第60話 二人の指揮官
月光が淡く照らす夜闇の中、ニ騎の狭間は絶えず激しい明滅を繰り返す。
騎士同士の一騎打ちでありながら、その手に持つのは馬上槍に非ず、片や漆黒の斧槍と片や銀の光輝を放つ直槍。
騎兵の存在価値とも言える機動力は、両者共に意地を張る様に使わない。
「我を狗と嘲るならば……貴様はこの地に縛られた、亡霊の傀儡よ!!」
互いに愛馬を真横に並べたまま、槍の間合いを維持しつつ激しく打ち鳴らし火花を散らす。
銀の直槍は闇を埋め尽くすかの如く突きを繰り出し、小手先の技や駆け引きを一切混じえず、真っ直ぐに臓腑を貫かんとその切っ先が振るわれる。
「世迷い事を言うな、父祖の名が泣くぞ! 祖を重んじる事はあろうとも盲目にはならぬ。そも――狗如きが霊を語るな!!」
対する漆黒の斧槍は種々の武器を存分に活かされ、鉤爪で引き倒すか槍先で貫くか或いは斧頭での両断か、闇と同化し縦横に駆け巡る。
互いに致命的な一撃のみは防ぐか払い、その他は鎧と自身の頑強さを頼みに顧みず、夜風に乗せて血煙を燻らせる。
両者は一歩も引かないままに、馬もその意を汲み必死に四肢を地に突き刺して耐え忍ぶ。共に主とは長い付き合いの愛馬、以心伝心の絆は種を越え心を通わせる。
両軍にとって総大将同士の一騎打ち、立ち会う者は互いの近衛兵達のみ。
どちらも一切の手出し所か一声も発さず、主の勝利を信じ死合いを見守る。
そんな中で一人の近衛が、まだ年の浅い第五軍の黒冑の兵士。尋常ならざる壮絶な打ち合いに目を奪われながら疑問を呈す。
「大佐、あの方々に何か確執が有るのは知っていますが……それでも一騎打ちというのは……。余りに博打に過ぎるのでは無いでしょうか?」
問い掛けられたのは同じく近衛隊の大佐ベルナルド。既に各員への指示を出し終わり、冷静に辺りを警戒している。主が遅れを取る事は毛先程も考えに無い。
闇夜に向ける目を緩めないままに、後輩への指導も疎かにせず対応する。
「君が気に掛けている事は理解出来る。漸く本来の作戦を展開する前にここで躓いては、という事だな。だが作戦を成功させる為にもあの者の名乗りには応じなければ……それこそ閣下の威信に関わる」
両者の祖、円卓の騎士トリスタンとパロミデスは一時は仲間とは思えない程険悪になり、特にとある女性を巡っては直接の殺し合いにもなった。
最終的には円満な解決を見せ友情を結ぶが、百年を経た現代でも、旧交は保たれつつも互いに思う所が一切無いでは無い。
仮にムアンミデルの名乗りにレーミスが応じなければ、両家の関係性や逸話を知る者には格好の噂の種になる。
この場に姿を表しているのは互いの近衛隊のみだが、戦時であれば特に斥候や間者の目は気にすべき事。面倒な噂を流されれば第五軍団の統率に支障をきたしかねず、見え見えの誘いであろうとも応じるしかなかった。
ベルナルドは新人の疑問に答えつつ闇へと目を凝らし、ウェーマスの町の入り口付近に、何か蠢く様な影の塊を遠目に捉える。
まだそれが何なのかはよく解らないが、スクエア型の眼鏡越しに目を細め、改めて各員へ指示を飛ばす。
「ッ――んっぬ……!? この業突く張りめが……少しは女らしくしたらどうだ」
二騎の打ち合いに一つ区切りが付き、銀の騎士の方が先に馬を動かした。
レーミスの斧頭による横薙ぎに合わせ、ムアンミデルと白馬は僅かに距離を取りながらそれを受け流す。両者共に少しばかり息と汗を荒くし、互いの端々には凄絶な応酬の痕が残る。
互いに馬への攻撃は、騎士道としての暗黙の了解に則り控えていた。
「っは! 女らしく、だと? ならば貴様こそ男らしく、女一匹程度捻じ伏せてみせんか、無駄な口を叩けば恥を掻――?」
馬首を返し槍を構え直すムアンミデルに対し、レーミスもまた向き直るが、バイザー越しの目端には微かにウェーマスの町の入り口の、とある物が映る。
それに勘付いた銀の騎兵は兵達を動かさせまいと、再び第五軍団の主、黒の騎士に向けて槍を冴えさせる。
カリングの狙いを理解したレーミスだが、目の前の難敵を相手にしつつ兵達へ指示を飛ばす余裕は無い。槍先を読む思考を僅かにでも他へ割けば、その切っ先は存分に生き血を啜るだろう。
「気付いた所でもう遅い。将として兵を動かし我が槍の勲となるか……命惜しさに将の責務を捨て去るか――好きな方を選べえ!!」
同時に、ウェーマスの町からは馬車と兵の一団が急発進する。
数列の馬車に護衛として付く騎兵の隊列、後に続く歩兵達は何とかそれに食らい付くべく、体に鞭を打ってひた走る。
第五軍の陣替えを察知したカリングが狙ったのは夜襲では無く、これを機に内地へと浸透すべく、防衛線を無視して街道を突き進む強行突破。
成功したならば第五軍団の兵站の分断、防衛戦そのものへの挟撃、内地の各所への侵攻等、一挙に形勢が傾きかねない。
だが、兜の下の女傑の相に焦りは無い。僅かな逡巡も見せず武人としての本分を果たすべく、更に勢いを増して闇を纏う斧槍は唸りを上げる。
「……何か勘違いしているのかもしれんが、近衛とは都合の良い持ち駒では無く、未来の将帥を養う場だぞ? それが指示無くして動けぬなど……成る程、笑わせて私の隙でも作る策だったか?」
森の中を北へと伸びる街道、突破を狙うカリングの一団が差し掛かる直前、整然と轡を並べた装甲騎兵の一団、第五軍団の近衛隊が横槍を仕掛ける。
夜闇に紛れた黒塗りの甲冑と黒馬の群れは、一声も発さぬままに、ただその速度と槍先に乗せる殺意のみを増して突撃する。
馬車を護衛するカリング騎兵が気付いた時には、何もかもが遅過ぎた。
「っぬ? あれ、は……!? 左! 左から敵の……騎兵だああ!!」
月光に照らされ並び立つ馬上槍はまるで黒鉄の杭の様に、護衛の騎馬諸共、先頭の馬車の車輪を粉砕し街道上に横倒しにして封鎖させた。
突如として闇から現れた漆黒の騎兵隊に対し、カリングの兵達は怯え惑う。
同時に轟くのは普段は機械の様に冷たい男の声。僅かばかり戦場の熱を帯び、カリングの雑兵達への威圧が篭る。
「抜刀――!! 一切の容赦をするな、我らが力を見せ付けよ! 仕留めるよりもまずはその戦意を刈り尽くせええ!!」
黒の騎手達は即座に軍刀を抜き放ち、眼下で逃げ惑う敵兵達を撫で斬りにして行く。僅かに湾曲した片刃の剣は馬上での扱いに向き、耳障りな断末魔と共に茜の装束のカリング兵達を、更に濃い朱に染めて行く。
月光に照らされる一方的な鏖殺は後続のカリング兵達の心をへし折り、彼らの脳裏には味方の仇討ちでは無く、無事に生きて逃げる事が刻まれる。
総崩れとなってウェーマスの町に逃げ出すカリング兵達。
漆黒の騎兵隊は死神の群れと化し、その背を執拗に付け狙う。
通り抜け様に軽く切り払い馬での突進で吹き飛ばし、荒れ狂う軍馬は蹄鉄を以って、小枝の様に人骨を踏み砕き臓物を吐き出させる。馬上槍の一撃は人体を軽く貫き、引き千切られた骸は道端で土くれ同然と化す。
「決着は付いた様だな。……どうする? まだ諦める気にはならんか? それとも死んでいった者達がどうたらと――異国の者がそれに報いるか?」
紛う事無く広がる地獄の光景。
それを見やる二人の指揮官は、共に一切の動揺は無い。
片や自らの頼みとする近衛の所業、見事な手管をどう褒めるかと口端を上げる。
対して、自軍の惨憺なる有様を見せ付けられた銀の騎士は、兜の下の金の双眸に一切の迷いを見せず、颯爽と馬首を返し町へと引き上げて行く。
一言の言い訳所か別離の言葉さえも残さず、清々しい引きっぷりではあるが、その様はレーミスを不審にさせる。
「……っふん、まあ良い。一先ず今日の所は仕舞いにしてやろう……こちらも、まだやるべき事が有るか」
決闘を終え森へと引き上げるレーミスを、迎えるのは大佐のベルナルド。
街道上の追撃は他の者に任せ彼は方々へと偵察の者を放っていた。敵の狙いは理解でき突破されていたならば一大事では有ったが、それにしては不自然でもあると疑問を抱え。
「閣下、お疲れ様です。既に手の者を放っておりますが、今の所はまだ何も」
「鮮やかな用兵、まずは見事であったと褒めておこう。……うむ、連中随分とあっさりし過ぎている。内地への侵入という悲願に対しては、余りに手緩い」
鎧の端々に手傷を受けたレーミスと、返り血に塗れたベルナルド。二人は戦の熱を一切引かせぬまま、淡々と現状に関して方策を練る。
敵が防衛線の突破を狙いこちらの隙を突いてきたというのは順当な策では有るが、それにしては諦めるのが早過ぎた。決まれば第五軍どころかエクセターの全域が危機に陥りかねない一手にしては、肩透かしさえも感じる二人。
「街道の方は問題ありません、一兵どころか鼠一匹通さぬ布陣です。工兵達の方は少々遅れ気味ですが……先程の勝利を敵が覚えるならば、そもそも街道に近付かないかもしれません」
「ふむ……街道を押さえている限り纏まった物資は運べまいしな。考えても解らず探しても見つからないとなれば……哨戒と斥候達は残し我らも下がるとしよう、そろそろ陣替えは済んでいるはずだ」
追撃は程々に終え、近衛隊は森の奥へと戻る。
頭と目を幾ら巡らせようと結果が出ないのならば、それ以上は自滅にも繋がる。
街道を赤く染め上げた兵団は真夜中の凱旋と共に、森の北に構える本陣へと引き揚げて行く。
その先頭を行くのは黒鎧に身を包む金の髪の戦女神。陣替えは既に終わり真夜中だと言うのに、戦いの気配に気付いた兵達は列を成してそれを出迎える。
「全く、さっさと休みたいというのに……。ベルナルド、何か食う物は持って無いか? 寝る前に少しばかり胃に入れておきたい」
軍の主はそれに対し、一喝してさっさと眠らせるかと案じるが兵達の歓待を無碍にするのも悪いかと考え、小さく手を振りながらその中を行く。
横で馬を引くベルナルドは変わらず抑揚の無い声で、遠慮せずに苦言を呈した。
「閣下、真夜中や寝る前のお食事は良くありません。どうしてもと言うのであれば何か用意させますが……次からは事前に手配しておきましょう」




