第70話 暗中窮闘
微かに星明かりが差し込む、夜の帳が落ちた漆黒の森。
冒険者達は一声も発さず気配を押し殺し、藪や茂みの中に身を潜めている。
昼間同様奇襲を狙う構えではあるが、存在そのものは発覚している。今は闇を味方につけ、ダークエルフ達の援護と共に不意を突くべく息を殺し待つ。
「夜は暗闇の扱いに長ける者が勝つものじゃ、敵が松明を使ってくれるのなら……容易いのじゃがのお」
ロンメルは森の方々に目を凝らし、溜め息混じりに言葉を零す。
ダークエルフ達によれば敵はまだ遠いとの事だが、灯りの類は一切確認出来ず、森は依然暗黒の只中に在る。
千を越す兵が夜間に火を扱えば嫌でも目立つが、老兵の溜め息の通り、カリング軍も的になる事を懸念して灯りの類は使っていない。
「まあ、火事の恐れが無いってのは好材料さね。あたしの炎もちょっと躊躇われるけど……ったく、これだから森ん中で戦いたくは――!?」
ヴィッキーの愚痴を咎める様に、闇の中を一本の鏃が引き裂き、掻き毟られた夜の空気は悲鳴の様な音を響かせる。
一抹の気配も発さぬままラオザミが放った剛矢は、帝国兵の一人に断末魔を叫ばせ、それを皮切りに森の戦士達は矢を射掛ける。依然フィオン達には見通せない闇が広がる森だが、ダークエルフ達はその中でもある程度は視覚を発揮する。
惜しみの無い斉射は星々の光を妨げ、夜闇と共に前進して来た茜の軍勢に雨となって降り注ぐ。
ドミニア王国との条約により軍を解体させられた亜人達だが、全ての部族が大人しく応じた訳では無い。中には自警団や衛士団等として存続させた者達も多数有り、ダークエルフ達は狩人や猟師の集団として維持している。
「全軍! 決して盾を引かせるな!! 己が盾が守るは自身のみに非ず、戦友の命を守るものと心得よおお!!」
フィオン達からは見えないが大将アーノルドの野太い声が轟き、次いで矢と激突する金属盾の音は、森中に劈き鼓膜を揺らす。
音の波の中を冒険者達は息を潜めて間合いを計るが、幾らかの者達は息が荒く落ち着きが無い。
闇によって敵が見えないのは双方同じ事であり、それによる精神への負荷を抑える経験は、軍では無い冒険者達では個々の差が余りに大きかった。
「ッ……あいつラ……まずいナ、長槍でそこらを探りながら進んでいル。このままだと先にやられるのはこっちダ」
「マジかよ……いや、先に気付けたのは助かった。一端下がろう、他の奴らにも早く伝えて……」
ワーウルフのオリバーは帝国兵達の武装の変化に気付く。
何人かの兵達は五メートルを超える長槍、パイクを持ち出してそこらを突きながら前進している。両手で長槍を扱う兵の周りは盾に専念する兵達が堅め、アーノルドの言葉通りの隊列を整えている。
フィオン達は声を潜めながら周りの者達に注意喚起し一端下がるが、間に合わなかった者達の苦悶に歪む声は、闇の中に響き渡り不安と恐怖を駆り立てる。
「ぁづっ……あ゛? 何が――っでえ!? ッコ……ッ」
「ちょっと何、どうしたの? 返事しなさいってっば!? あ゛……エ゛ゥ……」
先手を取られた事で、闇と苦痛の声は帝国兵達の味方となる。
闇への恐れか親しき者の途絶への戸惑いか、冒険者達の一部は狂騒状態となり文字通りの獲物と化す。貫かれる者が見えない事は他の者達にとって救いとはならず、寧ろその音と声は想像を掻き立て、更なる破滅の光景を伝播させた。
退避に間に合うか恐怖に打ち勝った者達は事無きを得るが、明らかに分が悪くなった現状にフィオン達も浮き足立ってしまう。
「っ……これって、もう……一旦村まで逃げる? こんな暗くっちゃ立て直すのも……」
「集団の混乱を纏め立て直すと言うのは即興では難しい。村まで引いた所で兵力に予備がある訳でも無い……しかし」
アメリアの提案を取り下げつつ、ロンメルは依然矢を放ち続けるダークエルフ達へ意識を向ける。誤射を懸念して冒険者達付近には射掛けておらず、あくまでその狙いは敵の中央に集中していた。
暗闇の中では視認出来ないが、その奮闘は確かに耳で感じられ、飛び交う矢に緩みや惑いは見られない。
それを感じつつこの場を逃げ出すのは余りに忍びないが、既に冒険者の数は百人を割っており、このまま継戦するというのは無謀に過ぎた。
只でさえ集団同士の戦いと言うものは、指揮を取る者やその習熟によって大きく様相を変える。稚拙なものでは雑な乱闘にしかならず、数を増す毎に、その統制と訓練の度合いは大きな意味を持つ。
冒険者達は互いのパーティ内では兎も角、他の者達とは連携や協力以前の問題、その基礎となる信頼関係や互いの力量の把握さえも出来ていない。
加えて夜戦というものは高い練度を備えた軍で初めて行えるものであり、冒険者達の寄せ集めに過ぎないフィオン達には、土台無理な話であった。
「少ッ……シャルミラ、あの何だったかスゥーッとするやつ、あれで皆を」
「いえ、あれは開けた場所では……屋外では効果が有りません。例え屋内であったとしてもこの人数では――!?」
纏まって離脱していた冒険者達へ、その気配を察知したカリング軍が声も出さずに突撃を掛ける。長槍兵を先頭に突っ込んで来た茜の軍団は、瞬く間に数十人の冒険者達を串刺しに仕留めた。
飛び散る鮮血は見えないまでもヌラリとした感触と鼻を突く臭気を放ち、混乱の坩堝に突き落とされた冒険者達は騒然となる。
「っちい、こうなったら……背中合わせて戦え! 同士討ちになんぞ!!」
「それでは槍の良い的じゃ!! アメリアを後ろに横一列になれ!! ヴィッキーは何か……どうにかしてお主も踏ん張れ!」
フィオン達はアメリアを後ろに、クライグとシャルミラを加え六人で横一列となり、帝国兵達に応戦する。
冒険者達に突撃してきたカリング軍は三百程に過ぎないが、それでもフィオン達の三倍以上。数の上での有利不利は語るに及ばず、辺り一面は瞬時に、戦場は文字通りの地獄と化す。
周りの冒険者達の内、奮戦している者はそれに倣い立ち向かうが、立て直しの効かない者達は方々に逃げ散り、追い討たれた者の絶命の叫びは森に木霊する。
「今ならばまだ降伏を受け入れる!! 帝国軍大将アーノルドは貴様らの命を保証する事を確約する! 応じる者は武器を捨て、死に物狂いで降伏と叫べ!!」
再び響く野太く大仰な声。それに次いで冒険者達のあちこちからは、降伏を望む者達が続発していく。残っていた百人の内半数以上は諸手を上げて敗北を示し、尚も抗うのはフィオン達を含め、既に五十にも満たない数しか残っていない。
フィオン達も必死に目の前の敵と切り結びながら、更に懸命に仲間達と視線を合わせ決断の是非を問うが、口が開く前に轟くのはこの森に生きる者達、森の戦士の咆哮は夜闇を切り裂き、甘言を暴く。
「騙されるな! 帝国軍に降った所で戦奴として殺されるか奴隷として使われるだけだぞ!! 間違い無く死ぬ運命に身を堕とすならば、我らと共に戦い抜け!!」
ラオザミの痛切な叫びを聞き、一度は降伏に流れた冒険者達、その内の幾らかは再び剣を手に立ち上がる。
虚言を嫌うアーノルドは、律儀にもそれに反論はしなかった。
帝国軍人は彼らが忠を捧げる帝王の下、あくまでその合理と効率を好む嗜好に沿い戦争を動かす。
捕虜も有効に活用すべき一つの戦利品に過ぎず、その扱いはダークエルフ達の認識の通り。能力の有る者は有効活用し、戦える者は戦奴として駆り立て、その他の者達は奴隷として諸々に使われる。
「どうせ俺が捕まった所デ、縊り殺されるのがオチダ!! だったら一匹でも多く道連れにしてやル……楽ニハ殺サレンゾ!! 大陸ノ猿ドモオオ!!」
同胞の亜人の奮起を聞き、同じく亜人であるオリバーはその思いに応えるべく、餓狼の雄叫びを響かせた。手甲とククリナイフを朱に染め、青灰の人狼は切っ先と爪牙を振るい、間合いに入る帝国兵達を分け隔てなく切り捨てていく。
腹を決めたフィオン達はそれに続き、果てない闇を振り払い続けるが如く殺到する茜の軍勢と火花を散らす。
クライグとシャルミラは軍仕込みの剣術で迫る槍先をいなし、間合いを詰めた所で鎧の関節部に切っ先を差し込む。ロンメルはヴィッキーを庇いつつ魔道の豪腕と槍先を振るわせ、何とか活路を見出すべく頭と目を方々に向かわせる。
ヴィッキーも守られてばかりでは無く、最早火事を気にせずに炎を放つ。魔道の業炎は波となって押し寄せる帝国兵の誰かしらを包み込み、当たるを幸いに鎧の中を焼き燻す。
最早前も後ろも敵だらけの中、フィオンはアメリアを庇うべく声を張り上げるが、ほんの一瞬だけ、意識は少女との微かな接触に向く。
「アメリア、すぐ後ろにくっ付いとけ! いつ包囲されるか解ら――!」
背に寄り添うアメリアの白い手は――僅かにも震えていなかった。
フィオンからは見えないまでも、その顔も恐怖に怯えるものでは無く、信を置く仲間達と一緒であるならば何の心配も無いと、己が命を目の前の狩人に預ける。
少女の命を背負いながら、更にフィオンはカリングの軍兵達と矛を交える。
後ろにアメリアを庇いながらというのは身動きを阻害するはずではあるが、それを補って余りある何かが己の内から沸々と滾り、夜闇を走る切っ先は茜の甲冑を打ち倒す。
「クライグ様、このままでは埒が……全滅しかありません! 彼らと心中でもするつもりですか!?」
平時の冷たさは欠片も見せず、シャルミラは上官クライグに声を張り上げた。
冒険者達は死力を尽くすものの余りにも多勢に無勢が過ぎる。黒に覆われた森には赤華の徒花が舞い、一人また一人と散って逝く。
「っ――フィオン、もう限界だ!! 一か八かでもここを突破して――!?」
クライグが離脱を叫んだ所で、アメリアはフィオンの背から何かに気付き、腕を伸ばして指で指し示す。その指先には深淵の広がる森の中――灯りが点っていた。
「フィオン、あれって……多い、よね?」
「あぁ、いよいよダメ押しってとこか……いや待て……なんか変じゃねえか?」
アメリアの指差す先、帝国兵達の後方には松明を掲げる集団。
しかしフィオンは、その様子に違和感を覚える。
今灯りを使えばダークエルフ達からは良い的にしかならず、森に火を放てば奪取した後の旨味は半減する。
侵略者であるカリング軍には、今炎を扱う事でのメリットは存在しなかった。
「侵略者共め……我らが森に火を放つつもりか!? そうはさせ――?」
ダークエルフの戦士長ラオザミは、灰の目を細めその集団の中央、長らしき者を捉え大弓を引き絞り狙いを定めるが――即座に気付く。
松明を掲げる者達は茜の甲冑を着けてはおらず、装備も格好もバラバラの集団。
その癖どれもこれもが屈強な体躯を備えており、それを率いる偉丈夫の男、長い豊かな白髭と白髪の老人でありながら、その佇まいには一目で畏敬を覚える。
大将アーノルドは灯りの類を禁止する旨を厳命しており、帝国兵達は後方で点った炎に対しざわめき戸惑う。
冒険者達はこの機を逃がさずに、兵達を刺激しない様に戦場を離脱した。残っている者達は五十にも見たず、今を逃がせば次こそは根絶やしにされかねない。
「……全軍反転、隊列を整えよ! 後列はダークエルフ達の矢を防げ!!」
微かに苛立ちと焦燥を混じらせ、指揮官アーノルドは何とか兵達を御し戦列を揃えさせる。紛う事無く挟撃されている危地に立ち、歴戦の将はこの地に来て初めて、じわりと首筋に嫌な汗が伝うのを感じた。
しかし、帝国兵達が動く前に――偉丈夫の老兵は鬨の声を響かせる。
一息で戦場を覆い尽くす気概は茜の軍兵達を竦ませ、大将でありながら尚も武勲を追い求める武人は、その気配に武者震いと畏れを覚えた。
「我らは第さ……ン゛ン゛ッ――ウェールズより参った義勇兵である!! この地に生きる同胞、ダークエルフ達に加勢せんと馳せ参じた! まずは手土産にそこな雑兵共を……この地の肥やしにしてくれようぞおお!!」
義勇兵を名乗る第三軍総帥、ウェールズ候ベドウィル。
窮地に駆け付けた老将はそのまま、茜揃いのカリング軍と干戈を交わす。
名乗りも無く光明も無く、元円卓最強の騎士は馬上に非ず徒歩で征く。今は只己が身命に掛かった責務を果たすべく、一人の武人としてその武威を示す。




