第54話 ウェーマス緒戦 戦場の所業
ブリストルを発した第五軍がウェーマスに到着したのは、町が陥ちてから翌日の正午過ぎ。
迎えるカリング側は港町の施設を丸々使えるとは言え、たった一日では軍備は整わない。長い船上生活での病人の増加、荷の積み下ろし、町の配置の把握。
逆に、準備を万端に整えていたエクセター側は着陣して早々に戦支度を整え、『この地を奪還すべく戦う』という建前の為と、とある策の為に一戦仕掛けようとしている。
「閣下、あちらの準備も整いました。いつでもいけます」
ウェーマスの町に対し真正面に陣立てをした第五軍。
春光を受け黒光りを放つ、整然と居並ぶ歩兵達。構えるは体をスッポリと覆い隠す巨大な長方形の盾スクトゥムと、僅かな隙間から刺突を狙う片手槍。
カリング側も町から追い出される訳にはいかず、急ぎ足ではあるが兵達を整えさせ、茜の軍勢は町を背にして迎え撃つ。
列の後方で一人騎乗しているトリスタン六世、レーミス。
ベルナルドは諸々の準備が整った事を報せ、この地の主は高らかに、侵略者達へ剣を抜き放つ。
「……聞け、カリングの鼠共! 我こそはエクセター候トリスタン六世である。
お前達の狼藉に対し私が下すのは刃のみ!! 申し開きがあるならば、聞くに値する名と共に出てくるが良い!」
レーミスの名乗りに対し、カリング側からの応答は何も無い。
彼女も特に反応を期待していた訳ではなく、あくまで名乗りを使って敵からの注目を集める為のもの。
微かにざわめくのみのカリングの兵達を見やってから、黒冑の騎士は静かに切っ先を振るい下知を下す。
甲高い軍隊ラッパが鳴り響くと共に、士官達は各々の部隊へ命令を放ち、兵達は激を飛ばし合い互いを鼓舞し、足並みと盾を揃えて前進を開始する。
「進めええ! いざ、ブリタニアから奴等を追い出せええ――!!」
列を揃えて接近して行く黒鎧の軍勢。歩みと盾は粛々と、士気と雄叫びはそれだけでカリングの兵達を海まで追い落とす気勢がある。
カリング側も負けじと槍と盾を打ち鳴らすが、士気の優劣は目に見えて激しい。
接敵に先立ち交わされるは槍に非ず。互いの後列から放たれた矢は放物線を描き、双方の前列へと雨にも勝る勢いで降り注ぐ。
最前列の盾はそのまま微動だにせず、二列目三列目の兵は盾を天へと掲げ、飛来する矢を槍で叩き落し自身と一列目の者を守る。
「ええい怯むなああ! 我らの方が数に勝る、数に勝れば矢に勝るのは必然だ! 更には町を押さえていれば拠点にも――!?」
歩くよりも僅かに早い程度であった第五軍団の前進。それは最後のほんの数歩で、一挙に目を見張る程の突進に変貌する。
重装に身を包んだ兵達の、勢いと体重を乗せた横一列の大盾の突撃。波濤の如き一気呵成の圧撃は、茜の軍勢の前列を木っ端の様に吹き飛ばす。
船上生活で足腰に疲労を抱えたカリング兵達は、成す術も無く崩された。
「突け突け突けええ!! 一気に突き殺せえ! この地に来た事を後悔させてやれええ!!」
間髪入れずに、第五軍団は猛然と、体勢を崩したカリング兵達に襲い掛かる。
手にした取り回しの良い黒き片手槍。
簡素な作りではあるが白兵戦においての殺傷力は充分。無駄の無い造形はむしろ純粋な凶器として完成しており、ただ突き刺すと言う行為のみに特化している。
黒き槍はその切っ先を朱に染め、戦場の真っ只中に赤い泉が湧き上がる。
上空から見やればそれは真一文字の紅い川。黒の具足に身を包んだ兵達はその只中で、復讐の華を燦然と輝かせる。
「まだ敵に騎馬はいない様だが……海で手間取ったか。まあ緒戦でこの程度出来ねば後でジリ貧だ。……向こうの方はどうなっている?」
後方の馬上、冷静に戦況を分析し特に褒めるでも無いレーリス。
一先ずは優勢の前線を確認し、気に掛けるのは別の方面。
それに答える副官ベルナルドもまた、戦の熱を感じさせない冷たい声色。
「既に見えませんが……上手くいっている事を祈るのみです。失敗しようとも何も問題は有りません、気楽に待つとしましょう」
§§§
南に突き出た半島、その南端に位置する田舎の港町ウェーマスは、南以外の三方を遠巻きに森で囲まれている。唯一通っている北への街道も途中からは森に包まれており、現地からは一帯の整備が望まれていた。
町から見て西側、海沿いに連なり町の直ぐ近くまで伸びた森の先端。
身を伏せ機を窺う傭兵達が、フィオン達がそこで待機していた。
「始まったみてえだな、俺達もそろそろ行くか?」
傍らのクライグに問い掛けるフィオン。彼らが受けている任務は開戦の裏で町へと潜入し、物資の集積所を確認するという内容。
敵の警備体制が万全でない内を狙った初日からの工作活動。
カリング側は大陸から海を挟んでの物資輸送に頼っている以上、一度でもそれに打撃を加えられれば致命傷となる。まだ積み下ろしは完全ではなく今襲っても大して意味は無いが、正確な地点を押さえておけば後の切り札になる。
「……よし、俺達も動こう。確認だが、場所を押さえるよりも痕跡を残さない事、目撃者をしっかりと処分する事。これを徹底してもらう」
傭兵達を率いるのはクライグ、作戦の要でもあるシャルミラの上官でもある。
物資の場所を押さえても潜入がバレてしまえば敵に警戒される。指揮官次第ではあるが、用心深ければ手間を掛けてでも場所を移す可能性も有り得、傭兵達に第一に厳命されたのは痕跡や目撃情報を残さない事だった。
実行に当たるのはフィオン達以外にも数組の冒険者達。数が多過ぎてもリスクになるだけであり、総勢二十名程が各々に分かれて行動する。
アメリアは本陣近くの野戦病院に、オリバーも目立つ為に付いて来ていない。
最後の確認を済ませたクライグは横に伏せるシャルミラに合図を送り、各員はいつでも飛び出せるように身構える。
「では、ご武運を……――いきます!」
彼女の左手に嵌められた魔操具の指輪、中指の水晶の環が淡い緑の光を発する。
瞬間、彼女を含めた周囲の者達は――その姿が透明になり、同時に森を飛び出して町へと駆ける。文字通りの風となった傭兵達は歩哨には目もくれず、町の方々へと散って行った。
魔操具による魔法の発現、というよりも瞬間的な魔導士の成熟を行わせる装置。
誰にでも扱える訳ではなくあくまで魔導士としての素養がある者にのみ、指輪に対応した魔法を一瞬だけ行使出切る様に、肉体を酷使させるもの。
長い修行期間を省略できるのはメリットだが、燃費は余りにも悪く一つの指輪が対応した魔法は一つのみ。
シャルミラは一人取り残され森の中で地に伏せる。左手には三つの指輪を付けており、暫くはそのまま、吐き気や頭痛等の魔力酔いに耐えねばならない。
町へと潜入出来たフィオン達は、クライグと共に担当地域へ物陰沿いに向かう。
透明化の魔法はほんの十秒程しか効果は発揮出来ず、人数が増えれば増える程に更に効果は弱まる。対象となるのも術者本人の周りを無差別であり、大勢がひしめき合う戦場では役に立たない。
「あいつ、やっぱぶっ倒れてたな……大丈夫なのか? 明らかに無理してるだろ」
「……少尉が自分から志願してる事だ、口出しするべきじゃない。今は任務に集中しよう、俺達の担当は……」
シャルミラを気遣うフィオンだが、クライグはあくまで本人の意思であるとして干渉を控えさせる。
魔操具の実験体としての従事は志願制で行われており、見返りに金銭や種々の融通等を享受出来る。
少尉としての給金だけでも充分な生活は出来る筈だが、彼女の事を一番に知るクライグは何事かを感じており、余計な詮索は避けていた。
「わしらの担当は南の、割と波止場にも近い本命じゃな。荷下ろしの最中なら遠目でも解るかもしれんが……まずは向かってから考えよう」
「町中っていうのは助かるね、隠れる所には不自由しない。日が落ちるまでの待機も空き家が幾らでも有る。せいぜい役立たせてもらおうか」
ロンメルとクライグが先導を行い、フィオンとヴィッキーがそれに続く。
町の詳細に関しては、ウェーマス出身者からの情報により細かな地図が有る。
フィオン達は一路町の南方、戦場からは逆方向であり港に近い一角へと向かう。
まだカリング側はしっかりとした警備体制を確立出来ておらず、哨戒する兵はバラつきがあり所々に穴が目立つ。
「あれは……どうじゃ? 運び込んではおらんが、あそこだけ歩哨がおるぞ」
「何か有るのは確実だが、出切れば中を確認しておきたい……」
ロンメルとクライグが見つけたのは、石造りの大きな倉庫と二人の兵士。
入り口の扉にもたれ掛けた茜の軍装、鎧は身に付けておらず槍だけ。動き回らずに偶に周囲へ目を凝らし、明らかに警備として屯している。
見通しの良い通りであり裏手等に回るのは難しい。
クライグからの視線を受け、フィオンは弓矢を構えて軽く弦を引く。狙うのは歩哨達では無く、その狙いは上を向く。
「上手くいけよっ――な」
加減して空へ放たれた矢はすぐに力を失い、山形に落下し地面へと落ちる。
それを見た二人の兵士は首を傾げながら、まずは自分たちの身を心配し出す。
「あれは……流れ矢か。こんなとこまで飛んで来るとはな……。なあおい、今俺達が怪我したらどういう扱いになるんだ? 手当て出るのかね?」
「その前に怪我しねえ様にすべきだろうが、と言っても……ッチ、折角警備に回れて楽出来てんだ、こんなとこで怪我して美味しい時に動けねえなんざ洒落になんねえ。……鎧はだるいが、盾位は持っとくか」
二人の兵士は持ち場を離れ、倉庫の角を曲がった奥へと姿を消す。一人が二人分の盾を持って来るという考えは、気怠い彼らの頭には浮かばなかった。
無人になった通りを確認し、最も身軽なフィオンが扉へと走り寄る。
「こいつは……穀物か何かか、武器の類じゃねえな」
薄暗い倉庫の中に高く積まれていたものは麻袋の山。かなりの量が運び込まれており、倉庫の端にまで山を成している。
軽く触れた感触からフィオンは食料だと判断し、長居は無用と扉を閉め元いた物陰へと踵を返し――思わず息を飲む。
「ん? なんだお前、逃げ遅れた住人……敵かあ!?」
「――!? もう戻って……くっそ」
離れた二人の兵士は存外の早さで戻って来た。
曲がり角から出くわした両者の距離は三メートル余り。ほんの数歩で切っ先は届き、茜の兵士達の手には既に槍が握られている。
対するフィオンは徒手空拳。咄嗟に腰の剣に手を伸ばすが、繰り出される刺突に間に合うべくも無い。
戦場の生業に身を曝した狩人。その初陣は血生臭い洗礼を以って迎えられる。




