第57話 覚悟を新たに
ロンメルとの話しの翌日、朝早くからの開戦。
第五軍団とカリング、双方共にウェーマスの町の前で再び矛を突き合わせるが、前線は少し町から遠退き、北の森に近くなっている。
本来の戦略への段階的な移行。内地に進出すべく森に近付くカリングを、迎撃し続け戦果を稼ぎ、敵側の厭戦感情を煽るという戦略。
「弓兵は森から出るな!! 工兵達は水の魔操具、絶対に壊されるなよ!」
万全の構えで森に防衛線を張っている以上、カリングも考え無しに入って来る訳も無い。少しずつ敵を調子に乗せ「優勢なので森へ侵攻する」と思わせなければならない。
第五軍側の兵達に対しても「町を奪還し敵を追い払う」という建前で士気を上げている以上、あからさまに森に篭る事も出来なかった。
「傭兵共は援護と火の対処に……怪我人の搬送走れえ!! もたもたするなあ!」
フィオン達傭兵は主に森の中からの援護と敵の火矢への対応、怪我人の運搬と矢の補充等、裏方仕事にも携わる。前に上に後ろにと、目と手と足が幾ら有っても足りない忙しない現場。
それでも、最前線の兵達よりはマシである。
カリングの兵達は町を拠点に押さえており、英気の回復ぶりは高いものがある。
海を跨いでの増援、物資運搬も引っ切り無しに続いており、その数も更に増してブリタニアに攻め寄せて来ていた。
「火矢は絶えず放て、消火に敵の手が割かれれば更に有利となる。敵がモタついて延焼すれば、奴らを一気に蒸し焼きに出来るぞ!」
敵に橋頭堡となるウェーマスの町を与えたのは確かに痛手ではあるが、全ての海岸線を防衛し続けるのは無理があり、いずれどこかが突破される。
そうなれば一気に内地に浸透され、それこそ取り返しのつかない事態に陥り兼ねない。ウェーマスの町を与えたのにはそれを防ぐ為の理由も有った。
「ッチ、怪我人を運んでくル。注意しろヨ、どこも前が危なっかしイ」
戦線に出張っているのはフィオン、ヴィッキー、オリバーの三人。ロンメルはアメリアに付き添い野戦病院の方に入っている。
前中後衛が一人ずつであり、戦闘以外にもやるべき事が多々有る戦場。
三人は常に息を付く暇もなく駆けずり回る。
「頼んだ、その間は……俺が前衛と消火で援護は」
「あたしが消火しとくから前をしっかり見張ってな。矢と違って直線にしか打てないけど、突っ込んで来る敵なら火達磨にしてやるさ」
縦の圧をそのままに横を広げたカリングの戦列に対し、第五軍も横列を伸ばしつつ最両翼は騎馬で牽制している。
有り余る兵力に支えられたカリング側とは違い、第五軍側に余裕は無い。
縦列は薄くならざるを得ず、今や脆い所は三列しかない。
どうしても盾同士での押し合いや戦線の持続力には乏しくなり、稀に突破される箇所も出ていた。予備兵は後ろに控えているものの、弓兵隊や傭兵達に迫る敵も中にはいる。
「崩したぞ! 行け行け行け行けええ!! 後ろを掻き乱してやれええ――!!」
そしてまた前線を突破する敵の一隊、二十人程の茜の兵達が戦列を食い破り後列へと殺到する。その内の数人は傭兵達へ、フィオン達へと迫る。
「ッ!? ヴィッキー、敵が来る! 援護頼んだ!!」
「言われるまでも――アルドオ!!」
予備兵達が直ぐに戦列を塞ぎ後ろに飛び出した敵への対応に回るものの、優先的に守るのは第五軍の兵である弓兵達であり、他への対処はその後。
実質的に、傭兵達には自力での対応が求められている。
矢を構えていたフィオンは一人を射抜き、剣を取りながらヴィッキーへと呼び掛ける。魔導士もまた遅れを取る事無く、水桶を放しながら無駄なく杖を取り、敵兵へと炎を放つ。
「何人か抜ける……フィオン、そっちは任せたよ!!」
魔導士の火力は脅威ではあるが、それでもしっかりと盾を構えた兵士を一蹴出来る程では無い。鉄の盾であれば防ぎ切り、木の盾であっても一撃は凌ぐ。
死を覚悟しながらか、或いは後ろから味方が続いている事を期待し、カリング兵達は地を駆ける。戦の熱に浮かされた人間は時として無謀を平静のままに張る。
数人の生き残りは傭兵達へも、その内の一槍とフィオンは真っ向から相対す。
「ッヂィ゛……っ! しぶてえ――」
魔獣の帷子を頼りにフィオンは槍を腕で跳ね除け、そのまま剣を敵兵の首へ走らせた。槍は狼の毛革と腕を浅く裂くに留まり、剣もまた盾に阻まれる。
「まだ、次――!?」
二合目を交えるべく互いに腕を振り被った所で、茜の兵は炎に包まれ苦しげな叫びを上げながら地面に倒れ伏す。
フィオンが後ろを見やると、頼りになる魔導士が杖を収めていた。
「……っふぅ。止めは任せたよ、しっかりやんな」
ヴィッキーは二人の間隙を突き、的確に魔法を放ち援護をしていた。
フィオンはそれに頷きを返し、成すべき事の為に向き直る。
しっかりと意思を以って剣を取り直し、その呻き声ごと敵の喉を掻き切った。
狩人の頃から手に染み込み馴染んだ感触であり、同時に、まだ心を削りながらでなければ成せない、馴染みの無い所業。
目は逸らさずに、あくまで生死の確認の為にその顔を見やり、引き摺る事無く前を見る。
「……援護助かった、次も頼む。……ったく、もうちょっと前はしっかりしてくんねえかな」
「愚痴言ってんじゃないよあっちの方が大変さ。……あたしはまた消火に戻る、あんたも頼んだよ」
フィオンは弓を手に援護と警戒を、ヴィッキーは桶を手に消火と裏仕事に戻る。
予断を許さない戦況の中でやるべき事から目を逸らさず、少しだけ愚痴混じりに戦の空気に身を浸していく。是非や良し悪しが差し挟まれる隙も無く。
まだまだ戦争は始まったばかり、これはそのたった一幕の、序章でしかない。
§§§
森の中の本陣近く、その一角に切り開かれ設営された野戦病院。
病院とは言ってもあくまで名前だけのもの。天蓋は設えられているがすぐに患者はその下を埋め尽くし、殆ど野晒しの状態になる。
物資や医療品の類に不足は無いが、人手の方は常にぎりぎりであった。
既に三人の治癒士の内二人は魔力酔いに陥り、アメリアのみが方々へと治癒を掛け回っている現状。昨日の悲痛さは薄れているが、まだ万全とまではいかない。
共に来ているロンメルは軽傷の者に医薬品での手当をしつつ、避けては通れない事を支えるべくこの場にいる。
傷病者達の痛みに呻く声と苛立ちが飛び交うそこへ、必死の叫びが飛ばされる。
「誰かあ!! 頼む、こいつを助けてくれええ!! ……治癒士はいるんだろう!? まだ何とか……まだ、息は……してるんだ」
担ぎ込まれて来る重傷の兵士。兜は脱がされ鎧と鎖帷子は破損が目立ち、同輩であろう男に肩を貸されている。
ぐったりとしたまま腹部に大穴が開き、見えてはいけないモノを垂れさせ――
「!? ッ――」
アメリアは瞬時に、この場を仕切る軍医に目で問い掛ける。
治癒を試してみるまでは助かるかどうかは解らない。
傷口が全く塞がらずに苦しみを引き伸ばすのみか、傷口は塞がり苦痛は治まるものの、僅かな延命になるのみか。実際に行ってみるしか確認のしようは無い。
「……頼んだ、無理だった時は……解っているね?」
許可を受けアメリアは走り寄り、懇願を受けつつナイフを持ち両手を翳す。
元々はエルフである事を隠すための偽装のナイフは、今は全く別の意味も持つ。
「……これは、もう…………ごめんなさい」
目の前の現状に顔を青くしながら、弱々しくも伝えるべきを伝える。
傷は塞がらない、治癒による再生よりも溢れ逃げる命の方が強い。
言葉無く崩れ落ちる付き添いの男と、目に見えて息を細めていく患者。指示を仰ぐべくアメリアが見やった先では、軍医は首を横に振っていた。
最期の一撃を下すならばせめて親しい者が。付き添いのいる場合ではその者が手を下す事もあるが、男は青白くなった仲間の手を取りアメリアに目を向ける。
「そ……そうで……。いや、まだ……まだ何か他に……本当に、もう……?」
その瞳に浮かぶのは、まだ混濁している様々な感情。
もう助からないのならば楽にしてやって欲しいという想いと、どこかに希望は残されていないのかという切ない願望。
その目に見られながら、アメリアは成すべき事の為にナイフを手に取るが――
「っ……っぅ、ぐ!? どう、して……!?」
ナイフを握るアメリアの手は震え、狙いも何も定まらない。
次いで、膝をついている足は何か衝動を覚え、昨日の末路、逃げ出してしまった記憶が脳裏を過ぎる。
手を下さねばという意思はあるものの、躊躇いはその手を震えさせ、恐怖は足を動かさせようとする。何とか自身を抑えようと力を込めものの、一向に治まらずに更に焦りは募る。
このまま振り下ろせば無用の痛みを与えるのみであり、そんなものは慈悲の一撃ですらない。
「ッ……も、お……こん、な――!」
焦燥と強張りに窮したアメリアが自身の足を刺しかねた直前、覚えの有る両手、鋼鉄の義手と傷だらけで大きな温かい手が伸び、少女の手を包み込む。
「……慣れているなら胸が良いが肋骨に阻まれれば手間取り苦しめる。……首を突くぞ、良いな?」
ロンメルはアメリアの手を握り込み震えを止めさせ、共に一人の命を背負うべく問い掛ける。
少女は顔を強張らせながら、奥歯を強く噛み何とか頷きを返す。もう逃げる事だけはしないと、自身の決意に正面から相対し、目を逸らさない。
ナイフは男の首へ深くするりと刺し込まれ、その息を穏やかに止めさせた。
寄り添う同輩はその胸に泣き崩れ、声にならない声で名前を何度も叫ぶ。
ナイフを抜きロンメルはアメリアを気に掛けるが、少女は最早立ち止まりはしなかった。
「無理はするでないぞ? 限界が来る前に早めに……!」
既にアメリアは、次の患者へと走っていた。涙に潰れた声でロンメルに感謝を告げながら。
その背を見やるロンメルはやり切れない思いになりつつも、少女の望みを強引に止めさせるのは、それもまた違うと感じていた。例えどれ程辛くとも、それが本望であるのならば止められはしないと。
その背に唐突に、ぶっきら棒ではあるがどこか温かな声が投げられる。
「おウ、二人運んで来タ。どっちも軽傷だからこっちに寝かせておくゾ。……様子ハ、どうなっていル?」
背に一人と脇に一人、矢傷を受けた兵士を抱えオリバーがやって来た。
端の方に二人を安置しながらロンメルに聞いてくるのは、何かの様子。今一要領を得ず煮え切らない態度だが、ワーウルフが視線で追うのはアメリアの背。
把握したロンメルは少し笑みを浮かべ、少しばかりからかいを見せる。
「なんじゃ、お主も心配しておったのか? なんじゃったらわしと代わるか? お主であれば不手際も無かろう」
「ッハ、冗談を言エ。……少し気になってただけダ。幾らエル――ン゛ン゛! ……別に心配って程じゃ無イ、俺はもう戻るゾ」
戦線へ戻って行く青灰のワーウルフ。しかしその心は存外に解り易く、明らかに尻尾はソワソワとしていて落ち着きが無い。
常在戦場の人狼にあっては初めて見せる様子である。
思っていたよりも彼らは家族と言える存在に近くなっており、ロンメルはどこか安堵の息を漏らし胸を撫で下ろす。元々フィオン達に付いて来たのは彼の個人的な理由の為だったが、その判断に間違いはなかった。
老兵は再び気合を入れ直し、彼らの旅路を見届ける事を、とある誰かに誓う。




