第58話 エディンバラ攻防戦 犠牲と勝利
エディンバラから北海を臨む北の大城壁。
ノルマン王国のヴァイキング達は連日真っ向から城壁を攻めているが、先日ほどの危うい場面はそう見られない。
イーヴァン率いる第六軍の加勢を合わせ、エディンバラの守兵は約六万。
依然ノルマン側の全容は知れないが、これを攻め切る程の兵力はこの地に存在しておらず、余り城攻めに向いた軍容でもなかった。
「このままいけば……見立ての通り先に敵が参るでしょう。如何にヴァイキングとは言え北海を横断しての物資輸送、安定する訳がありません。そうなれば敵は……予想通りに……」
城壁中央、悪くは無い戦況だがイーヴァンの顔は明るくない。
兵が多ければそれだけ糧食は嵩む。兵力や兵站の差に加えて一人当たりの食う量が多いヴァイキング達は、近い内に兵糧が底を突く見立て。
その目算は当たっており、ヴァイキング達が船蔵に蓄えている備蓄はそう多くはなかった。
だが、戦場を見る目には厳しいものがある二人の司令官。
騎乗したままで海上を睨むローエンヴァル。完全武装で威を発しており、城壁が危うくなるか、狙うべき敵の総大将クヌーズが出たら迷わずに突っ込む構え。
先日以来、熊の漢クヌーズは姿を表さず、弟のハーラルが偶に遠巻きに兵達の指揮を取るのみ。その指揮の方もそう覇気を感じさせず、本気で城攻めをしようという気概は放っていない。
眼下の攻防も危ういものでは無く、だが猛禽の騎士は厳しく眼光を強める。
「作戦の立案をしたのは私だ、貴殿が気に病む必要は無い。無ければ奪えば良いだけの事であり、そもそも敵はヴァイキング。産むよりも奪うを本分とする害虫共だ……避けられないのならば、利用するまでよ」
第四軍と第六軍、二軍団の総力と大城壁を以ってようやく拮抗状態の現状。
他の拠点に割く余裕は無く、周辺の沿岸部や町村は僅かな監視部隊を置いているのみで、攻め込まれれば無抵抗に陥ちる。
仮に兵力を分散して各地を守れば、順に確固撃破の憂き目に遭うのみ。
そんな愚策をローエンヴァルは取る事無く、あくまで最終的な勝利を目指す軍略の下、冷徹に他の地は切り捨てられた。
「敵がどこかを奪い取れば、必ずや船を守る者達と内地へ侵攻する者達に分かれる。その時こそが勝機……陸に上がった海賊達を干物にしてくれるわ」
敢えてという訳では無いがどこかの拠点を取らせ、その後分散した敵を陸戦で叩くという戦略。海戦ではドラゴン船に敵わず、如何にローエンヴァル一人が無双を誇ろうとも全体においては敗北する。
陸においてヴァイキング達が弱いという事は一切無いが、それでもこちらの方が勝機に富む。騎兵を中心とした戦術を組み上げているローエンヴァルは、既に陸戦においては勝利を見出していた。
「作戦に関して異論はありません、納得済みです。……しかし、奴らが占領地で大人しくしている事など有り得ず……領民達へはどの様に?」
既に作戦に関して共有済みのイーヴァン。大部分の民達はエディンバラ西の大都市、グラスゴーに避難済みである事も知っている。
だがそれでも、占領された地でヴァイキング達がどの様に過ごすかは想像に難くない。奪えるものは奪い、気に入らなければ拳を振るい、利用できるものは使う。
生活基盤を荒された民達にどういった政務を行うか。
ここはヒベルニアではなくスコットランド。イーヴァンは管轄外の事に関し非難するではなく、同じ辺境伯としてより経験に富むローエンヴァルに、その手腕を問うていた。
ローエンヴァルもその意を汲み、若き騎士に教鞭を取る。
「そうだな……戦によって生まれた損失は戦によって補填するのが常道。あの兄弟のどちらか首を上げるか、捕虜に出切れば良い条件で交渉出来るだろう。それを元手に振舞うか、一国相手に持ち堪えよと無茶を言ってきたウォーレンティヌスを絞るか……うむ、取り立てられる所はそう少なくは――!」
城壁の左方側、北海から遠く海底が浅い方で旗色が悪くなる。
連日の城壁への攻勢、その中で藻屑となったドラゴン船は残骸として残り敵にとっては足掛かりとなっていた。
城塞側もこれを燃やすか崩すかして撤去を行ってはいたが、それでも全てに手は回らず、海底に積まれていく分はどんどん堆積していった。
水深が浅い湾の入り口方面ではそれが積もりに積もり、ヴァイキング達には絶好の浅瀬にも近い環境。向かおうとするローエンヴァルに先んじ、イーヴァンは精霊の獅子に跨り先を行く。
「貴殿はどっしりと構え全体の睨みを。あの程度は私で充分、ご指導代を払わせてもらいましょう!」
城壁が危うくなった際、殆どはローエンヴァルが戦場に躍り出る事によって均衡を保たせてきた。その働きぶりは目を見張るものだが、連日それでは体に障る。
イーヴァンはそれを補うべく城壁上を獅子グラスで駆け、同時に、一つ思いついた事を試すつもりであった。
「おいボウズ、あそこに飛び込むのは構わんがお前はどうするつもりだ? 私だけならば水の上もいけるが」
精霊の獅子グラスも水上を駆ける事が出来る。元々人魂の身では宙に浮いている存在であり、駆けると言うよりはそれの真似事ではあるが。
城壁上を疾走し守兵は器用に避け、背に跨るイーヴァンは斧槍で肩を叩きながらグラスに打診する。
「それなんだが……俺を乗せたままでもいけるんじゃないか? 鎧もその為に軽装にしてきたし、そうなれば近衛の奴等を少しは見返して」
「呆れたものだ、沽券の為に無茶を張るか? ……まぁ良い、どうせ言っても聞かんのだろう。せいぜい身を以って味わえ」
呆れながらに、蒼獅子は咆哮を響かせ城壁を飛び出し、尚青い海へと舞う。
ヴァイキング達はその威容に目を見開き、猛禽の騎士は嬉々として迎えたが人外の存在には驚愕を顕にする。雄叫びではなくざわめきと奇声が飛び交い、戦士達は戸惑い怯える姿を初めて見せる。
ドラゴン船の上に降り立ったグラスは手当たり次第に炎の牙と爪を振るい、背のイーヴァンも斧槍を縦横無尽に捌き、我が物顔で戦場を蹂躙する。
蒼炎の獅子は船の上を平地同様に駆け抜け、逃げ惑うヴァイキング達は呆気無く骸を曝すか、戦わずして船を捨て海へと飛び込む。
ローエンヴァルに対してとは真逆の反応に、イーヴァンは手応えを感じられず斧槍を軽く振って血払いをする。
「なんだなんだてっきり群がってくると心構えしていたが……連中、お前にビビッて戦おうともせんじゃないか。どうしてくれるんだ?」
「戦況を戻すのが我らの役目ならば充分であろう。……で、本当に良いんだな? 後になって騒ぐなよ?」
船の端に爪を掛けたグラスは、海上を見やる。既に周りに敵はおらず、敵陣へと切り込むならばそこを渡るしか道は無い。
鎧や帷子を脱ぎ捨てたヴァイキング達が一目散に後方へと泳ぎ逃げる中、イーヴァンはどこか目を輝かせて獅子の背をバシバシと叩いていた。
「どうにかなるって、一気に行っちまえ! 何だったらあの辛気臭そうな青い弟の所まで突っ込んで……そうなりゃこの戦は勝ったも」
能天気な主の話は待たず、グラスはひょいっと海上に足を乗せる。生身の肉に非ざる精霊の四肢は一瞬水面に五体を乗せるが、ゆっくりずぶずぶと沈んで行く。
狼狽え焦るイーヴァンを一瞬確認してから、グラスは後ろ蹴りをするように体を跳ねさせ、主を船の上に投げ出した。
「……ダメって事か? ……沈む前に足を出してそっから更に沈む前にとか」
「無理だな、駆けようとすれば更に沈んで行くだけだ。お前よりも前に……三代前の奴も同じ事を試したが……裸でも結果は変わらん、諦めろ」
項垂れたイーヴァンを見やってから、獅子は沖のヴァイキング達を睨む。
城壁左方の劣勢は挽回されたが、先程までの様に敵は取り乱してはいない。遠目にグラスを観察する目は、既に戦士としての冷たさを帯びたものに戻っていた。
それを俯瞰していたローエンヴァルもまた、冷静に戦況を分析しながら、対岸に上がる煙に気付く。
「陥ちたか、あの位置は……ッチ、アバーダーか。よりにもよって……」
エディンバラから湾を挟んで対岸に位置する町、アバーダー。
近隣ではそれなりの規模の港湾の町であり、作戦の為の犠牲とはいえ、それを見る騎士の指は城壁に食い込む程に力が入る。
だがそれでも、最終的な勝利やエディンバラの経済力、地勢、それらを全て投げ打ってでも守るべきものがエディンバラにはある。
白鳥の騎士は背に聳え立つ一つの丘へつぶさに目をやり、何とか自身を落ち着かせた。侵しベからざる神聖な領域、それを前にすれば志は変わらない。
未だ予断を許さない戦場へと、スコットランドの主はその身を以って、侵略者達に殺気と威圧を放つ。
§§§
エディンバラ対岸、港湾の町アバーダー。
普段は各地との交易や海産物でささやかに賑わう程度の町は、今は物々しい戦士達が町中を闊歩し、抵抗する者には死と炎を配り歩いていた。
避難命令は出ており大半の住民達はグラスゴーへと移っている。だがそれでも、命令に聞かずこの地にしがみ付いた者達もいなくは無い。
彼らは正に自らの選択が誤りであったと今になって後悔し、家中で震えるかその怒りを侵略者達にぶつけ、力無く地に伏せるしか出来る事は無かった。
「うむ、悪くは無い愛を感じる。我らへの憎悪は国を憂う愛に他ならぬ……抵抗する者には容赦するな、従う者には寛容にせよ。我が未来の領土となるのであれば、それは大事に……愛を持って育むのが良い」
戦士達を率いるのは総大将のクヌーズ。様相は変わらず、頭と腰に熊の毛皮を纏っただけの裸でアバーダーの町を颯爽と練り歩く。
占領下での対応はそう苛烈なものではないが、それも彼の目が届く範囲での事。
そもそもは物資補給や拠点確保の為のアバーダーへの攻撃。略奪や接収は一切緩む事は無く、暴走したヴァイキング達が強姦や享楽殺人を起こす事も少なく無い。
クヌーズの目に止まれば即処断される行いだが、全ての兵の全ての行いを把握出来る者など、この世のどこにも存在しない。
「クヌーズ様、差し出がましい様ですが……サッと陥としてしまって良かったんですか? ハーラル様は時間を掛けてエディンバラを揺さぶれとか……」
付き添う一人の戦士が問い掛けるのは、今回のアバーダー攻めの狙い。
この町を攻めたのはそもそも弟ハーラルの策。拠点や物資確保の為もあるが、エディンバラからよく見える地への攻撃は敵に不安と焦りを募らせる。
城攻めで良い結果が出ないのならば他を動かす。という考えでのアバーダー攻めはしかし、たった数分で決着が付いた。
町に軍の防衛部隊はおらず、数百人程度の自警団とクヌーズが率いる数千のヴァイキングでは、そもそも戦いという体を成さなかった。
「カッハッハッハッハア!! 無論、我が愛すべき弟の妙案よ。それを無碍にする程このクヌーズ、暴君では無いわ! だが同時に――」
愛を吠える戦士は大笑を響かせ、弟の意を汲みつつも遠く対岸の城壁を眺め思いを馳せる。今はそこにいる人物こそが、自身の心を掴んで離さないのだと。
「あの貴人に対して揺さぶりは余りにも無粋、我が愛に賭けて斯様な振る舞いは出来ぬ。真っ向から愛をぶつけ合ってこそ心が通ずるというものよ。そも、偉大なる大王の後を拝す王子なれば、王道以外を歩む事は……?」
僅かなどよめきとじわりとした痛み。クヌーズが自身の脇を見ると、一人の男がナイフを突き立てその巨躯へ刺し込んでいた。
荒い呼吸と血相を変えた只の町人、戦慣れ所か戦いの経験も無い一般市民。だがその手に持つナイフはしっかりと、クヌーズの脇腹から鮮血を流させていた。
武器を取ろうとする兵達を制し、ヴァイキングの王子は自身を襲った男の頭に、軽く手を乗せ笑いかける。
「良い愛だ、生まれが違えば同胞の戦士であったろう……惜しいものだ。紛う事無く我らは侵略者、それに刃と殺意を向ける貴君に、予は愛と敬意を以って遇しよう。……先に戦士の館へ逝って予を迎えるが良い」
顔色一つ変えぬまま、クヌーズは男の頭を片腕で持ち上げ、握り潰す。
頭蓋がペキペキと割れていく音と、苦悶の声が辺りに響く。男は必死に丸太の様な腕にナイフで抵抗するが、その程度では一切効かず、クヌーズは事を終えた。
だらりと弛緩した男の骸を道の脇に置き、部下達から手当てを受けながらクヌーズは様子も変えずに通りを行く。まるで何もされず、何も無かったかの様に。
「お頭あ、あっちに変なもんが! どうにも軍の倉庫だと思うんですが……どうかしたんですかい? 喧嘩でもありましたか?」
「んん? いや何、住民達から温かな愛を受け取ったに過ぎぬ。我らに向けられるものとしては何とも正しく心地良いものだ。……で、何かを見つけたのか? それは心躍る!! まだ見ぬ愛を確認しに行こう!」
侵略者でありながら既に為政者として振る舞う、ノルマン王国の長子クヌーズ。
その歩みはあけすけに明るく一抹の影も無く、彼自身も彼が信じる者達の心も同じ様に、光溢れるものだと信じ切っていた。




