第61話 二人の軍人
第五軍の陣替えと街道での一戦から数日、ウェーマスは膠着状態を保っていた。
森の南端を最前線と改め直したドミニアに対し、カリングは攻撃を散発的なものに止め、砦の普請に着手している。
半島の西側、海岸線に伸びていた森の一部は切り倒され、それらを材料にした砦は既に形を表しだしていた。
「……街道を囲い込んでいるナ。また突破を狙ってるのカ……?」
森に身を隠したままそれを、カリングの砦建設を偵察する人狼オリバー。
先日フィオン達が町への潜入に使った場所の森は跡形も無く、今はウェーマスの町を遠目に、森の暗がりの中から見やっている。
砦は南北を繋ぐ街道を迎え入れるような形で町の前面に建設が進んでいた。
明らかに街道を意識した構えではあるが、同時にもたげた疑問に、同じく茂みから偵察しているヴィッキーとシャルミラが意見を交わし合う。
「さっさと突破したいってんならここに砦を作ったりはしないだろう。向こうにとって長期戦はマズいんじゃなかったのかい? 見立てが外れてるのかね?」
「それは無いかと……海を隔てた敵地でいつまでも戦争に駆られるのはとても酷な事。今のウェーマスはカリングの兵達しかおらず娯楽も何もありません。幾ら後方から物資が届こうとも、長期間留まっているのは難しいでしょう」
食と住だけは揃っているカリングの兵達だが、人間はそれだけで生きて行く事は出来ない生き物である。肉体だけでなく精神にも栄養を、何かしら気晴らしが無ければ活動に支障を来たす。
侵略戦争であれば専ら、敵地での略奪によって兵のガス抜きが図られる。物資確保の常套手段でもあり、余程潔癖症な指揮官でもない限りは当然の行い。
敵地であるブリタニアに乗り込んでいるカリングには酒保商人達の恩恵も無く、後方からの物資で食い繋ぐのみの日々。
それは歩哨の立ち姿や砦の建設に従事する者の態度等、端々に不満や規律の緩みが現れ出している。
第五軍としては狙い通りの状況ではあるが、疑り深い者は上手く行き過ぎていればそれにも首を傾げてしまうもの。
紅の目を細めるヴィッキーに対しシャルミラは淡々と軍学に基づいた知識を呈しつつ、それでも、紺の瞳もまた油断無く敵を窺い、僅かでも情報を得ようとする。
「というカ、砦の建設を邪魔したりはしないのカ? 作戦は理解してるガ、それでも黙って建てさせるのは癪じゃないのカ?」
「提案はされましたが、上の方々には考えがあるとの事で却下されました。妨害の兵を出したとしても敵の備えはしっかりしています。裏を取るにも……柵だけではありますが、騎兵の対策も万全ですね」
カリングは砦の建設に関し相当数の兵を割いているが、同時に、方々への警戒に対しても充分な数を動員している。森から直接見えない場所にも、予備兵を待機させている事は想像に難くない。
更に先日の惨状を受けてか、砦の周りや周辺の脇道、更には東西の端々にまで馬防柵が施されており、騎兵への対策を十二分に取っている。
街道の遺体はほぼ回収されているが、まだその痕跡を多く残していた。
既にレーミスやベルナルドは砦や周辺の状況に関しても把握しており、その上で考えがあると言うが、肝心の策の方は漏洩のリスクを考え極一部にしか開示されていない。
軍人達は彼らを信頼しており不安は無いが、傭兵達はそうもいかず、致命的と言う程では無いが心持ちに溝が有る。
「……マァ、思ってたより俺達の扱いは悪くないしナ。策が有ると言うならお手並みを拝見させてもらおうじゃ……?」
藪の中から見張るオリバーは、建設中の砦の中、変わった風貌の男に気付き目を凝らす。
黒い肌と短い金の髪、服装も茜の軍服ではなく黒を基調とした落ち着いた形。
数人の私兵らしき者達を連れ、片手に紙束を抱えたまま指示を飛ばしている。
「黒い肌の男……堅物そうな顔だナ。あれが指揮官の大陸の円卓の騎士カ?」
「報告では敵の大将が一人来ているそうですが、指揮権はプロヴァンス公爵である円卓の子孫が担っていると。……私からは見えませんね、一応そのまま目で追って下さい」
ワーウルフの視力でようやく見える程度の距離。とは言っても読唇術等の心得が無いオリバーにも何を喋っているか皆目検討が付かず、大まかな身振り手振り程度しか解らない。
異国の男は気怠げな兵達へテキパキと指示を飛ばし、あくまで砦の建設に専念している。と言う様にしか見えなかった。
既に粗方の土台が組まれ終わった砦の中央、指揮権限を握るムアンミデルは作業を効率化させるべくあちこちへ目と口を走らせるが、その必要は無かった。
建設に駆り出されている兵達に幾らか不満の気配は目立つが、元々カリング兵達は土木工事や建設を得意とした集団。彼ら自身もそれを自負しており、そこらから響いてくる音はそう悪いものでは無く、期せずして砦の建設は兵達の気分転換にもなっている。
「ふむ……思っていたよりも早い、ここまで急ぐ必要は無いのだが……。まぁ早いに越した事は無い、予想外の幸運は素直に喜ぶとしよう」
表情一つ緩めずに、しかし兵達の精勤を喜ぶムアンミデル。
急遽決まった砦の普請に指揮官階級は難色を示したが、それも発案者が誰であるかを知り作戦の目的を明かした途端、首を縦に振ってくれた。
軍人でないムアンミデルが再び指揮権を握る事に対しては幾らか思う所もある様子だったが、勝利を見据えた上で帝国軍人を支えるものであれば、断る理由も無かった。
「閣下、水の魔操具ですが支援物資と町から掻き集めた分で事足りるとの事です。既に各所に配置してあります」
町の方から駆けて来た近衛の一人が報告を行う。
一般家庭でも軍でも欠かせない水の魔操具。今正に侵略している対象のドミニア王国の産物だが、それをとやかく言っても誰も得をしない。
柔軟性と合理によって世を席巻するカリング帝国にあっては、むしろ敵の長所を逆手に取る事こそ奨励されていた。
「ご苦労、ならば飲料用を先に回しておけ。建設中に仕掛けてくるかと思ったがその様子も無い。せいぜいのんびりと構え、敵の思惑に乗ってやろう」
木材のみで成された砦、当然警戒すべきは火計だが移動式の水源とも言える水の魔操具があれば対処の目処も立つ。
ドミニア側も森に対する火矢には同様の手法で対応しており、その実用性は折り紙付き。それを真似る事に何の抵抗も無かった。
建設に精を出す兵達へ声を掛けつつ、異国の男は先日のやり取りを回想する。
街道上で偽装の突破を図る更に数日前、町の中央に構えるムアンミデルの下へやって来た、一人の帝国軍人との記憶。
深夜、近衛兵達が周辺を固めたウェーマスの町の中央の役場、その一室。
指揮権限を握っているのは大将のアーノルドだが、それでもムアンミデルは穴が開くほどに地図を凝視し、軍略に頭を巡らせていた。
「やはりか……ッチ、だから罠だと言っていただろうに。このままでは、我らは陸で溺死するぞ」
ここ数日の戦いは敵を段々と森に押し込みカリング側が優勢と将兵達は満足しているが、損害比率は敵の方が勝っており、森の中には強固な防衛線が有ると彼の部下は確認している。
海からの増援を合わせ既に戦力比は倍を超えてはいるが、それを以ってしてもムアンミデルは頭の中の模擬戦で防衛線を突破出来ずにいた。
このままではウェーマスの町に閉じ込められたまま、兵達は厭戦や不満の感情を溜め込みいずれ内部から崩れ落ちる。
「道連れは御免だが、今の私では……こうなれば直訴してでも……?」
作戦の転換を迫ろうかと思案する彼の下に、背後の扉からノックの音が響く。
既に深夜を回った夜半、所属も明かさない無言のノックと何者かの気配。町中とは言えここは戦場、更に言えば敵地のど真ん中。何も不思議な事では無い。
黒肌の男は一瞬で己を切り替え、黒豹の様に身を翻しドアに向け構える。足幅は余裕を持って広く立ち、手は腰の剣に回される。
ドアノブが回ると同時に異国の騎士は剣を抜き放つが、ドアから顔を覗かせたのは彼のよく見知っている近衛の一人と、見覚えのある大男だった。
「うむ……突然の来訪は詫びておくが、物騒な物は収めてくれるかな? 貴殿にとっても益の有る話のはずだ」
姿を表したのは大将のアーノルド。ワイト島でムアンミデルから指揮権を奪いウェーマスへ転戦させた張本人。
近衛の方は軍礼を取った後、そそくさと部屋を出て行き二人だけとなる。
昼間はドミニア軍に対し優勢であると将兵達と共に談笑を響かせていたが、今はその様子は僅かにも無く、厳しい顔で何か思い詰めていた。
「何の御用かと問う前に、私の方から幾つか打診が……」
「皆まで言わんでくれ、私もしっかりと理解している。このままでは我らはそう遠からず破綻する。かと言って森の中の防衛線を突破するのも勝算が低い……貴殿の言う通りになった訳だ」
先程までムアンミデルが見ていた地図に、アーノルドも目を凝らす。
既にアーノルドもムアンミデルと同じ危惧を抱えており、先行きを案じていた。
その上で、とある考えの下に人目を忍んでの深夜の訪問。彼らが忠を奉ずる帝王は、遊興のみで彼に指揮権を与えたのかと。
「大帝は決して愚かな方ではない。目には目をのみで君に指揮権を委ねたとは考え難い……君には何か、秘策があるのでは無いかと考えている。その上で余りにも虫の良い話ではあるが、その策を私に譲ってはくれんかね? 対価は……言うまでも無いとは思うが」
奪った指揮権を戻す代わりに策を譲れと提案するアーノルド。
しかし戻すも何も元々不当に奪われたものであり、策の方も取引では無く献策するつもりだったムアンミデル。目の前の男を訝しみながらも、神妙な態度に対しこの男もまた無碍にはしない。
報酬の代わりという訳では無いが、もたげた疑問を一つ問う事で取引とする。
「……なぜ貴方はそこまでの武功を欲する? 既に大将と言う位……軍部に於いては頂点とも言え名声も高い。それ以上ともなれば」
「偉大なる祖を持つ君らには解らんだろうが……君は我が家の事をどう聞いているかね? 全く知らないという事は無いと思うが」
アーノルドの家系は、代々帝国に仕えてきた生え抜きの軍人。コネクションや先代の七光りに頼る事も無く、代々の個人が己の研鑚でのみ重ねてきた系譜には内外から高い評価が有る。
軍人では無いムアンミデルでも知っている、帝国の自慢話にも近い一つの評価に、当代の当主であるアーノルド自身は首を振り、物憂げな溜め息を漏らす。
「聞こえだけは良いが、軍人として地位を継承出来ずに代々が辛酸を味わって来ただけに過ぎん。我が家は元々貧しい土農の出で、貴族階級とは違い身分まで相続出来なかっただけだ。……誰が好き好んで、苦労を味わいたがると言うのか」
帝国の法では貴族階級や一部の特権階級でも無ければ、相続出来る物には多くの制限が掛かる。幾ら軍内での最高位である大将であろうともそれは変わらない。
だが更にもう一つ上、元帥の位に昇れば、それは軍部を飛び抜け国の中枢に関わる要職となり、正に特権階級入りを意味する。
代々己の力のみで地位を築いてきた男は、もうこれ以上子孫達に苦労をさせたくはないと、帝国軍人の鑑として賞賛を一身に浴びながら、それらを否定した。
打ち明けられたムアンミデルは、それを笑う事は出来ない。
自身の鍛錬を欠かした事は一切無いが、代々受け継いできた公爵としての地位と財物、栄えある円卓の騎士の末裔という称号。正に目の前の軍人が欲して止まないものに支えられ身では、それを笑い飛ばす事なぞ出来よう筈が無かった。
だが――だからこそ譲りがたいものも有る。
「貴方の想いは解りました……故にこそ私の策を明かす訳には参りません。成功の見込みは低く生還率は極めて低いもの、そもそも策と呼べるかも微妙な……!?」
想いを知ったからこそ明かす事は出来ないと言われたアーノルドは、軍帽を取り膝を折り、床に跪こうとする。
驚き止めようとするムアンミデルを無視する目には、既に炎が宿っていた。
生存の見込みは低いと言われながらも、アーノルドの目に迷いは無い。
軍人然とした冷徹なものに加え、大将の位にはあるまじき、雑兵と身紛うほどの様な土塗れの野心が滾っていた。
「それは……卑怯だ。軍籍は無くとも私も武人の端くれ、それが貴方の名にどういう気持ちを持っているかを……」
ムアンミデルとしても先日の暴挙を振るわれるまでは尊敬にも似た想いを抱いていた人物。胸襟を開けさせたばかりか更にこの様な振舞いをさせる事は、彼としても一人の武人としても、栄光ある血の末としても受け入れる事は出来なかった。
「軍人とは卑怯でなければ務まらんものだ。私の頭を地に付けさせるか、軍人として死地に臨ませるか……武人の君はどちらを選ぶ?」
根負けした異国の騎士は、生粋の帝国軍人に死地への策を開示する。
ウェーマスの町から北東へ、森の中を通る崖下の道。
それがどこへ通じているかと、その地の戦略上の価値を。
戦功を求める野心家はそれを誰に譲る事も無く、自らの頼みとする手勢と共に、既に死地へと向かってから数日が経っていた。




