを避けて突撃させた。
「ふむ……無理に押さえ込もうとするな、刈り取れるだけを捌くだけで構わん! こちらが急く理由は何も無いのじゃからな」
対するベドウィルは兵達に、突撃を無理には受け止めさせない。
突破を狙うカリング軍の鋭く尖った陣形、その端々を引き裂かせる。剣、斧、槍、偽装の為に様々な得物を手にした第三軍の精兵達は、その凶器を思い思いに振るわせ軍人の本分を全うする。
「ッ゛――構うな!! 突き進めええ!! 前だけを見て前進せよおお!!!!」
怒声を響かせアーノルドは兵達の尻を叩き、結果的に一兵でも多く生還させるべく、血風渦巻く死地を掻い潜らせる。
帝国兵達は犠牲を出しつつも刃の嵐を歯噛みして耐え、脇目も振らず森の南へ、陣を構える闇の中へと消えて行った。
突破されたベドウィルはリスクの高い夜の追撃はさせず、まずは地固めをすべく兵達に向き直る。
「中々の気骨、解っていても苦しい一手じゃったろうな……。今宵はこれまで、まずは負傷者の手当てに掛かれい。第二隊はわしに――?」
指示を出すベドウィルに、近衛の一人が駆け寄り慌てて黙る様に指で示す。森の中では超常の鋭敏で知られるダークエルフ達には、もしかすれば聞こえているかもしれない。
軍である事を隠蔽しているのに将として振舞えばそれも台無しであり、平時は気の良い好々爺である老将は、納得がいったとばかりに手を打った。
元より、第三軍の精鋭である彼らは戦の生業は体に染み付いており、特に指示を必要ともせず既に成すべき事に取り掛かっている。
「んー……では何人か付いて来てくれ。ダークエルフ達と……冒険者達とも話を通しておかねばな。わしらがやり合う前に逃げておったし恐らくは、お?」
兵を取り纏めるベドウィルの下に、クライグとシャルミラが姿を表す。二人共軍装では無いが、その気配にベドウィルは身内であると察し応対した。
簡単な自己紹介と共に軍礼を交わし、ダークエルフ達の村へと案内を始める。
「彼らは思っていたよりは協力的……いえ、一枚岩では無い様に見受けられます。族長アルディトは強硬的ですが、戦士長のラオザミという纏め役は」
「……クライグと言ったかね? わしらはあくまで義勇兵としてやって来ておる、そう畏まられてはバレてしまうわい。名前も今はベーリィという事で頼む。本名というかあの渾名は……ちっとばかし通りが良すぎるわい」
ベドウィルの名は元々彼の祖先、円卓の騎士ベディヴィエールの渾名であった『恐るべき膂力のベディヴィエール』から賜りしもの。
多くの書物や寝物語でも散見され、その名を使うだけならば兎も角、老齢にして腰一つ曲がっていない軍を率いる偉丈夫が名乗れば、すぐに勘付かれる。
先程の自身のうっかりを全く引き摺っていないベドウィルに、近衛達は少々苦笑いを浮かべるが、クライグは老将の機転に素直に関心する。
程無くして一行はダークエルフ達の村、その目の前まで辿り着くが、森の戦士達が姿を表し、殺意は出さないまでもその行く手を阻む。
ある程度予想していたベドウィルと第三軍は、身じろぎする事無く自然体で彼らに接し、あくまで敵では無いと言う事を示す。
「敵の敵は味方、と簡単には受け入れられん。義勇兵という事は既に聞こえたが、それは少々……無理があるのではないか?」
木の仮面を外し、ラオザミは精悍な顔付きと灰の目でジロリと一同を睨む。
ベドウィルを筆頭に義勇兵に扮した第三軍の精鋭は、夜間の激戦の後にも関わらずまるで疲労の色を感じさせない。隣に並ぶクライグとシャルミラは気を張って踏ん張ってはいるが真逆の様子であり、更にそれを引き立ててしまった。
「無理がある……とは言われてものお……。わしはベーリィという普段はウェールズで土いじりをしているもんじゃ。風の噂でここらが危ないとかを耳にしたが、国の方はどうにもアテにならんでなあ。使えそうなもんを集めてここまで駆け付けたという訳じゃわい」
問われたベーリィことベドウィルは、そしらぬ顔で農民の寄せ集めの義勇兵という主張を曲げない。
ラオザミの眉間には益々皺が寄り空気は剣呑さを増していく。
クライグとシャルミラは脂汗を掻き内心で焦る中、更なる詰問に対し、第三軍の将帥は一息付き、埒が開かないとばかりに啖呵を切る。
「助けには感謝をしたいが、冒険者達を留め置くだけでも限界だ。あくまでもこれは我らの問題……軍に頼ってしまうのは沽券に」
「ふぅ――じゃっかあしいわい!! 軍では無いと何遍も言うておうろがああ!! ……わしらは森の中で勝手に野宿をするだけじゃ! それをグチグチ言うのであれば、今ここでサパッとやる事をやって見せんかああ!!」
大喝は森中に轟き木々をざわめかせ、ベドウィルは武装を放り出しその場にドカッと胡坐を掻く。やって見せろとは言うものの、その剣幕だけで気の弱い者ならば殺しかねない圧力を放つ。
クライグとシャルミラの焦りは頂点を越える中、付き従う第三軍の近衛達もそれに続き、テコでも動かぬと全身で表す。
ダークエルフ達は戦士長を筆頭に扱いかねるが、「好きにしろ」と言い残し村の中へと去って行った。
「……なーんじゃ、思ったよりも話が解るでは無いか。ったく、ウォーレンティヌスのひよっこもこれ位の勢いでやれば良いものを……。よしっ、話は纏まった! 早速陣を設営するぞ、森をそう傷つけん様にすれば文句も言われんじゃろう」
鬼の様な形相は一瞬で消え失せ、ベドウィルは部下達と共に悠々と踵を返す。
ダークエルフ達としても村の存続が掛かった苦境であり、四の五の言ってはいられない。とは言え体裁を整える必要も有り、今しがたの対応が限界であった。
族長アルディトや一部の老人達は眉を顰めたが、ラオザミを始めとする戦士団の説得により、納得はしないまでも何とか飲み込み目を瞑る。
かくして、フィオン達冒険者は寸での所で時間稼ぎに成功し、第三軍はダークエルフ達との共闘体制に入る。多大な犠牲を伴ったもののその価値は大きく、戦略的にもカリング軍は窮地に立たされる事になった。
帝国軍三千弱に対し第三軍は二千、冒険者達は既に五十もおらずダークエルフの戦士達も千に満たない。
しかし兵站の有無や拠点の違い等、互いを包む環境には大きな隔たりが有り、双方の将はこれらをしっかりと理解していた。
第三軍総帥ベドウィルは現状を掌握しじっくりと戦を進める展望であり、戦術的には正しい判断であったが――最善が常に最良の未来に続くとは、限らなかった。




