第53話 エディンバラ 猛禽と猛熊
第六軍がヒベルニアを発してより丸四日。
近衛騎兵のみを率い先を急ぐヒベルニア辺境伯イーヴァン。間も無くスコットランド伯の領都、エディンバラへと到着する。
跨るのは精霊の獅子グラス、では無く周りと同じ通常の馬。長距離の移動においては流石に、体力と速度では馬に分がある。
グラスは人魂のまま少し上を飛んで来ており、最初にそれに気付く。
「坊主、あれを見ろ。既に始まっているぞ」
「……報告通りか。連中の気性を甘く見ていた」
青藍の騎兵達が遠目に見やるのは、スコットランド最大都市にして大城塞エディンバラ。北海に面した港湾都市であり、その城壁は陸地のみでは無く海側までをも丸ごと囲む巨大なもの。
城塞内に有りながら更に高きに聳え見えるなだらかな丘、神々しい陽光を受け輝き第六軍団を出迎える。
「あれがかの玉座……。これ以上遅れを取る訳にはいかん、更に急ぐぞ。どうせ俺達の馬では、活躍の場が無いからなあ!」
ノルマン王国はカリング帝国と足並みを揃えつつ、しかし勇み足で早く攻めて来ると読んでいたイーヴァン。
その予想は当たっていたが、実際の日数までは計り違えた。
ノルマンからドミニアまでは北海を横切り六日は掛かる。
そう読んでいた所に、ヴァイキング達は常識を容易く打ち破り半分程の日程でそれを越えて来た。お陰で予定通りに救援に参じたイーヴァンは、予定には遅れぬままに戦に遅れるという事態となっている。
武人としてこれ以上の失態を演じる訳にはいかないと、先を急ぐ手勢二千は更に足を速め、馬を潰す勢いで戦場へと駆ける。
「イーヴァン様、中の攻防で馬が使えないというのは判りますが……先程のは?」
近衛の一人がイーヴァンの言に首をひねる。
「俺達の馬では」という言い方ではまるで、城壁を巡っての戦いで活躍出来る馬が存在する様な言い方。
その質問に若き青藍の騎士はニヤリと笑みを浮かべ、次いで少しまずい事に思い当たる。追求されては文句を言われかねない、何とも立つ瀬の無い問題。
明言はせず咳払いをし、頭を切り替えて城塞へと馬を入れる。
「お待ちしておりました! 遠路遥々、ヒベルニアからの援軍痛み入ります。既に北城壁では」
「遠くからも煙は見えていた把握している。本隊は後から来るが、我々は直ぐに加勢に入る。案内を頼む」
西城門で出迎えるのはスコットランド伯率いる第四軍団。
若葉と灰色の軍装はこの地の森に溶け込む実戦向けの配色。
即座にイーヴァン達は主戦場、北海からの湾に面した北の大城壁へと通される。
「これが……ヴァイキングか。成る程、確かに軍では無い。我らは左に入る!
石に煮え湯に丸太、運ぶもんは山ほど有るぞ!!」
海に面した大城壁、それに取り付くのは軍勢では無く戦士の群れ。
防具や装束に統一性は無く、鎖帷子で全身を固めた者から獣の皮に身を包む者まで様々。獲物の方も槍から斧から各々の得意とするものに分かれており、練度も強さもバラつきが大きい。
海面を埋め尽くすは、船首に竜の彫り物を戴く無数のロングシップ。
彼らの船はその造りの強靭さや巨大さで他とは一線を画し、畏敬や恐怖を込めてドラゴン船と呼ばれる逸品。
戦だけではなく交易や生活の場としても利用され、彼らにとっては只の船以上の価値と意味を持つ。
城壁の真下まで詰め寄せる無数の竜の群れ。その背から梯子をよじ登ってくる命知らずの狂戦士達。
矢の雨にも岩にも怯まず、煮え滾る湯を狂騒混じりに飲み干し、我こそが真の戦士なりと己が身で示すヴァイキングの群れ。
「ッチ、こいつら……炎と油をもっと放て! 湯と岩は効いてないぞ!!
さっさと梯子、をおお――!!」
先端に鉤爪の施された梯子、人が乗ればその重みで外せない造りであり、一度掛けられたならば外すのは至難。
イーヴァンはそれを両手で掴み上げ、武装した男達が数人乗ったままに海へと投げ捨てる。味方のみならず敵からも歓声が上がるが、全体で見れば微々たる影響。
敵の攻撃が最も激しいのは城壁の中央、一枚岩の岩扉で閉じられた城門部分。
均衡は既に傾き掛けており、城壁上には僅かな余裕も無い。
矢は盾で防がれ例え盾を破ろうがお構い無しに敵は梯子を上ろうとする。
火達磨になった敵は雄叫びを上げながら海に飛び込み、すぐにまた梯子へと手を伸ばしまるで手応えを感じられない。
必死で持ち場を守る第六軍は、どうやって今まで持ち堪えてきたのかと疑念が起こる程に、敵の猛攻は激しさを増す。
「こ、れは……いや、というか……スコットランド伯は――!?」
突如、城壁の裏で甲高い嘶きが響き、見やれば白の一騎がそこにいた。
鷹か鷲か、猛禽類を思わせるデザインの、苛烈にして無駄のない白の全身鎧。
馬も揃いの鎧に身を包み、四肢にも同様の馬具が付けられている。
本来は城壁上への物資移送用の緩やかなスロープ。第四軍の喝采と共に白鳥の騎士はそれを一息に駆け抜け、もう一人の辺境伯が戦場に躍り出る。
「はああ!? イーヴァン様、あの騎士海に飛び込んで」
「心配は要らんよ、あれがさっき言ってた騎馬だ。……まあ、見てれば解るって」
城壁より戦場へと――海上へと飛び降りる真白の騎士。
しかし城壁からの喝采は鳴り止まず、下で待ち構える狂戦士達は咆哮を以ってその勇士を拝む。まるで誰も、その着水を心配していない。
海上に蹄が触れた瞬間、その四肢に取り付けられた魔操具が真価を発揮する。
風、水、炎。種々の魔法が複雑にその力を発現させ、海を海のままに、駿馬はその上を颯爽と駆け抜ける。
白き猛禽の騎士は戦場に降り立つや否や、殺到するヴァイキング達を白銀の槍で串刺しにしていく。
一人一刺にして全てが必殺の槍捌き。
狙いは全て頭か胸、穿たれた戦士達は瞬く間に事切れ、しかしその目に後悔の色は無く、苦しげな断末魔の代わりに笑いながらに逝く。
第四軍の歓声は益々熱を増し、救援に駆け付けた第六軍は目を白黒させている。
「イーヴァン様……何ですかありゃ。つーか馬が海って……どういう事です?」
「何でも俺に聞いてんなっての。……俺もよくは解らんがあれも魔操具の品だと言う。王都で披露された時には、そりゃもう激しい取り合いになって……あ」
新型や新用途の魔操具が出来た際には円卓の面々や各地の有力者達が集まり、その分配や応用方に関して話し合いの場が持たれる。
創り出しているのは全て王のウォーレンティヌスではあるが、円卓内での力関係だけでも、彼は決して優位とは言えない。
そしてそれはこの場のイーヴァンにも言える事。
先代が内戦を引き起こし敗北した上に、現円卓内で最年少の獅子の騎士は、その底辺に位置する。
「魔操具……へぇ、ふぅーん。では……我ら第六軍の分は、無いのですか?」
「ぁ゛~~……ねえよねえよ、いつも通り俺達にはねえよ!! 殆どエクセターの女傑様が持ってって一番出来良いやつはあれで……バカやってねえでちゃっちゃと動け! 敵さんがあれに群がってる今が好機だ。矢の補充と梯子の撤去、負傷者の搬送も……」
各軍の近衛隊は、主に見所のある士官や主家の身内からの選抜で構成され、幾らかの差異はあれど主との距離は近いものがある。
特に、三十に満たないイーヴァンは政務や所用等においても彼らに頼る所が多く、六軍団の中で最も互いの気心を知っている。
ドラゴン船の間を縫い或いはその上に飛び掛かり、戦場を食い千切って行く猛禽の騎士。槍の冴えは益々勢いを増し、白銀の槍は鮮血を吸い続ける。
しかしヴァイキング達は一切その士気を衰えさせず、寧ろ我先にその首級を奪わんと殺到する。船の間を飛び越え、近ければ鎧を脱ぎ捨てて泳いで向かい、最早城壁を攻めている者は一人もいない。
その様に薄ら寒いものを感じながらも、イーヴァンは今が好機と城壁の上を駆けずり回る。幾らあの騎士が無双を誇ろうとも城塞が陥とされれば全てが無に帰す。
消耗品の移送から怪我人への応急手当、やれる事は幾らでも有る。
「あれが一番出来の良いブツって事は……あれがここの辺境伯って事ですか? イーヴァン様よりも強いんですかね?」
「手合わせした事は無いが、伝え聞いてる限りでは俺よりも上だろうな。あの御仁も円卓の出身だ。俺よりもよっぽど厳しくしごかれ……?」
イーヴァン達と共に油壺を運んでいる第四軍の兵士。その内の一人が何かうずうずと視線を送っている。
軍装から察するに第四軍の近衛の一員であり、その様子は主君を紹介するならば是非に、と訴え掛けていた。
精霊グラスの指摘にわざとらしく困ったフリをし、イーヴァンは役を譲り渡す。
「おい坊主、少し黙っていろ。お前が口にする場でも無かろう」
「解ってるってお前こそ黙ってろ。……いやー、俺も聞きかじった程度しか知らんからなあ。間違った事を広めては……誰か詳しい者がいれば良いのだが……」
「……有難う御座います、では私の方から。我らが主君は此度の敵を……余り快くは思っていない様でして、この所一切名乗りを上げておりません。まずはそちらのご紹介を」
戦場における名乗りの口上。名を広げる為であったり自軍の士気の為であったり、その意味や目的は多様に存在する。
名を重く見過ぎるか敵の何かが気に入らない等で気分が乗らず、名乗るに値しない等と考える場合も往々に有り、今の状況はそれに当たる。
一人一人が歴戦の戦士であるヴァイキング達は、炎に群がる羽虫の様に海へと落ちて行く。
一切の容赦無く近付く端から正確無比に、屠り海へと沈めて行く白の騎士。
近衛兵は戦場を蹂躙していく主を仰ぎながら、その輝かしい名を謳い上げる。
「では僭越ながら、オッホン! ……あれこそは誉れ高き円卓の騎士の一翼、谷を駆け抜ける者パーシヴァル公の後裔であり、その直系であらせられる白鳥の騎士ローエングリン伯の裔……即ち、我らが主……」
近衛兵が締めに掛かった所で――その名は別の口から放たれる。
戦場のど真ん中、猛禽の騎士の目の前に躍り出る一際巨大なドラゴン船。
野太く雄々しい声を響かせるのは熊の毛皮を纏いし――熊の様な漢。
「ロ―エンヴァルウウゥ――!! いざ、互いに愛を語り合おうぞおお!!」
戦場を突き抜ける豪声と、少々意味の解らない要求。
主の名を謳おうとした近衛兵はガクリと肩を落とし、イーヴァンは肩を叩きながら「まあ気にするな」と彼の気落ちを察する。
「ぁー……ローエンヴァル伯は解ったが……あれは、何だ?」
「……知りません、というか解りたくありません。……さ、仕事に戻りましょう」
熊の毛皮を頭に被り、腰にも同じものを巻いただけの裸の漢。
まだ春になったばかりの海は寒いものがあるが、一目で蒸し暑くなるような分厚い胸板と丸太の様な両腕両足、その肉体を覆い尽くす獣の様な剛毛。
「我こそは北海の覇者、ノルマン王ゴームの長子にしてデーン人の愛の結晶!!
長兄クヌーズであるう!! スコットランド伯に対し、果たし愛を望おむ!!」
王子と名乗りつつ決闘を申し出る、ヴァイキング達の総司令官。
一切構わずに敵を鏖殺していたローエンヴァルは、ただその首の重さのみに反応し馬首を返す。戦士達は即座にその道を譲り、騎士は一直線に駆け抜ける。
他の倍程はあるドラゴン船、その中央で一人、仁王立ちで待ち構えるクヌーズ。
傍には彼専用に鍛えられた巨大な両刃斧。肉厚で幅広にして、凡そ常人では持ち上げるだけでも困難な代物。
そこへ猛然と何の前触れも無く、猛禽はただその爪で血肉を引き裂かんと、一声も発する事無く熊へと襲い掛かる。
「ぬ゛っ――ほおあ!! 良いぞ、良いでは無いか円卓のお! それでこそこの地に来た甲斐が有ると言うものだ」
奇襲にも近い槍撃、柔軟にして強壮な筋骨の漢はそれを事も無げに捌き切り、大斧の一撃を白馬は空を駆ける様に飛び越える。
そのまま二匹の猛獣は船上で睨み合う。
片やクヌーズの目には活き活きとした精力が迸り、対するローエンヴァルは兜の下、害虫を叩き潰すと言う冷徹な気概を灯す。
幾ら広いとは船の上は揺れもあり騎兵には手狭。ローエンヴァルはあくまで合理的な理由のみで馬を降り、ただ敵の息の根を止めるべく槍の業を見せる。
「んう!? こ、れっはあ……! 無言の愛……それもまた、予は愛を以って受け止めよおおう!!」
雄叫びと共に愛を吠える獣の戦士クヌーズ。その大斧は空恐ろしき豪風を周囲へと巻き上がらせ、一挙手一投足で船が揺れ荒波を起こす。
一切の気勢も呼吸さえも見せず槍を振るう真白の騎士ローエンヴァル。
一息に突き殺すのは無理と断じ、その槍先が狙うは獣の四肢、無慈悲に腱を断ち切るべく切っ先を振るう。
武人として頂に有りながら対極に位置する二人。
だが故にこそ、両者の激突は見事に噛み合う。鋭槍の切っ先を大斧が防ぎ、振るわれる鉄塊の一撃は受け流される。
防がれた槍はそれでも大斧の表面を削り、受け流された巨体はその勢いのままに体勢を立て直し、付け入る隙を与えない。
気付けば周囲のヴァイキング達はその戦いに対し、完全に観戦に回っている。
両者への歓声や激励、中にはさっさと殺せ等という怒声も飛び交い、彼らの主のみでは無くローエンヴァルの背を押す声もある。
「滅茶苦茶だな……ここを陥としに来たんじゃないのか。……狂ってやがる」
既に城壁の上でやる事を済ませたイーヴァン達は、固唾を飲んで戦いを見守る。
どちらが勝とうとも一瞬で戦いの趨勢が決まり、この戦争全体へも多大な影響を与える一騎打ち。それを町角の喧嘩の様に持て囃す目の前の光景。
とても、正気で見ていられるものではなかった。
「ぬ゛あ゛――っとお!? いかん帆柱を……」
クヌーズが横薙ぎの一閃を繰り出しかけ、ピタリとその動きを止める。
彼らにとって大事な船であるドラゴン船。その帆柱を気遣っての反射的な制動。
無論、猛禽はその隙を見逃さず容赦もせず、必殺の機に槍先を奔らせその喉首を仕留めに掛かり――
「――ッ! ッチィ!!」
同時に飛来した一本の矢。憎々しげな舌打ちと共に騎士はその鏃を払い飛ばす。
首の皮が繋がったクヌーズも絶好の機会を失ったローエンヴァルも、声援を飛ばしていたヴァイキング達もピタリと動きを止める。
戦の熱は一瞬で冷め、矢を放った何者かへの殺意が海面を揺らす。
勝負に水を差した無粋者へと、戦場の目全てが矢が放たれた方へと向かう。
睨まれた先にいたのは弓を持ち顔を青褪めさせた戦士と、全身を青い装束に包んだ男が、その手のナイフで戦士の首を――
「ち、違……俺じゃ……俺じゃなッ」
「黙って死んどけ。ったく、危ねえったらねえ」
最期の訴えは誰の耳にも届かず、戦場には一抹の断末魔のみが流れる。
死体を海へと蹴り捨て、青の衣の男はナイフを仕舞いながら兄へと進言する。
「兄者、うちの兵がすまねえ事をした。これも兄者を想っての事だ、許してやってくれ。しっかり俺の手でケジメは付けたからよ」
白々しさが宿りながらも下手人を始末したと主張する青の男。
ヴァイキング達は少々首を傾げているが、首魁の漢は感涙を顕に弟へ向き直る。
「おおぉ、我が愛すべき弟ハーラルよ……うむ、予は愛を以ってその者とお主を許そう。……戦の熱は冷めてしまったが、なに気にする事は無い。また幾度でも愛を交わし合おうぞ」
撤退の構えを見せる敵に対し、ローエンヴァルもそれ以上は食い付かない。
相手に合わせた訳ではなく彼自身の体力もまた限界に近い。それでも槍を振るう事は十全に可能だが、命を張る価値を敵に見出してはいなかった。
城壁中央、岩扉は主の為だけに開かれ、湾から引かれた水路を白鳥の騎士は凱旋する。兵達の喝采に騎士は軽く手を振って応え、イーヴァンもまたそこに参じる。
「ご挨拶が遅れましたが……ヒベルニア辺境伯イーヴァン、援軍として馳せ参じました。存分のお手並み、まずは拝見させて頂き心強い限りで御座います」
軍礼での挨拶にローエンヴァルもまた応える。
兜を取り現れたのは、少し長めの黒髪と痩せ気味で筋張った双眸。気難しさを感じる面立ちだが、援軍に駆け付けたイーヴァンへ笑みを浮かべている。
「援軍に感謝する。ヒベルニアの蒼獅子が加わったからには我らの勝利は揺ぎ無かろう。まずは酒宴で持て成す、北の火酒で体を温めて欲しい」
激戦の疲労を感じさせず、僅かな汗と軽く肩を回すのみのローエンヴァル。
城塞の方々へと指示を飛ばしながら、酒宴の方も冗談では無くその準備にも兵を走らせる。
イーヴァンは申し出を断ろうとするが、本気でそれは冗談では無い。
「今は正に戦の最中、歓待は有り難いのですがそれは敵を退けてからに」
「……私は何も酔狂で宴を開くのはではない。円卓の系譜を持て成さなければ我が家名に泥を塗り、二家が揃った事を盛大に広めれば兵達の士気を上げれる。貴殿に拒否する権限は無い、黙って付き合ってもらおう」
大真面目に、戦場での苛烈さのままに宴席を強要するローエンヴァル。
断れる訳もなく、イーヴァンは黙ってそれに従い将兵達と杯を酌み交わす。
二人の円卓の騎士と北海の覇者の二人の王子の戦いは、こうして幕を開けた。




