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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第二章 エクセター戦役 命の順番
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第50話 氷炎の二翼

 少しばかり空気を引き締め、クライグは軍人としてフィオンを建物の中に招く。

 殺風景な講堂の中には数人の軍人と共に、冒険者風の者達が二十人ばかり楽にしていた。その中には幾つか見た様な顔もおり、アンディールの姿も有った。


「アンッ……! っ……」


 思わず声を出しかけたフィオンだが、壇上の男からの冷たい視線、それを受けて押し黙る。

 書類を揃えつつ全体へ睨みを利かせるのは、第五軍大佐のベルナルド。青味のある短く揃えられた髪と、端整で刃物の様な顔立ち。

 眼鏡を掛け直しながら咳払いをし、説明を始める事を言葉無く報せた。


「第五軍大佐のベルナルドだ、挨拶は省かせて貰う。……この場に集められたのは傭兵の中から、身元がはっきりとしておりある程度の信用を置けると判断された者達だ。資料を配布するのでそれを見ながら聞いてもらう、私を見る必要は無い」


 淡々とした抑揚の無い声。有無を言わさぬ空気が堂内に広げられる。

 下士官らが資料を配り出し、フィオンもそれに目を通す。内容は具体的な戦地の説明と戦略目標。傭兵達が向かう予定地はここより真南、ウェーマスとある。


「兎角、戦いは流動的なもの。戦略から戦術に至るまでは既に練られているが、それでも不測の事態は起こり得る。諸君らに求めるのは単純な戦力では無く、数々の冒険者依頼で培ってきた対応力や即応力……柔軟性を期待している。それを発揮してもらうには、幾つか戦略の裏を知っておいて貰った方が良いと考え、この場を以って説明を行う」


 単に戦力を求めるのならば単価の掛かる傭兵よりも、徴兵の方が遥かに効率が良く扱いも容易い。その上で、冒険者達の経験をベルナルドは軽視していない。

 戦いには不測の事態が付きものとした上で、もしもへの備えを求めていた。


「海戦では勝機が薄く応じれば徒に被害を増やすのみと結論付けた。故に、我らは敢えて敵を上陸させ陸戦に持ち込み、その上で戦果を上げ敵の継戦意思を削ぐ。無論、明け渡すのは入念に選ばれた我らに地の利がある場所だ。敵から見ても欲しい地であり、例え罠だとバレようが取る事になる」


 カリング帝国に取らせるのはどちらも海沿いの町。ブリストルからは南西のサルクームと真南のウェーマス。

 どちらにもそれを囲う様に強固な防衛線が引かれており、突破を狙う敵を迎撃し続け敵の戦う意思そのものを削ぐと言う作戦。


 しかし万が一どちらかを突破されれば、一気に内陸の要地が危険に曝される。

 サルクーム側を突破されれば領都であるエクセターに敵が迫り、ウェーマスのすぐ北にはエクセター領と他方面との出入り口であるヨービルがある。

 何人かの冒険者が質問や意見の声を上げかけるが、ベルナルドはそれらを黙殺し話を先に進める。


「彼我の戦力差は単純な数のみでは一対三。他の上陸可能地点に兵を割き、ウェールズ候からの援軍を加えた上でだ。……我らに戦力的な余裕は無く、まともに兵の削り合いをすれば勝算は無い。大陸から海を渡って来る敵が真っ先に求める物は、安全で戦略的価値の高い上陸点だ。互いの状況を量った上での作戦であり、諸君らが口を出せる権限は無い」


 軍人然とした感情の無い、突き放すような強い声。しかししっかりと説くべき論は説き、威圧のみではなく冒険者達の口を閉じさせる。

 元々不利な戦況であり、取れる現実的な策が少ないのは皆が理解していた。

 ベルナルドは特に様子は変えぬまま、変わらず冷たい声で説明を続ける。


「これからエクセター候が兵達と他の冒険者達に演説を行うが、内容は今の説明とは真逆。カリングが奇襲によって橋頭堡を得たとし、土地を奪い返すべく振舞う。士気を鼓舞する為の演出であり、無論、先の説明の口外は禁ずる。演説に関しては聞くも聞かないも諸君らの自由である。資料の持ち帰りは認めずこの場で全て回収……これを以って解散とする」


 終始機械的な態度を崩さぬまま、ベルナルドは説明を終えて壇を下りる。やはり意見や質問を受け付ける気配は微塵も無いが、誰も声を上げる事は無かった。


 フィオンも兵士に資料を返しながら、クライグと共に建物を出る。戦略に関し現時点で知るべき事に不備は感じず、そもそも大局的な戦争の勝敗に興味は無い。

 知りたかった事は実際に従事する任務や戦地の地形等、戦術レベルでの話。

 続きは現地でと言わんばかりの態度に、今は黙って従う他は無かった。


「あれがお前の上官なのか? おっかねえっつうか無機質っつうか……堅そうな奴だったな」

「あの人は結構柔軟……というか合理的にものを考えてくれる人だよ。堅い所も確かに有るけど……あれはあれで下からの評判は良いんだぜ」

「ふぅーん、そういうもんか。……って、アンディールは!?」


 建物を出た所でアンディールの事を思い出すが、既に見失っていた。

 周りを見渡してもどこにもおらず、うっかりしていたとフィオンは肩を落とす。


「そういや誰か見つけたみたいだったが、知り合いがいたのか? 冒険者仲間?」

「ん、ちょっと色々あってな。俺にとっての恩人なんだが……いや、またどっかで会えるだろ」


 幾ら親友のクライグと言えど、余りベラベラと喋れる事情では無い。

 フィオンは言葉を濁しつつ兵達が整列していた広場へと足を運ぶ。演説そのものではなく、エクセター候がどういう人物か興味が有った。

 士官学校へ入るべく勉強をしていたのは七年前。風の噂ではその頃から代替わりしているらしく、現当主に関してはほぼ知識が無い。


「ぉ? 聞いて行くのか? だったら話が早い、うちの閣下は……中々強烈だからな。実際に見てもらうのが一番だよ」

「何かすげえのか? 前のエクセター候は……五世さんだっけ? 本名の方は忘れちまったが、トリスタン家はそれで通じるから覚え易かったな」


 エクセター候を代々襲名しているのは、円卓に連なる騎士の一人、トリスタンの家系である。実の息子が二世を名乗った事から、代々の当主は本名とは別にそちらの方も使うようになっている。


 何か言いたげなクライグと共に広場の端で待っていると、兵達の号令と共に一糸乱れぬ軍隊ラッパ(ビューグル)が鳴らされる。僅かに弛緩していた広場の空気は急に張り詰め、兵達の前方、お立ち台に一人の騎士が上がる。


 全身を包むのは金の意匠に彩られた黒の甲冑、第五軍と同様の色合。

 実戦用の拵えでありながら、細部に施されたデザインは流麗に映る。バイザーも下ろされており顔は見えない。

 笛の音が止むと共に厳かに演説が始まり、広場には強く芯のある声が響く。


「まずは、皆に謝らねばならぬ事が有る。姑息にもカリングの鼠共は奇襲を仕掛け、既に我が領地に食い込んでしまった。これは……私の失態である」


 よく通り意志の強い声。謝ると言ってはいるが演壇に立つ姿は堂々としたもの。

 君主として頼もしい姿であり、侵略を受けたと聞きながら兵達に動揺は無い。

 しかしフィオンは自身の耳を疑い、首をひねりながらクライグの肩を叩く。


「……なあクライグ、俺の耳がおかしくねえなら……あれってもしかして」


 咄嗟に、クライグはフィオンの口を押さえて黙らせた。

 声を押し殺し必死に親友へと頼み掛ける。


「頼む、今だけは静かにしてくれ。演説中に私語なんてバレたら……どうなるか」


 明らかに狼狽え怯えた様子であり、何かを恐れている。

 親友の怯えぶりから諸々を察し、フィオンは大人しく演説に耳を傾けた。


「ドミニア王はリーズ候を侍らせ王都に篭り、我がエクセターには一兵も寄越さぬ構え。我らは自力で脅威に打ち勝ち、自らの手で自らの生きる地を守らねばならん。……さりとて、そもそも私は王都の弱兵をアテにしていない。剣も指揮棒(タクト)も振れぬ者が率いる軍なぞ、まるで話にならん」


 現ドミニア王は剣も軍学も心得が無く、それは広く知られた批判の種である。

 それが兵の強弱に必ずしも結びつくとは限らないが、実際に第一軍、王都の軍勢はそう強くないというのが専らの評判であり、これに異を唱える者は少ない。


 王への謗りを憚らずに謳い、エクセターの主はそのままの勢いで、勝利への展望と兵達への信頼を口にする。


「敵は遠路遥々やって来ており、補給と増援は常に海の神(スィール)の機嫌で左右される。当然、戦地は我らの慣れ親しんだ故郷の大地。地の利は充分であり、祖霊の加護を受けし我らに必ずや勝利が約束されよう。……ひょっとすれば、我らの尻を蹴り飛ばしに化けて出てくるかもしれんな」


 冗談とも取れる台詞と共に、現実に基づいた勝算も交える。

 ドミニアとカリングの間は比較的穏やかな海峡とは言え、川はまだしも海を越えての運輸は多くの不安を抱える。

 事実、カリングがドミニアに進発させた軍船には少なからずの自滅が出ており、ドミニアの知らない所でカリング側に被害が発生している。


 次いでエクセター候が兵達に訴え掛けるは、何の為に戦うか。

 国に仕える兵であれば忠義や武功、名誉の為に戦うのが常であるが、それらは全て否定される。


「先に言った通り、国の為に戦えとは言わん。臆病者の為に命を賭けるなぞ冗談では無かろう。……諸君らは自らの愛する者の為に戦うが良い。親兄弟、友、恋人、武技を競い合う朋友も良かろう。彼らの為に剣を取り、彼らと共に枕を高くして眠れる地……故郷を奪い返す為に戦うが良い」


 親しい者の為に力を揮う。それはフィオンとしてもまさにこの場にいる理由であり、多くの者が最も共感できる行動理由。

 どこか燻っていた兵達の胸中は、僅かにその熱量が上がる。

 広場には程良いざわめきが広がり、演壇の指揮者はその機微に仕上げを施す。

 兜を取りながら凛とした檄を飛ばし、兵士達の心に炎を放つ。


「その上で敢えて、諸君らを率いる私は命を下す! 恩賞も功も我が武威も出し惜しみはせん。栄えある円卓の座を受け継ぎしトリスタン六世、レーミスの名においてここに命ずる! 我が旗の下に剣を取りカリングの木偶共に突き立てよ!!」


 長い金の髪と共に、黒甲冑に映える白い肌が現れる。戦姫や姫騎士といった言葉は一笑に付され、戦女神という響きを踏み砕いて飲み干す女傑。

 同時に、レーミスの背後に第五軍の巨大な師団旗が掲げられる。黒地に金の配色は崩さぬまま、旗章は竜では無く祖が扱ったと言われる竪琴の弓フェイルノート。


 兵士達は整然とした列は崩さぬままに、そこかしこで喝采と雄叫びを上げてその演説に応じる。兵営中にその熱気は伝播し、士気は天を衝いて尚高く上がる。

 それを見届けたレーミスは軽く頷き、漆黒のマントを翻し壇を後にした。

 思わず見入っていたフィオンは目を丸くし、気付けば小さく手を叩いていた。


「……マジで女かよ。候や伯っつうか軍で女なんて聞いた事ねえ……しっかし凄え人気だな、いや良い演説だったけどよ」

「あれで誰も敵わないからな、馬でも槍でも敵無しだよ。戦だけじゃなく政治の方も……口出しできるのはベルナルドさん位のもんさ」


 壇上を下りたレーミスを出迎えるのは、先程までフィオン達へ説明をしていたベルナルド。

 兜を受け取り労いの言葉で持て成すが、両者の表情は既に戦場のものだった。


「閣下、お疲れ様です。……先程ワイト島からの報告が。連中まだ粘っているとの事で動いていません。更に、遠目に見えたという程度ですが、銀甲冑の指揮官を見かけたと」

「やはりいたか……ご苦労、防衛戦は下がっていないのだな? ならばそのまま迎撃を続けろ。幾らプロヴァンス公が辛抱強くともいい加減に内部から不満が上がるだろう。そうなればウェーマスに食いつくさ」


 南西のサルクームへは既に敵の誘導は済んでいるが、ウェーマスへの誘導はまだ完全ではない。

 ウェーマスを取らせる予定の敵の本軍は現在ワイト島を攻めており、エクセター軍の精鋭兵が寡兵ながらにこれを退け続けている。


「戦況に問題は無いとの事です。事前の備えが功を奏しております。予定通りサルクームへはこの後直ぐに、ウェーマスへは……三日後を予定しております」

「良い様に計らってくれ。ウェールズ候との連絡も……それと、演説中遠目にクライグの奴が見えたが、横にいた黒い髪の男……何か知っているか?」


 演説の最中、冷静に全体を見据えていたレーミスはフィオンとクライグにも気付いていた。当然、何かする訳ではなくあくまで気付いたのみ。

 彼女の意図は量りかねるまま、副官のベルナルドは自身の見聞きした事を正直に、悪気は無く淡々と明かす。


「クライグと一緒の黒髪の男……事前説明の為に集めた冒険者の一人ですね。先程講堂の前でクライグがその者と騒いでおりました。防音を突き抜けるいつもの大声で……彼が以前に言っていた昔馴染みの親友では無いかと」


 報告を受けたレーミスは特に様子は変えぬまま、毎度の事への溜め息をつき、少しばかり忘れていた――忌まわしき案件を思い出す。

 父祖より継承してきたこの国の汚点。

 一点の曇り無き円卓の裏に隠されし、その()()()となった者。


「そうか……いや、何でも無い。商工会との会合に行って来る、連中も中々気合が入っている様だ。……それと、中尉にはいつも通り始末書を書かせておけ」


 レーミスはいつもの調子で仕事へと戻る。

 彼女にも責がある事だが、発端は自身らの与り知らぬ所。厄介事を背負わせられているのは、何も被害者だけでは無い。


 ドミニアとカリングの戦端はいよいよ以って――否、既に幕は開いている。

 緒戦はブリタニア南部中央の島。エクセターと王都、両の喉元にある重要地点。

 ワイト島の南岸は、既に朱の波に染まっていた。

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