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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第二章 エクセター戦役 命の順番
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第55話 命の感触

「何だおま……敵かあ!?」

「!? もう戻って……くっそ」


 近距離で鉢合わせたフィオンと二人のカリング兵。兵達は即座にフィオンへ槍を振るい、フィオンは腰の剣に手を伸ばすが間に合わない。

 間に合ったとしても、二本の槍を剣一本で同時に防げる程の腕前も余裕も無い。

 万事休すと歯噛みするフィオンは――真っ赤な血に染まる。


「ッ――!? ……ぇ?」


 だが、彼の体を貫くはずだった槍は、力無く地に落ちる。

 狩人の体を朱に染める血は彼の物に非ず。

 鮮血を撒き散らすのは目の前の二人の兵士達。肩口から深々と軍刀(サーベル)で切り伏せられた者と、左胸を抉られ口鼻から血泡を噴き出す者。

 どちらも背後から一撃で仕留められており、仕留めた二人、ロンメルとクライグの顔は――見た事の無い、冷たいものだった。


「……す、すまねえ、助か」

「後始末を頼む、わしらはこれを運ぶ。……こういう時には切るよりも突く方が、更に出切れば貫かぬ方が良いぞ。全く出さぬのは難しいがな」


 冷たく固い、普段とはまるで違うロンメルの声。クライグもフィオンには構わずに、死体を担ぎ手頃な家へと向かう。


「すいません、少し気が張っていたもので。あの家にしましょう、略奪は終わってる様に見えます。入ってくる事は無いかと」


 残されたフィオンは一人、助かった事への安堵もなく、悔しさに歯噛みする。

 ヴィッキーはフィオンへと走り寄って来るが、彼を気遣っての事では無い。

 今はすぐさまこの場での痕跡、撒き散らされた血痕を処分せねばならない。


「石畳じゃなくて助かった、表面を誤魔化すだけで何とか……ほらフィオン、あんたも早くやんな! ボケッとしてんじゃないよ」


 ヴィッキーに急かされ、血を吸って赤黒くなった地面を削り平らに均す。削った血混じりのドロドロとした土は、目立たない場所へさっさと捨てる。

 一箇所だけでは無く、二人が死体を運んで行った道にも点々とそれは続く。

 フィオンとヴィッキーは敵兵が来ない事を祈りながら、今はひたすらにナイフと指で地にかじり付く。

 覚悟を決めていた筈のフィオンは、自身が今何をしているのか、頭の中が真っ白になっていた。


「こんな所で良かろう、家の中に入れ。あとは日が落ちるまで身を潜めよう」


 いつの間に来ていたのか、ロンメルに促されるままにフィオンは空き家へと入って行く。土と血と砂に塗れた手は、酷く重いものに感じられ、ナイフは手から離れてくれない。


 窓は割れ家財道具は荒らされた家の中。既にロンメルによって窓際には物が積まれ外からの視線を遮断していた。

 廃墟同然の建物の少し奥、クライグは死体の傍で床に座り何かをしている。

 近付いてきたフィオンへと、がっしりとした体に似つかわしくないいつもと変わらぬ人懐こい顔で向き直る。べったりと、返り血に塗れたままに。


「大丈夫かフィオン? ……床板剥ぐのを手伝ってくれるか? 音出さないでやるのは結構大変でな」

「ぁ……あぁ、大丈夫だ。今手つだ――」


 瞬間、仰向けに置かれていた死体が、微かに腕を上げ呻き声を発する。

 クライグが肩口を切り裂いた男、それはまだ息が有り一時的に意識を失っていただけだった。朧気ではあるが今正に目を覚まし、何をか掴まんと宙へ手を伸ばす。


「こいつ、まだ――!?」


 クライグが軍刀を抜くよりも早く、フィオンは手にしていたナイフをそのままに

 ――馬乗りになりながら男の喉首を抉る。

 土と砂で汚れていたせいか手に伝わる感触はガリガリとした、覚えの無いモノ。


「――ッ゛、ッグォッブ――ッガア゛!?」


 右手はそのままに喉の奥を抉り、左手で男の口を塞ぐ。

 頭の中はグチャグチャのままに、体は切り離された様に正確に動く。

 塞いだ左手の隙間からは、温かく粘土の高い血が泡と共に滲み溢れ、男は血涙を流しながら――真っ赤になった目でフィオンへと憎悪を送る。

 自身を殺す者への殺意、酷く惨い殺し方への悪態、人として許されざる行為への非難。あらゆる負の感情を浮かべた瞳から、思わず、フィオンは目を逸らす。


「……っ、す……ッ……!」


 フィオンが何かを口走りかけた直前、左手を噛んでいた男の顎から、力が消え失せる。気付けばナイフを持つ右腕にも男は腕を伸ばしており、赤黒くなった痣と共に、最早血風呂にでも浸かった様だった。


 漂うのは喉を突く血臭と、筋肉の弛緩によって最期に起こる排泄物の悪臭。

 フィオンは何も言わずに死体の上から退き、クライグが開けたまだ少し狭い床下の穴へと、無言と感情の死んだ顔のままに骸を押し込む。


「……悪い、俺の不始末だな。手伝うよ、こっちは良いからお前は雑巾とか」

「そっちはわしがやっておこう。入り口はヴィッキーが見張っておるから心配いらん。……慣れろとは言わんが、向き合う事は大切じゃぞ。帰ってから話をしよう」


 諸々を床下へと詰め終わり、フィオン達はこのまま陽が落ちるのを待つ。

 今でも脱出出来なくは無いだろうが、見つかってしまっては全てが水泡に帰す。

 夜を待ち闇に乗じて本陣へと戻る。それまではもう暫くこの場にて、辛酸極まる空間にて時を過ごす必要があった。


 壁際に座り呆然とするフィオン。水の魔操具は放ったらかしになっており手やナイフは洗う事が出来たが、心に開いた何かは元には戻らない。

 以前にも、ヒベルニアで手を染めた時よりも深い喪失感。

 矢であったかナイフであったか、それとは別の問題に因るものだが、フィオン自身にはまだ理解出来ていない。


「お疲れ……心配すんなよ、どこの軍でも脱走兵なんて珍しく無い。あの二人が消えた事は誰も不思議がったりしないさ」


 意図的な見当違いの心遣い、クライグはいつもの調子でフィオンの横に座る。

 褒めるでもなく責めるでもなく、フィオンの所業に関しては触れようとしない。

 そのままクライグは、親友がこの場に来てくれた事に改めて感謝を伝える。


「今更だけどさ……フィオンがここに来てくれて、俺には大きな心の支えになってるんだ。さっきだってお前が危なくなって体が直ぐに動いて……ありがとな」


 感謝を伝えられたフィオンは、酷く情けない気持ちになる。

 自身はクライグを戦場で支える為に来たはず、それが逆に助けられ気遣われる等、有って良いはずがない。

 空虚な顔で虚空へと呆けていた狼の毛革の狩人は、その目に感情の炎を戻す。


「俺がここに来たのは……てめえ一人に背負わせねえ為だ。おんぶに抱っこされに来た訳じゃねえ。……今に見てやがれ」


 感謝の言葉に対し復讐を告げる様な言葉を吐くフィオン。

 だがその反応は親友には心地良かったらしく、クライグの顔には複雑な笑みが浮かぶ。そうでなくては張り合いが無く、遠慮をする間柄でもない。


 外への見張りをしていたヴィッキーがロンメルと交代し、伸びをしながら戻って来る。彼女もまたとっくに諸々に手を染めており、今も何の気負いもしていない。

 少しだけ調子を戻したフィオンを見やり、冷たく強い口調だが、お節介による干渉をしてくる。


「ロンメルから聞いたけど、直接やる中では中々えぐいもんをやっちまったね。だが、ここはあんたが望んで来た場所だ。殺し殺されなんてそれこそ毎日起こる……嫌でも慣れて行くしかないよ?」


 戦場ではこれが当たり前。一つ一つに当たる照明は小さかろうと、毎日数十か数百の単位で起こっている事。フィオンが手に掛けたのは、その内のたったの一つ。

 それに対し一々躓いていては身が保たないと、魔導士は理屈を交えて心を説く。

 返答は無いフィオンだが、表情には幾らかの生気が戻っている。

 お節介で最も付き合いの長い魔女へと、小さくではあるが強く頷き返す。


「……ま、良いか悪いかは別にしてあんたなら直ぐに飲み込める様になるさ。そんなヤワだったらここまで保ってもいない。……もうじき日も落ちる、早いとこおさらばしたいもんだね」


 午後から始まっていた戦は、夕日が落ちる少し前にお開きとなった。

 終始ドミニア側が優勢ではあったが、カリング側の被害は全体ではそう大したものではない。陸に上がってからの兵達の回復は船上より遥かに良好であり、敵地であるブリタニアでは脱走兵はそう多く無い。


 町に潜入した傭兵達もまた、夜闇に紛れ第五軍の本陣へと戻る。

 痕跡を残さず或いは抹消し、存在を気取られる事無く全員が脱出でき、任務だけにおいては上々の首尾となった。


 ウェーマスの町を囲う北方の森。第五軍はその中に陣を敷いており、森の中の街道を丸ごと陣に収め常に監視体制を取っている。軍が移動する際には物資の運搬も必須であり、カリングが内地へ浸透する事を抑える為である。


「……戻ったカ。早速で悪いんだガ、ちょっと良いカ? ……俺の手には負えン」


 傭兵達に宛がわれた陣の中の一角、クライグと別れたフィオン達はオリバーに出迎えられるが、困った様子を獣の顔に浮かべている。

 怪我をしている訳ではないが、負傷者の救出や運搬に携わっていた青灰の人狼は戦場の痕をそこかしこに残し、フィオン達のテントの前で物思いに耽っていた。

 帰って来たフィオン達の無事を喜ぶ前に、意味深にテントの中を指差す。


「何か有ったのかい? 中に何が……アメリア?」


 テントの中では、膝を抱き蹲っていたアメリアがいた。

 ヴィッキーが駆け寄り声を掛けるが、顔を埋めたままで返答は無い。

 ロンメルはオリバーに事情を尋ねかけるが、直ぐに頭を振って天を仰いだ。こうなる事もある程度は予想できていたと。


「何が……いや、解っておる。……やはり事前の知識だけでは無理が有ったか、どうにかしてでも何とかしておくべきじゃった。……飯を貰ってくる。腹を膨らませれば少しは気が紛れるじゃろう、その後で話をするとしよう」


 フィオンもアメリアを心配しないでも無いが、今はまだ己の心の整理がついていなかった。すすり泣く声が響くテントへと、入って行く事は出来ない。

 血の臭いを嗅ぎ取ったオリバーは顔色と合わせフィオンの事情も察するが、良い言葉は見つからず苦々しげに歯噛みする。


 青年と少女の初めての戦場での一日。

 何の事は無い、何処にでも有る有り触れた戦場と命の応報。

 それは二人の心に重く圧し掛かり、その口を閉じさせるには充分なものだった。

 何もしない訳は無く、最も経験に富んだ老兵は一肌脱ぐ。それを助けるのは当然の事であり、それこそ老兵がここに来た理由なのだから。

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