第66話 亜人と人間
ダークエルフの村から南側の森の斜面、既に冒険者達は各々のパーティに分かれ藪や茂みに身を潜めている。
ダークエルフ達と共闘の取り成しは結ばれておらず、あくまで自衛での戦闘。
族長アルディトは声を荒げていたが、戦士長ラオザミは「好きにしろ」と一定の理解を示してくれた。
「わしらが加勢に入った事は恐らく敵にバレておらん。これを活かさぬ手は無い、存分に利用するべきじゃ」
ロンメルの策を受け、クライグは冒険者達を指揮とまではいかないがある程度纏まった形で配置させた。アメリアと数名は依然村の救護所、後詰の兵を捻出すべく負傷者の手当てに奔走している。
カリング帝国が攻めてくる南側に構えた冒険者の伏兵約二百。出切れば敵の側面等にも人手を割きたい所ではあったが、二百というのは余りにも小勢。各個撃破の憂き目を考え、冒険者達は連携の出来る距離を保ち一所に伏せている。
「ッ――来るゾ……数は多すぎてさっぱりだガ……ったク、分が悪いったらねエ」
オリバーの鼻が敵を捉えるが、冒険者達には余りに絶望的な戦力差。
クランボーンのカリング軍に関し、事前の説明では五百程と伝えられている。
二千以上をたった二百で足止めしろ等と、馬鹿正直に伝えれば逃亡が相次ぐ事は容易に想像出来、軍はそこを誤魔化す他は無かった。
カリング軍が二千以上だと知っているのはクライグとシャルミラ、そしてクライグから伝えられたフィオン達のみだが、幸か不幸か、鬱蒼とした森は敵の全貌を覆い隠し、冒険者達にその総数を悟らせないでいてくれた。
身を低くして隠れているフィオン達に対し、ダークエルフの戦士達は木々の上や大樹の傍、思い思いの場所に個々に陣取りカリング軍を迎え撃つ。
冒険者達同様に彼らもまた軍では無く、培ってきたものは戦いの為の技では無く、森での日々を行き抜く為の狩人の技術。
しかしそれもまた、命を摘み取る業には変わり無い。
「……? おいおいまだ遠いだろ…………」
まだフィオンの弓には余りにも遠い距離。ダークエルフ達はおもむろに弓矢を構え、滾る双腕ははち切れんばかりに弦を引き絞り弓は弧を描く。
殺意の宿る鏃に一分の歪みも無く、彼方を見通す目に一切の曇りも無く、まだ微かに見える程度の茜の兵団に対し、森の戦士達は侵略者の排除を開始する。
「放て!! 森の肥やしにしてやれええ!!」
ラオザミの合図と共に幾百の矢が空を裂き、カリング兵達へ襲い掛かる。
矢の心得がある者達は思わず目を見開き妙技の冴えに刮目する。森の恩恵を受けし戦士達の矢は針の穴を縫う様に木々の僅かな隙間を奔り、寸分の狂いも無くその切っ先は茜の兵団を――
「盾構ええい!! 腕で受けるな、腰使って踏ん張れええ!!」
初見でこそ被害を被ったカリング兵達だが、何度も同じ手が通じていては軍人は務まらない。金属同士の衝突音が森に響き、その中に苦痛に歪む声は混じらない。
茜の軍団は鉄盾に体重を乗せ、迫り来る森の洗礼を見事に跳ね除けた。
如何に正確無比の神掛かった弓術であろうとも、鉄塊を貫く程の破壊力は――
「――ッコ、ォ……帝、こ……バァッ……歳」
一人の兵士が、茜の鎧を鮮血に染め地に伏せる。
ラオザミの放った剛矢は鉄製の盾と鎧を深々と打ち貫き、その奥の喉首を正確に食い破っていた。人の背丈を越える長大な強弓と鍛え抜かれた柔軟な豪腕は、神技と呼ばれて然るべき域に達している。
しかし軍を率いる指揮官、茜の甲冑に身を包む大将アーノルドは己が思考を鉄に変え、たかが一人の犠牲には目もくれず兵達に号令を飛ばす。
「怯むなあ!! たかが亜人の最後っ屁に過ぎん、今日こそはこの地を制圧し帝国の版図とせよおお!!」
茜の軍勢は盾を構えて前進し、ダークエルフ達は間断の無い矢の嵐で迎え撃つ。
ラオザミの剛矢のみならず、盾や鎧の隙間をすり抜けた矢でカリング兵達は少しずつ損耗して行くが、物量差は如何ともし難い。
連日の戦闘で数を減らしたダークエルフは残り五百に対し、迫る帝国の軍兵は三千余り。敵地のど真ん中であるにも関わらず士気は依然高く、その前進は間も無く常人の矢の間合いに達する。
「やられてばかりでいるな――弓隊、射ち返せ!! 矢の本分は数に依る事を教えてやれええ!!」
カリングの兵達も射たれるばかりではなく、ダークエルフ達を射程に捉え反撃に移る。盾兵の裏からはダークエルフ達の倍以上の矢が放たれ、森を塗り潰す反撃は、点である矢の攻撃を面の攻撃とする。
森のマナから後押しを受けた戦士達は超人的な身のこなしと反射神経で矢の壁を耐え凌ぐが、全員が全員無事な訳は無い。
圧倒的な数の差を押し付けられたダークエルフ達は一人また一人と森の大地に伏していき、カリングの兵団は容赦無く歩を進め制圧しに掛かる。
無遠慮とも思える戦力差を見せつけられた戦士長ラオザミは、しかし絶望に苛まれる事無く、執念にも近い咆哮を響かせ強弓を引き絞る。
「諦めるな! 我らが背にあるものが何なのか今一度思い出せ!! この森を失えば我らのみならず……何をしてでも守り切れええ!!」
唯一の住処を失えばどうなるか、村を守る戦士達が諦めればどうなるか。
ラオザミはその先を敢えて言わず大矢を放ち、憎き侵略者をまた一人貫く。
発破を掛けられた森の戦士達は己が守るものを思い起こし、背水の陣と心得て更にその弓を激しく撓らせる。
文字通りの死兵となり、己が死を顧みず鏃に魂を乗せて放つ。
「フィオン、今は待つのじゃ。わしらはわしらのすべき事を間違えてはいかん、それこそが彼らの為にもなるというもんじゃ」
「……解ってる、俺達は奇襲だろ? ……心配すんな履き違えはしねえよ」
未だ息を潜めて機を窺う冒険者達。フィオン達はダークエルフ達の気勢に逸りそうになりながらも、自身らの役割を貫徹すべく耐え忍ぶ。
共闘の申し合わせは済んでいないが彼らの気概に感化され、例え一方的なものであろうとも足並みを揃えさせようと、各々得物を握る手に力が篭る。
カリングの軍兵はいよいよダークエルフ達と距離を詰め、並べられた盾の裏では槍が出番を待ちかねるが、その前に、第二の刃が茜の軍団を狙う。
気配を殺して待ち構えていた冒険者二百は、潜んでいた藪や茂みを飛び出し猛然と襲い掛かる。
「っ――行っけええええ!! 突き崩せええ!!」
クライグの合図に合わせ、冒険者達は一斉に奇襲を仕掛けた。
敵はダークエルフのみと思っていたカリング兵達には晴天の霹靂。存在そのものが埒外であったフィオン達の突撃は、戦列の一角を当たるを幸いに切り崩す。
「んなぁっ!? 奇しゅ――人間!? ドミニア軍が、もう――!?」
冒険者達は各パーティ毎に連携を取りながら、混迷する兵達を撃破していく。
オリバーのククリナイフは敵の喉首を裂いて回り、ロンメルの魔道の義手と槍は鎧を軽々と貫き、ヴィッキーの炎は敵を焼き尽くす。
フィオンも今は弓矢では無く剣を手に、クライグの軍刀と共に戦場を駆け、心を凍らせ戦場の空気で頭と肺を満たす。
「このまま、一気に――! ……とは、いかしてくれねえかっ」
フィオン達は縦列を組まず目一杯に横に広げた、攻め一辺倒の隊列ではあるが、三千の敵全てを混乱に陥れるには絶対的に数が足りない。
歴戦の将に率いられた精鋭達はたかが端っこの混乱に目を見開くものの、決して動じる事無く、信頼を寄せる指揮官の下知に粛々と従う。
「あれは……軍では無いが無視は出来んな。惑う事無く敵に当たれ!! 敵は小勢に過ぎん、狼狽えるでないわ!!」
大喝を受け混乱した兵の一部は正気を戻し、下士官達は具体的な命令を受けるまでも無く、その意に沿って隊を動かす。
カリングの戦列左翼は冒険者達へと向き直り、速やかに隊列は整然と構え直す。
ここに至ってフィオン達以外の冒険者達も、聞いていたよりも敵の数が多い事に気付き息を飲むが、それもある程度は確保の上だった。
信を置くは己自身と生死を共にくぐり抜けた仲間のみ、故にこそ冒険者と呼ばれ、その生き様が成り立つ者達。軍の説明を全て鵜呑みにする訳も無く、殆どの者は場合によっては逃げ出す腹積もりであった。
本来であればカリング三千と相対した瞬間、逃亡するか降伏するかで瓦解していた彼らは――武者震いと共に、その切っ先を真っ直ぐ侵略者達に向け構える。
既に彼らは戦火に塗れたダークエルフ達の村を目の当たりにし、そこを守るべく、文字通りの心血を注ぐ戦士達の心に触れてしまった。
無論、彼らにとってそういった血生臭い生業や惨状は珍しいものでは無く、中には加害者側に立っていた者さえもいる。
だが、カリング帝国の侵攻を受けた亜人達の姿は――ダブッてしまった。
「盾持ちは前に、弓持ちと魔導士は後ろ――縦に三人は並んでやり繰りしろ!!」
誰かが指揮をするまでも無く、誰かの怒声にも似た声で冒険者達は隊列を組む。
ロンメルは最前に構えその脇をオリバーとクライグが固め、フィオンとヴィッキーは既に援護をすべく狙いを定め、得物に意識を集中している。
「路傍の石に過ぎん! 石は石ころらしく、蹴り飛ばす様に一息に蹴散らせ!!」
帝国軍の突撃に対し、冒険者達は千差万別に対応し切り結ぶ。
唯一の居場所を守るべく己が全てを投げ打つダークエルフ達。
それは正に、小さな島国を大国の侵略から守るべく闘う、彼ら自身の縮図そのものであった。




