第65話 クランボーンの森
深夜の内にウェーマスを発したフィオン達、冒険者約二百人は、その日の昼過ぎにクランボーンの森に西側から入る。
あくまで本命の援軍はウェールズ候の第三軍ではあるが、軍が動くまでには時間が掛かり、少数のフィオン達の方が小回りが効いて素早く動ける。
同時に、この地を一手に担うエクセター候としても一切の援軍を出さない訳にはいかず、第一軍の動向には関わらずある程度差し向ける事に変わりはなかった。
木漏れ日が僅かに差し込む鬱蒼とした森の中。戦の気配はまるでせず静謐に満ちているが、同時に、外の者を拒絶する冷ややかな空気が張り詰めている。
「勝手に森の中に入ってしまいましたが……良かったのでしょうか? 通例では彼らの応答を待ってから対応するというものですが……」
既に森の中を進んでいる一団、先頭のクライグの横でシャルミラが不安を呈す。
第五軍の軍装ではなく冒険者達に紛れる様にと工面された、彼女の髪と瞳の色に合わせられた灰と紺の衣装。
森の入り口でダークエルフが出てくるのを待っていたフィオン達だったが、中からの反応は何も無く、仕方なく踏み入ってから十数分、森は静寂を保っている。
カリングとの戦に手一杯でありこちらに割く余裕が無いと考えての無断での侵入だが、森の中はダークエルフ達の独壇場、奇襲されれば一溜まりも無く皆は一様に体を強張らせている。
「彼らが森に入る者に無反応ってのは、相等参ってるって事だよ。となればさっさと合流して加勢の提案を……まぁ、何とかなろうだろうさ」
一団の中で最もダークエルフ達に詳しい、彼らと近しく生活していたヴィッキーが答える。
ダークエルフ達との交渉は彼女が担う事になっているが、肝心の相手が出てこないのではどうしようも無い。と言っても、軍は論外として冒険者二百人を受け入れさせる為には、切り札を使う腹積もりではあるが。
「ここを抑えられてしまったら致命的な事になる。そうなる前にダークエルフ達と合流して……第三軍が来るまで持ち堪えないと。俺達だけでカリングをどうにかするのは不可能だからな」
軍からの代表として、冒険者に偽装し彼らを率いるクライグ。副官シャルミラ同様に軍装では無く、鎖帷子と着古された赤茶の装束に身を包んでいる。
仮にカリングがクランボーンの森を陥とし拠点とした場合、南部の広範な地域に危機が及ぶ。戦争全体から見てもこの地を抑えられる事は大きな楔となり、ドミニア側の戦略全体に支障を来たす。
それを防ぐ為にも、ダークエルフ達と協調しカリングを退けねばならないが、期待を一身に受けているアメリアは、明るく振舞ってはいるが涙の跡は深い。
「私は黙って立ってれば良いだけでしょ? 難しい話はヴィッキーに任せるから……ここも戦場になるなら、私も頑張らないと」
あくまで自身の意思で野戦病院に従事してきたアメリア。覚悟を以って治癒の力を使ってきたが、それでも辛い思いを味わわない日は、一日たりとも無かった。
今でも偶にテントの隅で涙を流す事は多く、フィオン達もそれを気遣ってはいるが少女の信念は揺るがず堅い。あくまでその道を引き止めるでは無く、共に歩み支える事で今日までを続けていた。
健気を張る少女に対しロンメルは優しく頭を撫で言葉無く労うが、横のフィオンは何か落ち着きが無く他の冒険者達をきょろきょろと見ている。
「フィオン、どうかしたのか? 出発してからこっち……何か浮き足立っておるが、何かあったのか?」
「いや、そのな……アンディールをブリストルで見掛けたってのは話したよな? でもウェーマスでもここに来る途中でも、どうにも見つけられなくてさ……ロンメルは見掛けてないか?」
戦地へ向かう前のブリストルでの説明会、そこで確かに見掛けたアンディールに、フィオンはまだ再会出来ていなかった。
ウェーマスでの滞陣中にもそれとなく探していたが出会えず、残っている冒険者達が残らず駆り出される今回ならばと考えていたが、それもまだ実っていない。
問われたロンメルは少し難しい顔をして腕を組み、今のフィオンならばもう気兼ねする必要は無いと、現実的な可能性を示す。
「わしらの中にはまだ深刻な事は起こっておらんが……わしらが身を浸しておるのは戦争じゃ、そこに兵士と冒険者の区別なんぞは無い。あ奴が遅れを取るとも考え難いが……アンディ自身でなくとも誰かしら犠牲が出れば、パーティとして深刻な事態になれば戦地を離脱したとも考えられる」
クランボーンの森に転戦して来ている冒険者達は二百人だが、戦争が始まった時、ウェーマスに着いた時はそれよりも数は多かった。減った全員が戦死したという訳では無く、自主的に戦場を離れたケースもある。
傭兵依頼は明確な期限までは定めておらず出来高制にも近い契約内容であり、冒険者達の実情を考慮され、パーティが成り立たない被害を受けた場合には早期離脱の交渉も許可されている。
自国内で戦争をしている以上、ドミニア側の逃亡兵はカリングよりも多いが、アンディールがそれを選択したとは考え辛かった。
あくまで可能性の示唆を受け、フィオンは無言でそれを飲み込み理解する。
おくびにも出さないがフィオンも多くを戦地で手に掛け、その度に一つ何かを背負い、同時に一つ、心が毀れていく感覚を味わっていた。ウェーマスの町中程の凄惨なものは無かったが、夜を経る度に朝を迎える度に、何かが自身の中で重く凝り固まっていたが、それが何なのかまだ言葉には出来ない。
ロンメルの答え事態には納得するものの、以前にもどこか引っ掛かっていた疑問、件の人物の呼び名に関しては口を開く。
「そういや、アンディールの事をアンディってのは……あの時にもあっちのパーティの人達はそう呼んでたが、何か理由でも有るのか?」
「ん? うむ、何でもあ奴は自身の名前をな……アンディールの『ール』を余分じゃとか鬱陶しいとか考えておるらしい。呼ぶならアンディと呼べとか言っておったのじゃよ、渾名とも少し違う感じじゃな」
そこまでするならば改名すれば良いのでは、ともフィオンは思ったが、本人もいないこの場でそれを言っても詮無き事。見つからない旧い恩人ではなく、姿を表さないダークエルフへと意識を切り替える。
ヴィッキーの話によれば、彼らは森のマナの恩恵を自然体のままに受け、聴覚や視力等が増強されているらしい。軍としては少ないが二百という集団、フィオン達はとっくに発見されているものと腹を括っていた。
しかし森に踏み入ってから既に相当の時間が経っている。
このままではダークエルフ達の村に着くかカリング軍と出くわすか、皆がそう考え出した所で、静かに――殺意の宿る声が突き刺さる。
「――止まれ、貴様達は何者だ? ……ここを我らの地と知っての侵入か?」
姿は見せないまま、喉首を貫く様な重圧が冒険者達に向けられる。
同時に、森のあちこちは威嚇の如き音を様々に発し、既に包囲されているという事を律儀に伝えてくる。
既に打ち合わせていたフィオン達は、他の冒険者達に下手に動かない様に注意を飛ばしつつ、フィオンとヴィッキー、そしてアメリアが進み出る。
「勝手に入った事には謝罪しよう、だが森の入り口で誰も出てこなかったもんでね……あたし達は味方でありそっちの加勢に来た冒険者達だ、それを証明出来るものも用意してある」
ヴィッキーは自身の杖を無防備に上に掲げ、敵意は無いという事を示しつつダークエルフ達へ対話を呼び掛ける。
ダークエルフ達は言葉の内容にではなく杖に宿る同胞の気配を感じ取り、代表の一人がフィオン達の前に、木の上からズシリと降り立ちその長身を見せる。
隆々とした黒紫の体躯は躍動感に満ち、以前に会ったダークエルフ達と似た様相の木の鎧と、人の背丈程も有る大弓を背負う屈強な戦士。
「我は戦士長ラオザミ……味方や加勢と言ったが、お前達は我らの状況を知っている訳だな。申し出を受けるかは別に、詳しい話を聞かせてもらいたい」
重い低い声は、フィオン達へと放たれた第一声のもの。木の仮面を取って現れるのは勇ましい顔と、煤けた灰色の髪に流れるエルフ然とした細く長い耳。
依然警戒心は緩めないままに、ダークエルフの戦士長ラオザミが姿を表した。
「あたしはヴィッキー、北のロモンドの民達と縁を持っている。対話に応じてくれた事を感謝する。まずはこの地を襲っている共通の敵に関して……」
ヴィッキーはクランボーンの森の現状に関し、幾らか方便を交えて話し始める。
カリング帝国が南から侵略を開始し、ウェーマスの地で第五軍が対峙しているが、その一部が何処からか内地へ進出しこの地に辿り着いた。
この地を押さえられる事はドミニアとしても非常にマズいが、ダークエルフ達の事情に国は苦慮し、自身ら冒険者達があくまで独断で加勢に訪れたと説明した。
話を聞いたラオザミは深く息を吐いた後、品定めか正体を探る様に、冒険者達へと目を這わせる。
「……軍では無い、か。……ふむ、確かに軍と言うには余りにも不揃い、女の姿もちらほら……だが我らの森を守るに、人の力を借りるというのは……?」
言い終える前にラオザミは、何かを感じ取りアメリアへと視線を落とす。
マナを扱えないまでも森のマナと共に生きるダークエルフ。正体を隠したまでもエルフであるアメリアから何かを感じ取り、首を傾げながら瞬きを多くする。
「ぇ、ぇーっと……ヴィッキー、これって……耳出ちゃってる?」
「話が早くなっただけさそう慌てなさんな。……フィオンは後ろから隠しといてくんな、話すよりも見てもらう方が早い」
フィオンは他の冒険者達からは見えないようにアメリアを後ろから隠し、ヴィッキーはアメリアの耳を隠している偽装の魔法を解除する。
魔力の粒子である緑の粒が淡く消えゆく中、白く細長いエルフの耳が顕になる。
「――!? こ、れは……まさか……いや、なぜ今になって……!」
狼狽えるラオザミに向け、ヴィッキーは自身の唇に指を立て沈黙を促す。うっかりエルフだと叫ばれては大騒ぎになってしまう。
ラオザミはその意を汲み何とか落ち着きを取り戻し、ヴィッキーは再びアメリアの耳を魔法で隠す。何か喋らなければとあたふたしていたアメリアは、良い言葉は思い付かないまでもぺこりと頭を下げ、ラオザミは口に手を当て何か思い悩む。
ダークエルフの戦士は暫く沈黙し考えを纏めた後、観念する様に空を仰ぎ村への案内を始める。
「……まだお前達の申し出を受けるかは決め兼ねるが、一先ずは我らの族長に会ってもらいたい。村まで案内するが……そこからはお前達次第だ」
戦士長ラオザミの案内を得、フィオン達はクランボーンの森、そこに根を張るダークエルフの村へと向かう。既に村までは半ばを過ぎておりそう時間を掛けずに辿り着くが、そこは平穏とは程遠い有り様だった。
軍が軍のままに戦地に臨んでいたウェーマスの第五軍とは別物の空間。
水と緑と光に育まれた亜人の村には、血と鉄と苦悶が蔓延していた。
「俺達の時よりモ……酷いナ。魔物よりもやはリ、人の方ガ……厄介なものダ」
ほぼ自給自足で賄っている亜人の村であるからには、多くの備えは有るが大規模な戦に対しては十分とは言い難い。
怪我人は一所に纏められているが医療品や従事者は不足しており、放置にも近い傷病者達は、呻き声と悪臭を放っていた。
アメリアはそれに衝動的に体が動き掛けるが、今成すべき事は別にあると、歯を食い縛って何とか足を止める。
「っ……解ってる、今は族長さんが先……そうだよね?」
「心配しなさんな、そっちはあたし達だけで良いさ……こっちが勝手に助ける分には構わないだろう、他の奴らは怪我人の方を頼んだよ」
フィオン達三人以外はダークエルフの怪我人達へと向かい、直ぐ様治療に入る。
それに対しラオザミは口を開き掛けるが、見て見ぬふりをしてくれた。今は四の五の言っている場合では無く再び族長宅へと歩を進める。
踏み止まったアメリアの肩に、フィオンは無言で手を添え共にその後に続く。
村の中心に程近い少し大きめの家屋。ラオザミはノックをした後中からの反応は待たず、フィオン達を伴い奥へと入って行く。
簡素ではあるが清潔な木造の空間。廊下の最奥を曲がった先には一人の老人が、皺深く痩せた身のダークエルフが一人、ベッドに体を預け半身をもたげていた。
「ラオザミか……何故人間がここにいる? わしに会わせるとはどういう……?」
不快を含ませた物言いの族長だが、ラオザミ同様にアメリアの気配に違和感を感じる。気難しそうな顔は眉を曲げ、金砂の髪の少女に双眸を向ける。
「アルディト様、こちらの者は……明かしてもらっても構わんか? 口外は最低限にする事を約束しよう」
ヴィッキーはラオザミに頷き、再びアメリアに掛かった魔法を解く。
それを目に入れた途端、族長アルディトは口をわなわなと震わせ、脇の杖を手に立ち上がりアメリアに歩み寄る。
だがその口を突いて出たものは、フィオン達の予想とは真逆のものだった。
「貴様は……どの面を下げてここに……あの外敵共は貴様の兵か!? 今度は我らに何を……ッグ、ン゛ッ……」
激昂しアメリアに詰め寄ろうとした所で、アルディトは咳き込み胸を押さえて苦しげに俯く。ラオザミはそれを支えながら背をさすり、困惑するフィオン達に向けて苦い顔で説明を始める。
「エルフ達が消え去ってから二十年余り、その時の混乱で最も影響を受けたのは他ならぬ我らだ。それが今更のこのこと顔を出せば……理解は出来るだろう?」
各地のダークエルフの郷を取り纏め、亜人達の代表としてドミニア王国との最前に立っていたエルフ達。二十年程前に忽然と姿を消した際には大きな騒動となり、亜人達だけでは無く人間達にも影響が出た程だった。
だがあくまでも最も大きく影響を受け、多くの損失と混乱に見舞われたのは亜人達であり、中には見捨てられたか取り残されたかと恨みを抱いている者も少なくは無かった。
「……解らなくはねえけどよ、アメリアは……こいつはその時のエルフ達とは完全に無関係のエルフだ。俺達はただ加勢をしに来ただけで他に思惑は無い、あんた達だってこのままだと――!?」
フィオンはアメリアを庇いつつラオザミに応えるが、唐突に飛び込んでくる音に耳を突かれ話は寸断される。
村中に響き渡るのは乾いた木片同士で打ち鳴らされる甲高い音と、敵の襲来を報せる切羽詰った叫び声。
まだダークエルフ達との合意は成されぬままに、フィオン達はこの地に来た最大の理由、カリング帝国を退けるべく戦場へ向かう。
次話は年明け、1/3辺りを予定しております。
よいお年を。




