第69話 夜刻、分陰の憩い
日も暮れた森の中、ダークエルフ達の村の外れにキャンプを設営し、フィオン達冒険者は休息を取る。
持ってきた食料に加え、村からも食事の差し入れが有り腹を満たす。金銭取引によるものだが体裁的なものであり、値段の方は破格であった。
昼間の戦いで数を減らしたとは言え、アメリアの治癒によって冒険者達もダークエルフ達も、大半の者は次の戦いに向けて問題は無い。
「軍が来るまで、か。……それまでどうにか、持ち堪えられるのかねえ」
木の実の串焼きを頬張りながら、ヴィッキーは周囲に目を配る。村とキャンプを包む空気は快活なものでは無く、悲壮に暮れる声はそこかしこから響く。
死に瀕した者までをも救う術はこの世には無く、治癒の力も例外では無い。
パーティの要員に被害を被った冒険者達は、軍人であるクライグやシュルミラの下に列を成し、戦地離脱の為の手続きや相談を行っている。
「村も包囲を受けてはおらんからな、逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せる。まぁ……それこそ連中の狙いじゃろうがな」
カリング軍は村を包囲はしておらず、森の南方だけに陣を構えている。
包囲戦を行うには三千という数は心許無く、包囲した所でダークエルフ達の気性では諦める事は無い。そのまま殲滅戦に移行すれば、奪取すべき村を傷付け被害も大きくなってしまう。
更に、軍では無いとは言えフィオン達が救援に駆け付けた事で、村のみでは無く他方に気を配る必要も生じていた。
「下らんな……逃げ道を用意すれば我らが逃げ出すだと? ……益々もって負ける訳にはいかん」
どこから聞こえていたのか、ダークエルフの戦士長ラオザミが冒険者達のキャンプに訪れる。十人ばかりの部下が付き添い、満杯になった水瓶を抱えている。
部下達は水瓶をキャンプの中央に、何も言いはしないが自由に使えとばかりに置き去り、一人残ったラオザミはキャンプの方々に目と耳を向けた。
村に広がるものと何ら大差は無く、死者との惜別に声を枯らす者達や次の戦いに向け無理にでも体を休める者達。
ラオザミは目を細め、深く息を吐いて考え込む。口を開きこそはしないが思う所はある様子で、損得や利益は絡むものの、自身らの為に流れる部外者の血を慮る。
その様子にアメリアは誰かにも聞いた事のある問いを、森の戦士達の長に問い答えを求める。
「どうしても戦わなければ……逃げる訳にはいかないんですか? この森じゃなくっても……他のダークエルフ達が住んでる所とかに身を寄せたりは……」
種族の隔てなく傷を癒やしたアメリアの治癒に関し、ラオザミは黙認とダークエルフ達からの詮索を抑えてくれた。彼自身もエルフに対し何も思う所が無い訳では無いが、今はこの地を守り抜く事が最優先と、私情を殺している。
アメリアの問いに対し、ラオザミは目を瞑り首を横に振る。
「無理だな、それは貴様達も同じ事だろう? カリングの侵略に抗うドミニアは我らとそう大差は無い。居場所を守るというのは……重い事なのだ」
例えこの森を逃れ他所のダークエルフ達の森に入ったとしても、それは森の恵みを奪い合う同族同士での闘争にしか繋がらず、到底許容出来るものでは無い。
平地での生活は彼らの生活様式には馴染まず、ダークエルフのいない小さな森では、皆を養い切れずに餓死者を出しかねない。
黒紫の肌は焚き火に赤々と照らし出され、達観した顔と灰の目はどこか遠くを睨んでいた。
答えを受けたアメリアは、逃げ出す事は出来ないという聞き覚えの有る返答に、納得は出来ないまでも理解を示しそれ以上は追求しないでいた。
「俺達も村を守る為に必死に踏ん張っていタ……こいつらが来てくれたのは、運が良かったガ……」
「命有っての物種だろ? いざとなったら森を捨てて逃げる算段もしとくべきんなんじゃねえのか? 住処を探すのも、死んじまったら無理な話だしよ」
オリバーは食事を進めつつラオザミに同意するが、フィオンは逃げる事も視野に入れるべきだと主張した。
昼間のダークエルフ達の気迫と今しがたの否定を思えば、口にはし辛い提案。
居並ぶ者達は口を閉ざし、夜風に揺れる焚き火は冷たい沈黙を照らす。
耳に入れたラオザミは顔を顰めフィオンに向き直り、ならば何故ここにいるのかとその根元を掘り下げる。
「探すも何も無い、我らは他の森の者達と連絡を密にしている。ブリタニアの森は全て把握済みであり我らが住める森であれば……奪い合いになる他は無い。その様な事を言う貴様こそ、何故ここにいる? 逃げるべきなどと言うのであらば、まずは己が逃げていない事をどう説明する?」
問われたからにはと、フィオンは自身がここにいる理由を、改めて振り返りながらラオザミに説明する。
戦争そのものや国同士の争いはどうでも良いが、幼き頃からの親友は戦争に行くと言う。それを放っておく事は出来ずしかして引き止める事も出来ず、冒険者を経て傭兵となり、この森への転戦に応じたのも親友クライグが来るからだと。
クライグが軍人であると言う事は伏せ、同時に、今共に焚き火を囲んでいる者達も、気付けば旧友と同等か或いはそれ以上の存在となっている事も、気恥ずかしさから口には出さなかった。
「事情の方は解ったが……っふん、なんだ貴様もそう変わらんでは無いか。よくそれで逃げろと言えたものだ」
説明を聞いたラオザミは不快気でもなく鼻で笑い、話は済んだとばかりに村へと去ろうとする。変わらず逃げるという選択肢は毛ほどにも無いが、無遠慮な物言いをしたフィオンを邪険にはしない。
しかし、胸の内が伝わっていないフィオンはその背に食って掛かる。
「何が変わらねえってんだ? 俺は国とか土地とかはどうでも」
「何も変わらぬよ。我らは森を愛し、人間は国を大切にする。貴様は、それが友だったというだけの話だ。……国や住処と同等の友というのは、何とも得難いものだ……せいぜい大切にするが良い」
何かの為に行動する時、重要となるのは対象が何かでは無く、己自身の想い。
例え国であろうが金品であろうが、掛け替えの無い友であろうが、肝要となるのはそれらに対して抱く本人の意思。物事の大小や善悪さえも関係無く、行為の本質にあるものはその者自身の感情であると、ダークエルフの戦士は告げる。
答えられたフィオンはそれ以上は何も言えなかったが、どこか自身を肯定された内容は、すんなりと心に染み入った。
「まぁ、わしらとしてはダークエルフに逃げられては……一緒に逃げ出すしか無いかのお。単独でどうにかするのは自殺行為じゃからな」
「ドミニアとしてはその方が助かるかもねえ、そうなりゃ堂々と軍を入れられるし森を国が管理出来る。……まぁ、あたし達としてはどっちでも――!?」
相槌を打つヴィッキーは村に響く警戒音、昼間にも鳴っていた甲高い木片の音に素早く反応する。
既にダークエルフ達と諸々の打ち合わせを済ませていた冒険者達、手早く装備を整え夜闇が広がる森へぞろぞろと向かって行く。
夜戦に応じ皆が気を引き締める中、ロンメルは得物の直槍と雑ではあるが直した盾を取りつつ、珍しく煮え切らない態度でフィオンに口を開く。
「こうなったからには……フィオンよ、本当にそれで良いんじゃな? わしも判断に迷う所ではあるが」
「……俺だって解んねえが、こいつが言い出したら聞かねえよ。……アメリア、本当に付いて来るんだな?」
フィオンの問い掛けにアメリアは強く頷きを返し、共に戦場へと向かう。
既に村に残る傷病者達はアメリアの治癒を受けたかそれが及ばない者達であり、この場に留まる事でのメリットは少ない。戦いに際し随時負傷者が運び込まれて来るならともかく、帝国軍に対し余りに数で劣るこちら側に、その様な体制を組む余裕は無い。
カリングが夜襲を掛けてくるのはこれが初めてであり、ダークエルフ達も警戒はするものの村が直接襲われる可能性は拭いきれず、万が一夜襲を仕掛けられたらどうするかと話し合っていたフィオン達だったが、結論を出したのは当の本人であった。
「私が行けば怪我人を村まで運ぶ必要も無い。いざって時には、皆もいる……心配しなくても危なくなったら逃げるくらいの事は出来るから」
戦地であるエクセターに来てからは兎も角、ヒベルニアでは幾度と無く共に危ない場面を切り抜けて来たアメリア。純白に緑の刺繍が入ったエルフの服は大分傷んでしまっているが、彼女の経てきた確かな日々が端々に刻まれている。
フィオン達とは別の形で命を背負ってきたナイフ、それを握る少女の手に震えは無く、煌々と照らし出される緑の瞳に惑いは無い。
少女の覚悟を受け、フィオン達は再び戦場へと向かう。
的となる灯りの類は携えず、影さえも浮かばぬ黒闇に満ちた森。冒険者達は今この一時を生き延びる為、切っ先と隣人達の鏃に、その身命を乗せ歩を進ませる。




