第59話 騎士の交わり
ウェーマスでの戦闘が始まってから数日、緒戦こそ優勢であった第五軍は段々と劣勢が目立ちだしてきていた。
本土からの潤沢な支援を受けるカリングは日に日にその兵数を増しており、片田舎のウェーマスの町はその身を休めるには充分なもの、体力の回復は早い。
酒保商人や安定した兵站に支えられているとは言え、第五軍団は兵力差に押され出しており、大佐ベルナルドによって開かれた軍議の下、作戦を第二段階へ、本来のものに移そうとしていた。
既に日も落ちた夜の軍議、魔操具の灯りが点る天幕の中、氷の様な男は粛々と決定事項を伝える。軍議と言う体ではあるが、ほぼ一方的な伝達のみの場。
「我が方の奮戦は目覚しいものがあり、諸君らの戦い振りに閣下は大変お喜びである。……だが敵の増援はそれを上回り、このままでは戦線の維持は厳しい。よって今より本陣を下げ森の境界を最前線と改め直し、迎撃に専念する戦いへ移行する。既に諸々の準備は整っている、各員は士官達への指揮を……」
当初の予定通り、敵にウェーマスの町を取らせたまま森で迎え撃ち続け、敵の死傷者と厭戦感情を上げようというもの。
カリング側からすれば本土から遠く海を隔てたブリタニアでの戦い。幾ら物資や支援が豊富であろうとも、いずれ遠からず兵達の心には望郷の想いが募る。
そうなれば士気や規律に緩みが生じ、ドミニア側からすれば戦を長引かせる事は有利となる。
事前に説明を受けていた一部の将校や傭兵、フィオン達には今更な事であるが、他の者達はざわめきを発する。
エクセター候の建前での方針とは真逆の差配、敵をこの地から追い出すのではなく実質的に明け渡す戦術。
森に引くという動きにある程度の理解は示しつつ、まだ早いのでは? 後退すれば更に敵が勢い付くのでは? と疑問の声が上がる。
ベルナルドはそれらに動じる事無く、作戦の必要性を説明しながら冷静に説く。
「何か有ってから引いてはそれはただの敗走に他ならん、まだ余力がある内に引いてこそそれは戦術になり得るのだ。敵が調子に乗れば更に陸に兵と積荷を揚げてくれよう。そうなればいずれ来たる敵の物資への攻撃がより大打撃になる。……話は以上、遅れる事の無い様に行動せよ」
通達は終わり将兵達は方々へと散って行く。まだ余力の有る部隊のものは少々眉を顰め、限界が近かった者達の長は幾らかの安堵を顔に表す。
軍と言えどもその練度や力量が全て一定という訳では無く、従事する任務や持ち場、相対する敵の強さによってその負担も大きく変わってくる。
フィオンとクライグもまたテントを後にし足並みを揃える。共に戦の跡を幾つもその身に刻んでいるが、向かい合う顔は悲痛では無く、平静を通す。
毎日とはいかないまでも、休息時には頻繁に会い言葉を交わしていた二人。
話題は主に二人が離れる前の故郷リークでの思い出話や、互いのその後。フィオンは冒険者としての日々を、クライグは士官学校や軍での経験を語っていた。
「ようやく森に引き篭もるか……ちょっと遅いくらいだろ。後ろにも結構被害出てんだぜ? まだ俺達傭兵は自分で守れるから良いけどよ」
「全体での損害比は優勢だったからな、中々下げる目処が立たなかったんだろ。反対を押し切って下げても士気に関わる、今日の所がまさ……!」
戦場に関しての意見を交わす中、クライグは口を開けたまま何かに思い当たる。
見つめる先には既に列を成して物資を運ぶ多くの馬車や、配置換えに動く部隊や傭兵達。ウェーマスから森の中を南北に繋げる街道のみならず、切り開かれた森の中を北へと動く一塊の軍団。
夜闇の中で見るそれは、蠢く巨大な魔獣の様でもあった。
「いきなりボーッとしてどうした? 飯食い忘れたとかじゃねえだろうな」
「いや、そのなあ……。軍人としては言うべきじゃ無いんだろうが……フィオン達の馬って、ブリストルのまま……だよな?」
白馬スプマドールはブリストルの厩舎で預けられたままである。
軍馬としての経験は無く戦地では役に立たず、そもそも戦を知らない白馬をここに連れてくるのは気が引け、誰も反対はせずに置いてきていた。
突然のクライグの質問にフィオンは首をひねりながらも、何かを心配しているのだと察した。
「そうだけど、何かマズいのか? あっちは直接攻撃受けてる訳でも」
「いや、もしかしたらだけど……戦が長引いて更に徴用が進めば、その馬も借り出されるんじゃないかな? 騎馬として使われる事は無いだろうけど……そうなるとそっちはその……色々困るんじゃないか?」
兵站を支える上で欠かせない運搬力、それは正に馬の数に直結する。
戦争が長引けば馬達の疲労は溜まり軍は更なる徴用を行い、その手がスプマドールに伸びる事は容易に想像出来る。
クライグは軍人としてはあるまじき配慮だが、あくまで親友としての己を立て、フィオン達の馬へと心配を向けた。
板挟みになりながらこちらを優先してくれた親友に、フィオンはやれやれとしながらも、その厚意を有り難く受け取る。
「確かにそりゃそうだ、先に気付けて助かったよ。……組合経由で馬は、ついでに預けてある荷物の方もレクサムに移しておこう。すまねえな、気使わせちまって」
「気にしないでくれよ、それと……俺からの入れ知恵ってのは内緒だからな? ……ん? いやまて、俺からのアドバイスなんて……もしかして初めての事じゃないか?」
二人の青年は共に夜の森の中を行く。
その様は正に仲の深い朋友であり、彼ら自身もそれをまた、疑う事は無かった。
§§§
陣替えの最後尾、ウェーマスを臨む森の南端。
今夜襲を掛けられれば堪ったものではなく、その殿には第五軍における最強部隊、君主レーミス自らが率いる近衛の装甲騎兵隊が睨みを効かせている。
「理屈としては解るが、私をこの様に扱うとは……全く以って遠慮と言うものを知らんなお前は」
「褒め言葉として頂戴しておきます。幸い今夜は月が明るく敵を見落とすという事はあり得ません。仮に敵が我らに気付いたとしても、徒に向かってくる事は無いでしょう」
騎乗したレーミスの傍に控えるのはベルナルド。彼も近衛の一員ではあるが、今は歩兵として槍を取っている。
恐らくはあり得ないが仮に戦闘になった場合、騎兵のみでは虚を突かれかねず、今の近衛隊は騎兵一騎に対し二名の歩兵が随伴している。
ベルナルドの言う通り、遠目に見えるウェーマスの町は静謐を保っており、月明かりで照らされる先には篝火と歩哨達が微かに見える程度。
森に身を隠した第五軍に気付いている様子は無く、気怠げに任に就いている。
口数は少ないながらに、レーミスとベルナルドは事務的な話を行う。街道の整備を兼ねた工兵の動員、未だ姿を表さない敵の指揮官、北のヨービルに後詰として待機している第三軍の動向。
何事も無く穏やかに時は流れそろそろ陣替えが終わる頃、月が中天に差し掛かり、ウェーマスの町から一部隊が姿を表す。
「……なんだあれは? たかだが二、三十で……まさか夜襲ではあるまいな?」
数は三十にも満たず、騎兵が数騎と歩兵の混成。
特に姿を隠すことも無く真っ直ぐにこちらへ、森へと近寄ってくる一隊。
兜の下で目を細めるレーミスに対し、ベルナルドは率いる一騎の様相に気付く。
「いえ、あれは……銀の甲冑……? ただの偵察と言う訳では、無い様ですな」
月光に照らされる銀甲冑の騎士、雄々しい鬣の白馬にも同じく銀の馬鎧。
隊を後ろに残し騎士は一騎で堂々と進み、闇に閉ざされた森に向けて、槍を構えながら居丈高に名乗りを上げる。
「……我は栄光ある円卓の騎士が一騎、サラセンのパロミデスが後裔、プロヴァンス公爵ムアンミデルなり! 我が名乗りを受け尚鼠の様に逃げ出すならば、その恥は千年の後まで笑い種になろうぞ!!」
突き出された銀の槍ははっきりと、森の中のレーミスに向いている。
明らかな名指しでの名乗りを受け漆黒の騎士も斧槍を取るが、応じる前に傍らのベルナルドと幾らかやり取りを交わす。
「あそこまで言われては出ざるを得んが……用心しておけ、どうにもタイミングがおかしい。策の臭いがする」
「警戒を密に当たらせましょう、各員の配置と連携の確認を……。街道沿いの警備を増やしておきます」
後の事はベルナルドに任せレーミスは一騎で森を出、銀の騎士の前に躍り出る。
月下に立ち会う銀の騎士と黒の騎士。
その鎧の下は真逆に、異国の黒き肌と陶器の如き白の肌。共通するのは二人の髪色、どちらも月光にさえ勝る金の艶めき。
戦場で出会ったからにはやる事は一つしか無いが、まずは名乗りに対しては名乗りを、騎士としての作法に則りレーミスが名を告げる。
「円卓の騎士トリスタンが裔、エクセターの土を父祖より継ぎしトリスタン六世、レーミスである。……久しいなムアンミデル殿。昔会った事があると、乳母から聞いた覚えがあるが?」
槍を交える前にまずは話を、この場での意図を探るべく会話を試みるレーミス。
両家は父祖の頃から交わりの強い二家であり、かつての偉大なる祖は因縁にも近い関わりを持っていた。その後の緩やかな時の中でも幾らかの交友を持ち、二人は幼き時に引き合わされた事も有る。
殺気は緩めぬままに、銀の騎士ムアンミデルは槍を構え直し口を開く。
「僅かにだが記憶はある。だが、そんなものこの場では些事に等しい。騎士が戦場で見えたならば、するべき事は一つのみ」
戦いを急ぐムアンミデルに対し、黒の騎士レーミスは悠々としたまま更に言葉を続ける。出てきた状況と言い漂う気配と言い、明らかに何か狙いが有る。
矛を交える前にその狙いを暴かんと、レーミスは挑発混じりに穂先を向けた。
「……貴様が今踏み荒らし槍を向けているのは、父祖達の遺した地と国であると理解は出来ているか? それに敵対すると言う事は、自らの父祖に仇なすも等しい蛮行であるぞ! ……それとも、異国の理には恩も義理も無かったかな?」
円卓の騎士の末裔が、円卓の騎士達が遺したドミニア王国に弓を引く。明らかに矛盾した行為ではあるが、問われた銀の騎士は微塵も揺るがない。
その行いは正に恩と義理を知るが故に正しい振る舞いであると、問答を切り捨て白馬を駆る。
「……かつてプロヴァンスに帝国が迫った折、大帝は領土を安んじ爵位をそのままに取り立ててくれた。故に、恩に報い義に奉ずる為、その命に従う――!!」
銀甲冑の騎士はその煌びやかさとは真逆に、炎の如き苛烈さを見せ猛然とレーミスに襲い掛かる。
月夜に映える銀の槍は突きではなく、馬体の勢いをこれでもかと上乗せ、柄が撓る程の剛力で振るわれる。
「……そうか、貴殿の信念に沿うというのであれば、これ以上の問答は無用だな。だが――」
迎え撃つ漆黒の騎士。レーミスは馬を一歩も動かさせず、人馬一体のままに、その一撃を真っ向から迎え撃つ。
只管にその軌道を冷静に見切るのみ。自身の筋骨と斧槍の頑強さだけを頼みに、闇夜の中に火花を散らせ、全霊の一撃を正面から受け切る。
剛金同士が衝突し弾け飛び、痛烈な炸裂音を響かせ、この地の主は改めて侵略者に対し、裁きを下す事を誓う。
「カリングの走狗となったのならば最早容赦はせん。パロミデスの血は我が手で断ち切り、墓前には私から報告しておいてやる。――安心して黄泉へ逝け」




