第62話 エディンバラ攻防戦 フォルトン橋の戦い
エディンバラ大城塞の対岸、アバーダーの港町を攻め落としたノルマン王国の軍勢は、内地への侵略はせず更にしつこくエディンバラに拘って来た。
あくまでクヌーズがローエンヴァルに固執した故での差配ではあるが、結果としてそれはローエンヴァルの策を打ち砕く事となり頭を悩ませる。
湾を南北に繋げる大橋、アバーダーの町の西から伸びるフォルトン橋は、第二の戦場となった。
「矢を絶やさせるな! 橋下にもどんどんぶち込めえ!! 海戦を援護しろ!!」
全長二キロメートル、横幅五十メートルのフォルトン橋。橋の上ではイーヴァン率いる第六軍の歩兵とヴァイキング達が戦列を成して干戈を交え、橋の下では互いにロングシップを連ねての海戦が勃発している。
橋上での戦いは連携力と軍としての練度が高い第六軍が押し勝ち、攻めて来た相手に対し既に橋の半ばを過ぎて押し勝っている。
ヒベルニアで長きに渡り魔物討伐で慣らされた第六軍。歩兵達の武装は長槍と円盾による連携を前提としたもので揃えられ、間合いと火力でヴァイキング達を容赦なく突き崩して行く。
だが海戦では真逆に、ドミニアのロングシップとヴァイキング達のドラゴン船では強度や大きさの差が大きく、揺れる船の上での戦いに習熟の差が目立つ。
「ひょろ矢なんざに構うな、湾の端まで攻め切っちまえ!! 上の奴らにも援護しろ! ハーラル様の命令だ!!」
橋の上を援護する為の海戦、操船術においてヴァイキング達は目覚ましいものがあり、人馬一体ならぬ人船一体の技を見せつけ圧倒する。
単純な船のぶつけ合いでは第六軍は歯が立たず、一方的に破損するか転覆し、互いの船に乗り込んでの白兵戦では、個々の武に勝るヴァイキング達は思い思いに兵士達を海に沈めて行く。
橋の左右両方を制圧したヴァイキング達はそのまま橋の上へと無数の矢を射掛け、上で優勢であったイーヴァン達第六軍は三方から攻められる事態に陥る。
「ここまで海戦で差が出るとは……グラス、下の戦いを任せて良いか? 俺も行きたい所だが、どうにも嫌な予感がする」
橋の下はヴァイキング達が完全に占領しており、ひしめくドラゴン船が足場となっている。精霊の獅子グラスがいなかろうとも、イーヴァンが降りて戦う事も充分に可能な程に。
だがイーヴァンは橋向こうで指揮を取る敵の指揮官、全身を青い衣とマントに包むハーラルを見やる。陰気の掛かった貌と鋭い目端の男、部下達へ指示を飛ばす様は別段尋常のものだが、先日の所業が脳裏を過ぎる。
橋の上での陸戦も橋の下での海戦も、ここまでは何も目立った動きは無い。あの男に限ってその様な真っ向勝負を仕掛けてくる等、到底考えられない事だった。
「ふむ、どちらにせよお前がここを離れる訳にもいかんだろうしな。下は任せておけ、寧ろ……お前がいない方が沈む恐れも無い」
軽口を叩きつつ、蒼炎の獅子は橋を飛び降りふわりと船上へ降り立つ。
グラスの登場に対しヴァイキング達は先日の様に逃げ惑う事は無く、しかし猛禽の騎士に向かう様に雄叫びも上げず、戦士と言うよりは狩人の様にジリジリと集団で間合いを詰めて行く。
「イーヴァン様、奴等動じておりませんぞ? 何か策があるのでは……?」
その様を見下ろす近衛の一人はグラスの身を案じ、問われたイーヴァンもその様子に目を落とす。
如何に精霊の獅子グラスであろうとも決して無敵の存在ではない。痛みや怪我を負う事は無く死というものがあるのかはグラス自身にも解っていないが、それでも過去に打ち負かされた事は実例が有る。
だが、主はそう心配する事無く視線を橋上に戻し、何の事は無いと斧槍を取る。
「心配するな、戦場ではまず自分の心配をする事を第一にしろ。それに……本気になったあいつとやり合うのは、俺だって御免だぞ?」
主の意を汲んだ様に、百獣の王は万象を平伏させる咆哮を轟かせる。
熊や狼如きの皮を纏う者達が何するものぞと、獣王に歯向かう事の無謀さを高らかに示し、存分にその爪牙を振るわせる。
「舐められたものだ、その程度の鉄切れで――敵うとでも思うたか!!」
蒼炎の獅子は猛然と襲い掛かり、当たるを幸いに人を肉塊に変えていく。
大爪は一つ一つが短刀程も有り、浅く掻き切るだけでも致命傷と共に鮮血を吹き上がらせ、ドラゴン船を赤く染める。炎の牙は鎖帷子どころか分厚い鎧さえも貫き抉り、焼き爛れた肉と臓物は忌まわしき臭いを蔓延させる。
「ッ――怯むなあ! 化け物退治こそ戦士の誉れ!! あの獅子の首を手土産にすれば、戦士で館の女神達を好き放題に出来るぞおお!!」
戦士達も決して無抵抗では無く、痛みや死に構わずに立ち向かって行く。
噛み千切られようが切り刻まれようが、燃やされながらにその得物を突き立て、蒼炎の獅子に少しずつではあるが反撃を積み上げる。
外傷や勢いに衰えは見られないグラスだが、返り血が蒸発し血煙を立ち上らせて行く度に、どこか苛立たしげに口端が歪む。
その様を見やるヴァイキング達の指揮官、青き衣のハーラルは自軍の被害に何の気も無く、部下に耳打ちし橋の下の戦士達に指令を飛ばさせる。
「ほぅ……ちったあ効いてはいる様だな、となれば……。あれの所まで誘導しろ、これ以上無駄に減らす事はねえ」
ハーラルの手勢、一様に揃いの鉄兜と鎖帷子の集団は、粛々と指示を伝えヴァイキング達を動かす。速やかで無駄の無い伝達は、軍とはかけ離れていたヴァイキング達の中では異質な存在。
獅子グラスに挑み掛かっていたヴァイキング達は急に連携した動きを見せ、橋から少し離れた船へと誘導する。ドラゴン船ではなくアバーダーの町で接収した質素な漁船、グラスに向かって行く様に見せかけながらそこへと招いていく。
「明らかにおかしい、誘っている……? グラス、一旦引け! どうにも様子がおかしいぞ!!」
橋の上のイーヴァン達からは明らかに妙な動きだと解るが、忠告の声は戦の音に搔き消され届きはしない。
橋の上でも船上でも、ヴァイキング達は引っ切り無しに雄叫びを上げ、まるで妨害する様に気勢を上げる。
「叫び声ってのにはこういう使い方もあるもんだ、戦場なら不自然でも無いしな。あのナリなら勝手に点くかもしれんが……一応しっかりと火を使え」
指示を受けたハーラルの手勢達は火矢を構え、グラスと戦士達が死闘を繰り広げる船上へ、漁船へと射掛ける。ヴァイキング達は一目散に水中や他の船へと散り逃げていき、ぽつんと取り残されたグラスは炎に巻かれるが、何の事は無く不快気に喉を鳴らすのみ。
炎の獅子への火攻めと言う策に、橋の上のイーヴァンも困惑を表す。
「何をしてくるかと思ったが……火が効かないってのは見て解ると思うもんだがな。心配し過ぎだったか――!?」
途端、グラスが乗っている漁船は爆ぜ散り、炸裂する。
猛烈な衝撃波と共に辺り一帯に轟音が響き、戦場全ての耳を塞ぎ目を釘付けにさせる。爆発した漁船のみならず周りの巨大なドラゴン船をも吹き飛ばし、橋を越える水柱と共に船の残骸を四散させた。
罠に掛けられた第六軍のみならずヴァイキング達も驚愕し、戦は一時中断され皆がそちらへ注目する。
動じていないのは策を仕掛けたハーラルのみであり、その手勢達も思わず主へと質問を飛ばす。
「ハーラル様、今のは一体……何か魔道の類でしょうか?」
「あ? 俺が魔操具でも作ったって言うのか、冗談は止せ。……東の国から仕入れた物だ。悪魔の粉だとか謳っちゃいたが……俺は魔法のブツとは思っていない」
曖昧な説明をしつつハーラル自身も橋上から爆発の中心を見やる。同時に発生していた白い煙は晴れ、変わり果てたドラゴン船が垣間見える。
彼自身が思っていたよりも規模の大きいものとなり、水上の一部は巻き込まれた船の残骸によって封鎖されてしまっていた。
船上から橋への援護をしていたヴァイキング達は幾らかその道を閉ざされる形となり、騒然としつつも再開された橋上での戦いは、第六軍が優勢となる。
期せずして自軍の有利になったイーヴァンは、姿が消えたグラスの身を案じつつ将として方々へ指示を飛ばすが、直ぐに杞憂で済んでくれた。
精霊グラスは人魂の形態で爆心地から飛んで戻って来る。いつもよりは不安定にふらふらとしながら。
「グラス!? 無事だったか……心配させやがって。流石に今回ばかりはどうにかなると思っちまったよ」
「全くだ、一体何が起こったのか私自身も解らん。……暫く獅子になるのは無理だ、いつまで掛かるかは解らんが回復に努めさせてもらおう」
変わらぬ軽く涼やかな声色ではあるが、被害は大きいとグラスは明かす。
水上戦やここぞという場面でグラスに頼っていた第六軍。それが力を発揮出来ないとなれば、戦術上では大きな穴となる。
壊滅的とまではいかないまでもその損失の大きさに、軍の主であるイーヴァンは内心で歯噛みする。
だが今は戦の真っ最中、後悔や反省は後に取っておき兵達への指示を出しつつ自身も前線に出張ろうとするが、青い衣の敵は満足気に撤退を始める。
「上々の出来だな……これ以上はこっちが損をするだけだ、さっさと引き揚げさせろ。橋なんざ取ってても何の旨味もねえ」
命令に従い、手勢達はヴァイキング達へと指示を飛ばす。まだ余力も有り兵力でも勝っているが、ハーラルの人となりを知る者達は命令に忠実に従う。
当のハーラルは対岸の大城塞の攻防を見やるが、その目が向くのは城壁上で構えているはずの騎士ではない。城壁前に列を成すドラゴン船の群れ、その中でも一際巨大な、総大将の船を睨む。
「お言葉ですが、橋を明け渡してしまっても宜しいのですか? 突破出来ればエディンバラを二方から攻める事も出来ますが」
指示をこなしつつ手勢の一人が具申する。
橋を突破してエディンバラを西から突けば、敵はニ方向に対応せざるを得ず兵が割かれる。そうなれば兵数で勝るノルマン側が有利となり、最も守りの堅い北城壁のみを攻めているより遥かに勝算が高くなる。
だが、それを知りつつも青の衣の王子は、忠勤な部下へと殺気を放つ。
「黙って従え、お前が口を出す権利は無い。それとも……お前は俺の命令には従えないとでも言うのか? 大王ゴームの息子の命に……?」
首許にナイフでも当てられたと錯覚した部下は、すぐさま軍礼を取り慌てて指示に従う。ハーラルの方も本気という訳ではなく、青いマントを翻し後にする。
軍略としては正しく、被害を覚悟で橋を確保すればそれは確実に勝利に近付く。
エディンバラを攻め落とせばブリタニア北方の戦いは趨勢が決まり、戦争全体でもドミニアは追い詰められるだろう。
だが――彼自身の勝利はまた別に有る。
青き衣の第二王子は確固たる目的を持ってこの地に足を踏み入れ、その血塗られた道を征く覚悟は、とうの昔に済んでいた。
「……しっかし呆れるもんだ。いつまで苔の生えた栄光に縋り付いてんだか……更にそれに現を抜かすのが血を分けた人間とは……つくづく嫌になる」
戦において追撃戦とは最も敵の兵を削る好機ではあるが、それはあくまで指揮系統の崩壊や気力の尽きた敗走時のみの事。イーヴァンは先陣を率いてヴァイキング達の背を追うが、幾千の魔物を屠ってきた騎士は千を越す強弓に迎え撃たれ、追撃戦で戦果を稼ぐ事は出来なかった。
橋での攻防は損耗率に於いては第六軍に軍配が上がったが、獅子グラスの被害を鑑みると話が変わってくる。
青藍の騎士は満足気に引いていく青の衣の王子を見やり、己が軍略の不甲斐無さに天を仰いだ。




