第52話 ねじまがった土手
出兵を翌日に控え、フィオンはクライグと共にブリストルの街を散策している。
英気を養うべく兵達に出された特別休暇と、それに合わせて催されている街を上げての歓待。賑やかな喧騒と共に大通りの活気はすこぶる高い。
「二人共……いい加減機嫌直してくれって。先に言ってなかった俺が悪かったからさあ……そこまで怒らなくても、な? 今日は明るくいこうよ」
が、通りを行く三人の顔は明るいものではない。
眉間に皺を寄せ不機嫌を顕にしている二人と、あくせくと焦る恵体に金のオールバックの男。一行の間に流れるのは、街の空気とは正反対の剣呑なもの。
「そっちの気がある訳でもねえし、聞いてなかった事はどうだって良いんだよ。
ッチ……何だってこんな奴連れてんだお前」
舌打ちしつつフィオンが睨むのはクライグの副官、シャルミラ少尉。
一切怯む事無く眼鏡越しにジトリと睨み返す、灰色の髪の女性。整った端整な顔立ちだが、今は細くなった紺の瞳に陰気を宿らせている。
フィオン達よりは年下、士官学校出の淑やかな才女。
現在はクライグの副官としてその傍に侍り、現場への慣らしをしつつ彼をサポートしている。というのが本来の形なのだが、実際の所はまるで真逆。
クライグの性格も合わさり、副官と言うよりは監督官の様な立場に収まってしまっているが、これはこれで上手く噛み合い、周りも半ば諦めだしている。
「あなたのお話は中尉から窺っておりましたが……もっと理性的な人と思っていました。全く……とんだ邪魔が入ったものです」
溜め息と共にフィオンへの失意を吐き出すシャルミラ。落ち着いた声ではあるが、苛立ちは隠し切れていない。
待ち合わせの約束をしていたフィオンとクライグ。そこにくっ付いて来ていたシャルミラがフィオンと顔を合わせてから、約一時間この調子である。
クライグがシャルミラに聞かせていたのは七年前の、まだ狩人になる前の優等生然としたフィオンの姿。そして今日初めて目にしたのは、まるで真逆の人物。
それによるギャップへの落胆とデートをぶち壊された事への怒りで、顔を合わせた頭から彼女はフィオンに敵意を向けてしまった。
デートに関しては彼女の勝手な思惑でありクライグに自覚は無い。とは言え、今日は三人である事を言わないまま彼女を誘った朴念仁にも、僅かには責任がある。
いがみ合う二人の仲裁に苦戦し、クライグは別方面からのアプローチを考える。
何か気を逸らさせようと、別の事に意識を向けさせようとし……先日の一件に話の舵を切る。
「そういえば……こないだのあの子、アメリアって子はいないんだな? てっきり二人で来ると思ってたんだが……何か忙しいのか?」
「ん? あぁ、あいつなら今日は……ロンメルに戦場での心得とか野戦病院でのあれこれとか……今の内に色々と詰め込まれてるよ。先に知っとくだけでもちったあ足しになるだろうってな」
二日前の演説の後、フィオンの宿に付いて行ったクライグはアメリア達四人を紹介されている。あくまで口外禁止を守らせる為の監視としてだが、フィオン達としてもアメリアを紹介しておく必要があった。
稀有な治癒の力を持ち更に魔力酔いをしない、エルフであるアメリア。
何の配慮も無く野戦病院でその力を振るえば、あっという間に話は広がり、直ぐに軍部は関心を示す。そうなれば正体を隠しておくのは難しい。
事前に軍内部に協力者を作っておく必要があり、中尉でありフィオンの親友であるクライグは正に打って付けであった。
エルフの情報を共有され、クライグは驚いてはいたものの、快く協力を確約してくれた。自身は軍人である前に、彼の親友であるからと。
正体を隠す事に協力してくれれば戦場でその力を遺憾無く発揮してくれるというのも、軍人という立場からも彼を頷かせた。
「中尉、アメリアというのは……彼の仲間ですか? お言葉ですが、旧知の仲とは言え傭兵達と余り親密になさるのはどうかと」
「良いだろ少しくらいは、ベルナルドさんだってそれが俺の味だって言ってくれてたし……。ほらほら、今日は辛気臭いのは無しだろ? 通りでジメジメしてんのは俺達だけじゃないか、もっと景気良く行っとこうぜ!」
僅かに矛先が逸れたものの、依然火花を散らす二人。
三人はそのまま通りに並ぶ出店や露天を回って行く。主なラインナップは兵士向けの肉料理や、味の濃い品々を並べた屋台の類。
話しながら買い食いながら偶に諍いながら、三人が通りを抜けた後は、少々買い過ぎた料理の品々で両手が塞がってしまっていた。
「こいつは……丁度昼時だし、どっかで腰下ろして食うとするか。……まさか文句ねえよな?」
「異論はありません。通りは少し騒がしいですが、この辺りは丁度……」
聞き終える前に、フィオンは目の前の土手を上がり切り周囲へ目を凝らす。
ねじれ曲がった川に沿って築かれた、同じくねじ曲がった土手。川向こうにはなだらかな丘が、人の手を感じさせないままに春風にそよいでいる。
のどかでどこか薄ら寂しい景色に、不思議と何故だか、物憂げな息が漏れる。
気付けば横にはついて来ていたクライグと、その背を追って来た少尉がいた。
「ここは……何か建てたりしねえのか? 通りの方は随分ひしめき合ってたのに、放っておくには勿体ねえっつうか」
「いや、ここは…………ここは手を付けられない土地なんだ。立ち入り禁止とかにはなって無いけど……後々まで遺しとくべきで……」
説明しながらも、どこか言葉に詰まるクライグ。
それにフィオンが首を傾げた所で遠慮の無い指摘が入る。士官学校に入るべく勉学を磨いていたのなら、歴史への知識もあって然るべきだろうと。
「中尉からの話では、あなたの学力は確かだったと……。ねじまがった土手となだらかな丘、それで何も思い当たりませんか?」
言われてフィオンは頭を巡らし、直ぐにそれに思い当たる。
ドミニア建国の歴史と円卓の騎士達の伝説をなぞり上げれば、避けては通れない最後の戦い。反逆の騎士と雌雄を決した、その丘の名を。
「……ここがカムランの丘か。裏切り者のモードレットとアーサー王が最後に戦った……。ここら辺ってのは覚えてたが、そういう事なら手出しもできねえか」
アーサー王が大陸遠征に向かった留守を突き、反抗勢力を統合し反旗を翻した円卓の騎士の一人、反逆の騎士モードレット。
ブリタニアに帰ってきたアーサー王と数度の激戦を経て、遂に追い詰められたモードレットはカムランの丘にて、アーサー王自身の手で討ち取られた。
この戦いにてアーサー王自身も深手を負い姿を消し、後を託されたコンスタンティヌスはドミニア王国を興すに至った。
祖王コンスタンティヌスはその後、尚も抵抗を続けたモードレットの二人の息子を討伐し、遂にブリタニアは統一されたと伝わっている。
目の前に広がるのがその舞台であると知ったフィオンは、見てみればそう大した事は無いと感慨を覚えず、百年も経てば戦の爪跡は消えるものだと風に流した。
丘まで行って飯にするか一瞬思案したが、クライグは黙ってこの場に腰を下ろし、二人もそれに続く。
「残しとくべきってのは解らねえでもねえが……それにしても勿体ねえな。丸っきり放置されてる訳でもねえし、何か使えねえのかね?」
「見てくれは只の丘です、観光としては少々力が弱いので。何かという位であればご自身で具体案を出してはどうですか? 丸投げは見っとも無いですよ」
軽く火花を散らしつつ三人は昼食を共にする。取り留めの無い話題と旧史跡の活用法等、幾らか建設的な話も交えて。
生来は理知的であったフィオンはシャルミラとそう相性は悪く無く、出会った時の険悪な空気は、話を交える事に少しずつ薄れていく。
そして話は段々と、どうしても目先の事へ。明日に控えた出兵や戦争へと、話題は血生臭い方面へシフトしていく。
「ウェールズからのを合わせてこっちが三万……向こうさんは六万か……。事前の話よりはマシになってるな。やっぱ海越えで苦戦してるのか?」
「敵は本隊ではありますが、あくまで方面軍の一つです。更にカリング本土からは随時増援がやってくるでしょう。幾ら海が荒れようとも、全てが転覆すると言う事は有り得ません」
ウェーマスで激突するのは、ドミニア側が三万にカリング側が六万。
どちらにも更に後詰や増援の手筈は整っているが、数の上ではどうしてもカリング側が勝る。それでも当初の予想であった戦力比一対三よりは好転しており、先行き真っ暗という程では無い。
気付けばフィオンとシャルミラは食事を済ませ話のみとなり、クライグは何か気落ちして食も話も進んでいない。
いい加減に心配したシャルミラが声を掛けると、話を誤魔化すためか、つい口を滑らしてしまった。
「中尉、何か有ったのですか? 先程からお食事も何も……手についていない様ですが……」
「え? ぁ……あーいや、こいつはな……その、心配になっててな。その、あれが……二人共戦争の話をしてるから、北の戦線がどうなってるかって……ん?」
北の戦線、耳にしたフィオンは首を傾げる。カリング帝国が攻めて来ているのは南からであり、幾ら何でも北までは手が回るはずが無い。
まだ一般には出回っていない情報が漏洩しシャルミラは頭を抱えるが、いずれは噂にでもなるだろうとサッと頭を切り替えた。半端に知られているよりはきちんと説明した方が良いと考え直し、眼鏡を掛け直しつつ話へ補足を入れる。
「カリングはノルマン王国を味方に引き入れています。恐らくは足並みを揃え北部へ襲来を掛けるだろうと……北の戦線というのはそういう意味です。我らはスコットランド伯率いる第四軍と」
「ノルマンって……ヴァイキングの奴等か? 北部って事は……でもリーズ候は王都に入ってて、ウェールズもこっちで……援軍無えじゃねえか。一軍団だけで大丈夫なのか?」
北海を中心に、遥か彼方まで武威を轟かすヴァイキング達の王国、ノルマン。
総兵力はカリングに及ばないが個人の武力は目を見張るものがあり、軍を率いている王子は、現在の円卓の騎士達にも比肩すると伝わっている。
当然、ノルマン王国の一国丸ごとの兵力とスコットランド伯の第四軍だけでは、余りにも戦力差に開きがあり過ぎる。
思わずフィオンは北の心配をしかけるが、呆れ気味に、遠慮の無い声が掛かる。
「援軍ならしっかり有るでしょう。冒険者だったのなら、あなたがつい先日までいたのはどこですか? ドミニアにはブリタニア以外にも領土が有ります」
言われてフィオンはハッとし、思い出される青藍の騎士と蒼き獅子。
何故忘れていたのかと己に溜め息をつきながら少しだけ安堵し、彼もまた何の気は無しに、ポロッとその名を口に出す。
「そうか……イーヴァンが援軍に向かってるのか。……なら、少しは安心か」
軍人からしてみれば雲の上の名を口に出され、二人は顔を顰めてフィオンへ問い質す。話は目先の戦争から、彼が辿ってきたヒベルニアでの冒険譚へ移る。
物語の照明は一時北へ、今正にこの時、干戈を交え合う戦場へと移る。
舞台の名前はエディンバラ。スコットランド最大の都市にして最強の城塞。
そこへ群がる北海の勇者達を、白鳥の騎士が猛爪で迎え撃つ。




